2015.07.03不安で不安で自分以外のみんなはどうやって生きてるんだろうと思う
そうこなくっちゃ
私は、大きく手を叩きました。
若いスタッフ達と話をしている時のことです。
将来が不安なんです。
若くて本当に可愛らしい子が
こういうのです。
何が不安って
自分でちゃんと稼いでいけるのか?
食べていけるのか?
もし、結婚しても離婚するかもしれない
今のままの自分なら
不安なんです。
不安で不安で自分以外のみんなはどうやって毎日生きているんだろうと
思う
20代の私は、当時ずっとそんなこと
同じように考えてました。
今のようにスマホもインターネットもない時代なので
ここまで情報に溢れて不安材料はなかったけれど
それでも
不安でした。
20年前の私がこんなに不安だったので
今の20代は、もっとさらに不安なんだろと思います。
特にスマホとにらめっこする時間が長い人は
不安な時間はさらに増えているでしょう。
SNSやインターネットの画面では
近い他人の華やかで楽しそうな映像や文章が
どんどんアップされます。
どうだどうだと
楽しそうな華やかな瞬間が映像となって
目の前に現れてくる
光輝いて見えれば見えるほど
自分の影が濃く感じるようになるのです。
隣の芝生は恐ろしく青く見えるものですが
そのことに気がつくには
まだまだ体験が少ないのです。
華やかで楽しそうに見えるお隣さんでも
その実態は、まったく間逆のものかも、しれない。
でも、その実態は、わからない。
自分だけを置いて
みんながどんどん先に先に
楽しそうな華やかそうな方向に
行ってしまっているような気がするのです。
SNSのお陰で
仲良くなる人がいる反面
SNSのお陰で、嫉妬に苦しみ、自分をどんどん苦しめる方向に
向かう人が、いるのです。
会って話せば、なんてことないことが、たくさんあります。
顔を見て、
声を聴いて、
目を見て、
近い距離で
自分から心開いていくことで
「あれ?なんでこんなこと思ってたんだっけ??」と
感じるのです。
スマホの画面から伝わってくる声と
実際に会って通じ合うものは
別ものなのです。
若い頃の自分は
いつも自分の中で何かが足りない
何かが大きく欠けている
どうやったらこの欠乏感が消えるのか?
どうやったらこの穴が埋まるのか?
どうしたら満たされるのか?
ひたすらひたすら
考えて
あっちいっては頭をうち
こっちいってはお尻をうち
遠くにいっては、さらにひっくり返り
そんな繰り返しでした。
何もかも、あるのに
満たされない
どんなに外から与えてもらってても
満たされない
そんな感じでした。
喉がからからで
水を飲みたくてしょうがなかったから
必死でつかみとりにいこうとしたし
このままじゃいけない
こんな自分じゃ、死ぬに死ねない
こんな自分は大嫌いだっ
って吐き気がするほど嫌だったからこそ、
自分を成長させてくれる人に出会えた時には
必死でくいついていけたと思うのです。
行け、と言われたら間髪入れずに行く
やれ、と言われたら間髪入れずにやる
行動を起こすための
理由や
「それをやったらどんないいことあるわけ?」なんて
裏付けがなくても
なんだかわからないけど、とにかく行ってみる、やってみる
という習慣がついたんだと今は、思います。
いろいろな自己啓発の本や勉強会がありますが
しょせんは
いいこと知っても
いいこと聞いても
やるかやらないか
だけ、です。
どんなに素晴らしい先生に
どんなにいいことを教えてもらっても
「ああ、いいこと聞いた」
で、
「でも、それをやってどうなるわけ?」
「お金かかるしな」
「でも、時間ないし」
「でも、面倒くさいな
ってなる「ためらい癖」がついてると
お金と時間がもったいないのです。
これは、癖ですので
癖を直すには
新しい癖をインストールしか、ありません。
ぐたぐだ言わずに
とにかく動いてみる
それだけ。
就職も
仕事も、
恋愛も、
営業も、
人付き合いも
とにかく、
行ってみる
やってみる
会ってみる
そこを通過しない限り、どうにもなりません。
ああ、不安だな
なんだか、不安な自分が嫌だな
と思ったら、チャンスです。
自分を考えるチャンス。
どっちを選んでもいいんです。
不安だけど、頑張ったり勉強したりするのは
面倒だから、このまま年とるわ
誰かがどうにかしてくれるでしょ
ってのもOK。
社会人ですので
誰も怒りません。
不安な自分を不安じゃなくするために
自分の中身をギュウギュウに磨いていきます
どこに行っても、誰にとっても
どんな場に行っても
「あなたがいてくれないと困る」と思わせるような
私になる
という道を選ぶのもOK。
どっちをとってもいいんです。
自由です。
人は放置しておくと
不安に傾くもの、です。
それが、普通。
私は、不安という言葉がよぎる暇もないほど
何かをしていることが、好きです。
それが、習慣です。
不安な時=暇な時
と定義してるので、
私の中では
「ああ、このままじゃどうなるのかな?」なんてことが
頭によぎった瞬間には
「あ、私、止まっちゃってるのね」と思うことにしています。
止まっている時は
私は絶不調になるので
どんなにゆるやかでも、止まらないようにしています。
止まってる時に出会うのは
やはり、止まっている人。
止まっているので
同じところを何度もグルグル回って
不安な人。
不安で不安でしょうがないけど
とりあえず
さみしさや不安をまぎらわすために
今日という時間をなんとなく過ごす。
突っ込んだ話は
誰もせず、
当たり障りのない「関係」。
だから、つまらない。
魂揺さぶられるような瞬間も、ない。
「よっしゃ」と熱くなるようなことも、ない。
ただただ、退屈
ただただ、不安
長い長い時間です。
止まらないためには
つもストーブに薪を入れて
火を絶やさない感じです。
とろ火でもいいんです。
いつでもガンガン燃え滾ってなくてもいいんです。
一度火が消えると
またいちから火を起こすのが大変だから、です。
火が消えてしまって
心が止まってしまって
何をするやる気もなく
毎日なんとなく過ごすことが
どうしても嫌なんです。
性分なので、しょうがないんです。
知りたいことは山ほどあるし、
読みたいものもたくさんある
勉強しにいきたいこともあるし
子供をちゃんと育てたいなとも思う
院長の仕事をもっとうまくサポートして
「さっすが、マネージャー」と言われたいという願望もある。
きっと誰しもあると、思う。
「あなたがいてよかった」と言われて
誇らしいな,自分は、と思った瞬間が。
自分の中から
「自分ってなんか、いい感じ」って思った瞬間が。
何もできない自分よりも
何でもできる自分の方が
きっと使ってもらえるし
そばにいてくれたら得だと思ってもらえる
できないことがたくさんある自分より
あれもできるよ
これもできるよ
って自分の方が、心は自由です。
そして、不安ではなく
安定です。
誰かが必要としてくれてる
さらに、そこに対価が支払われる(←お金は大事です)
となると
鬼に金棒。
私、いっくらでも走れちゃいます。
不安な要素を減らしていくために
できることができる自分にしていくんです。
自分がこれだけできる!
っていうのじゃなく
人が自分を求めてくれる
ってのがひとつの指標です。
職場でいないといけない存在になる。
夫に
妻に
他に代わりがない存在だと、「強く思わせる」(^^)
彼氏に
彼女に
「この人じゃないとだめだ、この人についていきたい」
「この女じゃないと、他に代わりはない」
と、「強く思わせる」
友達に
「この子以上に、自分を大事にしてくれる人はいない」
と「強く思わせる」
そんなふうに
相手が、周囲が
強く自分を思ってくれる自分って
どんな人?
って考えていくと
やること結構でてくるもんです。
自分が相手を選んでいるようで
実は
選ばれています。
選んで頂いて、ます。
自分が相手を好きかどうか、じゃなく
相手は自分をどう思っているか?
必要としているか?
目からウロコの視点ですが、
私はそう考えた途端に
やることいきなりでてきて
大変でした。
おっと、間に合わない
おっと、生きてる間に間に合うか
って感じです。
自分にふさわしい相手を探すんじゃなく
理想とする人が
「ぜひ、あなたに一緒にいてほしい」と
強く強く欲してもらえるような
ものを提供できる自分に。
あの人いや
この人いや
あの職場いや
この職場いや
あの仕事いや
この仕事いや
あの客いや
この客いや
じゃなく
あなたがいい、と目がけて欲してくれるような
自分を作っていけば、
自分は不安じゃなくなります。
欲してくれる人が
たくさんいる
自分を求めてくれる人がいる
自分を必要としてくれる人がいる
これ以上の心の安定は
ないと思うんです。
わお、この人って愛されてるな
って思う人や
この人は職場で大事にされてるなあ
って人は
かならず
そういう雰囲気醸し出してます。
大事にされるには大事にされるような言葉、ふるまい、態度をしているんです。
可愛げがなくなると、感謝の気持ちを言葉に出さないようになると
もらえるものが、どんどん減ってくるんです。
男性が女性に
釣った魚に餌をやらないのには
ちゃんと理由が、あるんです。
釣られた魚として
「私を釣ってよかったでしょ?ね!長い目でみてお得だったでしょ?」と
強く思わせる何かを提供しないと
そりゃあ、私が男でも
釣った魚に餌はやりたくないものです。
時々、オヤジ化してる脳ミソの私なので
思考が男化してるので
よくわかるのです。
こんな女性なら
そりゃあ、餌もやりたくなるわな~
こんな女性なら
そりゃあ、一円もあげるの惜しくなるわな~
ってのが
明らかに
目に見えてわかるんです。
ここまで手の内を見せてくれているんだから、
お互いだましっこしあえば
楽しい男女関係
夫婦関係が築けるのではないか?
と勉強会ではいつも、そう、思います。
演技でもいいんです。
人は、自分を大事にしてくれて
受け入れてくれるところに
やっぱり、いたいと思うものなんです。
さて、次回母性型勉強会は
2015年7月28日(火)18時30分~20時半
場所:高松国際ホテルにて
会費:3,000円(食事代込み)
お問い合わせは
http://boseinomonosashi.com/study/