2010.03.01行ってきました。リアルコンタクト
昨日岡山で行われたリアルコンタクト、行って参りました(^^)
ステージはまさに
感じる、共鳴する、響き合う、そのものでした。
3幕が終ったあとはしばらくは口を聞けない、というか話をしたくない、そんな気持ちになりました。
会場内はピーンとした緊張感?に包まれ独特の空気が流れていました。
なんだかこの中だけ、時間が止まっていたような、そんな不思議な気分。
出演者の身体からエネルギーがほとばしるように溢れてきたのを見た時、人間の身体はなんて美しいんだろう、と思いました。
生きているってことは、まさにエネルギーそのもの。
そのエネルギーが溢れている時、無条件で人は人を美しいと感じるんです。
最後の3幕が終わり、アフタートーク。
日野晃先生がステージに登場。
話をしはじめた時、思わず涙が溢れました。
ステージから受けとったものがじわじわと効いてきたのかな?そんな気分でした。
今回のリアルコンタクトのパンフレットに日野先生ご自身が書かれた詩がありました。
まさにステージで伝えたいもの、そのものだと思いました。
ご紹介しますね。
ふと、空を見上げれば、何時も太陽がある。
夜になると月が見える。
そこに何一つ不思議を感じない。
そういえば、地球は太陽と向かい合っている。
正に正面から向かい合っている。
もちろん、我々はその関係を知らなくても、関係を享受している。
そこに見えるのは、陽の光であり、月の光であり温もりだ。
ほんとうにそれだけか。
そこには目に見えない引き合う力、引力が発生している。
それが関係の源だ。
それが絆だ。
絆というのは、目に見えないものがあるから、あるいは、
目に見えないものの何かで生まれるのだ。
すると、そこに変化が生まれる。
運動という変化だ。
昼夜という表情として。
大事なことというのは、えてして目に見えないものでもある。
地球と太陽は、向かい合っている。
人も同じように人と向かい合う。
すると変化が動きとして生まれる。
こころの運動、意識の運動、感情の運動、細胞の運動。
そこには、目に見えないものが働いているからだ。
それは、目に見え、そして理解できる言葉でも、理由でも意味でも、
我々人間が創り出した価値観でもない。
それを愛と呼びたい。
その愛という現象こそ、生。
生きているということである。
そして、生きているとは、目に見えない絆により動かされているということだ。
それは、まるで川に浮かぶ木の葉のように。
風に煽られる波のように。
一瞬たりとも同じ表情はそこにはない。
それが生きているということだ。
(※リアルコンタクトより抜粋)
以前、日野先生の稽古を受けている時に、ふと感じたことがあります。
言葉を使わず、お互いが正面から向かい合い、身体を使って相手の身体をどこまでも深く感じ取りあおうとしている・・・そんな稽古の中で、お互いが伝え合っているものは一体なに?と考えた時に、そては紛れもなく「愛そのもの」だ、と。
「相手にどう思われるか」「相手をこうしてやろう」「こうしたらこうなるだろう」といった頭で考えた理屈は一切ない、世界です。
ただ、目の前の相手を感じる、感じとろうとする、深く、深く。ただそれだけ。
きっとコミュニケーションの原点は、そこにある、と思います。
言葉がいらない、きちんと関係し合えている、そんな世界はとっても素敵です。
私たちは今あまりにも、言葉を使いすぎています。
言葉を信じ、言葉に惑わされ、言葉に反応し。
信じるべきは自分の身体しかない、ということを改めて感じさせてくれたリアルコンタクトでした。