祝!!!2周年
春ですね。
桜も色んなところでちらちら見られるようになりはじめています...。
という描き始めをさせていただきましたが、実はコレ、去年の4月号の書き始めにかぶせています。
その時の題名は祝!!1周年でした。
お持ちの方はvol.28も合わせてお読み下さい(笑)
あれから1年、今年もまた、3月と言う『終わりの月』を終え、もうすぐ4月と言う『始まりの月』を迎えます。
昨年の春は院長、マネージャーとカウンセラーのお子さんがそれぞれ小学校に進学していましたが、今年は当医院に新しい衛生士、出来さんが無事衛生士学校を卒業され、入社されることが決まりました。
私としても初めての後輩が入ってくれて、やっと下っ端脱出か!?と喜んでおります(笑)
さて一昨年の4月1日、『普段着でいいよ』と言われながらも、とりあえず様子見に1日だけは...とスーツで初出勤してから、私も無事、吉本歯科医院勤続2周年を迎えることができました。
この1年は、さまざまな新しい方々との出会えた1年でした。
私の母校である高松一高と、広島大学の同窓会にそれぞれ入れていただくことができ、香川県在住の先輩方と知り合えて、様々なお話を聞かしていただくことができました。
またこのニュースレターでも何度かお話しましたが香川大学医学部附属病院のインプラント講習会に入ることができ、そこでも様々な出会いを迎えることができました。
そのインプラント講習会で、マネージャーのブログにも掲載れていましたが、吉本歯科医院で行われたオペの症例発表をさせていただく機会に恵まれました。
香川大学の口腔外科教授を始め、様々な病院の院長先生方や、医局の先生の前で、約30分間1つの症例についてお話さしていただきました。
発表後は多くの先生方からいろいろなご質問やアドバイスをいただくことができとても有意義な発表になりました。
今回の発表には、マネージャーが母親参観のように(笑)着いて来てくれていましたが、そのマネージャーからもいっぱい褒めてもらえ、半月以上かけて準備した甲斐がありました。
去年の4月号で、来年の4月号のネタは祝2周年と書けるようがんばりますと言っていましたが、相変わらずの慢性的なネタ不足と、締め切りとの戦いながらなんとかまた1年続けることが出来ました。
今年もまた「ネタがないネタがない」と言いながら、マネージャーから「原稿そろそろ頂戴ね」と言われながらいろいろ書いていこうと思います。
今年度もよろしくお願いします。
最近インプラント治療が一段落つかれた患者様から、「ニュースレターのコラム、毎回読んでるよ」というありがたいお言葉をいただきました。
なんとその患者様、ぼくが 以前書いた「神様のカルテ」という本の話をお読みになられ、本屋さんで探して下さったそうです。
毎月ネタがない~ネタがない~といいながら
書いているこの拙い文章も、わずかでもこうやって読んで下さる方がいると思うと、頑張ったかいがあったな~と思えて、本当にうれしかったです。
さて、先月号で書かせていただいた(・・・ハズです。これを書いているときにはまだ"先月号"は出ていませんが)「勉強論(笑)」の最後で、新しいステップアップのため、新しい勉強の場を考えているというお話をさせていただいていました。今回のお話はこれについてもう少し詳しく書いていこうと思います。
僕は去年1年間で、世界最高峰のインプラントメーカーで、当院でも使用しているノーベルバイオケア社のアドバンスコースと、日本にインプラントという技術を持ち込み、多くの噛めない患者様にもう一度食べる楽しみを味わえる希望をもたらした、"インプラントの神"小宮山先生のベーシックコースを受講し、少しずつですがインプラントについて知識を蓄え始めました。
今年ももっとレベルアップしたいなと思っていたところに、香川大学の歯科口腔外科が(社)日本口腔インプラント学会の指定研修施設に認定されたことを受けて、インプラントの臨床専門医養成コースが開設されるという情報をいただきました。
これは2年間かけて多くのセミナーやケースカンファレンス、臨床見学や治療を経験できる講習会で、これを受講すると同時に、当院院長も会員になっている(社)日本口腔インプラント学会の会員となり、将来この学会の認証医や、専門医を目指して勉強していこうというものです。
また、これに参加するということは、同時に香川大学医学部付属病院の歯科口腔外科に籍を置かせていただくということでもあり、香川で口腔外科を行っておられる先生方との新しい出会いや、多くの学びが得られると思います。
学生時代は、みんなで一緒に授業を受けることなんて当たり前に思っていたけれど、卒業してみると中々そんな機会はないもので、当医院には院長がいるので教師には困りませんが、勉強というと、基本一人でやるようになっていたので、このコースを受講されるほかの先生方と机を並べて講義を受けるというのはなんだか新鮮な気がして楽しみです。
皆さんきっと向上心を持って来られる方ばかりでしょうから、きっといい刺激も受けられるのではと思っています。
当医院では、通ってくださる患者様と、院長の技術と理念のおかげで、多くのインプラント治療を学ぶことができる環境にあります。このせっかくの環境でできるだけ多くの事を、余すことなく吸収できるようにするために、この講習会を含め、いっぱい勉強して、しっかりとした基礎を構築していけたらなと思います。
皆さんはご自分の「話し方」、意識したことはございますか?
自分の口癖は?
声の高さは?
速さは?
ボキャブラリーは?
意識したことはございますか?
自分の話し方ってこんな感じだ!!
急に問われて答えることができますか?
と、硬い感じのお話しから入りましたが、この「話し方」について書いてみようと思います。
僕が吉本歯科に入ったとき、マネージャーの手によって一つのイメージを吉本歯科医院内で植え付けられてしまいました。
・ ・・「ちゃらい」・・・(怒)
最近では某お笑いタレントが、これを売りにして人気を博していましたが、僕は別にこんなことを売りにしてきたことはないですし、恋愛も日常生活も、極めてまじめだったので、30年間言われたこともありませんでした。
以来一年間、事あるごとに言われ続け、「意外にもちゃらくない」とイメージ変更してもらうのに、1年かかりました。・・・それでも「意外と」が付きますが(涙)
また、当院でインプラント治療をされた、とある患者様に、入りたてにごあいさつした時も、「なんか軽そう」と言われました。
この方からも、この間「思ってたのとは全然違った、全然ちゃらくない!!」とお墨付きを頂きましたが(笑)
一年間吉本歯科医院で診療させていただいてきて、皆様は僕にどんなイメージを持たれましたでしょうか?
この患者様は、僕の顔や、髪型、マネージャーはそれプラス普段の服装などをみて、そう思われたところもあるのかもしれません。
確かに8年広島で過ごしてきたため、多少なりとも都会っぽさや、今どきの若者風なところが出ていたのかもしれません。
もちろん東京や大阪などの更なる大都会に住んでいる若い方から見れば、まだまだ田舎っぽく見えるかもしれませんが。
でも今はそれだけが原因ではないのではないかと思っています。
それは、きっと僕の「話し方」。
なんとなく自分が「早口だな」というくらいはわかっていましたが、この一年、院長をはじめいろいろな方に、「声が高い」、仕事中は出さないようにしているつもりでも「若者言葉が混じることがある」・・・etc.様々なご指摘をいただきました。
まだまだいろいろな欠点は挙げられましたが、特に患者様とお話しさせていただいているとき、僕の中では「この方に伝えなくてはならないのはこれと、これと・・・。これはぜったいに忘れないようにしないと・・・。」などということでいっぱいになり、そういった欠点たちが一斉に押し寄せてきてしまうようで、きっとこれを読まれている皆様にも、大変お見苦しいところや、解りにくい、聞き取りにくい、などなど、ご迷惑をおかけしてしまったと思います。
これじゃだめだな~とへこみながら、日々少しづつ治そう治そうとは意識するようにしていたのですが、このあいだ本屋で、僕にピッタリな本を見つけ、購入しました。その名も、
「その話し方では軽すぎます!」
題名を読んだだけで、自分に言われている気がして、つい手に取ってしまいした(笑)
読んでみると、まさしく自分に言い当たることだらけ。
自分の価値や本当の自分を、下げて相手に受け取らせてしまう話し方をいっぱいしていたのだな・・・。
だから本来の自分とのギャップを埋めるのに、時間をかけて内面をみてもらわないといけなくなり、1年も費やさにゃいかんかったのだな・・・。
と、いろいろ考えさせられました。
僕のこの「話し方」は30年かけて出来上がってしまった物なので、一冊本を読んだくらいで明日から急に変われるようなお手軽なものでは残念ながらないと思いますが、改善策や、ポイントも書かれていたので、またちょっとずつでも心がけていこうと思います。
一年後くらいに、この欠点が克服できました!!と報告できたらなと、日々精進していきたいです。
今朝新聞を読んでいると、その中ほどに数ページを使って「香川大学(2次試験前期」受験問題」が掲載されていました。
そういえば、もうそんな時期なんだな~と、とても懐かしく感じ、ちょっと昔の自分の受験期が頭によみがえってきました。
僕も大学受験には結構苦労させられた方で、浪人もしましたし、挫折も成功も、両方を経験しました。
僕は広島大学の後期合格でした。
試験前の新聞には、志願者の倍率が出るのですが、僕の年は、結構広大に集中してしまい、最終倍率が32倍と出て、これは前期試験落ちたら後期はダメかもしれん・・・と親とショックを受けたのを覚えています。
しかし、前期に落ちてしまい、後期は試験が面接と小論文だったため、手ごたえはそれなりにあったものの、どのように点数化するかは試験官次第なところもあるので、合格発表まで気が休まらない日々を過ごしていました。
きっと受かってて、楽しい大学生活が待ってる!!と昼間は明るく考えたりできるのですが夜寝る前は、やっぱりだめでへこんでる自分しか想像できなくなったり・・・と、せっかく勉強しなくてよくなり、いっぱい遊べるし、いっぱい寝られるのに全然楽しくおもえません。
当日、僕は午後2時の合格発表まで家で待ってるのがつらくて、一人でスポーツジムに行って時間をつぶしていました。
2時過ぎに、現実を知るのが怖くて、「帰りたくないな・・・」と思って着替えながら携帯をみたら、親から山ほど着信履歴が残っていました。
急いでかけなおすと、何も教えてくれず、「取り合えず、焦らずゆっくり帰ってきなさい」とだけ言われ、「ひょっとしたら受かったか!?」「それとも、落ちたショックで自殺でもせんかと思って、何も言わなかったのか!?」と悶々としながら帰ったら、玄関で両親が泣きながら、「おめでとう、よかったね」と出迎えてくれました。
すぐにあがってインターネットの合格発表に自分の受験番号があるのを見て、僕も号泣してしまいました。
夢が叶ったあの時の涙は、きっと一生忘れることはないと思います。
これと同じ涙を、僕は歯科医師国家試験合格発表の時も流しましたが、本当に最高の気分でした。
一度しかない人生で、あと何回あの日のような涙を流せるのでしょうか。
またあって欲しいと思います。
これを書いている今日は2月26日で、多くの受験生の方々は、国公立の前期試験が終わったか、ないしは面接などの2日目を戦われている頃かと思います。
その結果によっては、中期、後期受験に挑む方もいるでしょう。
吉本歯科医院でも、この時期は、矯正などの長期にわたる治療をされている患者様には、受験で他県に行かれるかどうかなどをお聞きしています。
ちょうど受験を迎えられている患者様も何人もいられますが、どうか一人でも多くの方が、僕のような涙をながされることを心からお祈りいたします。
そしていつか、僕が診させていただいた患者様の中から、「先生みたいな医者になりたくって。」と歯学部を受験してくれるような方が出てきてくれたらとてもうれしいです。
そう思っていただけるような医師になれるよう、僕自身も慢心せず、日々研鑽をつんでいきたいと思います。
こんにちは
吉本歯科医院の歯科医師、新枝誉志也です。
今回はちょっぴり暗いお話かもしれません。
去年の年末、僕は大学時代の友人を一人亡くしました。
年齢は僕よりいくつか年下です。
直接の死因は脳内出血でした。
去年夏ごろに倒れ、ずっと意識不明のまま、それでも何度も絶望的なところから復活の兆しを見せていたそうですが、結局一度も目を開けてくれることはありませんでした。
彼は僕と同級生で、長い長い勉強の末にやっと念願の医師になれて、希望とやる気の中、さあこれからというところだったと思います。
とても優秀な奴だったので、きっと5年後、10年後には第一線で、多くの患者さんを救っていたことでしょう。
あまりにも早すぎる、惜し過ぎる死でした。
彼との出会いは大学1年生の初めで、それから研修医になるまで、一緒に遊んだり、映画やカラオケに行ったり、パソコンなどに詳しい奴だったので、解らないときに助けてもらったりと、いろんな思い出がありますがいつも飄々としていて、余裕のある雰囲気を崩さない印象でした。
しかし、彼が倒れた後、ご家族から伺ったのですが、彼はそれまでにずっと何度も市販の薬などでは如何にもならない程の、原因不明の激しい頭痛に悩まされていたそうでした。
でも、そんな素振りを唯の一度も、誰にもみせませんでした。
家族の前ですら、絶対に弱音は吐かなかったそうです。
僕自身もそうですが、冗談ぽく言えるようなことなら、周りに愚痴ったり、それをネタにして話したりできますが、本当の本当にキツイとき、つらいとき、男はそれを周りには言えません。
やっぱりかっこ悪いから、弱みを見せるみたいでどうしても言えません。
でも、言えなくても、隠してるつもりでも、どこかしらしぐさや、雰囲気から周囲にばれそうになってしまうもので、それをどれだけ周りに気づかれないよう振舞えるかがその人の度量だと僕は思うのですが、そういう意味で、彼の度量は本当に尊敬にあたるものでした。
同時に、ずっと一緒にいたわけではないとはいえ、出会って8年近く、一度も気付いてやれなかった自分がとても申し訳なく思いました。
昔、どこかで、
「地球上では一秒間に約2人死んでるんだ。」
といった事をきいたことがあります。
また、これまたどこかで、
「人間は80歳くらいまで生きるとしたら、3万日足らずしか生きられない。」
と言われたこともありました。
その計算で行くなら、今30歳の僕はあと50年で80歳なので、 50年×365日=18250日くらい生きられるということになるのでしょうか。
これが多いと感じるか少ないと感じるかは人それぞれだと思いますが、正直僕はどっちの話もいまいちピンときませんでした。
僕だけじゃなく、多くの若い人は、頭では事実として、「いつか死ぬ時が来る」と知ってはいても、その実感がないために、その瞬間にも死に向かってカウントダウンは続いていることに気づかないでいるのではないでしょうか。そして、そのカウントダウンは、時に非情にも、突然0になったりすることがある事も・・・。
その生と死の狭間は、確かに50年以上後に訪れるかもしれませんが、そうあって欲しいですが、明日事故にあったり、転んで打ち所が悪かったりして、急に訪れてしまう可能性も0ではないのです。
今回の友人の早すぎる死は、普段あまり考えることもなかったその事実を、実感として僕に教えてくれました。
その実感は、それなりに頑張って生きてきたつもりでいたけど、今もし死んだら、やり残したことや、したかったこと、山ほど残ってしまうな、きっと後悔するだろうな・・・日々を漫然と過ごしてはもったいないな・・・いろいろと考えさせられました。
そして、恋愛などではよく言われますが、「本当に大切なものは、失って初めて気づく」というのは、人生や時間に対しても言えることで、僕は彼のおかげで、この大切なことに、失う前に気づかせてもらいました。
人間は良くも悪くも忘れていく生き物です。
ですが、せっかく気づけたこの事をしっかり肝に銘じ、彼との想い出と一緒にしっかり覚えていようと思います。
皆さんも一日一日を高いQOLで、できるだけ納得のいくように、大切にお過ごしくださいね。歯医者としてそのお手伝いができることが出来たら、僕も嬉しいです。
12月10日に友人の結婚式があり、お休みをもらって京都まで行ってきました。
大学の時の友人で、テニスサークルでダブルスを組んでいた奴の結婚式でしたが、内容もとてもよく、口腔外科医らしい演出とかもあって、とても素晴らしい式でした。
・・・が、今回はその話ではなく、その道中読んでいた本についてのお話(笑)。
京都まで電車でいくと結構お金がかかるので、何かと入り用になる年末ですし、ちょっと節約して、フェリーで行くことにしました。
朝6時からフェリーで神戸まで4時間半かけて行き、それから1時間かけてJRで京都までの片道5.5時間コースでした。
僕は普段から結構本を読むのが好きな方で、大体一人旅で、時間がかかりそうなときは時間に応じて何冊かの本を買っていくことにしています。
薄目の単行本なら大体3~4時間で読めるので、今回は往復11時間(途中、爆睡数時間予定)で2冊くらいかな~と思い、旅行直前に本屋さんで買っていきました。
1冊は「陰陽師」シリーズで有名な、夢枕獏の最新刊、もう一冊を何にしようかな~と迷っていると、「神様のカルテ」という本が目に入りました
。
この本、今年の夏ごろ?に映画化されたり、続編が出たりで、実は半年前位にも一度書店で見てはいたのですが、その時も迷って買わなかった本でした。
僕はこのような職業に就く前から、結構医療系の小説が好きでした。
一番初めに読んだのは、小学生くらいの時、当時ベストセラーになっていた、「病院で死ぬということ」という本だったと記憶しています。
ノンフィクションで、終末医療の現場での、死の間際の人たちの最後の生の過ごし方と、それに逃げずに向き合うDrの姿を読んで、医療というものにとてもやりがいがありそうだと、子供ながらに感動したのを今でも覚えています。
今思うと、僕が医者になろうと思ったきっかけの一つだったのかもしれません。
その後も「白い巨塔」や、「孤高のメス」など、いくつかの医療系小説を読みましたが、医局内の政治なども絡みながらも、どれも重厚で、命や医療に関して深く考えさせられたものでした。
それらに比べ、この本は背表紙の解説などを読んでも、何かちょっと物足りなそうかな??と感じ、半年前は買わなかったのですが、ほかに目ぼしそうなものもなく、手に取ってみることにしました。
あんまり深い内容は、これから読まれる方に気の毒ですので、割愛しますが、初めの方はは、ちょっと軽い感じで、やっぱり外したかな?と残念に思っていました。
確かに、これまで読んだ医療系小説に比べ、専門的なことはとても少なく、それよりドラマとかで喜ばれそうな人物設定や人間関係に重きを置いた感じではありましたが、最後に、ある患者さんの手紙を読んだとき、不覚にもちょっと感動してフェリーの中で一人読みながら泣いてしまいました。(乗客が少なくて、良かった良かった。男一人本読みながら泣いてるなんて、はたから見たら相当気持ち悪かったのではないでしょうか・・・。)
内容についてはここで書けないのが残念ですが、一人の医師として、確かにこのDrと違って、我々歯医者は直接すぐに命と向き合うような現場ではないけれど、自分はこんな風に患者さんから思われるような診療を僕は果たしてできているのだろうか?と思うと、とても恥ずかしくなりました。
もちろんこれはフィクションですし、作者の都合よくは書けます。それは置いといて、忙しい中にも、ちょっとした気遣いやなんかで、「治す」ではなく「癒す」ことができるのも、医者という職業のいいところであり、大切なところなんだなと再確認しました。
吉本歯科医院で働き始めて8か月が過ぎ、いろいろ慣れ始めるとともに、こういった大切なところを忘れがちになっていた気がして、反省とともに、いいタイミングでいい本と巡り合えたなと思いました。
もし、半年前に読んでいたら、今のように感じてはいなかったかも。時々こんな風に、「心の栄養剤」となってくれるような本と巡り合うことがあり、そのたび読書ってのも悪くないなと思います。
前述した医療系小説たちに比べ、最後まで専門性や、重厚感はちょっとなかった気はしましたが、それだけ一般の方にとっては手を付けやすい本かもしれません。もし興味の出た方は是非読んでみてください。
また、読んだり、映画版を見たよ、という方がいたら、是非僕に一声かけてくださいね。
この現世には、生きながらにして「神」と呼ばれる方々がいらっしゃいます。
それは何も、モーセのように海を割ったり、キリストのように、水の上を歩いたり、人を生き返らせたりといった奇跡を起こしたというわけではなく、それぞれの分野でパイオニアとなったり、偉大な記録を打ち立てたり、後に続く者たちの高い高い目標となっている人たちの事です。
サッカーで言うところのペレであったり、
バスケットボールで言うところのマイケルジョーダンであったり、
野球でいうところのベーブルースであったり・・・。
先週の水曜日から日曜日まで、僕は歯科界の「神」のところで多くの事を学んできました。
東京都千代田区にある、ブローネマルクオッセオインテグレーションセンターというところに行って、そこの院長、小宮山彌太郎先生のもとで、インプラントの正しい基礎や、考え方、そして、最も大切な心構えについて、4日間みっちりと勉強させていただきました。
この「神」、小宮山彌太郎先生は、日本に近代インプラントというものを最初に持ちこまれた方で、現在インプラント治療を行われ、快適に暮らせている患者様は、皆さん、この先生の恩恵を受けてらっしゃるといっても過言ではありません。
近代インプラントとは、スウェーデンのブローネマルク教授が様々な研究を繰り返し、チタンと骨が光学顕微鏡レベルでくっつくこと(オッセオインテグレーションと言います)を発見し、これを応用して行われているインプラント療法の事です。
これ以前にも、様々な先生方が、骨膜下インプラントや、ブレード型インプラント、また材質も様々なものを試行錯誤されていたのですが、今のような成功率を収めることはできてはいませんでした。
このブローネマルク教授は、多くの成功と失敗の中から、これならかなりの高確率でうまくいく、というしっかりとしたガイドラインのようなものを作られました。小宮山先生は、このような研究にいち早く目をつけ、スウェーデンまで実際に行って、ブローネマルク教授のチームに入り、多くを学んでこられた先生です。
ここで学ばれたことを実践し、また、後学の徒に伝えていくために作られたのが先述のブローネマルクオッセオインテグレーションセンターでした。ここでの勉強会は、あまりに貴重なので、オープンにすると人が集まりすぎてまわらない為、基本的にはシークレットコースなのですが、当医院院長が小宮山彌太郎先生の弟子だったので、今回学べるチャンスをいただけたのでした。
ここで学んだことや感じたことについては、またニュースレターで何回かに分けてお伝えできたらとは思います。
多くの事を学ばせて頂きましたが、とはいえ今日明日からいきなり僕がインプラントを埋入できるかというと、まだまだ経験が必要だと思います。だから、今日明日からきゅうにぼくが大きく変わるかというとそうでもないのかもしれません。でも、ここに来なかった5年後と、今からの5年後ではきっと僕の到達しているレベルは大きく違っていると確信しています。
懇親会にて・・・ワインで真っ赤になってしまいました・・・
センターの若い先生と、勉強会にこられた先生
iCATという会社をされ、今回CTのお話をしてくださった十河先生と
今日仕事を終えてうちに帰ると、机の上に、大きめの郵便物が置かれていました。
しばらくamazonでお買い物した覚えもなかった僕は、またてっきりどこぞのカタログか何かかいな?と思って危うく捨ててしまそうになりましたが、一応開けてみたら、そこにはなんと
「2008年度 広島大学歯学部 卒業記念アルバム」!!
そうです、僕の大学時代の卒業アルバムが、3年の時を超え、やっとこさ完成して送られてきたのでした。・・・捨てなくてよかった。
うちの大学の歯学部では、入学アルバムは大学側が他の学部と一緒に作ってくれるのですが、6年制であるため、入学時一緒だったほかの学部の方々とは卒業がずれてしまうので、伝統的に卒業アルバムは学生たちが自分たちで業者に注文して、自分たちで写真を撮り、自分たちが構成などを考えて作っていくことになっています。
が、僕たちの年は、歯科医師国家試験が異常に難しかったり、アルバム制作委員の人たちも研修や大学院などで大変だったりして、完成までに少しばかり時間がかかっていたのでした。制作委員の皆、ごくろうさまでした。
ありがとう。
開いてみたら、懐かしい人たちの顔や、懐かしい校舎、病院・・・。
一気に大学時代にタイムスリップしたような気分になりました。
そこで、「広島大学 歯学部」について書いてみようと思います。
吉本歯科医院に来られている患者様にも、歯学部に進学を考えられていらっしゃる方や、お子様やご親戚に歯学部に興味がある方がいらっしゃるかもしれませんし、もし何かの参考になれば幸いです。
入試を終えて、ピカピカの一年生になったら、まずは一年間(現在は一年半になったようです)東広島の西条といういろんな意味ですごい地に送られます。
ここは広島大学の医療系以外の学部の校舎があり、通称「広大 本学」と呼ばれるところですが、何がすごいって、まず、山を切り崩して作られたため、大学構内が坂だらけ、そのうえ敷地面積が全国立大学中2番目に広く、校舎から別の校舎や施設に移動するのに、歩きでは結構な時間を取られるし、僕のような方向音痴は簡単に迷子になれる、とても素敵なところです。
ここで一般教養という、高校までの勉強のおさらいや、心理学やコンピューターなどといったいろんな単位を、ほかの学部の一年生たちと一緒に取っていきます。
ちなみに、ここでの住居は歯学部生にとっては一年ぐらいの仮住まいのようなものなので、あんまり真剣に選ぶ必要はありませんが、先述のように、この地はもともと何もなかった山のようなところに、広島大学本学が移転してきて、それに合わせて町ごとどんどん開拓されていっているようなところなので、大学構内だけじゃなく、町中が坂だらけです。
大学の目の前のかなり広い新築物件でも5万円台と家賃の相場は安く、下は2万円台という物件もあると聞きましたが、建物そのものよりも、その立地条件をしっかり見て決めないと、毎日の通学や、ちょっとした買い物が大変なトレーニングになってしまうことになります。
僕は大学入試が後期合格だったため、 入学までに時間が全くなく、ほとんど地図だけ見て家を決めたのですが、地図上にかかれた「大学まで900メートル」が、まさかほぼすべて急こう配の坂道だったとは・・・。
行きは自転車で一息で登りきるのは困難なので、何度も降りて押さなくてはならず、1キロ足らずに15~20分かかり、帰りは加速がちょっと怖いくらいですが、1~2分で帰りつける素敵なマイホームで一年を過ごしました。
途中から車を持って行ったので、なんとかなりましたが、主な買い物の場所もすべて坂の上の方にあったので、自転車しかなかったら近くのコンビニだけで生活する引きこもりになってしまうところでした。
と、大変なことばかり書きましたが、ここでの一年間は、大学生活6年間の中で、最ものどかで、自由な時間でもありました。
2年生からではほとんど交流の持てない他学部の人たちと仲良くなったりできるのもこの時期の大きなメリットです。
ほとんどの人が一人暮らしビギナーなので、友達と、洗濯や、料理や、生活の知恵を出し合って助け合いながら、少しづつ大学生活というものに馴染んでいく、そんな時期でした。
僕もこの時期に親のありがたみと、皺にならない洗濯物の干し方を学びました(笑)
次回は2年生以降の本格的に歯学部らしい生活について書いてみようかと思います。
皆さんは「歯医者さん」にどんなイメージをお持ちでしょうか?
きっと
・キーンという嫌な音!
・痛い!!
・とにかく怖い!!!
といったちょっとネガティブなものが多いのではないでしょうか?
とりわけ「痛い!!」イメージは誰にとっても嬉しいものではないでしょう。
吉本歯科にご来院の患者様には、初診の時に歯には神経が通っていることをお伝えしているかと思います。
この「歯の神経」、ほかの部位の神経たちとは少し変わった特性を持っています。
他の部位、例えば手に氷を当てたら私たちは「冷たい」と感じますよね。ホッカイロを持ったら「あったかい」と感じ、こちょこちょされたら「くすぐったい」と感じるでしょう。これらはそれぞれその感覚を、各種の感覚受容器と、数種類の神経線維(神経には実はいろいろ種類があるのです)がそれぞれ感じ分けるから、同じ手でもいろんな感覚を感じられるのです。
しかし、歯の神経は、一種類の感覚しか脳につたえません。というより、様々な感覚を一種類のある感覚として脳に伝えるのです。そう、「痛み」として。
虫歯で歯がしみるとき、歯が欠けてしまって、神経が近くなってしまったとき、冷たいものでも、温かいものがふれても、また、何かを噛んでも、すべて、「痛い」と感じるのです。
歯科治療において、歯を削るときに、多くの場合「麻酔」を行います。これは、先述の歯が治療で感じる痛みを抑えたり、歯茎の治療での痛みや出血を抑えるために行います。
しかし、まれにこの麻酔を行わずに治療をしなければならないことがあります。
それは、神経が生きているか、死んでいるかをその痛みからしか判断できないときです。吉本歯科では、歯の神経の生死が解らないとき、まずは「電気診」といって、歯に弱い電気を流すことで、何かを感じるなら「生きている」と判断し、可能な限りその神経を残せるような治療方針をとることにしています。
しかし、この「電気診」で反応がなくても、必ずしも神経が「死んでいる」とは言い切れないのです。「電気診」には反応できないぐらいに弱ってはいるかもしれないけれど、まだ「いきている」こともあるのです。
神経が「死んでいる」歯は、何もしないでおくと、その後歯より下の骨や歯茎によくない影響を与えることがありますので、きちんとその神経を除去して、掃除してあげなくてはいけません。
このように、神経の生死はそのあとの治療方針に大きな差が出てきます。しかし、麻酔をしてしまうと、そのわずかに生きている神経も眠ってしまうため、わからなくなってしまします。
これを防ぐため、神経の生死が解らない歯に対して、初めは麻酔をせずに治療をはじめ、もし痛みを感じたら、神経は「生きている」と判断、それから麻酔をして、神経の生きている歯としての治療に切り替えていくといった診療手順を取らざるを得ないことがあるのです。
とはいえ、もちろん痛みは誰だって嫌なもの。できることなら感じたくないし、感じるにしても短い時間にしてほしいものです。吉本歯科医院では、患者様にお痛みを感じられる可能性が少しでもある治療を行うとき、必ず「痛かったら左手をあげて教えてくださいね」というようにしています。これは、患者様がちょっとでもお痛みを感じられたら、すぐにそこで治療を一度ストップし、麻酔を足したり、痛くない別の方法を模索するためと、「痛い」と口で言われると、口の中に器具が入っていて危ないことがあるので、手で合図していただくためです。
僕も小さいころ、知り合いのおじさんから、
「痛かったらてをあげておしえてねー」って言われて、痛くて手をあげたら、「はい、我慢してねー」って手を抑えれれたわ~。やけん、歯医者ってのは怖いところやぞ~。
と脅された思い出があります。そのおじさんの話は、子供相手の面白半分だった気もしますが、少なくとも吉本歯科ではこのようなことはまずありませんのでご安心を(笑)
僕もできることなら、吉本歯科にいらっしゃる患者様たちには、冒頭のようなネガティブイメージを払拭して頂けるように、可能な限り無痛治療ができるように、頑張れたらなと思います。
・・・キーンという音は・・・耳栓でもしてもらいましょうか(笑)