2015.07.06面白くなるから、やめられなくなるんです。
友人の話です。
って話したら
次あった時には
「もう、読んだよ。同じ人の違う本も買って読んだよ」
「この方法、すごいよ」
って話したら
その日の夜には
「今、やってる。なんか、すごい」
「ここ行くと、すごいよ」
って話したら
「行くっ!」
ってすぐ段取りつけちゃう。
なので、
目に見えて
ほっぷすてっぷジャーんぷ
です。
やってどうなるの?
なんかいいことあるの?
という言葉は、彼女には、ありません。
動くことに理屈がないので
当然、彼女には
いい人がどんどん集まってきます。
困っていても
手を差し伸べる人が
すぐに、でてくる。
私も、何かに飛びついてる瞬間に
「やってどうなるの?」
「なんかいいことあるの?」
って言葉はどこにもよぎりません。
ただ、やってみよう
と思ってやるだけ
だから、そんな彼女と話をしてると
快感です。
話が通じていく快感。
「そうそう、そうよね」
と言える快感。
たくさん説明しなくても
すぐに奥行きをわかってくれる
快感が、あるんです。
やってみて
続けてみて
面白くなるまで、やってみる
もっというなら
面白くする
あえて、
面白く感じちゃうように
自分で自分の脳ミソを盛って盛って
盛り上げる。
自分の今日を盛り上げてくれるのは
自分しか、いません。
自分の気分を盛り上げてくれるのも
自分しか、いません。
自分を元気にしてくれるもの
自分しか、いません。
自分を楽しませてくれるのは
自分しか、いません。
どんなに素晴らしい先生がいても
どんなに素晴らしい本を読んでも
受け取る自分が
面白がることができない受信機なら、
何をもらっても
「あー、なんかつまらない」
「あー、面倒くさい」
面白くないから
すぐ退屈するから
続かなくなるんです。
どんなに宝物がころがっていても
価値を見つけることができない人にとっては
ただの石ころにしか、見えません。
受ける側に
もらえる力がないと
受け取ることができないんです。
「意味わからない」
「難しすぎ」
って、すぐ頭がフリーズしちゃうんです。
何をやっても続かない
打ち込めるものがない
すぐにあきてしまう
すぐ面白くなくなって目新しいものが気になる
それは、
面白くなれる自分を作ってないから。
でも、熱中できるものが欲しいんです
と言う。
でも、信じるものが欲しいんです
と言う。
それは、
自分がソファに座ってポテチ食べてテレビ見てるから
私のかわりに
私の脳みそを賢くするサプリメントを下さい
ってお願いしてるようなものです。
お手軽に
表面的なテクニックだけを
すぐに教えて教えてって
くらいつくのは、
何事も「安易に、お手軽に、手に入る」
と思っているから。
大きな大きな間違いです。
感度良好な自分になるためには
受信機にスイッチを入れ
60兆個の細胞を敏感にして
「見つけよう」
「探しだそう」
「あっちだ」
「こっちだ」
「あ、あそこにも」
と、意識を張り巡らせておくんです。
ボーっと口開けて
「あーー、なんか面白いことないかなあ」
ってしてると
どんなに
素敵な人がやってきても
どんなに
素晴らしいことを
教えてもらってても
全部、右から左へスルーです。
今日いいこと聞いても
翌朝になると
「あー、めんどくさ」
で終わるのです。
「私、やるから!!」と一念発起したのに
すぐに気分が下降しちゃうことを
繰り返していると
そのうち
大事な大事な自分自身から
自信を奪うのです。
「なにをやってもダメな私」
が細胞のすみずみまで
浸透するから、です。
心の奥深くまで
浸透するから、です。
ごちゃごちゃ言わずに
とにかくやってみる
やってみたら
面白くなるように
自分で盛り上がれるように
工夫してみる
もっといえば
自分がやってることを
周囲が見てて
「ねえねえ、何やってるの?なんでそんな楽しそうにやってるの?」
って覗き込むくらい
熱中してやってみる。
多くの人が
「ええー、面倒臭そう」ってことを
逆手にとって
「え?何々?それってそんなに楽しいわけ?
じゃあ、私もやったらよかったな」
って思わせるくらい
楽しんじゃうんです。
楽しいことだったら、続く
とよく言いますが、
違うんです。
楽しめるには
面白がれるには
自分側のレベルがいるんです。
私は、お馬鹿で頭がすっからかんで
何も考えてなく今日をダラダラと
感情のままに過ごしてる時期は
本当に不安でした。
暗黒の20代。
自分の鏡にうつったマヌケ面を見た時に
「こんな自分は嫌だ」
とメラメラとお腹の奥から
何か熱いものが込み上げてきました。
そっからこっちはずっと
込み上げてきた気持ちに
体を乗せて歩いています。
時に走って。
外から聞いた知識で
わざわざ紙に書いた目標に向って、
力が湧いてきたことなんて
一度も、ないんです。
そんなものではないんでしょうか?
だから、怒ってる時や
問題にぶち当たって脳ミソがギューっとなってる時には
力が湧いてきます。
一瞬着火しても
すぐに火が消え
またもとの「いろいろ考えて動けなくなる自分」「何をやっても面白いと感じることができない自分」
に戻るのは
やってみる
↓
面白くなる
↓
快感
までいくまでにやめちゃうから、です。
快感は「気持ちいい」ことなので
人間気持ちいいことは
繰り返したくなるもの、なのです。
麻薬と同じです。
快感なので。
なんでもやってみる
そして
快感になるところまでやってみる
もはやそれをしないと気持ち悪い毎日にまで
やってみる
それをしなかった毎日はどうやって過ごしていたんだろう
って思い出すことさえできなくなるまで
やってみる
そのパターンが自分の細胞に
しみわたったなら
次に何かを取り組む時
「ああ、これも同じだろう」
と、あとは勝手に脳みそがやってくれるのです。
オートマチックなんです。
オートマチックになるまで
やるんです。
オートマチックにしておけば
あとは、
エンジンを切らずに
その快感のレールから決して降りないように
するんです。
自分から積極的に取り組んでいく
自分から世界に心を開いていく
そうするのが
もはやあたりまえになっていくと
面白いことに出会えないことのほうが
おかしいんです。
最初は
自分で自分の受信機を徹底的に
耕すんです。
性能のいい
受信機に。
感度がいいと、
ピンと、くるように、なるんです。
感度がいいと、
なんでも、快感になってくるんです。
不感症は、面白くないんです。
そして、
不感症の人と一緒に過ごさないといけない人は
もっと面白くないんです。
何をやっても
誰がきても
何をもらっても
反応できない自分は
面白くないんです。
自分も面白くない
それに付け加え
関わる他人も
「面白くない」と感じるのです。
だから、離れていく
だから、あきるんです。
感度良好
な自分
自分からつかみ取りにいく自分
そして
あとは、
「ま、どうにでもなれ!」という覚悟。
これでばっちりです。
頭で考えすぎて
がんじがらめになってる時は
のびのびしてて
あんまりタブーがなくて
楽しそうな人に会うと
私は、
一気に体にまとわりついた鎖がはずれます。
「そっか、そっか、しょうもないこと考えてたわ、あほらし」
と笑い飛ばせるから、です。
それくらい
人が大事です。
会う人で
自分はいくらでも感化してもらえます。
そのことを
人は肌で知ってます。
だから
「あの人には会いたくない」
なんていわれちゃあ
悲しいですよね。
いい感化をもらうために
感度良好な自分を。
■次回母性型勉強会は
2015年7月28日(火)18時30分~20時30分
高松国際ホテルにて
会費:3,000円(夕食代込み)