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コラム

2014.07.187月母性型勉強会

boseigata7.jpg

 

勉強会が終ってロビーでついつい長話しちゃいます。

女性がこの長話が止まらない。

残ったみなさんでパチリ↑

「いいわねえ、独身だと、楽しそうで。

私なんて自分の時間が取れなくって」

(結婚してる私の方が上よ!)

 

「あなたは仕事バリバリできてうらやましいわ。

私なんて、専業主婦しかできないもの」

(働かないといけないあなたより専業主婦できる私の方が上よ)

 

「家計簿つけてるなんて几帳面でさすがよね

私なんておおざっぱだから、あったらあっただけ使っちゃうわ」

(私の方がおおらかそうでしょ?)

 

 

ニコニコ仲よさそうに会話しながらも

水面下では、チクチクと「あなたより私のが上よ」ということを

アピールしてくること

こういうことを今

マウンティング、というそうなのです。

 

私は「マウンティング」という言葉は知りませんでしたが

話を聴いていけば、女子にありがちな

「あるなるーー」ということばかり、でした。

 

先日の勉強会は

なんと女子の中に男性一人という男性にとっては

勇気ある会になりましたが、

共感型母性型男子の方だったので

女性の中に「なんの違和感もなくなじんでいる」雰囲気でした。

すごいですね。

 

 

さて、マウンティング

動物世界の言葉だそうです。

動物社会において順序きめの確認の行為。

一方は優位を誇示し、

もう一方は無抵抗を示し、

攻撃を抑止したり

社会的関係を調整したりする

 

そういや、馬乗りになってることは

マウンティングですね、

 

「私が実際に体験したマウンティングは?」

を出し合ってみたのですが、

出る、出る、出る。

 

そういう場に行くと疲れます。

みんなが鎧をきて会話をしているところは、疲れるのです。

 

「ここででは(母性型の場)」では、どうして心がほっとするんだろう?」

ということを考えてみた時、

皆が、自己開示をしていくからだ、と思うのです。

 

誰かが、一人

ポーンと鎧を脱いじゃう。

すると、私も実はね、と鎧を脱いじゃう

 

そうやっていくと

ずっと鎧を着ている人は

会話に乗っていくことができなくなります。

 

人は素がでてくればでてくるほど

心の距離が近くなります。

 

「こんなこと言うつもりじゃなかったのに、思わず話しちゃった」

という時、

自分はその場で心開いてるんです。

 

 

誰かと自分を比較して

自分の価値観でもって「どっちが上」を確認し

安心したり、落ち込んだりすることは

比較競争のものさしです

 

自分よりもあの人の方が好かれている

自分よりもあの人の方が優遇されている

と思うことと

あの人よりも自分は優れてる

あの人よりも自分はできる

と思うことの

心のメカニズムは同じです。

 

どちらも、不安。

狭い世界で比較して喜べているうちはいいけれど

大きな世界に行くと、

比較競争のものさしでは

自分は死ぬまで「ああ、幸せだなあ、なんだか、私っていいいなあ」という

境地にはたどり着けません。

 

そもそも、比較競争というものさしは

いらない。

特に女性にはいらない。

 

あればあるほど、

仲良くなれない

隣の人との心に触れることができなくなるのです。

 

私は、母性型ということを学びだして

自分を出していくことの快感を覚えました、

 

大事さ、

とか、

メリット

と言うレベルではなく

快感、です。

 

気持ちよくって、やめられない

自分を出していけばいくほど、周囲との関係が居心地のいいものに

なっていく、この快感。

 

向かい合っていくと

好きになっていく

相手はどうかわかりませんが

少なくとも、こちらは相手を好きになっていく

ということが起こります

 

これは

心の中で起こっていること、です。

 

だから、やめられない。

 

自己開示していく

ということは

自分から、鎧を先に脱いじゃう

ということです。

自分から、スッカーンと心を開きっぱなしにしちゃうということです。

 

心をは開けてっぱなしでいると

いらんものも入ってくるので

時にへこむこともありますが、

やはり開けてないと入ってこないのが

これ人間というもの。

 

 

こうやって毎日毎日人と対していると

いろんなことが起こる毎日でも

何か起こったら

まあ、どうにでもなれ!」という感じに

なってくるんです。

どうにでもなれ、と思えるのは

日々、人との関わりの中で

充電が十分にできているから、です。

 

だから、余裕がある。

「げっ」というようなことが、起こっても

「よしっ、どうにかするぞ、いや、してみせる」と

思えてしまうものです。

 

 

マウンティング女子なんて、しんどいですね。きっと。

情報ばかりが飛び交い

SNSによって、

身近な人の光の部分、華やかな部分だけが

クローズアップして自分の視界に入ってくるようになりました。

 

身近な人の光は、自分にとっては

影になってしまうことも、あります。

 

「あの人は、私よりも華やかな世界にいる」

「なのに私は、こんなにくすぶっている(ような気がする)」

と勝手に自爆してしまいがち、です。

 

 

だからこそ、

こうやって集まって、

顔を見て、素の言葉を出し合い

感じあうということが

私は嬉しい。そして、一番元気になる。

 

どんどん学んで

どんどん喜んで

どんどん仕事して

比較してる暇もないほど、

走り続けていきたいと

思います。

きっと、そう思っている人は多いです。

 

女性は、自分で心に栄養を注いでいないと

一人でいると、どんどん自爆します。

私なんて

私なんて

自分を攻撃しちゃいがちです。

 

本来、母性力を持っている女性は

どんな存在なのか?

私という人は、どんなものを持っているのか?

引き出してやらなきゃそのままもったいなく使わず終いです。

 

 

引き出しの中に「ある」ことを知れば

存分に使えますが

もともとそんなものは「ない」と思い込んでいれば

使おうとも、思わない、そんなものです。

 

 

感情を解放する

と言えば、

女性は、怒りや不満をぶちまける

ことを連想しがちです。

 

我慢しているから、です。

「こうであるべき私」「こうしなくてはいけない」

と自分の感情を我慢し続けていると

そのうち病気になります。

 

負の感情をぶちまけるのではなく

「ああ、嬉しいな」

「いま、いい感じーーー」

という思わず出てくる自分の声に耳を傾けていくんです。

 

そんなことは、

日常にはない

だって、職場はしんどいし

だって、家庭は大変だし

だって、友達だって面白くないし

と感じるのなら

自分自身のモノサシが誤作動起こしてる。

 

しんどいなあ

なんだか、誰とも心から仲良くなれないなあ

よく落ち込んじゃううなあ

そう感じる時は

比較競争のものさしの世界で

生きてるかも、しれません。

 

全然、違うところで

らくらく生きてる人もいるんです。

感情を素直に開示していけばいくほど

周囲は自分に優しくなります。

鎧をかぶっている時ほど

周囲は自分に攻撃的です。

 

 

これって、心のメカニズムだと

私思うのですが、どうでしょう?

 

次回8月の母性型勉強会は

2014年8月20日(水)18時半~20時半

高松国際ホテルにて

http://www.boseinomonosashi.com/  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2014.07.07女の気持ちはコロコロ変わるのです

「泣けば許されると思ってるの?」

「仕事なんだからきちんとやりなさい」

「ごちゃごちゃ言わずに結果を出しなさい」

「数字がすべてよ」

「やるべきことをやりなさい」

 

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上司に厳しく言われて心がペシャンコになってしまった人がいます。

ペシャンコになった人の上司は、女性です。

 

かつては、男性の台詞だったようなことを

今は、女性が「あたりまえのように」口にしています。

そしてそれを口にしている女性も

「そんなことはあたりまえでしょう」

「仕事なんだから」

と、そう思っています。

 

社会に出ると

甘えは許されない

きちんと「組織の枠」に当てはめて動かなくてはならない

成果を出さなくてはならない

 

男性性を軸とする今の社会では

売上がすべて

数字がすべて

理屈で論破できることがすべて

です。

 

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女性も社会の中にどんどん入っています。

私も日々仕事をしながら

自分が「サヌキ(男性性)」にほうっておくと

すごい勢いで傾いていくことを感じます。

だから必死で勉強し、戻そう戻そうとするのです。

 

男が弱く見えるようになった

男のアラが気になってしょうがなくなった

頑張らない人を見るとイライラして腹が立ってくるようになった

精神的に弱った人を見ると、「頑張らない自分が悪いんじゃないの?」と醒めた目で見ている自分がいる

 

もし、

もしも、

女性が、そうなってきているなあ

と感じたなら

自らの心と体が、サヌキ化(男性化)している、ということです。

 

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自分自身が、男性化しているなあ

という明らかな自覚は

身近な人に対して攻撃的になる

身近な人の弱い部分を見るとイライラしてしょうがない

「こうでなくてはならない」という口癖が多い

です。

 

 

私は、サヌキ性(男性性)とアワ性(女性性)という考え方を知る前

もう見事にサヌキ性に傾きすぎて

すべてのバランスを崩しかけていました。

 

すべての人の中には

男性性、女性性があります。

男性性をサヌキ性

と言います。

女性性をアワ性

と言います。

 

サヌキアワについての詳しくは

母性型勉強会にて池田先生に聞いて下さい。

長くなりますので飛ばします。

 

 

女性性の本質は、

調和

です。

 

目の前の人と「うんうん、わかるわ、そういう気持ち、うんうん」と

共感しあえている時、

あなたの痛みが自分のことのように感じて胸が苦しくなってしまう時

自分が何かいいことがあったり、手に入れたりすると

自分の周りの人にわけて一緒にその嬉しい気持を共有したい思う時

じっくり余裕を持って育てている時

何気ない会話や、優しい言葉や気遣いで、なんとか今いるこの場を

和やかに調和させようとする心の動き

それれすべては、女性性のなせるわざ、です。

 

だから、会話好き

女性は男性よりもはるかにしゃべります。

しゃべりたいんです。

気持をわかちあいたいから、です。

知らない人とでもしゃべりたい

 

組織の中に、女性性がふんだんにある人達がたくさんいると

組織はギスギスしません。

調和しよう調和しよう

という意識が無意識のうちの働くからです。

コミュニケーションをとろうとろうとするのです。

 

私達は人間ですので

人間同士がそこにいるのに、コミュニケーションをしないとなると

それは一人でいるより、よりしんどい状態になるのです。

一人でいるより、さみしいのです。

それほど、目を見て、「おはよう」「ありがとう」という何気ないやりとりが

人間という存在自体を元気にするのです。

 

 

 

女性は本来、その時その時感じたことを

ポーンとそのまま口に出して表現できてる時は

元気です。

うつうつとしない。

気の合う女友達との長話が止まらないのは

その場で感じたことをポンポン言いあえているから、です。

女性は、感じた気持をそのまま出し合える場

出した気持ちを

「ああ、そうよね、わかるわ、わかるわ」と聴いて受け止めてくれる場が

たくさんあればあるほど

元気です。

 

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男性にはこの

女の長話は理解できないのです。

 

女子会は

ありますが

男子会は

あまり聞きません。

 

男性は

女同士のように

悩みを打ち明けて、心解放される

ということはあまりありません。

 

 女性が本来持っているアワ性(女性性)に気がつくと

「ああ、なーんだ、私がやってたことは全部真逆じゃないか。

ブレーキ思い切り踏んでアクセルふかしてたようなものじゃない

と我に返ります。

 

 

仕事を頑張ってやろう

成功しよう

目標を持って前に前に

いつかは頂点に!!

という性質はサヌキ性(男性性)のものです。

 

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さあ、ビジョンを明確にしましょう!

あなたの夢はナンですか?

夢は具体的に現実化するように目標設定しないといけないのです

なんてことを

女性性が強い人がまじめにやろうとすると

違和感を起こすのです。

 

そして

頑張ってみたけどできない

やってみたけど続かない

明確なビジョンなんて描けない

ということが、起こるのです。

やる前より、自信をなくしてしまうのです。

 

 

私も、過去に

「あなたのの夢は何?」

「あなたの夢をかなえるためにはこうしたらいいですよ」

といろんな手法を教えてもらったことがありますが

どうも、違和感。

 

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幸せになりたくないですか?

というのも違和感。

 

頑張れば、いつかは幸せに、というのも違和感。

今が幸せじゃないのに、なぜいつか幸せになれるのか?わからない。

今の続きにしか、明日はないのに

今はしょうがないけど、いつかは!と思うのは

絵に描いたもちのようです。

 

幸せな瞬間とは、その瞬間その瞬間に感じるものです。

そして、水の泡のように一瞬で消えてしまうもの。

ああ、今日はこんなことに出会って本当に嬉しい、幸せだなあ」と思った一瞬があったとしても

もう次の瞬間には違うことが起こり、違うことを思っている。

 

幸せな気持は固定されたものではなく

どんどん変化している自分の心の動きに沿って起こるものです。

 

 

だからこそ

「あ、今のいい感じ」

「あ、この感覚っ!」

「あ、この人!」

「あ、これだ!」

「あ、いまだ!」

という感じをつかまえていくしか、ないんです。

 

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だから、つかまえることができるためには

いつも心の中を充電でいっぱいにしておく必要があるんです。

心の中を整え

静かにしておかなきゃ

つかまえることができない。

 

 

目の前の人と

今、いい感じだなあ

という感覚は

自分の心の中を確かに満たします。

その満たされたものがガソリンとなって

自分の心をあたため続けてくれるのです。

それだけでも、十分生きていけるほど

あたため続けてくれるんです。

だから、人とのかかわりが大事なんです。

 

ほっとするなあ

つながってるなあ

優しい気持ちになれるなあ

好きだなあ

こんな気持ちは目には見えないけど

数値化できないけど

大事なんです。

 

 

女性は、内から光を放つ存在

男性は、その光を受けて充電できる存在

 

充電元となる源は

女性です。

 

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だから、女性性(アワ性)が先にたつんです。

男性の中にもある、女性性(アワ)に気がついていくことが先なんです。

 

そう考えた時、

人生計画や、目標設定という手法は、男性もしくは男性性が強い人にとっては

最高のものだと、思います。

目に見える世界を、具体的に目標化し、数値に変え、リミットを定め、その立てた旗に向かって

「いけー!!」と進んでいくことには最高に長けているのです。

 

 

しかし、これを女性もしくは女性性が強い人が

実行しなくてはいけない!

なんてやってしまうと、しんどいのです。

 

気持は、感情は常に移ろっているからです。

今朝の気持と、午後の気持では、もう違うんです。

昨日の気持と今日の気持ではもう違うんです。

 

そして、それがいいとか悪いとかではなく

そういうもの、なのです。

女の心はお天気のようにコロコロと変わるのです。

 

そんな!

だから、女は困る!

と思われても、そういうもの、なのです。

 

女性が組織の中で働く時

男性上司が困ることが、あります。

気分でものを言う

昨日言ってることと、今日言ってることが違う

瞬間の思いつきでモノを言う

一度約束したことを簡単に「やっぱ無理」という

・・・というようなことです。

これは、

男性が女性は「そういうものだ」ということを知らないから腹が立つのです。

 

今世の中の9割は

男性性が優位な組織です。

世の中全体が男性性です。

 

「こうでなくてはいけない」

「こうあるべきだ」

という世界です。

 

感覚的なものは排除しようとし

「枠」の中できっちり職務を果たすことを求められます。

 

思ったことを言ってはいけない

我慢しなくてはならない

のびのびとしていてはならない

こういう空気です。

 

男性性の特徴としては

動くことに対して、「それは一体何のために?」という大きな理由が必要なのです。

 

私は、よくこれで院長と衝突していました。

「何のために?」

がないと、動けない。

「これをしたら、一体どうなるのか?」という明確な理由がないと

動けない

動く気にならない

 

だから今では、

院長用マニュアルを作成しています。

こんな場合には、こうされると困る、理由はこうこうで。

こんな場合には、こう言ってくれないと困る。理由はこうこうで。

 

逆に、して欲しいことは

こんな場合に、こんなことをされると、大変嬉しい。理由はこうこう。

と細かく記しています。

 

パソコンの中にエクセルで作成しているのですが

膨大な量になりました。

お互いに取り扱い説明書を作っておくと

いいのです。

 

理由がわかれば、

あっさり動けるのが男性です。

 

女性は、この逆で

理由なんていらない

「ただ、いいと思ったから」

「なんとなく、好きになったから」

「うーん、いい感じだったから」

「居心地がよかったから」

 

こんな感じです。

根拠もなく、理屈もなく、数値やデータでもなく

「ただ、自分がいいと思ったから」

それだけ。

 

男性性が強い人にとっては

まったく理解できない

理解したいとも思わない

女心でしょう。

 

女性は、本来持っている女性性(アワ性)が自分の中に潤沢にあるんだということに

はやく気がつかなくてはいけません。

もったいないんです。

時間が。

生きてるうちに、せっかく生きてるんだから、そのうちに、

この人生のうちに、ふんだんにある、女性性をドーンと開かせたほうが、生きるのは楽です。

対立して攻撃するより

はやくその性質を知り

徹底的に女性性を開花させちゃうのです。

 

強引に自我を押し通すのではなく

ニコニコ笑って、自分が自由に動ける状況を作りだすのは

女性性の強い人には得意中の得意技です。

 

「こうであるべき」という社会全体を覆っている男性性優位の「枠」に

自分を押し込めておくことなど、ありません。

そんな「枠」は本来、いらない。 

そして、もともと、ないんです。

 

自分が、その枠に入らないといけないんだ、と思い込んでいるだけ、です。

 

女性性(アワ性)が強い女性は、本来喜びで満ちているものなのですが

残念ながら社会そのものが男性化しているため、

女性性の性質が、マイナス的な出方をしてしまうのです。

 

自分を責めてしまう女性が増えています。

子育てを上手にできない私は、ダメな母親かもしれない

子供をしかりとばしてしまう私は、いけない母親かもしれない

主人にきつい私はダメな妻かもしれない

自分だけが、何もできない女なのかもしれない

と攻撃が自分へ自分へと向かうのです。

外に対していい妻、いいお母さん、いい人を演じている人は

身内に対して異常なまでに攻撃的になりやすいと言いますが

これは我慢の限界を超えたから、です。

 

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今、女性はきつい時代に生きてます。

男性ももちろんきついと思うのですが、

優しい顔でいられない

心に余裕を持っていられない

人に優しくする余裕が無い

厳しいこともやらなくちゃいけない、言わなきゃいけない

外側は女だけど、男の役目もやらなきゃいけなくなった

真面目で

きちんと「やらなくてはいけない」

そういった「こうであるべき自分像」が自分の潜在意識に深く入り込んでいる人は

しんどいのです。

 

真面目な人ほど

きちんとやろうとする人ほど

仕事と家庭を両立しようとすると

しんどくなるのです。

 

ゆるめない

リラックスできない

甘えられない

人に異常に気を遣ってしまう

 

こんなことになってしまうのです。

 

放置しておくと

どんどん攻撃的な自分になるか

どんどん自分を責めてしまうか

どちらか、です。

 

本来の性質と違うものを頑張ってしようとすると

こんなことになるのです。

自分は本来「ひまわり」なのに「あなた、サボテンでしょ?サボテンとして頑張りなさいよ」と

言われてるようなもの。

 

 

あなたが女性なら、

自分はどの傾向強しなのか?

それを知ることが大事です。

 

サヌキ性(男性性)が強い女性なのか?

アワ性(女性性)が強い女性なのか?

そして、

パートナーは、どうなのか?

 

人間関係は、出会う人との関係性によって変化します。

あの人といる時には自分の中の可愛い女性らしい優しい部分が引き出される

あの人といる時には自分の中の意地悪な攻撃的な理屈っぽい部分が引き出される。

だからといって、

相手が悪いわけでは、ないんです。

 

 

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すべては自分次第です。

自分が相手によって、どんな型にでもねんどのように曲がったりへこんだり突出したりできる

ということが大事です。

だから、受ける側の姿勢がすべてです。

攻める側よりも

受ける側が大事

自己主張する側より

聴き手の側のが大事

 

女性性が自然に培ってきた、「まるごとありのまま受け止める性質」です。

相手がどうこようと、

攻撃的にこようと

受け止めていく

という性質です。

 

この性質は

男性性には、ありません。

女性性の中にしか、ありません。

 

女性性のおおもとは

命を育む「母性」の力です。

 

男性の中にもある

女性の中にもある

「母性」

 

ご一緒に母性型勉強会で学びませんか?

今までとは全く違う考え方を

再インストールしましょう。

 

「あれ?なんでこんなしんどいことやってたんだろ私?」

というのが

私の実感です。

 

 

どうぞご一緒に。

 

 

次回のお知らせです。

2014年7月16日(水)18時半から20時半

高松国際ホテルにて

会費:3,000円(食事代込み)

http://boseinomonosashi.com/

 

 

2014.06.20プレイなんです

母性型勉強会である男性が、こんなことを言いました。

 

自分が部下である時、上司に対して腹が立っても、嫌なことを言われても

「今、自分は部下である自分を演じながら上司と部下プレイをしているんだ

 

uehara_3.jpg

と思う。

 

家に帰って奥さんに対しても

「ご主人プレイをしているんだ」と思う。

 

そう、思うことによって、

自分がプレイする役割を演じるようになる。

だから、腹が立ったりしなくなる。

 

というもの。

その場で騒然で大笑いだったのですが、

私はまったくその通りだ、と思ったのです。

みなさんは、いかがでしょうか?

 

プレイといういい方を言い換えてみると

役割をちゃんと果たす人」のことを

プレイする人です。

 

プレイに徹していないから、

腹が立つ

ややこしく、なる。

 

自分が今、演じないといけない「プレイ」は何?

といつも自分に問う、

というのは

私はすごく大事な意識だと思います。

それが、はっきりしてる時

私は、自分がすっきり動ける。

 

自分の気持ちがーーー

とか

そうはいっても^---

とか

ややこしい自分の甘えや感情が出てくる前に

さっさと

「さ、今から、プレイ!」と決めちゃえば

動くことは楽チンです。

 

例えばカップルでデートしていても

彼が「彼女がのぞむ役割」をちゃんと演じてくれていたら

彼女は惚れます。

彼女もまた「彼がのぞむ役割」を演じてくれていたら

惚れます。

 

今の恋愛が成立しない女性の不幸は

男の役割を自分がしなくちゃいけなくなったことです。

 

 

男が男役をきっちりプレイしてくれてば

女も女役をきっちりプレイできるのです。

あいまいな男役なので

女もどういうプレイでいけばいいのかわからないのです。

逆も同じ。

あまりにも女性が「男性化」しすぎたもので

自分の強くてたくましい男の役どころを演じきれなくなった。

演じづらくなった。

 

3つゆび立てて

三歩下がって

「ご主人様お帰りなさいませ」

という役どころを演じたくても演じられないかなしさ。

 

「俺に黙ってついてこい」

と思いきり演じることができなくなったかなしさ。

 

バリバリのキャリア女性で

経済力もあって

すっごい美人でも

「本当は男らしい男性に

守られてその人のためにいろいろしてあげたりする

幸せが欲しいのよね」

という女性は、います。

どんなに聡明で自立している女性でも

自分の中の「女らしい女の役」を演じたい

といつだって思ってます。

一見男かと思うような女性であっても

「かわいらしい自分を演じてみたい」

と思ってます。

 

 

相手が自分に何をのぞんでいるのか?

を知って動くことは

仕事も同じです。

 

 

「さ、今はこの役割だ」と

頭と行動が一致してると

ストレスないですよね。

頭では「でも・・・」とか思ってるのに

行動は「でも、こうしないといけないからしょうがなくする」

って時ほど人間しんどいものは、ないのですよ。

 

あらゆるストレスは

頭の中で思ってることと

自分がやってることが

くいちがってるから

しんどくなって起こるのです。

 

 

だから、「プレイ」!

演じる

のです。

演じきる。

主人公なので、面白がってやる、のです。

命令されてやってるのではなく

自分で勝手にするのです。

ここが、ミソ、です。

やらされたことは、奴隷

自分でやったら、快楽

そのお役を演じる、演じきる。

 

 

私達が生きてる世界は

すべて、どんな山の中に入っても

人から逃げられることはなく

人間関係です。

 

その人が、人とどうやって付き合っていくのか?

どううまく付き合えるのか?

でその人の人生すべてが決まってしまうとも言えます。

 

どんな勉強ができても

どんなにお金があっても

「あの人、嫌い」

「あの人といると、しんどい、めんどい」

「あの人といると、疲れる」

など思われてしまったなら

一人ぼっちです。

 

せっかく勉強した頭も使える機会もなく

せっかく持ってるお金も楽しく使えることはないのです。

 

役割はとても大事です。

例えば、今は、20代が3年どころか、1年も仕事が続かない人が

大量に社会に流れ込んでいるそうです。

現場の人材が不足しているのは

すぐやめるから、です。

人は、存在するんです、たくさん。

続かない人が、たくさん、いるだけなんです。

 

次々、合わないと思ったら

すぐに次の職場を探せばいいやと

思っているから、です。

 

ハローワークでは

現場で働く人材はとんでもなく不足して企業は

いつも人を探しています。

だから、若い人は仕事はいくらでもあるように

思ってしまいます。

 

しかし、残念ながら

つぎつぎと仕事を変えていく人を

雇う側は警戒します。

これは自分が雇われる側にいる立場の時には

見えなかったこと、です。

 

しかし、実際に自分が人を雇う立場に立ち、

人を雇う側の立場の人達とたくさん交流をすることにより

はっきり見えてくることが、あるのです。

 

それは、

欲しがられる人は、1点に集中する

ということです。

欲しくない人材は、うちでもあそこでも、あっちでも

欲しくない、ということなのです。

 

A社が欲しい人はB社も、C社も、D社も、欲しい。

さらに業界が変わっても「いい人はいい」ので

別業界のE社も欲しいわけです。

 

そして、

A社がいらないと思った人はB社も、C社も、D社も、いらない。

じゃあ、別の業界ならどうかと、E社にいくけど

ここでも、いらない、のです。

 

 

そして、

欲しがられる人

というのは、その人がやめると困るので

離さない様に、離れていかないように

大事に大事にするのです。

「やめたい」なんて言われたら必死で説得しようとするのです。

 

 

だから、やめない。

続くわけ、です。

 

 

欲しがられない人は

その人がやめても困らない

むしろ

やめてもらって新しい素直な人が欲しい

というのはどこの社長さんの本音でもありますので

これといった配慮もしてもらえなくなるのです。

 

だから社会には

どこにいっても続かない人」がごまんと溢れだしているわけです。

 

 

人間はシンプルです。

上司も部下も、お客さんも男と女も友達も

好きな人と一緒にいたい」「人として可愛げのある素直な人がいい」

のです。

「嫌な人は遠ざけたい」

これだけ、です。

 

会社の中に入った時

どこの誰でも欲しくなるような人

とはどういう人でしょうか?

 

 

あなたが上司だったとして

先輩だったとして

あなたが誰かに何かを教える側に立った時

想像して下さい。

 

「そんなの知ってます」

「それは、こうだと習ったんですが」

「え、、でも、できません」

たくさん屁理屈こねて言うことをきかない人よりも

一生懸命耳を傾け

あなたの言うことを

「はい」「はい、わかりました」「やってみます」

と素直にすぐ動く人の方が

話しやすいです。

 

そして、もっとこの人にいいことを教えてあげたい

と言う気持を引き出されます。

そして、もっと大事にしてあげたい

というプラスアルファの気持まで勝手に引き出してしまいます。

 

屁理屈こねて

自分の優秀さを主張する人は

「あ、では、よそで、どうぞ」

と思うのがこれ、人間。

 

 

そこで、プレイ

です。

 

上司なら上司というプレイ、役割を徹底的に演じきる

部下なら部下というプレイ、役割を演じきる

奥さんなら奥さんの役割

主人なら主人の役割

友達の役割

きっちり、果たすから、関係が維持されていくんです。

 

 

例えば、うちのカウンセラーという仕事があります。

森下が今、その役割をやってくれています。

カウンセラーの仕事は何か?

そしてそのカウンセラーは吉本歯科医院という中でやっている仕事なので

吉本歯科医院という中での自分の立ち位置はどうでないといけないのか?

それでは、言葉遣いは?

それでは、態度は?

それでは、表情は?

それでは、同僚や後輩への態度や言葉は?

それでは、上司への態度は?

それでは、患者さんに対する時はどんな風に?

 

これらがすべて腑に落ちて

「私はこの役割をやる」とちゃんと役割をこなし

その役割をどんどん深めていっているから、

周囲は

「ああ、彼女は役割を果たす人なんだ」と

認識するのです。

 

こうやって仕事能力を上げていくから

できる仕事はどんどん増え

「この人がいないと困る」

と思われるようになっていくのです。

 

そしてその積み重ねの結果

「自分にとって過ごしやすい場」が出来上がっていくのです。

自分で作るのです。

決して誰かが提供してくれたものではなく

彼女自身が勝ちとってきたもの、です。

 

 

ある職場では上司の批判で一日を過ごすことがほとんど

という場がありました。

職場の人達もみな、同じ。

それを外部の人間が見た時

口では言いませんが

「ここにいる人をうちに欲しいとは思わない」

ということです。

 

面白いもので

人の批判に忙しい人は

同じく人の批判が大好きな人が寄ってきます。

もうこれは、絶妙な嗅覚でよってきます。

 

批判するより、

自分の役割を果たすことに忙しい人とは

決して関係を築くことはできないのです、

嗅覚でにおうから、です。

 

 

女には「やっぱり可愛い女を演じて欲しい」

うそでもいいから、というのが男性の本音です。

優しくして欲しいのです。

きつく言われるのは刺さるのです。

 

家に帰ってきたら

嘘でもいいから

廊下を走ってきて

「おかえりなさい!おつかれさま」

と言って欲しいのが男性です。ご主人です。

 

 

面倒くさい

いまさらそんな

そこまでしてもらってないし

 

いろんな声が聴こえてきますが

先に「プレイ」をかけた方が、絶対得です。

私ならそうする。

 

 

女性なら

自分から「周囲に優しくするプレイ」は

どんどんやったほうがいいのです。

優しくすると、優しい言葉を先にかけると

それが潤滑油になるのです、

その潤いたっぷりのオイルは

自分が毎日顔を合わす人達と自分をひたす潤滑油となるのです。

 

だから、

かさかさしない。

きつきつしない。

攻撃されない。

のです、

 

しっとりしてくる。

あったかくポカポカしてくる。

なめらかになる

のです。

 

潤いのオイルですから。

 

つまり、

一番得をするのは自分自身です。

 

 

「プレイ」を演じきるのも

すべて、自分のため、です。

 

誰かのために、自分を我慢する

ではないんです。

 

 

演じることは

快感です。

演じきるから、快感なのです。

自分に与えられた「役割」をきっちり演じきってると

同じく役割を自分に対して果たしてくれる人と出会うのです。

 

まずは、

「あなたでなきゃダメ」という自分に

はやく、なるのです。

 

「あなたが、いないと本当困る」

という自分にはやく。

 

そのための、役割です。

そのための、プレイです。

 

いろんな役割を演じているうちに

自分以外の誰かが自分の中にあった魅力に

気がついてくれます。

これは、もう絶対です。

 

没頭、

演じる

プレイ

です。

 

 

どう考えても、面白そうだと思いませんか?

 

次回のお知らせです。

2014年7月16日(水)18時半から20時半

高松国際ホテルにて

会費:3,000円(食事代込み)

http://boseinomonosashi.com/

 

2014.06.20それは弱点ではなかった

昨日、「悪霊島」のブログを書きました。

すると、愛媛に住む近所のおさななじみからメールをもらいました。

 

あの時に

話し相手になれなくてごめんね、と。

そして、彼女の家でも起こっていた「ややこしい話」

を打ち明けてくれました。

知らなかった。

一気に心が近くなります。

 

愛媛時代のおさななじみなので

もはや30年ちょっと前の話です。

 

嬉しかったです。

愛媛に行きたくなりました。

 

高校時代にうちの両親が離婚したそうだ

という話は風のうわさには聞いていたけど(近所なので)

デリケートな話なので

言いにくかったんだそうです。

 

 

今思えばなんてことないのですが、

中学、高校時代の私は

家の中のいざこざや

両親が離婚するかも、しそう、しちゃった

というう話は

自分の弱点だと、思い込んでいました。

 

 

自分が弱点だと思い込んでいるのは

きっと、

親戚や当時の周囲の人や同級生や学校の先生から

離婚=だめなこと

という何かしらのメッセージを受け取ったからだと

思います。

「ともこちゃんはかわいそうにね」

「ともこちゃんのところは、気の毒ね」

と、日々言われると

「え?私って、そんなにかわいそうなわけ???」

と思うじゃありませんか。

 

 

その時に周囲が

「あ、そう、良かったじゃない、いろいろあるよ」

くらい言ってくれる人ばかりだったら

私も、そこまで暗いイメージに思わなかったと思うのですが

なにせ、田舎って、そういう感じ。

 

同級生にも先生にも

親が離婚しちゃった

ということを

隠そうとしている私

実際、そういう話になると

話をそらす私

付き合ってる人にまで

その話をはっきり言えない私。

今、思えばそれほどの関係。

 

 

 

相手はそれをなんとも思ってないのに

私だけが、弱点だと、思いこんでいるってことです

 

隠し事があると仲良くなれないんです。

だって、私は心開いてないんです。

だって、弱点を見せたら

好いてもらえないって

思ってるんです。

 

 

実際はまったく隠せていないのですが

誰にも気がつかれていないかのように

必死で隠そうとしている私。

 

今、思えばなんでそんなこと思っていたのか

わからないのですが、

自分の最大の弱点を人に知られてしまったら

私の人生はおしまい、とまで思ってしまっていたのです。

 

 

若い

といえばそれまでなのですが

狭い狭い人間関係の中で生きる

ということは

そういうことかも、しれません。

 

今、自分が大人になって

いろんな場で、いろんな人が

自分で自分を縛っているのを見ると

当時の自分の狭い世界の中で「自分の弱点をひた隠しにしていた幼い自分」

を思い出すのです。

 

 

狭い世界

村社会独特かもしれませんが

あるグループ

ある人の群れの中で

自分だけが、違う方向を向いてしまうと

みんなからはじきとばされるんじゃないか

と思ってしまう。

 

そこがダメなら違う世界にいけばいいじゃないか

この人達の中で合わなくても違う人達の場へ行けばいいじゃないか

というある種の「別にどうでもいいじゃないの、そんなこと

と思えてしまう気軽さがない

それは、自分の生きてる世界が狭すぎる時、です。

 

 

自分だけが弱点だと思い込んでいることって、きっと、あります。

でも、その弱点は人から見たら「へえ、それで?」という程度のものだったりします。

 

 

弱点は弱点ではなく

自分だけが、弱点だと思い込んでいるだけ、

ということに気がつきました。

これも過去に書きました

ある同級生との関係から、です。

打ち明けることの快感。

自分の心を開いて、目の前の人に受け入れてもらっている

気持ちよさを味わってから、です。

 

きっかけは、

やはり、人、です。

理屈じゃなく、「この子の前では何を言っても嫌われない」という

安心感から、勝手にそうなってしまいました。

 

 

人は人に好かれたい

なんだかんだ言っても好かれたいのです。

嫌われるより、好いて欲しい。

そして

好かれようとして、自分の弱点、弱みを隠してしまうものです。

でも、実際は

弱点を隠せば隠すほど、嫌われる。

私が、中学、高校と自分のことをひた隠しにしていたので

さぞ、私に関わる人は、私のことを嫌っていただろうな

と思います。

 

当時の同級生と

うんと大人になってから再会しはじめているのですが、

みんな言うのが「あんたは、嫌な女だと思ってた」です(笑)

逆に、昔そうとう嫌いだった反動で

今、仲良しだったりするんです。

歳トルのも悪くありません。

こんな恩恵も、あるんです。

 

 

嫌な女だと思われる

のと

嫌な女だと思われない

境目は

自分を隠そうとしているか、しないかだと、思います。

隠すことに必死なので

目の前の人とちゃんと出会ってないのです。

 

 

さんざん

うまく隠そうと必死でやってうまくいかなかった体験は

大人になってから、役に立ってます。

うまくいかない理由が

明確にわかるから、です。

 

どうやったら

人に嫌われるか

どうやったら

人にかわいがってもらえなくなるか

どうやったら

人と心が近くなれないか

どうやったら

自分が孤独になってしまうのか

 

それが、

わかる。

自分が全部やってきたことなので

わかるんです。

 

 

さらに、私はありえないほどの記録魔、日記魔。

その時々の行動や、あった人、その時の心の中の様子、変化

その後の気持ち、すべて書いているのです。

誰にも見られないという日記は

私だけの世界。

死んだら、見ないで棺おけに入れるという約束です。

もし、見たら化けて出るよ、と。←これは、効いてます。

 

 

だから、私は

人間は科学だと、思うのです。

 

ハッピーになるのもそうなるべくしてそうなっている

氷がある温度になって溶けたら水になるように。

 

心を中からどんどん開いていくことで

自分のエネルギーはどんどん溢れてくる。

 

逆に隠そう隠そう

作りこもうとしている時

自己不信になり

どんどん、みじめで小さい自分になっていくのです。

 

これはもう

そうなってるんです。

 

中学あたりの教材に入れ込んでおいて欲しいほど、です。

 

来週は母性型勉強会

東京からもお越しくださいます。

大阪からもお越しくださいます。

もちろん香川の方がほとんど、です。

 

弱点をひとつ、持ってきて下さい。

弱点は、思いきって口に出して言ってみたら

弱点じゃなくなります。

 

弱点ではなく、強みに変わるかもしれません。

 

小さな小さな、些細な些細な、自分だけが思い込んでいる弱点。

それが、自分を止めている石かも、知れません。

 

 

 

母性型勉強会お知らせ

 

■日時:2014年6月18日(水)午後6時半~9時

■場所:高松国際ホテルにて

■会費:3,000円(食事代込み)

■お申込はhttp://boseinomonosashi.com/study/ 

 

 

 

 

 

 

2014.06.20自分が弱いのをさらけ出せない時

「苦しいな、今、実は」

と、

 

ポーンと自分の弱さをさらけ出している人を

目の前で見た時、

私はものすごく

かっこいいなあ

すごいなあ

と感じることが、あります。

 

そして

うらやましいなあ

と思います。

 

みなさんは、いかがですか?

大人になってから、そうそう自分の弱さをさらけ出すって

難しいことなんですよね。

 

誰でかれでも

ふいーんって

泣きついて

甘えてもいけませんし

大人になればなるほど

立場がついてくる人であればえらくなればなるほど

甘えるより

弱音をはさらけだすより

甘えられる側

相談される側

どちらかといえば

強くないといけない側に

たってしまうことの方が多くなります。

 

自分が悩みを相談するより

悩みを相談される方が多くなってきます。大人になると

本当にそっちの方が多くなる。

 

 

そんな私も、

中学生あたりから

高校生あたりになどは

もうピークで

誰にも弱いのを見せるのが嫌な自分でした。

 

20歳を超えたあたりからは

同世代の仲間には

誰にも弱音なんて言わないぞ、という感じでした。

そして、そうでないといけないんだ

とかっちこちでした。

ひねていたんだと、思います。

当時の同級生に再会すると

「ひねくれてたよねーー」とみんなそう言うので

やはりそうだったのでしょう。

 

 

そんな時、

中学の時から友達とまた

頻繁に会うようになり

彼女の不思議なキャラに巻き込まれたのか

この子の前でだけは

少しづつ

自分から、自分の本当の気持ち

しんどいんだ

とか

かなしいんだ

とか

もっと具体的なことなら

好きな人に振られた

とか

ドン引きされた

とか

家のごちゃごちゃとか

いろんなことを

自分からさらけだすことがが

できるようになりました。

 

 

今でも覚えています。

ずっとつっぱていて

つらくても

「全然へいきーー」と笑って

心とは裏腹なことを口にしてる時は

目の前のこの子と一緒にいても

「どこか自分は一人」

という気がぬぐえない。

一緒に遊んでて盛り上がってても

帰り道一人になると

どこかさみしかったのを

覚えてます。

 

でも、

思いきって

自分の苦しいことを

打ち明けてみたことがあったんです。

実は相当勇気がいった

でも、

言ってみた

口に出してみた

 

自分から吐き出してみると

うんと自分の心が楽になる感覚を味わいました。

 

そして

言えなかった時よりもずっと

目の前のこの子のことが大好きになってる自分がいました。

あれ?この子こんなにいい子だったっけ?

 

その時に

彼女は私にいったのは

あんたは、ほんまに強がりやけんねえ」

と。

 

くやしくても

かなしくても

涙のひとつも流せない自分でしたので

そういわれた時は

「ああ、自分はそうだったんだ」と

自分のことを客観的に見られるようになりました。

 

私は、その時

身をもって学習しました。

そして、自分のこと何もわかってなかったんだなあ

と。

 

自分を知るには

コミュニケーションが必要です。

 

あれ?

頑張ってるようで

平気なようで

前向いてるようで

実は、さみしかったんだ

あれ、弱いのを隠していたんだ

と、自分のことを知ったんです。

 

 

だから、私はこの子とたまに会ってご飯食べてる時

どうやら相当

打ち解けているよう、です。

自分ではわからないのですが

近しい人がその様子を見ると

どうやら私が違うらしいのです。

 

 

どこまで弱音をさらけだせるか

というのは

距離感があると、思います。

私は、なかなかそれが難しい人間です。

 

誰でも彼でも

弱音をされだせない

というよりむしろ

出したくない

 

 

母親がそういうタイプなので

私もその気質を受け継いでるのだと思います。

 

 

だからこそ、

なんで私がこの子の前だと

緊張感ゼロで、

なんでもかんでも自分の素を吐き出してしまうのか

 

自分の中に溜まっている負の感情を

掃除機のように吸い取って浄化してくれる作用が

あるこの子は何者か?

 

特別な職業を持って勉強してる人でもなく

2児の母で

特別、素晴らしい子育てしてるような母でもなく

どっちかといえば、「大丈夫なん?それ?」と思うような感じ。

本を読んだり勉強したり・・・はい、ありません。

飲むの大好き。

もし、この子がうちの医院に面接に来たとしたら

「もう絶対やだね」というタイプです。

 

私がいつもここに書いてるような

「こうなりたい人」の像とはかけ離れているような子。

 

 

でも、私は確かににこの子の前では

弱音をさらけ出してしまい

28年も付き合っていて

たまに会うと

信じられないくらい

自分の心の中身を洗いざらいしゃべりつくしている

んです。

 

 

そして、

今、この子死ぬと私まずいなあ、と思うのです。

本当にたまにしか会わないんだけど、

時々、思い出したように電話したり電話してきたり

しょうもない話をして切るだけなんだけど

何の建設的な内容もなく

本当にしょうもない話なんだけど

いないと困る

生きてくれてないと困る

 

そう、確かに思ってしまうんです。

 

好きとか

嫌いとか

尊敬とか

いろいろ超えて

理屈では表現しつくせないこの感じ。

 

心の中で起こっている

反応ですので

言葉では言い表せないんです。

だって、好きだ嫌いだ

心開いてるとか閉じてるとか

感じるものです。

言葉でどんなに言いこと言っても

通じ合えない時はやっぱりお互いそれを感じとってるんです。

 

コミュニケーションは

理屈じゃない。

言葉でもない。

感じあうもの。お互いが。

 

 

6月18日(水)は

久しぶりの母性型勉強会です。

 

人には、安心して弱音を吐き出せる場

打ち解けることができる場が必要です。

それがあるから、

さあ、またやってやろうと

外に打って出れるのです。

エネルギーチャージできる場、人がいるんです。

 

 

頑張れない時もある

競争がしんどい時もある

負の気持ちに覆われてしまう時もある

先ずはその気持をバキュームのように掃除機のように吸い取って吐き出し

安心感という土壌を浮かび上がらせましょう。

 

 

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その土台があれば

その上にチャレンジや勇気を持ってきても

やっていけるのです。

 

心が不安だと、

何をしても間違った方向に行くのです。

 

 

久しぶりにお目にかかれる方もあり本当に

楽しみです。

■日時:2014年6月18日(水)午後6時半~9時

■場所:高松国際ホテルにて

■会費:3,000円(食事代込み)

■お申込はhttp://boseinomonosashi.com/study/ 

2014.06.20母性型勉強会6月の日程きまりました

nouda_12.jpg

母性型勉強会6月日程決まりました。

 

■日時:2014年6月18日(水)午後6時半~9時

■場所:高松国際ホテルにて

■会費:3,000円(食事代込み)

■お申込はhttp://boseinomonosashi.com/study/ 

2014.06.20みんながわかってるけど、自分だけがわかってないこと

 

変換bosei_site_kaisetsu_2-2

今朝、患者さんと話をしていて

あいさつしない人が多いんだ」ということを聞きました。

会社の社長さんです。

社員さんは何人くらいいるのでしょうか?

60人か70人はいるのではないでしょうか?

 

あいさつは何のためにするのでしょうか?

とかなんとかいう新入社員研修を20年ほど前に受けたことがあります。

 

自分が気持いいから

とか

人との潤滑油

とか

いろんな答えが出ていたこと

覚えていますが、

 

41年生きていると

あいさつができないとどうなるか?

ということは、はっきりわかります。

 

とっても

簡単。

社会から

人から

はじきとばされる

のです。

 

それだけ。

 

自分が気持いい

とか

相手が気持いい

とか

そんなことは

さておき

自分がはじきとばされちゃう

ということなのです。

 

あいさつをしないとなんでいけないわけ?

とか

あいさつする意味がわからない

と理屈が頭の中に入ってくる前に

躾(しつけ)

としてたたき込まれている人は

らくらく人生です。

 

そして、

そういう屁理屈をコネル人は

「あ、そ、じゃ、さいなら」

と思われてしまうのです。

こっちの可愛らしい感じのいい挨拶をする人と

手を取りいくことにします

となるのです。

 

 

なんであいさつがそこまで大事なわけ??

なんて言葉が思わず出てしまうその

一言にその人のすべてが集約されているのです

 

 

息を吸って吐くのと同じレベルで

感じのいい挨拶がでてくる人は

きちんと躾をしてもらっているのです。

 

社会にでて

どんなに学歴があっても

どんなに優秀な資格を持っていても

感じのいい挨拶ができない人は

応援してあげよう

支えてあげよう

近くにいってみたい

と気にならないのです。

 

逆に

なんだか、感じの悪いひと」

と勝手に悪いように悪いように

思われてしまうのです。

どんなに本人が頑張って気を遣ってると思っていても

挨拶がぞんざいだと、

悪いイメージが定着しちゃうんです。

 

 

残念ながら

大人になると

というよりも18歳とか19歳あたりから

もう誰であっても

自分のため必死で悪いところを治させようと徹底的に

躾をしてくれようとする人など、いません。

20すぎて、30歳にもなると

ましてや40歳など過ぎようものなら

一体誰が自分に言ってくれるでしょうか。

本気で、自分に向き合ってくれる人など

よほどでないと、いないんです。

 

上司も

先輩も

友達ならなおさら

恋人も

夫も

妻も

先生も

面倒くさい

んです。

 

目の前で

「ああ、この人、おしいなあ、ここ治せばいいのになあ」

「なんで、こういう言い方するかなあ?もったいないなあ」

「なんで、ここでちゃんと挨拶できないんだろう、損してるなあ」

と思うことって

他人を見てるとよくありませんか?

 

でも、言いません。

だって、面倒くさいし。

だって、指摘して嫌がれると嫌だし。

だって、他人だし。

・・・と、こうなります。

 

その人の話や愚痴を

肯定しながら聞いてはくれます。

「だいじょうぶよーーー」

「相手が悪いんだって」

「そんなことないよお」

 

適当なことを

言います。

 

面倒臭いから、です。

よほどの関係性がない場合には

言わないのです。

その人が変わってくれないと私どうしても困るの

という関係の濃さでないと

言ってはくれない。

 

 

親だって、言ってくれないかもしれない。

人を躾(しつけ)るのって、ものすごいエネルギーいるんです。

 

でも、きちんと躾られてるなあ

という人って、やっぱり組織の中でも

うまくやってます。

本当に、うまくやってるんです。

「きちんと躾られてるなあ」ってのは

どこで見えてしまうか

っていうと

これがなんと

挨拶

なんです。

 

 

うちでいえば、

若い歯科衛生士さんたちが、

うちにきてくれてるシルバーの年配のスタッフの方々に

何かしてもらったら

「ありがとうございます。助かります」

とか

帰る時には

「おつかれさまでした。気をつけて」

とか

「おはようございます。」

とか

そういうさりげない言葉が

いつでもどこでも

上司が見てなくても出てくるってところが

「よく躾が行き届いている人なんだな」

と思わせるのです。

 

家政婦は見た

ではありませんが

市川悦子ばりの年代の女性は

その人が誰にでも

上司だけじゃなく

お客さんだけじゃなく

宅急便のお兄さんにも

出入りの業者さんにも

お掃除に来て下さる方にも

会う人すべてに

同じ態度で

感じのいい挨拶や声かけをしている人

をよーく見てます。

その観察眼たるや、すごい。

 

 

私などより、本当によく知っています。

シルバースタッフの方に

スタッフ達の何気ない態度や挨拶の様子を

誉めてもらう度に

私は嬉しくなりますし

そこで何度も「やっぱり、彼女はいいなあ」と再確認をするわけ、です。

 

 

あいさつは

自分が社会や人から

はじきとばされないための

最大の武器

だとします。

 

しかし、

挨拶はやはり気持がいいのです。

快感なのです。

快感になるほどの、挨拶をしてしまえば

その人にとっては快感の渦なのです。

 

挨拶は本当に潤滑油になるのです。

油なので本当に心を潤すのですよ。

自分の心がぱっさぱさに渇いていくのを

他人様のせいにしたり

社会のせいにしている場合では、ありません。

 

誰にでも

目が合った瞬間に

こちらから笑いかけ

「こんにちは」と言える習慣

息を吸って吐くのと同じレベルで

心臓が脈うつのと同じくらい無意識に

そんなことが習慣になってると

人に挨拶するたび

人に優しい言葉をかけるたび

自分の内側に本当に「潤す油」のような物質が

巡りだすんですよ。

 

ポイントは

自分から、先に与える

です。

先にちょうだいよ

くれたらあげるからさ

ではなく、

くれなくても、自分から先に出す

のです。

これが、法則です。

 

 

 

相手からではなく

自分から気持いい言葉を向けた瞬間に

本当に気持ちよくなっちゃうものなんです。

そうやって繰り返してるうちに

私って、なんだか素敵かも」

なんて思いが体中に満たされてくるんです。

 

この「私って、なんだか素敵かも」

が365日積み重なると

ものすごい量です。

一定度合いの量があふれると

その人の「私ってなんだか素敵かも」のレベルが

格段にあがってるんです。

 

レベルが上がってできあがったもの

自分の中に確立されるもの

それが

自己重要感」です。

自分の心の中だけで起こっている変化なので

他人からはわかりませんが

自分の中で起こる化学反応のような変化を

自分だけはわかるのです。

それこそ、うっしっしい

です。

かいかん。

自分内コミュニケーションです。

 

私ってば、素敵

私ってば、どっしりしてる

私ってば、すごい

そして、私は私のことを大好きだわ

生まれ変わってもまた私がいいなあ

と思えてしまうものなのです。

 

何も遠くにいって

どでかいことをなしとげないといけない

ということでは

ないんです。

 

 

その積み重なった

自己重要感が

私の毎日の時間をじんわりあたため続けてくれるのです。

エネルギー満タンの状態に維持させ続けてくれるのです。

 

挨拶は

それほど

すごいもの。

 

 

もし、そんな習慣が身についていない

そんなこと気恥ずかしくてできない

と思うなら

そしてもし18歳以上なら

これからはもう自分で自分を躾けていけないといけなんです。

だって誰も躾けてくれない。

今のご時勢

よほど高いお金を出さないと

自分を管理監督して躾なおしてはくれないんです。

超高額トレーニングなんです、今は。

 

だって、大人になると

意識の高い人は

とんでもないお金を出して

自分の心を躾直してもらう、なんてことをするわけです。

自分ではできないから、です。

 

 

18歳過ぎたら

何かあっても自分のせい、です。

どんなに親が愛を注いでくてなくて、ひねくれた自分になっていたとしても

18歳過ぎていたなら

自分のせい、です。

 

しんどいかもしれないけれど

そう覚悟を決めた方が

先にすすめるのです。

スカッとするのです。

 

私自身の体験で言えば

16歳の頃に、家庭の中がもうぐっちゃぐちゃで

さあ、どうしましょ

と苦しんでいました。

その時、よく行ってたお寺の住職さんが

もうあきらめてとっとと大人におなりなさい

と言ったんです。私に。

 

私、その言葉ずっと持ってるんですけど

一瞬でスカッとしたんです。

暗いもやがパッと晴れた瞬間。

 

「そうかあ、大人になればいいんだああ」

と本当にそう思ったんです。

 

具体的にはどうしたらいいのか

わからなかったし

経済的なことはもちろん大人にはなれない状態だったのですが

心が大人になれば

きっと楽にちがいない

とそれだけは、思ったんです。

 

どんより暗い沼みたいな中で

あがいている時には

そんなキラリしたすかっとした言葉が

神様のお告げのように聴こえるものです。

みなさんにもありますよね

そんな風に

一瞬で目の前が晴れちゃったような言葉に

であったことが、

そんな人にあったことが。

 

 

澱んだ沼みたいな中にいた私には

「大丈夫よお」

なんて適当なこと

言われるより

「甘えてないで、とっとと大人になりなさい」

の方がよほど、その言葉が体に入ったのです。

 

 

 

そう思えば

何がなんだかわからないうちに

徹底的に仕込まれた習慣というのは

やはり財産ですね。

体の中に

細胞レベルでしみこんでいる

というのはもう楽チンデス。

 

 

きっちりちした躾がしみこんでいるから

その上に

のびのびと自由に生きても

許されるんです。

 

基盤がないのに

のびのび生きようとすると

地盤がゆるいので

すぐに土砂崩れを起こすのです。

 

 

のびのびと生きることと

場をわきまえることは

まったく違います。

 

私、自由にのびのび生きたいんですーー

と言いながら

接する人にまともな挨拶ができていないとしたら

やっぱり、社会では通用しないんです。

 

どこにいっても長く勤まらなかったり

誰と付き合ってもすぐ関係をぶちこわしたり

長い縁をもてない。

 

こちらがどんなに「そこに入れてよお」「その仲間にいれてよお」

と思っていたとしても

社会から

人から

はじかれるのです。

 

それが

挨拶

です。

 

子供を見ていると

自分の言いたいことだけを機関銃のように言います。

わが子を観察していると

本当に面白く

こうやって私も大きくなったのかなあ

とか

いつ頃から、自分の言いたいことをぐっとおさめていくようになったのかなあ

とか

自分の幼少期をわが子の様子を

観察してるのです。

 

子供は言いたいことだけ、言う。

子供だから、それでいいのですが

自分の言いたいことだけ、なのです。

 

自分の意見が通らないと

ふてくされ

さらには文句を言います。

 

しかし、このまま18歳とか19歳とかになったとしたら

大変です。

この子は社会で生きていけません。

誰とも関係を築いていくことなど、できません。

 

 

自分が言いたいことだけを言う

意見が通らない

文句を言う

「私は本音(意見)を言ってるのに、それを否定するなんて

社会が悪い、会社が悪い、上司が悪い、友達が悪い、彼が悪い、彼女が悪い。夫が妻が・・・」

となるのです。

 

これ、本当にそうなるのです。

子供のまま大人になると

そうなるのです。

 

自分がうまくいかないことを

自分の気分が今悪いことを

自分以外のせいにしてる時

その人はずっとうまくはいきません。

 

だって、そういうふうになってるんです。

世の中みまわしてみると

やっぱりそうなってるんです。

 

「ああ、自分かな」

とすぐにその矛先を自分の方に向けて

一瞬でも振り返ってみると

その瞬間に

もう現実は好転しはじめます。

 

本当に、そう、なってるんです。

不思議だけど、そうなってる。

 

私達の生きてる世界は

複雑そうに見えて

ある一定のルールにのっとって

一点の矛盾もなく、動いているように

感じる瞬間があります。

 

 

よそに目を向けるのではなく

自分の心の中を慎重に慎重に見張って躾ていくことで

たいがいのことは

悪くはなりようが、ないんです。

 

http://boseinomonosashi.com/

母性のものさし

 

2014.06.20言うことをきいてくれない

部下がいうことをきいてくれない

夫が

妻が

上司が

仲間が

お客様が

 

私のいうことをきいてくれないんです

 

ということは

日常よくでてくる愚痴のひとつです。

 

私も、ずいぶんこのことを思っていたことが

あります。

 

では、今は思います。

人との関係において

自分が言うことをきこうと、ききたい

素直にききたい

と思う時ってどんな瞬間か?

どんな相手か?

 

あらゆることは

全て

自分だったらどうかなあ?

と置き換えてみれば

2秒で答えがでます。

 

 

それはその人を本当に「信頼し」

その人のようになりたい

その人を見て「すごい」と思った時

そう感じた時

私はその人のいうことを

全部素直いうことをきく、のです。

 

 

全てをしみこませたい

その人の言葉、表情、やってること

好みや生き方まですべて

しみこませたいと

私は思います。

 

言うことをきいてくれない

のは、

相手にとって

自分が言うことをききたいと思わない対象だから

です。

 

それだけ。

いたって、シンプル。

 

 

そうじゃない場合には

きかない

きけないんです。

「すごいなあ」

という尊敬

がないと

しみこませられないのです。

 

全ての人から学ぼう

とは言いますが

食い入る様に

この人の全てをしみこませたい

とは思わないのです。

 

 

言うことをきかせよう

なぜ、言うことをきかないんだ

あいつは、悪い

後輩なのに

部下なのに

・・・

に意識をもっていくのではなく

関わる人が

「あの人の話は聞きたい」「言うことを聞きたい」

と思ってもらえるような

「私」を作り上げることの方が

先です。

 

人が自分の言うことをきいてくれない

自分のことを尊重しない

のなら、

聞きたくない私なのです。

尊重できない私なのです。

 

相手のせいでは、ない。

 

誰にでもきっと

「ああ、すごいなあ、生きてるうちに

こんな風になりたなあ

近いところまでいきたいなあ」

と思う存在っていると思うんです。

 

もちろん私にもいます。

この人のすべてをしみこませたい

全細胞すべてにしみこませたい

と思うような存在がいます。

 

しみこませたい

なので

言うことをきくきかないなんてものは

とっくに通り越しているんです。

 

生きてるうちに

どれだけしみこませることが

できるか

 

と考えると

そんなに悠長に構えている時間など

ないのです。

 

 

あなたの言うことを聞きたい

あなたの話を聞きたい

と思ってもらえるような「私」を先に作りたいんです。

2014.06.20どんなに自分が相手を好きでも相手が自分を好きになってくれないと何もはじまらない

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今朝、うちの衛生士の田中が患者さんとお話している様子を見ていました。

嬉しそうに患者さんがお話されている表情が見えたので

思わず覗いてしまいました。

 

田中の後ろ姿しかみえませんが

 

 

後ろ姿からも

その人が

目の前の人にしっかり向き合い

目を見て一生懸命お話を聞き取ろう

何をお話しているのかを必死で聞き取ろう

という雰囲気は感じとれるものなんです。

 

逆に、後ろ姿からでも

「あ、この人話、ちゃんと聞いてないな」

「ちゃんと向き合ってないな」

というのは感じとれるもの、です。

 

一生懸命聞こう、としていると

向かう患者さんの表情は柔らかくなります。

そしてやっぱり笑ってるんです。

嬉しそうなんです。

理屈抜きで。

 

上手に話す

とか

上手に伝える

とか

価値を伝える

とか

いろいろありますが、

こういった類のことを

頭で理解してお勉強して「やれる」と思い込んでいる人と

話すほど

うっとしいこときわまりありません。

 

俺は強い

俺は賢い

私はすごい

私はこんなことをやっている

 

自己主張

自己主張

ばかりの人と話すのは

しんどいのです。

 

「へえ、すごいですねえ」

と満面の笑顔で返しますが

内心は、

「スキだらけ」

と見破られてしまいます。

 

これを

人間関係に例えたなら

自己主張する人と

人の話を聞く人

に分かれます。

 

自分はどういう人を好きになるのか?

と逆に考えてみた時に

よくわかります。

 

会うたびに、

自己主張を聴かされる人よりも

私の主張を聴いてくれる人

全部はなしを聴いてくれる人

は、

すーっと気が通るので

やりやすいのです

 

 

やりやすいから

好きになる。

もう勝手に好きになっちゃう。

 

そういう人は

いつも好かれている存在です。

 

人間関係がうまくいっている

というのは

ざっくり言えば

自分が相手に好かれている時

です。

それだけ。

自分のことを好いてくれる人が

たくさん自分のまわりにあればあるほど

「自分って、人間関係うまくいってるなあ」

とか

「私って、なんだか素敵かも」

というちょっとこっぱずかしいけど

そんな気持が生まれてくるものです。

 

人間嫌われたら、おしまい

です。

 

自分が、相手を好きかどうか

なんてどちらでもいいのです。

どうでもいい、と思っておくのです。

 

問題は

自分が相手をどんなにスキだと言っても思っても

相手が自分を好きになってくれないと

何もはじまらない

ということです。

 

自分が相手を、好きかどうか

に固執していると

どんどん器がちっちゃくなっちゃいます。

 

母性型人間は

相手にとって自分はどうか?

という視点のみ、です。

 

これに対して一般的に行なわれている思考は

相手がどうかより、自分が相手を好きかどうか

です。

 

視点が逆なのです。

 

職場は、仕事の現場は

自分の器を本気で広げるための最高の練習の場です。

 

自分の好き嫌いを消し

相手が自分をどう思うか

に焦点を当てるようになる

最初はいやいやでもいいんです。

やってるうちに、習慣になってくるんです。

慣れてくるんです。

 

仕事と恋愛は

訓練の仕方が同じです。

 

日常の場で

必死でやっていかないといけないことは

人の話を聴いていく」

です。

これは作業です。

丁寧に作業するんです。

 

この作業を丁寧に目の前で今やってのけていたのが

田中でした。

 

この田中の雰囲気が伝染し

後輩の衛生士さんたちが同じような雰囲気をそれぞれの

キャラクターをいかしながらやってのけています。

 

社員教育は

伝染です。

感染症だと、私は思っています。

その後、詰め込む教育など

ほとんど役には立ちません。

 

ひとつのいいものがどんどん感染していくんです。

だから、悪い要素もまた伝染します。

悪いものを入れるかどうかは

経営者の責任です。

 

 

相手にとって

やりやすい自分

相手にとって

話しやすい自分

相手にとって

つい相談をしてしまうような自分

相手にとって

居心地のいい自分

を、作り上げていく

という日常の作業。

 

こういう意識を持って

仕事している人と

ナンにも考えず

「あーー、今日もどうやって時間潰そう」

「あーーー、今日もつまらないヤラされ仕事」

と思っている人では

同じ1年という時間の中身の構築度が

まったく違うのです。

 

片方は

3年過ぎたらものすごい達人に

片方は

3年前よりも

すっからかんの人に。

 

 

今は、自己主張を勉強しなくては

という世の中ですが、

実は、逆です。

 

自己主張すればするほど

自分は相手に嫌われます。

 

だって、

面倒臭いです。

だって、

しんどいんです。

だって、

エネルギー遣います。

そして、自己主張ばかりの人は

自分しか見てないので

目の前の私を見てくれていないので

さみしくなっちゃうんです。

切なくなります。

 

カップルでも、います。

彼はずっと自己主張

彼女は聞くだけ

彼女はさみしそう

でも、そんなものだと我慢している彼女

 

これ、はやく別れないと

病気になっちゃいます。←はい、また大きなお世話ですね、はい。

 

人間、自分の気がすーっと通っていく相手とたくさん一緒にいる快感を

味わってしまうと

気が通らない相手と一緒にいる時間がもう死ぬほど苦痛になってくるのです。

一度いい気持ちを味わうと

もはや前の不快に戻れないのと同じです。

女性はこういうセンサーをもともと

持っているのですが

「そうはいっても」と理屈優先になってしまうと

体は病気になります。

 

皮膚感覚でNOと言っているだから

それはNOなのです。

頭で考えたら、即、病気になるのです。

 

 

自分の好き嫌いだけで

人と接していけば

気が付いたら狭い世界の中で苦しむことに、なるのです。

 

だって、自分のことをお姫様のように扱ってくれて

いつも気を遣ってくれて上げ膳据え膳してくれるような人は

自分の周りにはそうそういないから、です。

まあ、過保護なお母さんくらいです。

世の中、外に出ると

「はあ?」という人に接する機会の方が多いのです。

 

その時に

いちいちストレス感じていては

いちいち傷ついていては

いちいち心が弱っていては

やっていけないのです。

 

弱いとしんどいのです。

しんどいのは、いやですよね。

私は、嫌なんです。

 

自分の好き嫌いは置いておいて

誰がきても

うまくやっていける自分がいい

と思ったのです。

その方が、楽だから、です。

いちいち腹が立っているのはしんどいのです。

いちいち傷ついているのは面倒なのです。

 

 

誰がきても

OK。

誰にでも「感じのいい」応対ができる

ということは

すごいことです。

 

自分の言いたいことを言うのですが

自分の好き嫌いを押し通すのではなく

相手は、どうなの?

相手は、何を欲しいの?

ということを

必死で探って引き出していくんです。

 

目の前の相手のいうことを

目や

言葉や

表情や

声から

全部きいていくんです。

 

自分にベクトルを向けるのではなく

向かう方向は相手、です。

自分にベクトルが向かうと

「私のことどう思っただろう?」

となってしまいます。

相手に100%向かうと

自分の心に向かう意識が消えるのです。

 

人の話を聴くだけなんて

なんだか消極的

と思いますか?

 

違うんです。

 

死ぬほどエネルギー使うんです。

聴く方が

聞き入っていく方が。

 

ある意味

自己主張は簡単です。

攻撃は簡単。

言いたいことぶちまけてるほうが簡単。

自分の主張を押し通そうと頑張ってるほうが簡単。

 

受け手の方が

よほど大変なのです。

よほど神経遣うのです。

 

しかし、一番鍛えられ

その習慣が身についたら

後は

生きていくのが

とっても楽ちんです。

 

 

人間の悩みは

一番は

人間関係です。

お金や仕事

ということも悩みのうちですが、

その基本となっているのは

人間関係です。

人間関係が崩れると、うまく構築できないと

お金や

仕事も

やはりうまく巡らないのです。

 

人間関係がうまくいくコツは

たったひとつしか、ないんです。

技術じゃないんです。

手法じゃないんです。

 

相手が自分を好きかどうか

です。

これしか、ない。

 

自分が相手を好きでも

相手が自分を好きじゃなければ

人間関係はうまくいきません。

 

いつも好かれている存在=話を全部聴いてくれる人

です。

そして自己主張をまるごど飲み込んで聴いてあげられる人

です。

 

人は自己主張を全部聴いてくれる人の前では

自尊心が高まります。

 

多くの人の自尊心は

日々いろんなことで傷ついています。

その傷を癒し

癒すだけではなく

さらには

自尊心を高めてくれる人のことを

嫌いには、なりません。

 

 

とにかく

自己主張より

「人の話を徹底的に聴く」

です。

 

 

母性型組織に多い人材は

「人の話を徹底的に聴ける」受けの上手な人です。

気が付いたら

そんな人ばかり採用していました。

 

 

自己主張の強い人

は逆に

いらない。

しんどいんです。

面倒くさいんです。

 

大事なお客さまも嫌がりますし

上司も面倒くさいんです。

かわいくない。

かわいがってあげたい

引き上げたい

という気がそがれるのです。

 

一生懸命自分の話を聴いてくれて

さらに

一生懸命自分のことを肯定してくれて

さらにさらに

あなたのお陰で

なんて感謝されちゃったりすると

ぐっときません?

 

ぐっときます私は。

 

ぐっときたいんですね

やっぱり、人は。

心に、胸にぐっとくると

やっぱり、その人を愛おしくなるし

大事にしようと再確認します。

 

ぐっとこさせるには

自己主張ではぐっとこないんです。

必死で聴き入ってくれるから

ぐっとくるんです。

 

武器で責めるより

ボールをガンガン投げるより

受けて受けてボールひろいまくるんです。

 

どんな受け取りにくいボールでも

ひろいにいくんです。

 

絶対、ぐっときますから。

2014.06.20朝10時まで頑張れば、あとはなんとかなる

 

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男と女も老いも若きも

もっとも嫌われること

それは

ケチ

です。

 

金離れのよい人は

魅力的であり

ケチな人は嫌われる

と、しごく単純です。

 

愛情の言葉を出さずに

惜しみなく注がない

これも、

愛情ケチ

です。

 

お金はわかりやすいですが

金離れの悪い人は

総じて

愛情の言葉を注ぐことも

出し惜しみするものです。

 

 

お金の話はだいたいは

タブーです。

男女の関係においてどんなに親密になってても

タブーな部分だったりする関係はいっぱいあります。

結婚しててもお金の話はタブーだったりするケースもあります。

 

 

タブーな話は

それだけ闇の中ですので

他の人がどうやっているのか

知ることはありません。

 

 

 

だから

ケチな習慣の人は

ケチな習慣のまま人生を送るのでs

ケチケチな人生には

ケチケチな結果が現実に起こってます。

 

存分に与える習慣の人は

存分に与える習慣のまま人生を送るので

因果の法則にのっとって

与えたものが、そのまま自分に返ってくる

という現実が起こるのです。

 

ケチは

ダメです。

 

男女関係においてだけでなく

友人関係においても

ケチはダメです。

 

金の切れ目が縁の切れ目と言いますが

これは本当にその通り。

貸したものが返ってこない

借りてても平気。

もらえるものはもらっておこう。

というスタンスの人は

まともな人とは人間関係を構築できません。

 

 

もらってばかりの人は

人に与える

という習慣がありません。

その意識もありません。

そもそもそんな発想がない。

 

 

お金だけの話ではありません。

人に対して

いい気分を与えることができる

ということも

「存分に与える人」となります。

存分に与える人」=お金の世界でいえば「金離れのいい人」です。

 

しかし、

他人に十分に与えるためには

まずは自分の中身に他人様に与えてもまだまだ潤沢にあまっている

溢れているというだけのエネルギーがないといけません。

 

気力に満ち

いつ誰に会っても

ご機嫌な気分」を与えてあげられことが

できないといけません。

 

なので、

その人自身に

悩みがいっぱいでは、ダメなのです。

自分の中に悩みがいっぱいだと

他人様の悩みをすいとってあげることができないから、です。

 

自分の中に悩みが多いゆえに

愚痴を聞いてもらる人や場を探します

吐き出し口を探しているのです。

自分が吐き出すことだけに意識が集中するので

他人の様子まで気を遣える余裕はありません。

 

他人様の悩みを吐き出してもらえる心の余裕が、スペースが自分の中にないのです。

自分の悩みをきいてよ、なんとかしてよ

という方向にばかり意識が向き

相手に心が向かえない。

 

こういう人は

総じて

目が泳いでます。

目の前に人がいるのに

見てない

泳いでる。

 

つまり

誰と一緒にいても

自分の悩みにばかり焦点がいくので

相手は自分に魅力を感じてくれなくなるのです。

 

 

あの人に会うと

私がご機嫌になれる

ふさいでいた気持も明るくなれる

もやもやしていたものが一掃されたようだ

充電できる

こんな人っています。

 

または、

あの人に会うと

ものすごく刺激されちゃって

いてもたってもいられなくなっちゃうう

という人がいます。

 

こんな人は

みな自分の中で意識的に

「ご機嫌を充電」できるべく

コントロールしているのです。

自分の悩みなど、自分でとっとと解決し

コントロールできているのです。

 

これは

生まれてからそのまま勝手に

私達人間に備わってるものでは

ありません。

 

暴れ馬のような自分の心の

操縦法を知っているのです。

 

 

会った瞬間から

ご機嫌な陽気を与える人

というのは

他人に対して

たくさんのものを与える人

になっています。

 

他人のことを

聴ける

他人の愚痴や悩みや虚栄心を

「うんうん、ふんふん、そうねえ、そうねえ」と

きける

心の余裕が

あるのです。

 

自分のことでいっぱいいっぱいの時

人は他人の愚痴や不満を快く聞けないのです。

面倒くさくなるのです。

ちっちゃい人ね、と一喝したくなるのです。

他人に対して、きつくなるのです。

 

 

だから、人は離れていきます。

ご機嫌な人のそばにはいたいけれど

余裕のない人のそばからは

人は離れるのです。

だって、聴いてもらえないだもの。

 

 

自分自身をご機嫌にしておくために

必要な3つの行動があります。

 

それは

①あいさつ

②笑顔(にやつくのではなく)

③自分から話しかける

 

この3つです。

 

朝10時まで、笑顔を自分の顔にとどめておけば

それは一日中継続できる

という言葉があります。

 

人間の習慣を作るのに

朝ほど大事なものは、ありません。

 

朝10時までに

①②③を実行できる人は

その人の人生の中で

習慣になり

だんだんそうすることが「もはやあたりまえ」になってくるんです。

 

あたりまえになると

その人の表情として定着します。

 

人相学でも

その人の表情というものを観るそうですが

①②③の習慣で

定着するのです。

 

逆に

朝10時までに

①あいさつせず無言

②むすっとしてる

②話しかけない

を繰り返す人は

人相学的にも「落ち目の人生」を歩くこととなるのです。

 

顔って、怖いんです。

表情って、そのまま自分の人生左右するんです。

 

昨日、ホテルで会がありました。

ロビーにはたくさんの人がいます。

旅行客もいれば

ビジネスの人もいる

奥様のランチ会の待ち合わせもいる。

 

私はそのどの人も知らない人です。

どの人の経歴も環境も肩書きも過去も知らない。

でも、

顔を見れば

パッとわかるんです。

わかるというより

見えちゃう。

 

どの人が幸福そうで

どの人が不幸そうなのか

 

表情は無意識です。

その人が一日に感じてる感情がそのまま表に出たものが

その人の普段の表情です。

そしてそれが定着している。

 

だから、見ればわかる。

名刺をもらう前から、わかる。

話さなくても、わかる。

もっといえば、感じとられている、のです。

 

 

①②はなんとかできても

③の自分から話しかける

というのは

ハードルが高い

かもしれません。

 

そんな時は

お天気の話でもいいんです。

「あ、外雨降ってきましたねえ。

ぬれませんでしたか?」

というキッカケ話でもいいんです。

 

話しかけた瞬間に

目が合います。

自分から話しかけてるので

当然笑顔のはずです。

 

話しかけられて嫌な人はいません。

 

そこから会話がはじまるかもしれません。

相手が話しだしたら

そこに集中するんです。

 

何を話そう

と自分の頭に思いを巡らせるのではなく

相手が話すことに

乗っていくんです。

 

自分は何も考えなくてもいい。

 

極端な話

「ええ」

「ほう」

「わあ」

これだけでも会話は成立します。

 

なぜなら

人は

自分の話を聴いてくれることを求めている」

から、です。

 

次に何をしゃべろう

なんて自分が考えなくてもいいのです。

 

相手の話に一生懸命に聞き入る

この行為こそが

「あなたのことを大事に思ってますよ」

という暗黙のメッセージとなり

そしてひいては

相手の自己重要感を

とんでもなく引き上げていることとなるのです。

 

自分の自己重要感を引き上げてくれた相手のことを

人は好きになります。

勝手に。

自分から何を話さなくても

立派なことを語らなくても

美人じゃなくても

ハンサムじゃなくても

お金を払わなくても

です。

 

最近は

若い人の中では

最初のデートの時から

彼女と割り勘とか

ましてや彼女が出してあげる

とかいうのが

「もはやあたりまえ」となってる風もあるようです。

 

女性自身も

「払ってもらうなんて悪いし」

「そこまでの関係じゃないし」

「払ってもらって当たりまえだと思うような女と思われたくない」

とかの内面的理由でもって

割り勘や

自分が払う

ということを「受け入れている」

ようです。

 

男性自身も

「女も働いているんだし」

「そこまでの思いいれもないし」

「男女平等だし」

男がおごるのがあたりまえだなんて思うような女いやだし」

という内面的理由から

デートでも

彼女と割りカンか、彼女が払う

ということが「あたりまえ化」している

ようです。

 

多くの女性が

感じながらも

けっして口には出さないと思います。

しかし、

女性なら

きっとあるはずです。

 

つきあってる男性や

自分にアプローチしてきたはずの?男性が

自分を大事にせず

ないがしろにされてるなあ

と心がチクッとしたことが。

 

この、「大事にされてない」

「ないがしろにされている」

と感じてしまうのも

女性特有なのですが(男性はそこまで深く思ってません)

これは未婚既婚とわず

感じてしまうこと、です。

 

 

 

これはもう

本人の好みですし

生き方の問題ですので

どっちを選ぶのも自己責任です。

 

ただ、

男性は知っておいた方がいいことはあります。

女性は

「私、払います」

「じゃあ、私のぶんも払います」

とレジの前で財布を出しますが

「あ、そう?じゃあ」

とそのお金を彼が受け取った瞬間に

もうないな、この人とは」

と思うのです。

本当に、思ってしまうのです。

もしくは、

その次があったとしても

デートする前の魅力100だとしたら

20くらいまでは落ちてるはずです。

 

 

 

そこまでどんなに話が面白くても

そこまでどんなに事前の前振りが期待させるものであったとしても

さあ、いまここで!

という瞬間に

受け取られてしまうと

「もうない」

のです。

 

何事もなかったかのように

家に帰って

「またねーーー」

とか

「今日は楽しかったです」

とか可愛いメールを送りますが

心許した友達には

ちょっとおおお、信じられんことがあったよーーー!!!」

とぶちまけるのです。

女子会のえさになること間違いなしです

 

友達は

「げっ、そりゃあ、ありえんわ。

と言うか、その人、あんたに本気じゃないわ

やめとき。」

と友人会議により

「×」がつくのです。

 

なにもずっと払ってよね

ずっとおごってよね

という話ではなく

「今、この女をどうにか自分に心を向けさせよう」

という瞬間に

「それはないでしょ」

ということなのです。

 

この話題、

実は女性の中ではとっても多い話。

ダントツかも、しれません。

しかし

男性の前では

言いません。

だって

おごってもらうのが当たりまえだなんて

感謝のない女だと、傲慢な女だと思われるなんて嫌だもの

です。

 

 

女は屁理屈ぬきで

ケチは

嫌い

なのです。

何万年進化しよと

嫌いなものは嫌いなのです。

 

ケチを

目の前で見た瞬間に

ちっちゃ」

と思ってしまうのです。

げっそりしちゃうのです。

 

どんなに時代が進化しようと

どんなに女性が社会に出て活躍しようと

女性は、男性に大事にされたい

と思うもの。

 

「おいおい、女も自立でしょ?」

「おいおい、男女平等でしょ?」

「そんな依存的な女はいやだよ」

「そこまで面倒みなきゃいけないわけ?」

そう思ってしまうのも

わかります。

 

しかし、

最初の最初。

出会いも出会い。

さあ、ここから。

心をキュッとわしずかむ瞬間

というのが

男と女にはあるはずです。

その瞬間の

「ここぞ」

という時に

「割勘ね~~」

と言われると、

萎えます。

 

 

何が何でもこの女を自分のものに

と渇望している時

男は必死になります。

しかし、

今は、必死になれない。

はい、選択肢が多いから。

 

女性にとって

自分の心をいとめようと

必死になってくれている男性ほど

嬉しいことは、ありません。

最初はなんとも思わなくても

必死な姿に心動かされてゴールインという話は

よくあります。

 

しかし今は

彼女よりも

楽しいことがいっぱいあるから。

生身の人間は面倒くさいし

お金もかかるから。

 

もてる人は

自分が他人に与えるものの量が多いんです。

有形無形どちらも。

有形なものは「お金やもの」

無形なものは「愛情や思いやり」

無形なものは

言葉で表現したり

マメな愛情行動によって表現したり。

一番目に見えてわかりやすいものは

有形なもの、でしょう。

 

男性は

形があるものより心が大事でしょう

と思うかもしれませんが

女性は

どちらもいるのです

 

どんなに言葉があっても

「コーヒー割り勘ね」

と言われたら

「は?」

と思うのが女というものです。

 

有形無形に与えるもの量が

たっぷりとあればあるほど

それに比例し

その人の相手に対しての魅力度は上がります。

 

 

そして自分が欲しいもの

今、目の前にいるこの魅力的な女性の心を

入手できる可能性はぐっと高まるのです。

 

自分の魅力

というものを大きく勘違いしているんです。

自分の魅力とは

自分ひとりで単独で磨きあげて

相手に見せ付けることができるものでは

ありません。

 

相手が

「ああ、魅力的だなあ」と思ってはじめて

あなたは魅力的な人となるのです。

 

魅力とは

自分ありきではなく

相手が感じてくれてはじめて

存在するものです。

 

魅力的な人とは

どんな人か?

 

自分に対して

惜しみなく有形無形のものを

注いでくれる人

です。

 

自分に深い関心を持ってくれる

自分に対して思いやりの言葉をかけてくれる

自分に対して愛情の言葉や態度を惜しみなく注いでくれる

自分に美味しいご飯を食べさせてくれる

 

 

もし、今

婚活中で

意中の女性がいるのなら

何が何でもこの人を

と思うのなら

「男女平等じゃないの?」

「おごってもらってあたりまえに思われるのは困る」

などという思いは横に置いておき

 

さささっと

会計を済ませてしまうことを

強くおすすめします。

 

まさか、女性に払ってもらおうなんて

考えたこともないよ

という男性に

惹き付けられるのが

女という生き物です。

屁理屈ぬきで

かっこいい

と思ってしまうのです。

 

中途半端は一番いけないのです。

徹底的に面倒みるか

みさせるか

 

とことんヒモになってしまえば

それも快感

という女性も世の中にはたくさんいます。

 

どっちにいくか

はっきり決めて

スタンスをはっきりするんです。

 

男らしくいくならいく

女々しくいくならいく

男でもない女でもない

というのがいかんのです。

 

 

いずれにしても

男と女も

朝10時までは、①②③です。

これで、世の中、変わります。

魔法のように、変わります。

 

小さい職場なら

3日で変わります。

 

簡単に変わることが

母性型。

 

底にあるのが、愛ですから。

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母性型経営(R)のススメ 香川県 高松市 吉本歯科医院

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