2010.09.30補う
先週ブログで「人と人との関わりの深い意味」で書きました。
書いてたものを読んで、自分で「そうそう、そうだよね」と気がつくことがあり
そんな自分に笑っています(笑)
書きながら、自問自答しているんでしょうね、きっと。
そういう意味でこのブログを書くことは、自分とのコミュニケーションができるのが
とてもいいツールです。
たまに、過激で、かつ、ひょっとしたら「それは違うだろう!」と思われるようなことも
たぶん、書いていますが、今、そう思うので、やっぱり書いておこうと思います。
1年前に書いたものを読み返すと「ふふふ、若いなあ、私」って思うということは
きっと今日書いたものも来月読むと「まだまだ、若いね」と思うんだと思います。
でもそれはそれで、いいのです。
人は死ぬまで進化すると思うので今日よりは明日、明日よりはあさって、
体験を通じて深まっていくものだと思います。
だから、昨日思っていたことが、実は違ってたじゃない!って思うことだって、あります。
ようは、昨日はそう思ったから、それでいいんだ、と思えるかどうか、だと思います。
それはたぶん、昔はあんなに好きだと言ってたのに、今は嫌いなんてっていう若い頃の
恋人同士の関係に似ています(笑)
成長するんだから、気持ちも変わるし、関係も変わるし、発言だって変わるのです。
文章は残るから怖い、と言っちゃえば、恐ろしくて何もかけません。
だって、その時はそう思ったんだもん♪と開き直ってしまうという手もあります(笑)
よく院長に
「あのさ、好きなこと言ったり書いたりしてさ、みんながどう考えるか?とかって
あんまり考えないわけ?」と昨日言われました(笑)
う~ん、どうだろう?って考えてみると
どちらかと言うと私は「みんながどう考えているのか」ということって実はどうでも
いいやってところが、あるんですね、きっと(笑)
だから、お前は駄目なんだ、と言われそうですが、自分が思ったり、感じたりしていることを
「これをやってみたらうまくいくかな?」とトライしてみるほうが好きです。
こう思うんだけど、こうしてみたらどうかな?と
勝手に仮説をたてて、そしてやってみて、うまくいったら喜んで
うまくいかなかったら、うまくいかなかった理由を考えてみる。
直感人間のようですが、結構やったことを後から図に書いて構造を考えてみたり
その経過を数字で追っていったりすることは、大好きなのです(^^)
なので、私の日記帳兼ノートは、ものすご~い数です。そしてお宝です。
あはは。
たとえば、
「中の体制を整え、患者さんとのコミュニケーションを満足度の高いものに変えていった結果、
どういう具合に新規の患者さんが増え、ご紹介いただける数が増えていくか、」といったことを
数字やデータで検証することも、実は大好きなのです。
意外でしょうか??
私がなぜそういうことに興味をもったかといえば、
女性には感覚的な話をしてもすぐに通じるのですが、こと、男性や組織の中にいる人に
話をする時には、手元に説得できる数字やデータがないといまいちピンときてもらえない、ということを
知ったから、です。
特に院長は数字が得意です。理数ですので(笑)
データに裏つけられたことが大好き。
なので、院長に何か話をしようとするときには、私は下準備をします。
夜中にシコシコとパソコンでデータを揃えます。
納得させるものを全部そろえて、カウンセリングルームに連れ込み(^^:)
「これこれこういうことをしたいんだけど」って話をします。
以前は、「ただ、いいと思うから」だけだったので、なかなか話が決まらなかったのですが
そういう準備をすることで、話がすーっと通っていく体験があり、その後はそうしています。
銀行の方などとお話をさせて頂くときも同じです。
あいまいなもの言いや、感情論では、「はあ?」という感じですのでなかなか
話が通じません。
長期的にどうやったらうまくやっていけるかな~って考えていくと
だんだんそんな知恵がついてくるんでしょうか?
どんな手段をとっても、「最終は自分の意見が通ればいい」ので、
伝わる方法はたくさん持っていたほうが、武器は多くていいです。
・・・・また、話が飛びましたね。
「人と人の関わりの深い意味」の続きです。
人は関わる人によって自分が変わっていく
そういう視点での人間関係ということを書きました。
付け加えることがありました。
人は大きく秀でている部分があればあるほど、同じだけ欠落している部分がある、
ということを書き忘れました。
人は優秀であればあるほど、同じだけ欠落している部分がある、そう思います。
完璧な人は、いません。
それは自分に置き換えればすぐ、わかります(笑)
完璧じゃないのは、自分じゃわかりますよね??
人間は大きく秀でている部分があるということは、同じだけ欠落している部分もあるということです。
優秀であれば優秀であるほど、同じだけ欠落している部分がある、いろいろな人を見ていてそう思います。
完璧な人はいません。
だから、その欠落しているところに焦点を当てられたとしたらその人は「ただの駄目な人」となってしまいますし、才能として秀でている部分に焦点を当てられたらその人は「才能がある人」となります。
才能と欠落はコインの裏表です。
その欠落している部分を補ってくれる存在がいてはじめてモノやコトは動いていきます。
そう考えた時、いかにその欠落した部分をうま~く補ってくれる人を探すか、そして見つけたならば、どうにかしてその人が自分から離れていかないようにすることができるか、にかかっている、そう思いませんか。
人との関係は鍵と鍵穴のようにピッタリ合った時、超人的な力を発揮すると思います。
どんなにいい人で優秀でも、その鍵穴が合わないとしたら、うまくはいきません。
今、当院にお越しくださる患者さんの多くが「院長の評判を聞いた」とまず第一におっしゃって下さいます。
その評判は、院長一人で作ったものでは、間違いなくありません。
院長の欠落を補ってくれている存在が多くいるから、院長の才能が際立っていき、多くの患者さんに支持して頂けるようになった、ということが正解です。
どんなに院長が「私は偉大なんだ!!!」と叫んだとしてもその才能の裏にある欠落した部分を補ってくれる存在なしでは、今日の診療も満足に行うことは、できないのです。
そして、その才能をすごい!と認めてくれる人がいないとしたなら
残念ながら、「ただのうるさい人」ですから(泣)
ここだけの話ですが(なっていないか?)、私は院長に対していわば、欠落している部分に
だけ焦点を当てている時期がありました。
その時期は、もう本当に面白いほど才能が花開かないのです(泣)
一生懸命やっても、からまわりの院長・・・・わかってくれないスタッフ達。
家でも職場でも欠点を責める嫁・・・ああ、可哀想。。。
一番の身内である私が院長の欠落した部分にのみ焦点があたっていたとしたら
それは当然、右へならえ、で中にいるスタッフも同じように院長を見ます。
ここ、重要なポイントなんです。
誰が、どこに焦点を当てるか?
で、本当に変わってしまうんです。
私にとっては、人との関係とは実は「互いの欠落を補いあう関係なんだ」ということに気がついたのは
院長のことも大きなきっかけです。
欠落した部分を補うように意識が向けば、相手はどんどん変わっていくんだということに
気がつき始めた時は、ちょっとした快感でしたね(笑)
そう考えると、私だって、このとんでもなく欠落した部分をみんなや院長にも補ってもらっていることに
気がつきます。
さらに、考えると、スタッフ同士も、欠落している部分をお互いが絶妙に
補い合っているのです。
な~んだ、そういうことか、と目からウロコです。
人がいかに人との関係性で影響されて生きているかってこと、怖いくらいです。
自分を支えてくれる存在のお陰で、自分の凹みが消え、自分の行きたい方向へ
歩かせてもらってると知れば、「いや~~実にありがたい」と思いませんか?
人に感謝しろ、なんて強要されなくても勝手に「ありがたい」って気持ちが
湧いてきます。
誰と、どう付き合っていくか、でその人が出している雰囲気まで変わっていくと
思います。
そういう意味で、あっけないといえばあっけないほど、変わっていくんです。
補い合う、という視点を持つと、職場の空気も少しは風通しのいいものになってきませんか?
カウンセラーの森下からみんなに豆腐を一丁づつ(^^) 田舎からお母さんが出てきて今朝一番で作ったものを持ってきて下さいました。 大豆の匂いがぷんぷん。 岩塩をふりかけ、頂きました。 甘いっ!!