吉本歯科医院

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母性型について

2016.05.02選んだものを「これを選んでよかった」と言っていく

OK.jpg
何かを買ったり
どこかに行ったり
何かを選び取った後、

「ああ、これを選んで良かった」
「買ってよかった」
「行ってよかった」
「こっちを選んでよかった」
と、
思い
さらに
あえて、「やってよかった、選んでよかった」と私は言ってます。


自分が使う言葉
何気なく使っている言葉で
自分がどっちの方向に行きたいのか
実は、決めているんです。


例えば、
何かを買った時、

欲しいっ!
と思って
「買おう」と思った瞬間は
興奮はマックスです。

そして
お金を払っている時も
興奮は覚めていません。


でも、お金を払ってしばらくすると
興奮もさめ
人によっては
「何もこんな高いもの買わなくてもよかったかな・・・」
と思ったりします。


モノを買う時だけでなく
なにかセミナーを受けようと思った時や
習い事をはじめようと、思った時も
同じです。


すでにお金を払って
なにかを選び取った後

「あーーーー、やっぱり買うんじゃなかった」
「あーー、いまいちだった」
「うーん、効果なかった」
「買わなきゃよかった」

って口にしてしまう。
これも実は
習慣です。

人の思考パターンです。


選んだものを
後悔するパターン。

こっちより
あっちの方がよかったんじゃないか、というパターン。


自分が選んだものより
選ばなかったあっちの方がよかったんじゃないかというパターン。


自分が選んだものより
あの人が選んだものが実はよかったんじゃないかと思うパターン。


これらみんな
その人の心の癖だし
その心の癖は
見事に言葉癖に表現されています。


私も、あるんです。
「あちゃ」と思う自分の言葉癖が。


いつも同じところで
同じ人に対する時に
特に顕著に出てくる言葉癖が、あるんです。



自分が選んだものすべてに対し
「OKだった」
言っていくこと。

「選んでよかったんだ」とあえて口にして
言っていくことで
その後続く、現実って
本当に変わるんです。


「買わなきゃよかった」
と言うか
「買ってよかった」
と言うか


どんなものでも
自分が選びきったものに対して
「よかった」
とにかくyes!
とにかくok!を
出していくこと。


自分が話した言葉を一番聞いているのは
自分自身。


自分に暗示をかけているのは
自分自身です。


毎日は
小さな選択の繰り返しです。
あっちいこうか
こっちいこうか
あの人と会おうか会うのやめておこうか
あの人に声かけようかそれとも目をあわさずに帰ろうか
あれ買おうかやめようか


無意識にやってることを
意識的にやってみる。


自分が選んでいるんだ
自分が決めたんだ

と、意識する

そして
自分が選んだもの
自分が決めたものに対しては

どんな小さなことでも
「私はこれを選んでよかった」と言っていく。
信じきっていく。


この繰り返しをしていくことで
自分の言葉癖って、変わるんです。


「あの人がいうから、したけど、だめだったわ」
というあの人のせい、という
一番苦しい思考パターンから
抜けることが、できる。


人間何が苦しいって
人のせいにしてもがいている渦中にいる時です。


私、実際苦しかったし、
今でも
身近な家族には
甘えもあるのか
「主人のせい」
「子供のせい」
「仕事が忙しすぎるせい」
って言ってしまったり
思ってしまいます。


でも、その時、私はとても苦しい。
心がちっとも晴れない。
快晴の空みても
どよんとした曇りにしか、見えない。
体調まで悪くなってくるんです。



心と体は本当にセットです。
笑っちゃうほど、ワンセット。
心が曇れば
肉体も曇るのです。
肌もくすむし、胃も痛くなる。



選んだものが本当によかったか、悪かったか
なんて、
誰にもわからないんです。
神様にしかわからない。

それがいいか悪いかを
決めているのは
自分です。



だから、自分でOkをあえて出していくんです。


あえて「ああ、よかった」の道を自分で選んでいくことで
本当に「ああ、こっちでよかった」と思っちゃうような出来事が起こっていくんです。
これ、本当です。


逆に
「ああ、買わなきゃよかった、これ失敗」
「ああ、この人やっぱダメだわ、会わなきゃよかった」
って言っちゃってると

現実に
買って失敗
会わなきゃよかった、失敗
という現実がまもなくやってくる。


3日以内にやってくる。はやいですよー。


自分がどんな言葉を使ってるかって
気になんてしないです。


でも、他人の言葉癖は目につきますよね?

「あの人のあの口癖どうにかなんないかしら!」
「なんで気が付かないんだろ?」
って目につきます。


でも、自分のことは
わからない。


一日録音でもしない限りわからない。
だから、なかなか自分のおちいってるパターンって気が付かないんです。


Aさんを選ぶか
Bさんを選ぶか


◯を買うか
△を買うか


自分で決めるんです。


「いいもの買ったな。私、よし、これで頑張るぞ」と思うか

「あーあ、なんかいまいち、これ高かったし、効果なさそう、失敗」と思うか。


どっちを選ぶかは
自分で決めるんです。


そして、
自分で決めるんだ
自分の未来を明るい方向に向けるために
自分はどっちを選ぼうか?と意識して決めるんです。


意識して決めないと
人間は
悪いほうへ
ネガティブなほうへ
搾取されたような気分の方へ
むかってしまう生き物なんです。


暗い方向へ向うのは簡単です。
ダラーっトしてたらあっという間。努力いりません。


でも、
自分の未来を、明日の毎日を
いい気分の方へ
明るい方へ
人が集まってくれる方へ
いいものがたくさんやってきそうな方へ
向わせたいという想いがあるなら
最初は力技で
「えいやあ!」と
無理矢理にでも
明るい方向へ舵を取っていくんです。


最初思い切り舵をとっていくと
後は、動き出すので
「あ、よし次もこうしよう」「次も」と
どんどん動き出すんです。


発する言葉が違ってくると
周囲の反応も違ってくるんです。



「あの人がいいって言ってな」
「あの人、あれやってすごくよさそう」
って姿を見て
周囲も同じようにやってみようと
思い始めるんです。


そうなってきたら
「ああ、やっぱり、私が選んだものはやっぱりよかったんだ」って
再確認を何度もするようになるので
やがて
確信に変わるんです。


そうやって
自分の中に
信じきる
確信が得られてくると
自分のココロの中は
ますます
満たされていくんです。


自分のココロのなかで
全部
自分の意識ひとつで
やってることです。


心の中の動きが
全部、自分の外にまで影響を及ぼしていくんです。


自分が選んだものに対して
徹底的にOkを出していくんです。



今、いろんな心の病気が増えてきてますが
それは
自分に起こる嫌なことや
辛いこと
キャパオーバーなこと
ストレスでいっぱいになってることに対して
もう一体このモヤモヤした悩みが
自分のどっから来てるのか
わけわかんないや
って時に
頭が「面倒くさい・・・もう、考えるの疲れた」ってなっちゃうんだと思うんです。


疲れた・・・・
ってなっていくとこまでいってしまって
吐き出す相手も場所もなかった時
人はあっけなく心が破綻します。


心が破綻すると
「ああ、もうつらい、苦しい、しんどい」
って闇の中にどっぷりです。
そして
とにかくこの状況から
「逃げたい」って穴に入っちゃうんです。
そうなると
心がもう内へうちへ入っちゃうので
トンネルの出口が
見えなくなっちゃう。



人は心からからになると
誰とも会いたくなくなってこもってしまうか
逆に
攻撃的になってしまうか、
ということが起こります。


どちらも、つらいです。


どこかから自分めがけて不幸がやってくる
自分にふりかかってくる
という認識は
しんどいです。


そう考えていると
「いつくる?」
「私にその不幸はいつ襲い掛かってくる?」と
見えない不幸
いつくるかわからない不幸に
びくびく
いらない心配ばかり、して
その心配だけで
精神疲労を起こしてしまうんです。


不幸が自分めがけてやってくるのではなく
「ああ、ダメだ、やっぱり不幸だ」と自分が思って自分がそう口に出していくことで
不幸が不幸を呼んでいってるんです。


類は本当に友を呼ぶんです。
同じ波調のもの同士でないと
長く続かない
長くうまくいかないのと同じです。


自分が出している波調に
ぴったり合う現実が
やってきているだけ、です。


その波調とは
別に精神世界のような不思議な話しではなく
その人がしゃべっていることがそのまますべて、なんです。


思っているから、その言葉が出るんです。
思っていないことは、無意識には出ないんです。



昨日子供たちとババ抜きしてました。
ババを引いたら「わ、ババや!!」と嘆くのではなく
「よし、ババきた!OK」と思っていくことで
心模様は変わるんです。


心模様が変わったと同時に
その後起こることも、変わるんです。


先に「何を話すか」
です。


「だめだ」と言うから、本当に「だめな」現実が起こるんです。

「よかった」と言うから、本当に「よかった」と思わず叫んじゃうような現実が
起こるんです。



言葉は大事です。


きれいにしゃべるとか
丁寧語とか、そういうことももちろん大事です。


でも
言葉は
自分が行きたい方向に舵取りをするための
大きな大きな武器でもあるんです。


ダメダメダメな言葉はダメダメダメな3日後の私を作り
「よかった」と話す私の言葉は
その日の午後からでも「よかった」と言いたくなるような現実を作るんです。



吉本歯科医院では、
定期的に
女性スタッフに対して
言葉で自分を立たせていく、
自分の意識ひとつで、表情まで
周囲の評価まで変えてしまうんだってことを
ミーティングで研修してます。


言葉がとても大事だから、です。

言葉ひとつで、人の人生あっけなく変わってしまうんです。


特に女性は、言葉が大事。

優しい言葉を使っていくことで
声をかけられた相手の心模様がどんどん変わっていくんです。


さっき、
うちの歯科衛生士さんが
私にこう言ってくれたんです。

「マネージャーがお昼にスープ作ってくれるようになって
いつも帰り際にお菓子買ってたんだけど、買わなくなった」って。

体の調子がいいって、
だから、「嬉しいです」って
声かけてくれたんです。


ちょっとしたことです。


でも、そのちょっとした一言があるかないかで
私などは
「よっし!!!もっと体にいいもの作って食べさせたいっ!」
という気持ちを引き出されてしまうんです。

そして
それを言ってくれた子が
もうかわくてしょうがなくなる。

単純です。
上司は部下に愛されたがってる。
これ、知ってました?


むっすーとしてる部長でも
イライラいってる社長でも
頑固で難しいあの課長でも
みんな部下に愛さたがっている。



部下に喜んで欲しがっている。
これ、知ってました?


ちなみに
男性は、女性に喜んで欲しがっているんだそうです。
賞賛の声を欲しがっているんだそうです。
あ、余談でしたね。



その一言で
「ああ、作っててて喜んでくれてうれしいな」
「もっと作りたいな」
「もっと喜んで欲しいな」
という自分の中にある気持ちが出てくるんです。


引き出させたのは
言った人のなにげない一言、です。


言った側は
なんの意識もなく言ったことかもしれない。


でも、その言葉を受け取った私は
「嬉しい」
「もっとしてあげたくなる」
というとっても気持ちのいいものを
受け取ることができるんです。


言葉は
目には見えませんが
ギフトです。


贈り物です。


いいものを
他人にあげよう
わざわざあげよう
欲しがってなくても
渡してみよう

そういう気持ちで使うんです。


ちょっと一言添えてみる。
添える一言は
「相手が嬉しい気持ちになるような一言」
添えてみる。


職場の中で
みんなが
その一言を仲間同士で
添えることができるようになったら
はっきりいって
研修も
規則も
いらないんです。


「言われなくても、あなたのためにしてあげたい、私が」
という気持ちを引き出しあうんです。


これって、最高なんです。


自分にちょうだいちょうだい
あれしてこれして
って要求してる時より

私があなたのために何かをしてあげたい
という心境の時。
人間、結構いい気持ちなんです。




優しい一言を添えようと
決めるのもやっぱり自分です。



母性のものさし 母性型へのシフト

次回母性型勉強会
2016年5月25日(水)です。

■日時:2016年5月25日(水)18時30分~21時
■場所:高松国際ホテルにて
■会費:3,000円(食事代込み)
■お申込は

2016.04.15どうやったらもっと仲良くなれるんだろう?

nakayoshi.jpg
香川県高松市の噛み合わせ専門歯科医院 吉本歯科医院のマネージャー吉本委子です。


普段あんまり会わない、慣れていない人がいるところに
行って話したり
食事したり
勉強会にでたり
習い事の集まりに行ったりする時って、

誰でも
緊張しますよね。

「吉本さんは、そんな緊張なんてしないでしょう」
とよく言われますが、
実はとっても緊張します。


緊張というのは
少し言葉が違うかもしれません。


正確に言えば
「知らない人の中に入って受け入れてもらえるかな」
「仲良くしてもらえるかな」
「楽しくその場を過ごせるかな」
という不安です。


人は、知らない人は、緊張するものです。
相手がどんな人がわからない時は
不安なんです。


どこかに出かけてて
その場で気持ちの交流がなされなかった時は
私は露骨にフラストレーションかかえて
家に帰ってくるそうで

「あ、あんまり楽しくなかったんや」
ってすぐに言われます。


家族は毎日私を見てるので
すぐに、わかるようです。
うちのスタッフも、
外から帰ってきた私に
「なんか、嫌なことあったんですねーーー(汗)」
言ってくれる時もある。
いかんですね。


私は自分の中で
はっきりわかっているんです。


どんな場なら、「あーー、楽しかったあ!!元気でた!!また行きたい!よっし、頑張ろう」って
なんだか明日も明後日もしあさっても
今日のこのいい感じがずっと続きそうな気になるかってことを。


逆に
こんな場にいったら
「あーー、確かに素晴らしいけど、
うーん、確かにに話は立派だったけど
なんか、なんでかわからないけど
言葉にできないけど
疲れたーーーー。
もう次行くのはよっこいしょがいるわーー、あーー、疲れた」
って気になるかってことを。


はっきりしてるんです。


ある日、
私はある会に行って
知らない人ばかり、でした。

知らない人ばかりなので
主催者の先生は
みんなの紹介をします。


その紹介が、まずしんどかった。

「この方は、◯◯会社の社長さんで
お子さんはあの有名な◯◯大学で。。。
さらに、ご自身でもこんな立派なことをされていて・・・」


つぎに
「この方は、◯◯病院の奥様で。。
子供さんはみなお医者さまになられたばかりで」


さらに
「この方にお父様はあの有名な。。。」


さらに
「この方のご主人はすごい大きな会社で成功されていて・・」


紹介された内容と同時に
ニコリと頭を下げて、
みんながそれに合わせてのにこりとする。


もちろん悪気もなく
そのまま事実ずばりなのですが、
この後、どうやって
仲良くなれるのか。。。
そんなコミュニケーションの方法を私は知りません。


素晴らしいところを
たくさん並べ立てられると
「はははあっそ、それは素晴らしい。。」
と確かに思うのですが、
それ以上は、もう近づけなくなるんです。


そんな中で
一人だけ
先生もどんな方かよく知らない方がいて
「ごめんなさい、自己紹介してください」って
自分で自己紹介した女性がいたんです。


「いやーー、みなさん立派過ぎて
私だけ、異端児ですな。あっはっは。

でも、私もこんな素敵な人の中でいい雰囲気をもらって
運をあげたいと思います。

はい、現在夫婦けんか真っ最中で
今朝も思春期の娘に「むかつくんだよっ」ってキレられちゃいました・・・。
そんなわけで、今日はかなり凹んでまして
今にいたります。

誰か、こんなわたしにアドバイスをくれる方がいたら
教えて下さい。
あ、今日は、誘ってくれて嬉しかったです。
また誘って下さい!」


はきはきした声で
しっかり目を見て。


その人が自己紹介した後から
場の空気が一気に変わりました。


きっと、
自己紹介する立派な文言を頭の中で用意してた人もいたはずなのですが。


「実は、うちもなの。今、子供が大変で、すっごい反抗期!なんでうちの子だけ?
って実はすっごく悩んでます」

「私も」
「実は私も」

って

たった一人が
空気を変えると
一気に変わるんです。
場の空気は。


人は、素晴らしい立派な話を
たくさん聞かされるより
「え?そうなの?そんな立派そうな、素敵なあなたでも
そんな悩みがあるの?そんな大変なこと乗り越えようとしてるの?」
っていう
いわば
負の部分をさらけてくれると
一気に心が近くなるんです。


「あ、私と一緒だ」
「わー、こんなになんの苦労もなさそうな人でも、つらい思いしてたんだ」
って相手の心の中身を知ると

なんだか一気に近くなる。
心が近くなってしまうんです。


逆に
あまりにも立派過ぎる学歴で
あまりにも立派過ぎるご職業で
あまりにも立派過ぎるご家族構成で
あまりにも立派過ぎるご趣味で
あまりにも立派過ぎるお子様で


という情報だけが、
表に出てしまって

その人の心の中身が
全然見えてない時は
その人の心の距離は遠いんです。


「私とは、違う人」
「まったく、心通じるところはない人」
と思ってしまうと
もうそれ以上仲良くなりようが、ないんです。


そして
そんなその人の外側の情報だけしかなくて
集まっている場は
とにかく疲れる。


心が通じてるなって
感じる瞬間って
目には見えませんが
たしかにあります。


しゃべっててて、
何時間でも一緒にいたくなったり
どんどん素の自分を出せたりする時って
それはとてもいい場なんです。


自分にとって
いわばマイナスの部分
心の中の部分
をさらけていけちゃう場は
いい場なんです。


そういう会は居心地いいし、
そういう人が集まってくる場はまた行きたいと思うので
何度でも足を運んじゃう。


誰だって、
仲良くなりたいです。
できれば、
うわっつらだけじゃなく
心通じ合えるなあって、関係を持ちたい。


そして、自分のことも好いてもらいたいし
相手のことも好きになったら
こんな嬉しいことは、ない。



私はやっぱり、何度もよく会う人とは
のっけから「お腹みせまくり」です。

お腹を先に見せちゃう。
パカッって、先に出しちゃうんです。
だから、相手もパカッて出しちゃう。

その瞬間から
その場は、一気に「一緒にいて楽しい」場に変わるんです。



いかに自分が素晴らしいかを
えんえん語られるよりも
その人が、今どんなことを抱えてて、どんな風に感じて
悩んでいたり、乗り越えようとしてたり
ってことを聴けたほうが
一気に心が近くなれるんです。



あえて、自分の恥ずかしい部分
失敗したこと
「そりゃあ、反省しなきゃいけませんな」っていう
マイナスのことを
先に自分から
開示してみる。


そのことによって
「私もね」
「実はね。私も」
と隣の人が
目の前の人が
どんどん心の中を少しづつ
出してきはじめるんです。



でも、どうしても
みんなの中にいて
自分を出せない
自分のマイナス部分を出すなんて
とてもできない
って人もいるんです。


それはきっと
他人を信じられないからかも、しれないんです。


もし、私がこんな恥ずかしいことを言ったり
うちあけたりしたら
それを聴いたあの人は
それを聴いたあの人も
自分のことを嫌いにならないかしら?
自分のことを変に思わないかしら?
そして
そんな弱い自分を見せてバカにされるんじゃないだろうか?



他人は疑ってかかるもの
他人に隙を見せたら、害される
という思いが心の中にあると
自分のマイナスのことを
自分からされけていく、なんて
こわくてとてもできません。


実際、私もずっと昔、できませんでしたから。
こわくて。

鎧ばっかりかぶって背負って
重くてしょうがない。


自分を強く見せなきゃ
自分の弱みを友達にさらす?は???
って、ずっと思ってました。
で、しんどかったし
苦しかったんです。


でも、なぜそうじゃなくなったかといえば
そばに
一番そばにいた人が
「びっくりするくらい、自己開示しまくる人」だったから、です。
もちろん
「そ、そんな恥ずかしいこと、あんた」
と当時の私が腰抜かすようなことでも
どんどん陽気に
私にうちあけるんです。


ある日気がついたんです。
私はなんでこの子が大好きなんだろう?
私はなんでこの子を信頼してるんだろう?
私はなんでこの子がそばにいてほしいんだろう?

って。


簡単でした。


全部まるごと
お腹見せて心の中も見せてくれるから、です。
私に対して
鎧がない。

作り物がない。


そのことに気が付いて
私は
その子の真似をしようと思ったんです。


勇気を出して
自分をさらけてみよう。
今までいえなかったことを
思い切って先に言ってみよう
恥ずかしいことでも
大声でさらーっと言ってみよう


そこからは
面白くてしょうがなかったです。




ああ、私、コミュニケーションの仕方
完全に間違ってましたわっ
って気が付いたです。



自分を強く見せようとしてた
自分をよく見せようとしてた
自分を賢く見せようとしてた
自分には悩みなんてないように見せようとしてた


もう、
真逆のこと
やってたんですね。



自分の心の中をどんどん
さらけていこう
って
先にお腹見せちゃおうって
思って
人に会ってると
すごく、楽なんです。


時に、「引かれてますな、これは・・」と思う瞬間はありますが
でも、それも
きっと自分の思い込みもあるんです。



「嫌われたかも」
「引かれたかも」
「連絡ないのは、もう嫌われたんだわ」
って勝手に妄想しちゃうのは
女性の癖、ですね。


でも、これも
たぶん、
思い込み90%です。


相手は
「単に、忙しい」だけ、のことがほとんどなんです。


「単に、今、熱中することが他にある」
だけ、なんです。



5、6人が集まって
みんながみんな
自分の素晴らしい話、
自分の自慢話
自分の成功談
自分の家族の立派な話を
出し合う3時間は
恐ろしく疲れます。


逆に
みんながみんな
「実は私こんなダメなことをしでかしちゃいましたーー!!誰か助けてー!!」
「ひーー、本当???でも、実は私もそれ、前にやらかしたのよーー」
「えーー。なんで言ってくれんかったん?実は私も・・・」
って
心出し合ってる3時間は
もう10時間でも平気なくらいの勢いに突入です。


これは
愚痴や泣き言を言うってことじゃなく
人は誰だって
心の中に
「いつもひっかっかってる悩み」があり
「いつもネックになってる案件」があり
そういう問題を抱えて
修行してる存在だから、です。


欠点も
失敗も
恥ずかしいことも
本当は先送りして悩んでいることも

ぜんぶ、
自分だけで抱え込んで
誰にも言わず
「隠しておこう」
となると、
いつか
爆発するんです。


小出しに
「ねえ、聞いて」って言える相手が
ここあちこにいれば
人間そうそう心は病まない。


言葉は本当に生もので
生きてます。


自分が話すちょっとした一言で
相手の心に触れたり
ちょっとした一言で
相手から「許せない」という気持ちを引き出したり
します。



心の根っこに
「仲良くなりたいんだ」ってのは
みんなあると思うんです。


私なんて、毎日思ってます。
家族とも仲良い方がいいし
できれば
親しき仲にも「優しい言葉あり」で過ごしたいです。


近い関係で
もめたり
さみしい思いしたりするの
嫌なんです。



コミュニケーションはどんどん進化してます。

鎧をかぶって背負って
「自分を大きく見せるんだ」っていう
コミュニケーションは
ちょっとしんどい。


女性は特に。
仲良くしたい、
手をつないで
みんなで心通じ合いたい。って気持ちが強い分
特に、コミュニケーションは大事です。



あえて、
先に
自分から
自分の欠点、
失敗談
恥ずかしいこと
私がドン引きされたあの事件
とか、なんでもいいんですけど
先に出していくことで
その場は絶対変わっていくんです。


立派すぎる集まりより
「あーー、なんか元気でター、心ほこほこするー」って場の方が
また行きたくなりますよね。


私がこういう「心の中身」の話を院長にすると
「言ってる言語の意味がわからん」とよく言われます(^^*)


それほど、
男性には
女性の「みんなの中で自分がどう思われているかが気になる」ってことに
意識がないのかもしれません。


だから、目的に向って
「行くぜ!」と邁進できるんでしょうね。
尊敬すべきところです。
なにせ私にはカケラもない、部分ですから。
尊敬すべき部分があると、
そのほかの「おそらく欠落しているであろう」部分は
全力で補おうという気持ちが湧いてくるのです。


男と女は本当、よくできてる。
まったく違うから
凹凸で「欠けた部分を補おう」という力や知恵が
どんどん湧いてくるんです。


仲良くなれるって
すごいことですよね。


一日に知らない人にも
もう知ってる人にも
たくさん会いますが
どんどん仲良くなっていけるとしたら
相当楽しい毎日です。



仲良くなるには
立派な外側を付け足す必要はなく
もうすでに中にあるものを
「えいっ」って思い切って出してみるだけ、なんです。



思い切って
さらけてみる。
そのことで、
びっくりするくらい
相手との関係がよくなったりします。


本当、コミュニケーションは生ものです。
生き物です。



2016.02.26禁じちゃうから、よけいに餓え渇くんです。

もうお腹いっぱい、ってくらいスキンシップしてもらった子供は
大人になってからちゃんと
人と関係を作ったり、
愛し愛されの関係を構築できたり
自分が無理しなくても、相手と楽な関係を普通に
築くことができるんです。
akins.jpg

もっといえば
たくさん抱きしめてもらった体験が自分の細胞のすみずみにまで
浸透していると
大人になってから
相手に異常なまでの愛情を求めないってことです。


もう無条件でかわいい
無条件でいとおしい
わが子って、そんな存在です。

母親の心が正常に機能していたら
もう食べちゃいたいくらいに可愛い。
チューしてたい
ほっぺかぶりつきたい
抱っこして目があったら
「もう、きゃわいこちゃんでちゅねええ!!ぶちゅうっ」
思わず目がフニュウってなって
頬すりすりしちゃってます。



寝る時は
ぴっとりくっついて
お母さんの皮膚にへばりつくようにして安心して寝る
一緒にお風呂 入って
嫌ってほど、ぴったり、くっついて。


スキンシップが大事。
子供は抱きしめて育てよう
母乳は何歳まででも飲ませよう

こんな風に
今、子育ての流れが戻ってきているのは
すごくいいことだと、思います。


理屈で言ってきかせよう
あんまり抱っこばかりすると自立心が育たないので
一人で寝させた方がいい
って流れは
ダメだった、ってことですね。


理屈で言ってきかせよう
という段階の前に
言葉以前に「愛されている、守られている」という
無条件の愛情光線ビームのシャワーがいるんです。
a13a15f867155fbead4889c2b182efe8_s.jpg
人間、その愛情光線ビームがたくさん注がれたら
「さ、聞こうか?」と耳の穴がパカっと開くのです。

大人でも同じです。


「あなたの話はききたくなーい」って
自分が思ってたら
どんなに理路整然と素晴らしいお話をされても
右から左です。


理屈より前に
安心したいんです。
信じたい。



なんでもそうですが、
さんざん甘えられて
さんざん抱きしめられて
もうお腹いっぱい、って満足して安心すると
すーっと、どこかに行けるようになるんです。

心がもう満足して
安心してるから。


お腹いっぱいだから、飢えてない。渇いてない。
だから、余裕ができるんです。
安心してるから、好奇心が湧いてくるんです。

でも、十分に甘えさせてもらえなかったり
抱きしめてもらえなかったり
優しい言葉をもらえなかったり
そのままだと
不安なので、
動けないんです。
nayamu.jpg

好きなとこ行っていいよ
好きなことしていいよ
って言われても
不安なので
動けない

もちろん自覚はないので自分ではわからないんです。
「なんで自分はこんなに気力もやる気もないんだろ?」って
不思議に思うだけで
自覚はない。



安全地帯であるべきエネルギー充電地で
もらえるべき愛情をもらえなかった。
心に入れて欲しかった「愛情」というものを
補給してもらえなかった。
そのぶん
頭の中に「知識」として
「こうしなきゃいけないよ」
「こうすべきだよ」
「あれはだめで、これもだめよ」
と規制事項はたくさん入れ込まれちゃった。



怖くて身動き取れない。


好奇心が発動しない。
恐怖心だけが、どんどん大きくなる



大人になった時
周囲を見回してみて

どんどん興味が広がって
どんどん深めていって毎日楽しそうにしてて
楽に人と付き合っていける人がいます。



逆に、
「やりたいことが見つけられない」
「興味もってもすぐ飽きる」
「熱くなれない」
で、人との距離の取り方に悩む人がいます。


根っこが安心してると
好奇心が発動するんです。
根っこが不安だと
恐怖がどんどん大きくなって身動き取れなくなるんです。

不安なので
好奇心どころでは、ない

好奇心は
安心感が潤沢に満たされてはじめて
発動するしろものであり、
不安で恐怖でいっぱいな時に
「わくわく、どきどき」ってないんです。


わくわくしましょう
好きなことしましょう
って言われても
できないんです。
根っこの不安が恐怖が大きすぎて。
動けない。


安心するから、
その人のいい面優しい面が表に出てくるんです。
不安な時は
その人から怒りや不満を引き出すんです。


だから、安心感が大事。
職場も家とまったく同じ。
人間なので、同じなんです。
私達は機械じゃないから、です。



午前中、患者さんが
小さな赤ちゃんを抱っこしてお越しになってて
その子の目がもうキラキラしてかわいくって
その子を見てるお母さんの目もまた
「いとおしいんだ、かわいいんだ」ってビームが出てて
そのビームがその子にも伝わっていってるのが
見えちゃってました。


お母さんが心に余裕があるので
子供を見つめてるまなざしが本当に「愛」ってビームで
これ本当に子供の細胞の隅々にまで浸透していくんです。

それが、その子が生きていく上での
栄養の源になり、
「人は信じられる存在なんだ」って原点になる。
そこが根っこです。


ここがカツカツで渇き切ってると
大人になってからも
「人は信じられない。だから、自分でちゃんとしなきゃ。
お金ためなきゃ。老後は一人でなんとかしなきゃいけないんだから。
誰も頼れないんだから。誰も助けてなんてくれないんだから。
人は信用できないんだから。頑張らない人は、ダメ。自業自得。」
って思考にどうしてもなっちゃう。


そう頭で思ってるので
本当にその通りの現実がやってくる、ということに
なっちゃうんです。


いいこと予想してる人は、その通りの現実がやっぱりやってくるし
悪いことを予想してる人は、その通りの現実がやっぱりやってくるのです。


たった一人で
生きてかなきゃ
って思い込んじゃってるので
頼るのが苦手。
甘えるのが苦手。


立派すぎて
息キレするんです。


お母さんは
無条件で、わが子を
「いとおしくってしょうがない、まさに目に入れても痛くない状態」
で育てていくんです。


そして小さい
まだ何もわからない
頭の中に「考え」が入っていない時期が
とてもとても大事。


「◯◯ちゃん、きちんとしなさい!」
って理屈で言われて理解できるまだ前の段階。


無条件に、愛される
素晴らしくなくっても
勉強ができなくても
運動ができなくても
やんちゃでも

もう100%無条件に徹底的に愛されつくすから
もうお腹いっぱいになるんです。


3つ子の魂100まで
って、今はそれを言うと怒られることにもなるらしいですが
私はもうどう考えてもあるだろうな、と思います。


幼児期に十分に甘えられていない
抱きしめてもらえる、無条件でギューってしてもらえている
皮膚感覚が自分の中にないと、
大人になった時、
絶対に人との関係の中でそこが出てくるんです。


特に恋愛関係
夫婦関係になった時、
「そこまではさすがに僕もできませんよ」
「いくら主人でもそこまで私に求められても無理ですっ」
ってことを
要求しはじめる。


異常なまでに
愛情を求める。


時に
「甘え」という出方で
時に
「怒り」という出方で
相手に
「なんで、私の言うとおりにしてくれないのよっ」
「なんで、俺のいうことに従わないんだっ」
って、逆上するんです。


甘えとしての要求を呑んでくれない場合には
もう許せないとばかりに
怒りだす。


それ、旦那さんや、奥さんに求めることじゃあ
ありませんから。

それ、幼少期に自分が満たされなかった穴を
この関係で満たそうとしてるだけですから。

ってことなんですが
毎日繰り返されると
悲劇です。


自分で「ああ、自分の問題なんだ、自分の小さい頃からの心の習慣なんだ」って心底気がつくまで永遠に同じ人間関係が繰り返されるんです。



楽しいことや
嬉しいことや
気持ちいいことがあると
「いけないいけない」って自分を規制にかかる女性って
多いんです。


楽しいこと=いけないこと

楽しんじゃいけないんです。
自分が楽しんでると
罪悪感でいっぱいになる。


自分が、「私、これ、やりたい!!」って自分の中から出てくる
欲求に忠実になると
すぐに
「でも、やっぱりだめ。自分の好きなことばかりしてると人間だめになる」
とか、
意味わかんないことで
すぐストップかけちゃう人って、多いんです。


あれ??
あんなに楽しそうにしてたのに?
あれ?
やってみるって言ってたのに?


しないんだ。
やめちゃうんだ。


と思う瞬間はよくあります。



ある種の女性の中に骨の髄までしみこんでいる
「きちんとしなきゃいけない」
というものが、自分で自分の背中の羽をもぎとっているんです。



奥さんが外で楽しんで家に帰ってくると
ご主人が不機嫌な顔で待ってるって、よくあります。
女性の中で「わかるわかるーー」ってよく出る話題。


奥さん、これ、実はものすごく嫌なんですが、
奥さん自身も
そこで思うんです。
思い込んじゃうんです。

「私が外で楽しんできたこと」=いけないこと
「私が外で勉強してきて嬉しかったこと」=たいしたことないこと
とインプットされちゃうんです。



「ああ!楽しかった!!すっごい勉強になったーー!!」って
ご機嫌で奥さん帰ってきたら
「よかったね」って、余裕で言ってやれるご主人は
相当器大きいです。


女性は、まだまだ
解放なんてされてないです。
自由になったとはいえ
仕事もできるようになったとはいえ
自分で自分を縛るのが上手


「こんなことしてる私はだめな女」
「こんなことできない私はダメな母親」
ダメだしが上手。


自分でやってることなので
自爆です。



せっかくもらった
この魂つきのこの肉体。
血が流れ
心臓も動いてるんです。
で、意識ひとつで
なにもかも、かえることができちゃうんです。


自分が、自分をどう思うか、です。
自分の頭の中にどんな世界を持ってるか、なんです。


私のやることには
制限がある
って思ってる人には
何やっても制限だらけです。
できないことだらけ。
現実無理!
って思ってるから、本当に無理なんです。


過去もそうだったから
これからも、たいしたことない、って自分の頭でそう思ってたら
その通りの現実がまもなくやってきます。
間違いない。


たった今
この瞬間に
「ようっしっ、私はうんとハッピーなものつかみにいっちゃうぞ」
って思い始めたら
頭の中の止まってた回路全部開きだすんです。


はっ、こうしちゃいられない!
って思った瞬間に、すぐに、です。


頭の中で
思う
思った瞬間から
一気に変わっていくんです。


私は、いつもそう思ってて
何か新しい「欲求」が湧き上がってきた時
「よっしい!!これ、やりたーい、こうしたーい!」って思ったら
脳みそのどっか違う部分がギュインって動いてるのが
わかるんです。


だから先に
まず
「思う」ってことが大事。
思ったら、その火を消さないこと。
「いけない、そんな楽しいこと・・・」って自分を制御しないこと、です。


規制しちゃダメです。
なんでもかんでも、禁じすぎちゃだめ。


規制しすぎないために
「こうであるべき論」をふりかざす人から
距離を置くんです。


苦しい人
息苦しい人は
絶対、近くに
そう思わせるような人がそばにいます。
絶対、いるんです。
離れられない関係に、いるんです。


家族や
夫婦で
離れられない関係なら、
逆に自分がその人より
強くならなきゃだめです。

影響受けるばっかりの受け身でいたら
自分が死んじゃう。


「こういわれてつらいーー」
「こう言われて私が影響うけたー」って
受け身になってちゃ駄目です。
その人よりも
うわてにいく。

その人よりも
強くなる


その人が大きい声で
言ってくるなら
倍の大きさの声で
返しとく。
負けちゃだめなんです。


自分の元気を奪ってるのは
一番は自分自身なんです。
自分の頭の中。
そして「考え方」


元気がなくなるような
不安になるような
将来が暗くなるような
言葉を発しているはずなんです。
無意識に。
自分も
よく話をするあの人も。


世間のために生きちゃうと
女の人は、腐るんです。
他人の目のために生きると
心も病んでいくんです。


で、その世間の目は
自分が勝手に作った思い込みなので
そのフィルターでまた自分も社会を見て
人を見るのです。

人の心と触れ合えっこないんです。



「私は、どうしたいのかしら?」
そもそも
それをもう感じるセンサーが
壊れちゃう。
「こうでないといけない」
「こうあるべき」
「世間様が許さない」
「世間から見て恥ずかしい」
それが全ての価値っていう親に育てられると
子供もセンサー壊れちゃう。


私、これがやりたい
これをしてる時、時間を忘れる!
あの人みたいになりたい!
あんな世界に行ってみたい!
これを知りたい、もっと知りたい!

そんな自分の中から
むくむくともう溢れるほど湧いてくる時
人間、もうたまんない嬉しくって
「ああ、生きてるってすごい」
「おかあさん、神様、産んでくれてありがと!」って気持ちに
心底なるんです。
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そういう時は
絶対
頭で考えてない。
「こうしたら、こうなるから、ええっと」って
絶対考えてないんです。


ピッときて、はっとして、グインって動き始めた時です。
なんのことやらわかりませんが、
そうとしか書きようがありません。、、




私、いつも思うんですけど、
セクハラ、とかって言葉が出てきてから
おかしくなった。
なんか妙です。


人もおかしくなったし
男の女も歪(いびつ)になった
そう、思います。



妙にびくびくするようになった。
これをしたらどうなるだろう?
「セクハラ」と言われたら・。・・・
って妙にビクビクするようになって
言葉や態度が
おかしくなった。

堂々としてないから、見てておかしい。


なぜ違和感を感じるかっていうと
「ここで声かけたり、近づいたりしたら
変に思われたり誤解されたりするかな」って
考えているのが
見えるから、です。


あれしちゃいけない
これしちゃいけない
あれもだめ
これもだめ
って頭の中で自分を縛りだすと
禁じたぶんだけ、その禁じたものが多ければ多いほど
余計に我慢してるぶん渇くんです、飢えるんです。


ですよね?
ダメだ、ダメだといわれると
逆にどうしても
欲しくなる


規制するから、よけい反動が大きくなるんです。
禁止するから、余計に溜まるんです。


堅い職業の方が
なんでそんな事件を???

っていうことが後を絶たないのは
規制してるから、です。

自分で自分の頭を。


「こうでないといけない自分」をがっちり
作りこんじゃったらから、
何かの瞬間、お酒が入ったり
緩んだ瞬間に、今度ははどめがきかない。
たまってるから、です。
我慢したものが、ドッカンになるんです。



人間、人に甘えたい
大丈夫よと、言って欲しい
優しくして欲しい
抱きしめてほしい
人肌があったかくて気持ちいい
ほっとしたい
この人だけは、絶対安心って人が欲しい


これ、あたりまえ
全然恥ずかしいことじゃないし
一人で生きてるようでも
誰かに助けてもらわないと生きてけない。


だから、人と仲良くなりたいし
近く感じたい
心通じ合わせたいんです。
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だから、
ポーンとそれを打ち明けられちゃう人から
好かれていくし
お腹を見せられちゃうと一気に距離が縮まるんです。


お腹を見せられない関係だから
信じられない
どこかそらぞらしい

だから、さみしいんです。


心細くなったら
声が聴きたいし
弱ってる時には
励ましてくれる人の声がありがたい
それが、普通。あたりまえ。
恥ずかしいことじゃない。


それを
恥ずかしい
とか
俺様のプライドが
って・・・・。

それは
大の男だろうが
おじいちゃんだろうが
キャリアウーマンだろうが
学校の先生だろうが
大きな会社の役員様だろうが

同じです。


甘えられるところがなくなると
どこかで歪になるんです。

妙に、奥さんにイライラあたったり
子供に手出したり
部下にどなったり
世の中おかしいとか、異常に旗揚げたり


人はどっかで
規制して禁じて我慢してるものを
爆発させちゃうんです。


禁じちゃうから、よけいそのぶん
飢えちゃうんです。
渇き始めるんです。
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抱きしめてもらえること、自分が抱きしめることが
日常の中で「あたりまえ」になってたら
ここまで歪なことには、
ならないんです。


手も握らない
距離も遠い
そんな遠い距離で
相手の情報だけが頭に入り
値踏みしあっている関係は、人間を消耗させるんです。
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「あ、この人、いい」
「あ、なんか、好き」
気がついたら、近づいてた。

こんな感覚がちゃんと育っている人は
社会に出ても
すごく楽チンに仕事もしていけますし、
なにより、人との関係がスムーズです。



言葉と言葉はどこまでも
ぶつかりあうんです。
限界が、ある。

わかりあえない。


ハグした途端に緩むんです。
人間そんなもの、です。
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家の中や
職場や
仲良くなりたい人とたくさんハグしてたら
私、かなり元気です。


どんな美容液よりも、効きそうじゃないですか?




2016.02.22親が仲悪くて離婚なんてしちゃうから私は不幸なんだって思っていました

人は、頭の中をガラリ矯正しちゃうと
本当に変わると、思うんです。
歯も同じですね。
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私、高校卒業する頃まで
ずっと
私がこんなに生きるのがしんどくて
なんだかだるくって
友達とうまくやれなくて
お調子もので
自分なんてつまんない人間だって
そう思う原因は

親が仲が悪くて、家の中いつも緊張感&不安でいっぱいで
ついには離婚なんてしちゃうから

それこそが原因で
だから
私は今、不幸に違いない
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だから、私はかわいそう


ってずっと思っていました。
頭の中は
そのスパイラルで
その思考回路から抜けれない。


抜けれないのは
まさか
そんな思考回路を自分が持っているってことさえ自分が知らないし
誰もそんなこと教えてくれないし
違う思考回路があるんだよっ
違う考え方があるんだよっ
っていうことを知るよしもなく
教えてくれる人もなかったんです。

18、19歳いやいや
成人式くらいまでこんな感じだったので
私の当時の思い出は
グレーなものばかり。
写真の中で笑ってる自分の顔みても
思い出すのは
「ああ、笑ってるけど心で泣いて怒ってたんよねこの頃」ってことしか
思い出せないほど、ジメーッと心の中はしてたんです。


でも
お調子もので
人の顔色うかがうのはピカイチだったので(みじめで泣けてくるけど)
空気を読んで
「あ、空気悪い、盛り上げなきゃ」
「あ、いかん、あの人機嫌悪い、ご機嫌あげなきゃ」
ってことは
必死でした。
あーしんど。



これって、最近知ったんですけど
小さい頃
父親と祖父がすぐ怒鳴って怒って
手がつけられない環境に育つと
「あ、機嫌悪くなる」
「あ、怒り出す」って空気に異常なまでに
敏感になっちゃうんです。
そんなとこ
研ぎ澄ましたくないですよね、普通。



よく母親にもシテキされることは
「あなた、いらない神経遣いすぎよー」

とにかく
見事に不要な神経遣わない母からみると
私は、異常に見えるそうです。
そんな母の太さが私はうらやましいけど
まだその域までは
30年くらいかかりそうです。


ぶっすう
って顔してると
私はすぐ
怒鳴られたりしてたので
必要以上に笑ってた(面白くないのに)のは
「これ以上怒鳴られないための防衛本能」だったんですね。


幼少期にしっかり細胞にしみこんだ
「怒鳴られる&怒られる恐怖」
その後、大人になってからは
「大声で怒鳴らないだけで、かなりいい人」
「感情の起伏がなく穏やかな人」となるともう最高レベルに素敵な人
「お酒飲んで怒鳴らないだけ人」なだけで、かなり人格者。


結構低め設定の私のハードルらしいですが、
怒鳴らない
怒らない
感情でものを言わない
人は、
もうそれだけで
す、て、き☆

ね、ちょっと壊れてますよねー。


なにせ
結婚してから
一番嬉しかったのは
「わー、この人怒鳴らないわ、しかも怒らないし
感情的にならないし、
それにお酒飲んで手も上げないし、
包丁も飛んでこないーーー。すっごい、いい人やん。
私って、しあわせもの???」


何をしてくれなくても
怒鳴らないだけで
家の中で子供に感情的に怒ったりしないだけで
もう、なんて素敵なだんなさま☆


家庭サービスなんて、いいです。
プレゼントなんて、いいです。
優しい言葉も、いいです。
気配りも、いいです。


家の中が
おだやか。。。。。


これこそが、
私にとってはミラクル
私にとっては宝物
私にとっては最高の居場所



ピリピリして
父親の顔色うかがって
いつ怒鳴られるかわからない
いつ戦争がはじまるかもしれない
小さな3LDKで10年ちかく過ごしていると
子供心に
過剰な防衛反応が身につくんです。



過ぎてしまえば
すべて、
私の幼稚な受け止め方だったし
父もその時で大変だったろうし
母もその時必死だったろうし
家族みんなが余裕がなくて
世間の目と家族のイライラのはざまで
いっぱいいっぱいだったんだろうなってことは
今は、よーくわかるんです。

自分も家庭をもって
理想のお母さんをやろうと思っても
心が追いつかない
余裕がない
いっぱいいっぱいで
つい「出ちゃう嫌な言葉」の数々。


40過ぎてこのざまは何???
と時々自分にビックリするんですが
まあ、しょうがない。
子供はよく見てます。
私が親をよく見ていたように。



あの人のせいで
環境のせいで
で、今の私がかわいそう
で、今の私が不幸
って思っている限り

あの人や
環境が
変わってくれない限り
私は永遠に不幸、なんです。
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あの人や
環境や
両親は
私がどう頑張っても
どうしようもないこと。


私が頑張ったところで
変わらない要素ばかり。


親がもっといい環境を与えてくれてたら
◯◯ちゃん家みたいに仲のいい両親だったら
こんな閉塞感のある家じゃなかったら

もう全部
「◯◯さえ、なかったら、私はもっとよかった」
「◯◯さえ、あったら、私はもっともっと」

心底そう思ってたし
その不満を吐き出す術も言葉も
持ち合わせていなかったので
とにかく
もんもん
とグレーな青春時代をすごしていたのです。

だから
頭の中が変わる
ってすごいことだと、思うんです私。


あのままずっと
「親のせいで」「環境のせいで」って生きてたら
もうずっとあのまま被害者意識もって
自分に起こる不快な出来事ぜんぶ

私の外側に原因があって
何もしてない善良な「わたくし」のもとに
いきなり
相手から悪いことをぶつけれた
ひどいっ

という思考回路になっていたと思うから、です。


この回路は不幸です。
この回路はしんどいです。


実際すっごくしんどかったし
さびしかったし
頭も痛かったし
たしか「自律神経失調症気味です」なんて
言われてました。
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人が変わるのは
やっぱり、
その時、誰かに出会ってるんです。


誰かによって
自分の幼稚さを初めて恥ずかしいと思い
「げっ、単にいい訳してたんだ私」って気がつき
「今の段階までの自分なんて全捨てでいい。
とにかく何もかもを全部変えるんだ」って頭で思った時には
もう何もかも動きが変わってました。


親のせい
環境のせい
周りのせい
ついでに
時代のせい
って思ってる時には
見えなかった世界です。



でも、20年近く「私が面白くないのは誰かのせい」で生きてたので
いきなり矯正することがすごくキツイんです。


キツイけど
そのちょっと前の自分に戻るのは
もっとイや
もっとキツイ
そんなのは、もう二度とイヤ。


あっちもキツイ
こっちもキツイ


絶対人のせいにしない人の後にくっついて
絶対環境のせいにしない人とたくさん話をして
頭の中を大矯正。


しばらくすると
頭が切り替わっていました。


そうすると、
すっごく、今までの時間がもったいなくなったんです。


私、何してたんだろ
あんなとここもって
もじもじして
来るはずもない何かや誰かを待って
何してたんだろ
ちっとも動かないで
ああ、もったいない。

そっからこっちはもう
「親のせいで、私はずっと不幸」なんて
みじん、も思わなくなりましたし、
父はもう亡くなりましたが
生きてる間は
さんざん悪者扱いしてたので
お墓の前では
「ごめん」
といつもお墓に手合わせてるし
母には
「もう、残りの人生は好きなように生きてちょうだい」と
楽しいことだけやってほしいなあって思ってます。


今の感情の原因は
自分以外の誰かや環境だと思っていると
いつまでも、同じなんです。


今の感情の原因は
全部自分の内っかわにその種があるんだって
知ってると
自分の中をのぞいていけば、
すぐに解決できるんです。


外側のことで、私が不幸なら
もうどうしようも手がつけられないけど
内側のことなら
私はいますぐにでも
いくらでもどうにでもできる。


いますぐご機嫌にだってなれるんです。



自分でどうにでもできる
って方向にもっていけると
「なんか、私ってすばらしくない??」って
感が満ちてくるんです。


これがいわゆる
自己重要感ってものでしょうか?
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他人によってすぐに害される自分
他人の言葉によってすぐ傷つく自分
他人と比べて自分が「ない」ことを比較して落ち込む自分
そうやって
人はどんどん
「私って、ダメかも」が増していくんです。

心が病気になっていくんです。


自分がすぐにへこんだり
自分がすぐに落ち込んだり
自分が傷ついたりすることは
生まれつきでは、ないんです。


傷つきやすい遺伝子とか
へこみやすい染色体だとか
そういうんじゃなくて
小さい頃から
刷り込まれた
見たもの
聞いたものから
それをみて
「自分がどう思ったか」
自分のクセが作られてるんです。

私と同じものを見て聞いたはずの
兄はまた違う受け止め方をしてますので
その人がその事実をどう
受け止めたか?なんです。



私、「これは一生続くんだ」ってずっとそう思ってましたが
単なる「クセ」だったんだ、って今はあっけなく思います、

なんだ、
「クセ」か。


トイレのフタを毎回閉める「クセ」です。
フタを開けっ放しにしておくのも「クセ」です。
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「クセ」は意識してやろう、と決めて
パタリ閉めることを今日も明日も明後日も繰り返すだけ。


あの人のせいで私は・・・くっそおおーーー傷ついた^---

って思ったら
そう言いそうになったら


ぐっとその言葉を飲み込んでみるんです。


そして
言葉を変えてみる。


「あの人のせいで」
っていう意識って
どんどん大きくなるんです。
自分の中で。巨大化する。

そうなってくると
もう何見ても
腹が立つ
誰に会っても
なんだか自分だけが損してるような気がしてくる

本当は目の前に
平等にいいものがたくさん落ちてても
「あの人のせいでー」につかまってて
いいもの全然見つけることができなくなっちゃうんです。


自分が意識してるものしか
人は掴むことができないんです。
自分が何をずっと考えてて
何を掴みたいと思っているかによって
どこを目がけて指さしてるか
自分にやってくるもの
目に入ってくるもの
全然違っちゃうんです。
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「あの人のせいで私は不幸」ってことずっと頭の中に思ってると
近い将来も必ず
明日も必ず
同じセリフを吐かないといけないような出来事が自分の目の前に起こるんです。
そうなってるんです。



今日自分に起こってることは
過去に全部自分が種を蒔いてることばかり。

「そんなわきゃあない」
と思っても
人を見てると
「ああ、その通り」ということがわかるんです。


淡々と着実に地味だけど
仕事を重ねてる人は
確実にその芽が出てくる。
種まいてない人は、何も出ない。


100万円手元にあったとして
その100万円を、自分の中身を磨くもの、勉強代に投資した人と
一発当ててやろーーって使った人では
残るものは
自分の中身に入れ込んだ人の方が倍々になっていくんです。


さっき、たまたま
来られたある営業の方とお話してた時のこと。
その男性36歳。

以前お仕事お願いした時、
すっごく丁寧にして下さったので
またお願いしたんです。


小さい小さいお仕事ですが、
すごく丁寧に。


ちっさい仕事も大きい仕事も
関係ないんです。
一緒なんです。

そう、おっしゃってました。


って、「その通り、実際にやって下さってるな」と
私、感じたので
こうやって、また、お願いしてる。


丁寧に、淡々と
種を蒔いてるんです。


不幸な自分がいきなり環境や劇的な出会いで
人間関係が急変し、
ハッピーな場所へ
安心できる場所へ
連れて行ってくれる
・・・そう、そんなうまい話はない、と人間思いながらも
それを夢みてしまうんです。


でも、その邪まな考えが頭の中にたくさんある時って
人間面白いほど、「カス」掴んじゃうんです。


ある日突然誰かが・・・・
ある日突然いい話が・・・


ない、です。


その頭に浸っている限り、ないんです。

で、そんなこと思いもしないほど
夢中で仕事でもしてる時、
ひょこっと、「え?本当?いいの?」っていうような
嬉しい話がきたりする。


全部、自分の中に問いかけていけば
今日のこのご機嫌は維持できちゃうんです。


今日維持できてることは
明日も維持できる。


今日も不機嫌だと
明日も「不機嫌を維持するような」出来事が
ずーっと続くんです。
慣性の法則。



10年後も笑ってる方向の道を
あえて「私は、こっちの道で」って宣言しちゃって
あえて
そっちに足を向けちゃう。
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ほうっておくと
何も考えず歩いちゃうと
どうしても
10年後、私一体どうなるの?
10年後、ひとりぼっちじゃないの?
10年後、ボロボロじゃないの?
10年後、あああああ・・・
ってことしか考えられないように
なってるんです。


10年後、確実に「笑ってる私」の道に行くには
もう最初は
ちからわざ

で、わざわざ
足をよっこいしょと出すしか、ないんです。

無理矢理矯正するぞって、決めちゃうんです。
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今日のメインは「いも」
ごろごろたくさん入れてみちゃいました。
雑穀を入れて煮込むと
ほどよいとろみができて
腹持ちもいい。

鶏肉はほろほろに溶けてます。
うーん、上出来。


フランスパンがよく合いました。

2016.02.18先に信じる

こうしたら、うまくいくから、やってごらん
これやってると、良くなっていくよ

って教えてもらったことを
すぐに、信じて
すぐに、やる。
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それをやって、本当によくなるの?
よくなる保証なんてあるの?
実際によくなったなら、するけど。


ではなく、
すぐに
信じて
すぐに
やる。


私の周りには
自分で決め事してて
必ずそれをやってる人が
結構います。


自分で勝手に「これはいい」と決めて
勝手に「信じて」
やってること。


うまくいく人は
「こうしたらうまくいくよ」って教えてもらったことを
「そうか」ってすぐ信じてやってるんです。


これをしてどうなる?
ほんとう~??
そんな非科学的なこと~???
それをする理由は?

とかそっちのけで
もう
すぐに
やる



「これをしてどうなる?ほんま~?」って人は
それをしててすごくいいことが起こったって人の話を聞いて
慌てて急いで、やってみる。

遅いのと、
ぱっと信じてやってないので
損得勘定だけで
「じゃ、自分もやろ」って動きなので
実際いいこと、起こらない。



信じて
すぐ
やる
って頭になってる時は
もう自分の頭の中は
「期待してる」し
「わくわく」してるし
「きっとよくなる」って
思い込んでるんです。


未来がすごくよくなる
って勝手に脳が期待してワクワクしちゃってる。


そんな状態になっちゃってるから、
その高い周波数に引き寄せられ
本当に、「うまくいく」ような出来事が
起こっちゃう。
私は、本当にそう思う。
次々と。



つべこべ言わずに
信じて
やる


いいかどうかは
やってから
考えても遅くないんです。


でも、
信じて
すぐ
やってる人は
もうすでに
その行為が「いいか」「悪いか」「得か」「損か」
なんてことは
思いもしなくなってるんです。


ぱっといいこと聞いて
信じて
すぐ
やる
すぐ取り掛かる
なんでもすぐやってみる



うまくいってる時は
絶対その前に
「それを信じた、もうすでに信じちゃってた私」ってのを
通過してるんです。



それを信じちゃう状況
とか
その人がいうから
とか
いろいろあると思うんですが

すっと
信じて
やれてる自分に対して
「いいな、自分って」
と思えることだけでも
もうけもの、なんです。

2016.02.08自分の弱みをさらけだすことは、恥ずかしい

今は、他人に相談できない時代です。
愚痴は言えるけど
心の中の「ここが満たされたい」ってことを、
誰にも言えないけど
実は本当は「そこ」が一番満たされないってことは
言えないんです。


他人に相談する
ということは
自分の弱点弱みを他人にばらしてしまうことだ
と思っているので
それは、恥ずかしい
だから、言わない言えない
という人がとっても多い時代。


普段会っている友達や家族や知り合いには
あたりさわりのないことしか言えず、
顔も見たことないような遠くの人や
ネット上で見つけた先生のような人に
自分の内なる悩みを
打ち明けてしまう、ことが多いんです。


よく会っているけど
気楽に頼れない
甘えられない
自分の弱みをされけることができない
鎧をきてない自分を見せることができない
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そんな毎日が続いてしまうと
心は不安定になるんです。
しょうがない。
人間そうなってるんです。


弱みを見せる
困っていることを
「誰か助けてよ」ってことを
誰かに相談していくことで
びっくりするくらい
あっけなく
親身になって相談にのってくれたり
具体的な方法を教えてくれたり
すぐに解決してくれる人をすぐ紹介してくれたり

することを
私は、ある時期体験しました。


こんなことなら
もっとはやくその崖から思い切って飛び込んでいたらよかった
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もっとはやくその殻を破っておけばよかった
そう、思います。


問題は日々起こり
問題は日々解決しながら
どんどん改善していかないといけないことばかり。


人のこと
仕事のこと
関係のこと
親のこと
お金のこと
わからないことばかり。


今、私がとっても困っている問題や悩みは
どこかの誰かも同じように悩んで問題にぶちあたっています。


だから、もうとっくにその問題をくぐりぬけて次いってる人からみれば
「ああ、それは、簡単、簡単」ということなのです。


人は誰かを助けたがっている
人は誰かの力になりたがっている
そして、弱みをだして心オープンにしてくれる存在を
大事にしない人はいない
ってことを知ったんです。



自分以外の誰かに相談をする
弱みを見せていく
ってことが
私はその昔から本当にできなかった。


それがなんてことなくできるようになったのは
中学1年からの同級生で私は一番の親友だと思ってる彼女の存在が大きい。


どこでどうひん曲がったか
小、中、高と
見栄っ張りで
意地っ張りで
強がりで
負けず嫌いで
他人に弱みをみせるのが苦手、だった私。


弱みを見せまい見せまい
と自分を作りこんで
本当はさみしくて苦しくて
どうすりゃいいのか右も左もわからないのに
平気そうな顔して
大丈夫そうな顔して
笑顔作ってる私より
心のうちをそのまんま素直に出してくる彼女の姿が
とっても魅力的に見えたんです。
うらやましかったし
彼女がなにげなくやってる人とのコミュニケーションの取り方が
私にはなにかもない、大きく欠落してるものだ、と自覚したんです。

そして、
自分の弱みをどんどんさらけてくる
彼女に
私は、どんどん惹き込まれる。
勝手に好きになるし、近くなる。
大笑いできるし、元気になる。
一生そばにいて欲しいと思うし
頼りにしてるし
心の杖にしちゃってる。


人に弱みをみせていく
人に心を開いていく
って
ああ、こうやって
やればいいんだ

と、最初はまね、です。


コミュニケーションの仕方や話し方、人との付き合い方は
最初は「まね」なんです。


ああ、あんな風にしたら
相手も心開くんだ、
ああ、そうやって言えば
相手と心通じていくんだ


そういうことを
私は彼女と話してていつも思うんです。


こんな弱みを誰かに見せるなんて
とてもとても・・・・と
思っている自分は
妙なプライドが、あるんです。


そして
そのプライドが
相手との距離を阻害する
相手との間に、どうにもならない壁を作ってしまうんです。
仲良くなれない
通じ合えない
遠慮ばかりしてしまう
そして、さみしくなる
そして、一人で考えこまなきゃいけなくなる


それは
「こんなこと言ったら相手は自分のことをどう思うだろう」
という思いです。


突き詰めていけば
他人に弱みをさらけだしていける
ということは
そもそも、人を信じてる、ってことです。


自分がこんなこと言っても拒絶されたりしない
って信じてる
自分がこんなこと言っても誰も自分を傷つけようとはしない
って信じてる

だから
弱みをさらけだせるんです。




弱みをさらけだすってことは
もう相手にお腹見せちゃうってことです。

心素っ裸の状態。

そしてそれが
自分から心開くってこと、です。


こちらの心がパカッて開くと
その反応で相手もパカッて開くんです。


だから、繋がる。
ビームがでてるように
見えない線で本当に繋がる。

だから、親密になる。
だから、離れがたくなる。
だから、もっと他人が信じられるようになる。
そして、他人が信じられている自分を好きになるんです。


今は、騙されないように
売り込まれないように
つけこまれないようにって時代になっちゃってるから
みんな心の穴閉じちゃってる方が多い。


だけど閉じてばかりじゃ
通じ合わない。

言葉と言葉
理屈と理屈だけがぶつかりあって
わかりあえない。
心通じていかない。


だから、どんどん疲弊しきっていくんです。

硬いものと硬いものがぶつかると
割れるか壊れるだけ、です。


先に柔らかく
先に開いていくんです。

開いていくって
受け入れていくってことです。


硬い鎧は
いらないんです。


相手が自分のことどう思うんだろう?こんなこと言って・・・
ってことが頭によぎったら

あえて
空気を読まない
んです、私。


空気読めてないふりして
自分で自分を騙すんです。
「へっちゃら、気にしない」って。


そうやって何度も何度も
自分をオープンにしていくうちに
ひとつの案件(悩み)を抱えている時間は
圧倒的に減ります。

1時間以上悩むなんてことは
もはやない、状態になるんです。


感情をさらけていくことで
すっごく楽になるし
具体的な問題は明らかになってくる。


私達が身動きとれなくなる最大の理由は
勝手にありもしないことばかり不安になっていく頭と
勝手に怖いことばかり妄想する頭です。
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その不安と恐れは
誰かに打ち明けることで
びっくりするくらい
クリアになるんです。


自分が弱みをさらけていくことで
そして
相手もまた弱みをこちらにさらけてくれることで
距離が一気に縮まっていくんです。


そういう関係が
ある
確かに、ある
ってことが
実は
心の安定です。


生活の安定を支えているのは
実は心の安定です。


心が不安で不安定そのものな時は
お金はいくらあっても足りないんです。
病気になったら
一人になったら
孤独死したら
事故にあったら
災難に巻き込まれたら
悪いことばかり想像が膨らんでしまう時
その心は
不安定です。


心が不安でしょうがないから
周囲が敵に見えるんです。
周囲は敵なので
鎧を着なくちゃいけなくなるんです。
弱みをさらけだすなんてとんでもない
と、プライドの鎧でがちがちになっちゃうんです。
そしてますます
不安になっていく。


心が不安でしょうがないから
お金がいるんです。
目に見える保証が欲しくなる。
建物や
保証書や
証書や
目に見える価値を持ってる人だけが
すごい、という考え方に偏っていくんです。
だから、
あったかいものや
目に見えないけど、確かに感じていくものに
どんどん不感症になるんです。



欲しいのは、
手を握ってくれる人なんです。
手を握り返したい人なんです。
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さらけていくって
勇気がいるけど
思い切って相談してみたり
心の内を話してみると
びっくりするほどあっけなく
誰かが助けてくれるんです。


「助けてー」
「よしきた」

って、あったかい手をさしだしてくれる人って
本当にたくさんいるんです。


飛び込んでみちゃうと
あっけないくらいです。



鎧は、もういらないんです。
IMG_1245.jpg
今日のトン汁
自信作。
sobako.jpg
これは
うちのスタッフのご主人が作ってもってきてくれた
そば米雑炊

とっても美味しかったので
私も早速チャレンジしてみます。


今週どこかでトライ!

2016.02.05傷つきやすいと、損しちゃうんです。

人間誰かに何か嫌なこと言われたり
嫌なことがあったら
落ち込んじゃうことが、ほとんどです。
sutres_s.jpg
で、
嫌なこと言われた人は
「あの人が私にこんなひどいこと言ってつらい」
とか
嫌なことが起こったりすると
「なんで私だけこんなこと起こるの」
とか
一気に心の中のテンションガタオチ落ちしちゃうんです、それが普通です。ポピュラー


でもこれ、損なんです。
下げちゃダメ。

その場でリセット
その場で瞬時に
「でも、大丈夫」
「元にもーどった」
て自分に声かけるんです。
自己暗示
自分で自分をマインドコントール
私が私の教祖です。
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テンションって大事なんです。
テンション高いって、なんだかカナきり声あげて大笑いしてるイメージってことじゃないんです。
テンション高い人いると
その場って本当
明るくなるんです。


いろいろ思ってても
「ま、なんとかなるか」と思えちゃう
tensyon_s.jpg

逆にドヨーンとテンション低い人いると
kumori_s.jpg
ちょっとお天気悪かっただけで
無性に悪いことが起こりそうな予感ばかりしてきたり
なんだか肩がこってきて頭痛になりそうな気がしてきたり
周囲の人の嫌なところがやたら目についたり
考えてもしょうがない将来の不安とか考え始めたり。。。。


心の状態が落ちてる人が
あつまると
その場は本当に地獄のようになっちゃうんです。


たとえば
今、うちのカウンセラー 森下は、毎日通勤30分以上かけて
歩いて、しかも早足ですたすたとやってきています。
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背筋を伸ばして
目線を高く
足を早く動かし


人間、そうやって動いてるだけで
テンションあがるんです。
勝手に。


朝起きて
「あーだるーー」って車乗り込んで
体冷たいまんま
仕事に突入しちゃうと
午前中は、もう死人です。


心って、傷つきやすくなってる時って
体が動いてない時なんです。

思いっきり走って
階段のぼって
「あっちーー」ってなってる時って
勢いがあるので
なんか言われても
「あーーーすいませーーん!!気をつけまっす」
ってなんかカスッた?程度にしか
思わない。


人間頭で理屈こねまわしてる時は
ろくなことないんです。

1歩足出して動き出す。
具体的に歩いてみる
走ってみる
ほんと、それだけで
止まってた心が
「なんかはじめてみようかな」という気力が
勝手に
わいてきちゃうものなんです。



テンションって、
人間が出してる
心が躍動してる量だと、思う。


で、テンション低い時って
止まって冷えて下がってるから
それと同じか
それ以下の出来事を
どんどん磁石みたいに
引き寄せてくるんです。
不幸のお祭り
不幸のオンパレード
不幸が不幸の遠い親戚までひきつれてやってくる



悪いことが連続して起きる
とか
友達会ってもなんか意地悪な気持ちになる
とか
友達と会っても居心地が悪い気がしてかえって孤独になる
とか
自転車とられる
とか
たまたま入った喫茶店の店の人の対応にカチンときちゃう
とか
なんでもよりにもよって、その人なわけ?って人と出会っちゃう
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お店でいうと
そこの社長さんが
テンション低かったり
恐ろしくネガティブだったり
不安感が強くて心閉じちゃってる人だったりすると
もう見事に
ピンポイントで
よりによっていったい
どこからやってきました?って
お客様が入ってくる。

わざわざ遠くから
1日かけてきました、って人が
やってくる。


「なんでこんな人がうちに・・・・おーのーっ!!」
って言いたくなるような人が
わざわざめがけてやってくる。


世界中の不幸が
私というピンポイントめがけて
やってくる
という感じです。



テンション落ちくると
どんどん心がうちにうちに入りこんでいくので
些細なことに敏感になる。
その敏感なことは
なぜか、
「嫌な出来事」ばかりにクローズアップされる。


これって、
たまたま
じゃないんです。


起こるべくして
起こってる


そうなるべくして
起こってる


そうなってるんです。


テンション低く生きてると
ありとあらゆる
想像されるあらゆる
自分にとって面白くないこと悪いこと恐ろしいことが
どばーって、起きるんです。


体調いい日を探すほうが難しいって状態が慢性化したり
親戚ともめたり
近い人間関係でもめごとたえなかったり
望む人と出会えなかったり


もう何年もそういう迷路に入って
出てこられない人っています。


他人様に悪口言われたって
他人が自分に何か嫌なことをしたって言われたって
そのことで
自分の気分を下げちゃダメなんです。
そのことで
自分のせっかく上がってるテンション下げちゃだめなんです。
そのことで
大事にためた
貯金切りくずしちゃダメなんです。


たとえば
私が、誰かに何か悪いことを言われたとします。
そのことで
私はそれを言った相手のことを
「ひどい。なんでそんなこと私が言われなきゃいけないのー」
って、怒ったり
落ち込んだり
つらい思いになったりすると
します。


そうすると
テンションがっくり下がって、落ちちゃうんです。


で、落ち込んでくると
見える世界まで
下へ下へ向いますので
つぎつぎ
あれもこれもと
悪いことばかり起こるような気がしてくる。
でも、実際気がしてるもんだから
悪いことが、起こる。



ひとたび悪いスパイラルに入り込むと
そこから抜け出るのは至難の技

なぜなら
人はよくも悪くも
「今の状態を維持しようしよう」とする生き物だから、です。


そして
人間は自分が焦点を当てたものだけ
掴み取れるようになってます。

だから、
「悪いことが起こる気がする」
とか
「なんか将来不安」
って方向に焦点を当ててると
もう見事に
私のアンテナは全神経を使って
周囲から
悪いことを見つけ出して私の目の前に
やってこさせるのです。


誰かに何か嫌なこと
悪いことを言われた時、
言った側は、言ったことさえ覚えてないことがほとんでです。
だから悪口言った方や
傷つけるようなこと言った側には
なにも起こらない。
だって、言ったことさえ
忘れてるから。


問題は
「あんなこと言われた」
傷ついた側にあるんです。
そして
「あんなこと言われた」
って傷ついて落ち込んだ側に
悪いことさらなる嫌な気分になるようなことが
起こる
そうなってるんです。



「あんなこと言われて」
落ち込んでテンション下げちゃった自分側に
次々悪いことが
どんどん起こるんです。


損でしょ?大損でしょ?

だから、
下げちゃだめです。
kinishinai1_s.jpg
これで、スルーできる人が
一番お得なのです。
一番快適で一番らくらくいい目ができちゃう。


テンション下げて落ち込んだままにしてて
いいことなんていっこもないんです。

テンション低い人って
他人からエネルギー奪うんです。


会った後、むくむくと元気が湧いてきた
こうしちゃいられないわって気になった
って人って、みんなテンション高いんです。


自分のテンションはとっととさっさと
自分で
ガンガンに上げておくんです。
あの手この手で。


テンション上げるのに
てっとりはやいのは
歩くことと
声を今の2倍大きくしてみること
です。


声って大事です。
「え?何?」って思わず聞き返さなきゃいけないような
細い声で話してると
聞いてる方もテンションつられて下がるんです。


声は
はきはき
明快に
少し大きめ
がいいんです。


大きな声で
明るい声で
滑舌よく話してる人で
テンション低い人なんて、いません。


もさもさ
もじもじ
しゃべってる人で
うまくいきっこないんです。


もさもさしてるなあ
声がなんだかいつも体の奥に引っ込んじゃうなあって
人は
とにかくカラオケでもいって
大声で歌うことです。
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こんな大声だして
恥ずかしいって
気持ちを完全に捨て去る
くらい歌いまくるんです。


大声出した後は
確実に自分の普段の声も
大きくなってるものです。



ただ今現在が
きっちりテンション上がっている
から、
明日に来る未来
2年後3年後の未来も
その状態を維持させようと
上がったまま、もしくはさらに上がる
のです。


いま、
文句ばかりで
不満ばかりで
止まってて
冷えてて
下がっている
その状態を維持しさせようと
するものなのです。



よくもわるくも
人は今の状態を維持しよう維持しようするんです。
それも無意識に、です。
だから、怖い。


今の心の状態を維持しよう
今の現実を維持しよう
今の生活を維持しようしよう
とするんです。



どんなに気に入らない毎日だって
どんなに面白くないといっていたって
どんなに今の生活がつまんないっていったって
人はその状態を維持しようという性質があるんです。


今、現在
心の中にあるものが
イライラしてたり
怒ってたり
不満だったり
不安だったりすると

心の中にあるものを
もう一度
そして何度も何度も
味わわせるような出来事が起こるのです。


腹が立ってる人は
さらに腹が立つようなことが次々起こります。


それは
自分が腹が立っているから
心の中に
「あー、腹立つわ、イライラする」ってモトがあるんです。
そのモトがさらに拡大して外の世界に起こっているだけです。



余談ですが、
モテモテの人が
さらにモテ続けちゃうのも、きっと同じ理屈です。


異性に大事にされる
異性に好意を持たれる
異性に特別扱いされる
この状態は
男でも女でも
テンション上がります。

無条件で。

モテモテが嫌いな人は
いないんです。


80歳のおじいちゃんおばあちゃんでも
テンション上がるんです。


テンション上がっちゃってるもんだから
その状態を維持させようと
無意識の部分が働き出すんです。


上がってる人が上がったまんま
下がらない
ってのは、このカラクリです。


つぎつぎ
カード切っていけるのは余裕があるから、です。
余裕があるから、さらにモテる。
執着がないから、さらにモテる。
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いやーもう
お見事ですうう!!
「メモとっていいですか???」
とお聞きしたくなるほど、です。




上がったり下がったりってのを繰り返してると
若いうちは体力気力あるからいいけど
35歳超えるともう
上がることはなく下がる一方です。


上がったままで維持してる人は
間違いなく、
この心の仕組みを知ってるんです。

維持させるための
あれこれを
知ってわかってやっている。



すべては
この「ただ、いま」
の状態です。


だから、今、下げちゃダメなんです。


特に家族を持ってる人は
余計に下げちゃダメなんです。


お母さんが下がるとみんな下がります。
妻が下がると夫も下がるのです。
お母さん下がると子供も下がるんです。


会社だと
社長が下がると
社員も下がるのです。
これ、本当です。


くっそーーー
くやしーー
つらーいい
なきたーい

その感情はOK。
でも、そのことで
自分の気分を下げちゃだめ
テンション下げちゃだめ
落ちこんじゃダメ



力技で、
涙で口角下がりそうでも
それでも鏡見て
ほっぺの筋肉自分で持ち上げてでも
「テンション高め」を
維持するんです。


いわば、
テンションを維持すること
これは
心の貯金です。
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わくわくうきうき気分よく
動けるテンションというお金を
コツコツ貯金しているわけです。
最初はものすごく頑張って
一気に貯金するんです。
で、とっとと満期にする。


満期にした上で
さらにこつこつ貯金する。



たまった定期預金に手をつけちゃだめ。
そのために
カツカツの預金口座じゃなくて
普段からコツコツ。
テンション貯金ためておくんです。
不意の事故の時のために
少々出費があっても
びくともしないくらい
コツコツためておくんです。



一度上がったテンションは
寝ても下げちゃだめ。

死ぬまで下げちゃダメ。


上げっぱなし、
低め安定でもいいから
絶対にスイッチを切らず
下げない。


通常考えると
テンション下がることなんて
いくらでもあります。

誰かに嫌なこと言われた時かもしれない
何か仕事でミスをした時かもしれない


でも、何が起こっても
誰に何を言われても
そのことで
自分側のテンションを下げちゃいけないんです。


そう、
kinishinai1_s.jpg
です。


損だから、です。
いいことなんてひとつもない。


これらすべて
自分の心の中で起こること、です。
心の中は見えませんが
起こっている現象は他人からも、見えます。


今、起こっている現象や
今の自分の環境や状況や生活は
過去に自分が心の中で思ったりつぶやいたり考えていたり
頭に何度となくよぎったこと、の集大成です。


今の自分は
過去に自分が思い浮かべたことの集大成


誰と結婚して
どんな仕事をして
どんな生活をして
どんな車にのって
どんな人間関係で
どんな体型で
何をして・・・・


それらすべて
どこからかある日突然降ってきたわけではなく
必ず過去に自分が
頭の中で考えていたことが
思っていたことが
そのまま現実の生活となって
現れただけ。


今の生活に
望むものが入っていないとしたら
手に入っていないとしたら
それは
そこに
焦点を当てていなかったから、
意識を向けなかったから
明確に欲しいと思わなかったから。
です。


「別に、そこまで強く思ってたわけじゃないからああ」
とかって
あいまいな言葉を使っていたら
近い将来、
何も手に入っていない自分が
見事にやってくるんです。


他人の心の中は
いじくれませんが
自分の心の中は自由自在です。


自分で自分をマインドコントロールです。
落ち込みそうになったら
「あ、へこむな」と思ったら
頭をボコボコ叩くんです。
「目を覚ませ私、落ちるな私」って。(痛いからすぐ目が覚めます)
私はそうやって
頭叩いてました本当に。


嘘でもいいから
カラ元気でもいいから
言葉を変えていくんです。


みんなと一緒に落ちちゃダメです。
周囲がどんなに落ちてても自分は落ちちゃだめ。
つられて落ちちゃダメなんです。


他人の不幸相談に巻き込まれて
自分までテンション下げちゃだめ。


それはそれで、他人の問題。


家や職場や自分が逃げられない場所で
不機嫌まきちらしてる人がいるとします。
それを受けて自分まで
嫌な気分になりそうです、


でも、それでも
下げちゃダメ。
下げちゃったら、そちらの土俵にのったということです。



みんなにつられて
下がっちゃう人が大多数です。


日本人、特に
みんな一緒が大好き
あの人がいくから
私も
みんながいくなら私も。

で、落ちる時も
みんなで落ちちゃう。


だから、
下がらない人
落ちない人
低めでもテンション維持してる人は
今の世の中
貴重な存在です。


圧倒的に
少ないから、
際立つんです。



傷ついてる時間なんて
もったいない。
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今日はミネストローネです。

北原さんが淡路のたまねぎをたくさん持ってきてくれたので
大きな玉ねぎを3つまるごと。

れんこん
ごぼう
にんじん
大豆
ひよこ豆
キャベツ
トマト

最近大なべにてんこ盛り作ってみんなに食べてもらってます。
だんだんエスカレートしていく私。

2016.01.27予想される悪玉菌を徹底的に潰していった今年のスタートでした

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今日はあったかいです。

今年は、1月4日に仕事はじめしてからずっと
ご機嫌&体調良し、です。

これは偶然では、ありません。

私は昨年の年末年始、死ぬかと思うほど
しんどい想いをしたので
その恐ろしさから、今年は年始の10月くらいから
これでもかってくらい
計画を立てていました。


体調壊すとすべてがパー
なので、
体調を維持することを
徹底的に管理していたんです。


ふだん日曜日でもあまりゆっくり休む習慣がないので
年末年始や長い休日になると
気が抜けて
スイッチ切ってしまっちゃったりして
年明けて2月、3月までろくな仕事ができませーんってことにならないように
ばっちり、準備してました。


小さい目標をたくさん作って
そこに向ってコツコツシコシコ。
することを具体的に記入しておくこと
習慣にしていくことで
「さあ、これが完了、次はこれだね」と
いっこ動き出すと
動いている最中に次の目標が出てきます。
そして次、次。


ここまでに、
これをやり終える。
そのためには、この日にはこれ、と。


優先順位をはっきり書いておくことで
イライラしなくてすんだし、
余裕ももてた。

余裕があるから、
いろんな面白いことが発見できる。



いい循環です。


そもそも
人がイライラするのは
自分の思う通りに物事がいかない時です。



自分が思った通りせめて8割くらい
順調に進んでいることが目に見えてわかると
なんとも一日は充実するものです。

そして、朝も気分よく目が覚めるのです。


今日、すべきことが具体的に、ある。


人間にとって一番大事なことです。

自分の意志で取り組んでいる
ことを意識していくことで
俄然、元気が出てきます。



私は、もともとそんなに体が丈夫じゃないし
胃も弱いし
口内炎もすぐできるし
寒いの熱いの苦手だし
なにも考えず
「ただ忙しい」「何をやったかわからないバタバタした一日」が続くと
すぐ疲れ始めるんです。


同じ一日でも
「これをやろう!」と決めて
それをやれた一日と比べると
達成感が違う。


42歳にしてはじめて
計画をきちんとたてて
その効果が感じられる
ということを
体験しています。


すごく、いい。


年末年始も、
いつも通りに
朝ははやく起き
ちゃんと動く
食事もでかけてるとはいえ
食べ過ぎない
夜も遅くまで起きてない
本もちゃんと読んで字も書く

いつも通り。


これができている時が
私はとても調子がいいんです。


大笑いできるには
余裕が必要です。


去年の1月はしんどくて1ケ月ほど病人だったので
もう二度とこりごり。


体も道具なので
ちゃんと使ってやると
ちゃんと動いてくれて
体の中にある心もちゃんと稼動してくれます。



たった今、お昼休みに
大好きな夫婦が話をしに医院に来てくれました。

きっかけは、
先週ある社長さんの会社に呼ばれて
でかけて行った時に
たまたま数年ぶりにその会社で再会したこと。
「わお!お久しぶりです!」


会うことはなかったけど
そのご主人のメルマガはいつも読んでて
その日の朝一番に読んだメルマガに
「わかるわー、そうそう」って共感したので
プリントアウトして手帳にはさんでいたんです。


そんな日の
偶然の再会!
「わお!先生ひさしぶり!今日、メルマガ読んだとこ。
ほら、これ印刷したもの・・・・・」(驚)


意識していたから、会えたのか。


そしてもうひとつ、
仲良し夫婦の先生方とお昼休みにコーヒー飲んで
話してるところに
携帯が・・・。


こちらも、いつも自営業で忙しくしてて
なかなか会えない友人から。

今ね、こんなご夫婦が見えててね・---
と話すと
「え?知ってる、私の先生だものーー、ちょうど近くまで来てるからちょっと寄るわー」

ってことで
急きょ合流。


4人で話をしていると
「今日ここで会えてるのもなんだかすごいね!」
ってことになり、
たった1時間でしたが
相当のエネルギーチャージ。



私は、こういうことの流れを偶然だとは一度も思わないんです。


面白いな、嬉しいな、なんだかいいな
って心の中が思っていると
もっとそう思うような出来事が起こるんです。
これ、本当にそうなってるんです。



逆に
なんか
腹立つわ
イライラするわ
調子悪いわ
って心の中が思っていると
もっとそう思うような出来事が起こるんです。



これは法則なんです。
笑っているから、もっと笑いたくなるような出来事が起こるように
現実が引っ張られてくるんです。


怒っているから、もっと怒りたくなるような出来事が起こるんです。



だって、笑うようなことないんだもん
だって、嬉しくなるようなことないんだもん

って、ふてくされてると
その現実は継続されます。


人は、今の状態を維持しよう維持しようとうする
生き物だから、です。


怒っている人は、ますます怒りたくなるような出来事が起こり
感謝している人は、ますます「ああ、ありがたいな、ラッきー」っていう出来事が起こるんです。




イライラしてるから、
そのイライラをもっと継続させるように
さらにイライラさせるような出来事が起こります。
入った店が感じ悪かったり
仕事でミスしたり
いまのイライラをさらに増長するような出来事が
面白いほど、起こるのです。



嬉しくて気分がいい時は
その気分をもっと維持させようという出来事が
起こるのです。


その仕組みをちゃんと知っておくことが大事なんです。
知っていたら、
自分で断ち切ることができるから。


水車と同じです。
水が流れ出すと
どんどん回ります。


いい流れに回りだしたらどんどん回り続けるんです。
むしろ、止めるほうが大変。


最初に大きくいい方向に回す舵をきるのは
やっぱり、自分です。
そう、私。


ささいなことを、
面白がっていく
奇跡じゃない?ラッきーと面白がっていく
これって、こんなに素敵なことじゃない?って
自分の頭に覚えこませていく。

そして、言葉にして他人まで
巻き込んでいく。


人は、「あの人に会うと力湧いてきた」
「元気がでたー」って人に会いたいんです。


自分が止まっているとしたら
その止まっている自分を
巻き込んで一緒に連れて行ってくれるほど
勢いがついている人に会いたいんです。


ドヨーンとしてる人に会いたくない。
大笑いしたい。
面白がりたい。



計画たてて「やることを決めておく」
「やらないことも、決めておく」
これを私に詳しく詳しく教えてくれた人は
いつも
淡々と仕事をして
アップダウンがなく
安心感を与えてくれる人だったんです。


強靭な精神の持ち主なのかと思いきや
一定した高い精神状態を維持するには
いい習慣を持っていました。


すごいなあ
と思う人は
絶対なにか訳があるんです。


ぐいぐい入り込んで
教えてもらうと、
本当に
よくなっちゃいました。


ささいな習慣ですが、
今実際にやり続けていると
「なんでこんなすごいこと
私やらなかったんだろ?」と
?だらけです。


そんなことが
世の中にはゴロゴロ転がっているんです、きっと。

2015.12.01誰かに会えば、どこかに行けば自分を魔法のように変えてくれる・・・なんてことは、ありえない

どんな本を読んでも
どんな講演会を聴いても
どんな勉強会に行っても
どんなにお金払ったとしても
どんなにパワースポットに行ったとしても
どんなに祈り倒しても

つまるところは
自分が腹をくくるしかない
自分が変わるしかない

というところに
行き着きます。



もし、そうではなく
自分が何一つ変わらずに
自分が何ひとつ反省せずに
自分が何ひとつ努力しようとせずに
自分が自己責任から逃げようとして
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どこかの誰かがいきなり神様のように
降りてきて
今の自分に素晴らしい影響を与えてくれると
思いたい
そう、願いたいのが
人間です。


最終的に腹をくくる
覚悟を決めることから
逃げるためには
人間、大金だろうとはたくものです。


うちの母は20年ほど前に
登校拒否の子供を持つ保護者の
カウンセリングをずっとやっていました。


私は学校から母のオフィスに帰ってくると
そのカウンセリングの現場をよくみかけたものです。


うちの子が学校に行ってくれるなら
いくらでもお支払いします。
うちの子が、私達の思う子供に変化してくれるなら
うちの子が、暴力をふるわないようになるなら
何百万でもお支払いします。
なんてことは、ざらでした。


夫婦の問題も同じです。
夫婦でもめごとが絶えない2人の相談で
片方は、片方が自分の思うように変わってくれるなら
逆も同じ、
そうなったら自分はこの苦しさから逃れられるから
どうか、相手を変えて下さい。
相手を変えてさえくれれば
私はハッピーです。
そのためなら費用は度外視です。


人は、その時、一番本気で向き合わないといけない人との関係から
逃げられるためなら
せっかく稼いだ大事なお金でも
出してしまおうとするものです。


人と真剣勝負で向き合うことは
それほど
嫌なんです。
逃げたい。
特に親なら子に対して。
夫は妻に
妻は夫に。


それを
自分でせずに
他人様に請け負って頂くためなら
いくらでもお支払いしまっせ
そのかわり
まるなげでっせ
成功報酬でっせ
という話です。


社員教育の会社で
仕事をしていた時にも
同じことは、日常茶飯事でした。


教育研修の依頼をしてくる社長さんは
自分は言わないから
自分はしないから
そのかわり
お金は出すから
僕の思うようにうちの社員が動くように教育してね
まるなげでお願いね。
あ、僕はしないからね。
おたくさんで全部やってね。
こんな会社の社長さんは
意外にも多かったです。



まるなげは
そりゃ、夢のような話です。
でも、まるなげのツケは大きいのです。



こまったことが起こったら
関係にトラブルが起こったら
うまくいかない泥沼の関係に陥ったら
その時には
自分以外の誰かに助けてもらわなくては
生きてはいけない
無理。

と、そう決めてかかっている時
それはもう何をやっても
受け身受け身です。


実際、相談に乗ってほしいんです、と
泣いてやってきている
女性は弱弱しく
自信がなく
自分では何一つ決められない
旦那さんに相談しないと・・・
私がいいとか悪いとか決められない
そんな判断基準ないし・・・・

風が吹いたら飛びそうでした。
可憐、というものではなく
ただ、「弱弱しい」


体中にしみこんでいる
「自分以外の誰かが自分をどこかいいところへ連れてってくれる」
「自分以外の誰かが自分の行く方向を決めてくれる」
という超依存体質から
抜け出さない限り
永遠にしんどいう苦しい世界は続くのです。


女性は特に、「私はそんな大事なこと決める自信がない」
という。

自信なんて、いらんのです。


理屈なんて、どっちでもいい。


私が、やるんだ。
私が、自分で選んで、自分で動いてるんだ。
って決めたらすぐ変わることです。


意識を自分発に
切り替えると
電車の線路がいきなり進路変更しちゃうほど
変わるのです。





人が変わってくれなくてもいい
状況が
環境が
変わらなくていい
それでも
この状況でも
私は、覚悟決めてしっかり、やる。



自分発で生きようとしている人は
何気なく出てくる言葉が違います。

「私、やりたい」
「私、やります」

他人の反応を気にして生きるのが日常なら
「あの人がこう言ったから、私も」
「お母さんが決めたから」
「みんながそうするから、私も」


自分発か
他人の目か
どちらかしか、ないんです。


自分はどっちで生きてるかな?
自分発かな?
それとも
人の基準かな?
と。


私自身のことです。
夫婦喧嘩のもとは
仕事のこと
職場のこと
子供のこと
教育のこと
親のこと
いろいろなことが、つもり積もって
よく衝突します。


溜め込むことができないので
口に出して言ってしまうので
そこでスタートです。
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その時、
自分で気がつくんです。
自分の言葉にびっくりするんです。

「子供のことなんだから、あなただって一緒に考えてくれないと!」
「仕事だって、私だけこんなに考えて!!」
「家のこと、親のこと、私だけが、大変でもう嫌!!」

「私ばっかり、私ばっかり!私ばっかり
こんなしんどくて!
私ばっかり、ずるーい!!」


こうやって
ほざいてる私。
そんな時は
自分のことが大嫌いです。
「じゃ、やめれば?」
「誰も頼んでませんが?」
自分でつっこみいれてます。


頭じゃわかってるのに
そんなこと言ってる自分が大嫌いな自分に。
他の人にはえらそうに言うくせに
自分は家の中で疲労が重なると
こんなことを口バシッテしまう自分に
もうへとへとの嫌気が。


そんな時、
私はかならず
救世主の一声がくるんです。


「それをやってるのは誰?」


その瞬間に
ああ、私は、受け身だったなあ
こんなお母ちゃんじゃいかーん!
こんな奥さんじゃいかーん!
そもそも
素敵じゃない
そもそも
私が、写った鏡を見て「嫌い」
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女が
不安になったり
不信感をもったり
すると、どんどんわけわかんない
世界に入っていくんです。


そっか、
私だ。
私だよ。
私が、やるんだよ。

私がやらなくて誰がやる。

私が、やりまっせ。そうだった。
主人のせいにしてるのは筋違いでしたわ
忙しさのせいにしてるのは筋違いでしたわ

余裕がないのは
私のキャパが小さすぎるせいでしたわ


と腹をくくったその瞬間です。


嘘みたいに家族が変化するんです。
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主人の声が、いきなり優しく聴こえてくる
泣き散らかしてた子供が落ち着く(いて見える)
なにもかもちらかってたように(見えた)部屋が
妙に整理整頓して見える。


腹をくくってない時=不安
腹をくくった瞬間に=安心


なんでしょう?
この構図は。
もう、はっきりくっきり
心模様が変わるのです。



家族は
きっと何も変わってません。
変わったのは
私が見る目が変わったんです。
私の耳が変わったんです。


いいようにしか見えない。
いいようにしか聞こえない。


自分が見えてる世界や
聞こえているものは
自分の
心の中がそのままそとに反映されたものです。



自分の心の状態によって
苦手だった人でも、
「なんか、いい人」に見え
いつも嫌味なあの人の言葉も
「なぜか、優しく聴こえる」
ようになるんです。


だから、人間は面白い。
自分次第。
自分が腹くくって
「よしっ、私がこの人生、この家族
この関わる人の舵とりしちゃうぞ!」
決めると
いきなり静かになるんです。
心が。

「誰かお願いだから
私を幸せにしてーううううう」と不安げな顔するんじゃなく
「私についてこんかーい」
くらいの心意気でいると
なんだか、小さなことがどっちでもよくなってくるんです。
オンナ度もどっちでもよくなってくるので
そこは気をつけねば。。。。。




「えー、面倒くさい、私だけ嫌だ」
「私だって仕事もして子育てして、家事もしてるんだから、あんたもやってよーぶんたんぶんたん!」
「責任とるのはいやーー」
「自分で決めて間違ったらつらいからいやー」
って気持ちが心の中にある時は
もう見てても見苦しく
そして、
心で思ったとおりの
現実になるんです。


つまり
うまくいかない


なんでもそうですが
「よしっ」と
腹くくった瞬間にすべては変わるんです。

女の人は、最終的にはみんな腹をくくります。
覚悟決めます。


「わたしですか?
ああ、私だったんですね!
変わるのは、わたし。」
と心底腹に落ちると
女は本当にあっけなく変わるんです。


執着してたものが、急にどっちでもよくなったり
興味なかった世界にいきなり目覚めたり
そういうことが
いきなり起こる。


女性は本来
鎧をかぶって、着ぐるみきて長年生きていける存在ではありません。

鎧を脱いで
「あーー重かった」って
心を自分の中から
えいやっと開いていく存在。


心を開くのは
自分をさらけちゃうことです。
いい感情も悪い感情も
見栄っ張りも全部おいといて
「私こんなのー、きいてきいて
知って知ってー、
ねえねえ、仲良くなろう、ね。」
ってことが
誰とでもできちゃう存在です。


男性とはまったく違う世界を見ている存在なんです。



私は、こう感じる
私は、ここに行きたい
私、そうしたい。

誰が何を言ったからじゃなく
親がこう思うだろうからじゃなく
周囲の目が気になるからじゃなく


自分が求める理想の毎日を
実現するために
周囲を変えて欲しいリストは100でも200でも書けます。

きりがない。


「あ、はーい、私が、
まず変わります」
って中から動かしだすと
外側の欲しいものリストは
あとから「気がついたあった」ということに
なるのです。


やっぱり、
自分を幸せにしてくれるのは
自分しかいません。


どっかの王子様でも白い馬に乗ってやってきて
いきなり幸せ列車に乗せてくれたらいいのにな
と少女マンガの世界では願ってしまいますが、
そうはいかない。


女性の人生はどんどん変化します。
結婚し、
妊娠し、
子育てし、
子供が大きくなってきたら
両方の親が年老いてきて
そして子供が巣立って
また夫婦2人になって。


その変化の渦中にいつもいるのが
女性です。


男性は、そうはいっても
仕事してますので
家の中で
家庭の中で
家庭の周辺で
何が起こっているのか?
その重要さに気がつくことはありません。


重要だと思うポイントが
男性と女性では違うのです。


女性が重要だと思うことでも
男性にとっては
そんそも「仕事の方が大変ですがなにか?」
という感じになるのです。


つもりつもって
お互いに理解しあえない同士になるのか、
わからないけど、
頑張って理解しあいましょう
という関係を作るのか
その鍵を握るのも
女性です。


女性はコミュニケーション大好きですが
男性は「深い話になりそうなら逃げたい」
というのが本音です。

関わりあいたい
と願うのが女性で
できるなら
関わりあいたくない
と願いのが男性です。


補って
理解する
という関係があれば
上等だと私は思ってます。


相手がないものを
自分が補う
自分がないものを
相手が補う


みんなが欠けてる部分が違うので
一律じゃなくて
いいんです。


欠けてるわーー
つらいわー
と凹むんじゃなく

「この部分多大に欠落しておりますため
補って下さいますと大変助かります。うふ♪」
とインフォメーション
しておくんです。



人との関係は
そうやって作っていくんです。
いちから。
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そうすると
ちょっと嫌なことが見つかった
ちょっと気になる不快なことを言われた


だから

さようなら
あなたは嫌い


ということにはならなくなるんです。


すぐに縁を切らないこと、です。
もしかしたら、その山の向こうに
素敵な世界があったかもしれない。


私は、「ああ、あの山ふんばってこえといて
よかったわ」と思う瞬間が
今ま3回ありました。
ふんばって、よかった。

ぎゃくに
踏ん張れなかった山は
後悔です。


後悔は嫌いですが。
後悔とは思いたくありませんが。



一度でもその山を越す体験を通過している人なら
「ああ、これもあの時と同じね」
と繰り返すことができるんです。


山を越えるのも
自分次第です。


自分次第で
どうにでも、なる。


女性というもの
母性というもの
勉強していくと、
どんどん腹をくくる人が増えてくるんです。


弱弱しくない。
おどおどしてない。


つまるところは
私よね
ってことを知った人は
どんどん成長するんです。





今年最後の母性型勉強会
12月9日(水)18時30分~です。
高松国際ホテルにて
会費は3,000円(食事代込み)
お申込は
http://boseinomonosashi.com/study/

2015.11.28強くなりたいと熱病のように思ってた

20代半ばの頃
神様みたいに思ってた先生がいました。
その神様の奥さんと一緒に温泉に浸かっていた時のこと。

なにせ神様の奥さんなので
奥さんの言葉ひとつひとつも神様のように聴こえます。


奥さんは
小さくて筋肉がとても美しくついていて
裸の背中がとってもきれいでした。

話す言葉は凛として明快で
そして、
大きな目は
そらすことを許されないほど
まっすぐにこちらへ向かってきます。

目力負け
にもかかわらず
気合で私も目を必死で合わせます。


若い頃、
神様の奥さんと神様が出会った時の話を
してくれました。


「私な、あの時、熱病のようにずっと強くなりたいって、思ってた。
傷つきやす自分が嫌で嫌で
吐きそうになるほど嫌で
強く強くなりたい、なろう、って思ってたんや」
ってことを聞いた瞬間に
私、稲妻が走ったんです。


そっからこっち
20年弱生きてますが
何かの瞬間に
あの時の稲妻が今でも蘇ってきます。

その稲妻以来
私は、温室に入ってしまったら
おしまいだ、と思ってます。


ひ弱な方向には絶対に向かわないぞ
「あの人がこうしたから私はつらい、傷ついた」
って方向には
被害者意識には
絶対に向かわないぞ、と意識して決めてます。


決めてないと
すぐ流されるから。


だって、
腹立つことなんていくらでも起こるし
なにせ人間は自分中心にしかものを考えることはできないので
もちろん私も。
すぐに、
あの人が悪い
この人が悪い
あれさえなければ
これされよくなれば
状況さえ変わったら
自分が悪くない
と、すぐに考える自分がいるのを知ってるから
意識していないと
すぐ流れます。



大事に大事にされたいけど
大事に大事にされないと生きていけない自分は嫌だ、と思っています。

かまって欲しいけど
かまってくれないと生きていけない自分は嫌なんです。

ひ弱な自分だと
傷つく方向にしか、生きることはできません。


何か起こる事に対して
いちいち過剰に反応して、傷ついていく。
心痛めていく。
凹んでいく。
ストレスで胃をやられていく。
そして、
狭い狭い世界の中に入っていってしまうことが
わかっているから、
やっぱり、強いほうがいい。



どんな状況がきても
どんな場でも
誰がきても
誰と一緒でも
そのシーンは
神様からきた私への「お題」
と捉えると
見える世界は
変わってきます。


逃げるとおっかけてくる
よっし、かかってこんかい
と渦中に入っていこうとすると
意外な展開が待っている
そういうことを何度も何度も体験しました。


そしてそれは
仕事という場で磨かれます。


遊びの場には
責任は問われませんので
緊張感ゼロです。
プレッシャーも、なし。
いてもいなくてもいいので
興味あれば,行くしなけりゃいかない
そんな中で
自分を強く鍛えるのはとても無理です。



20代半ばからあれから
20年弱が過ぎ、
時代はますます、
人を弱く弱くする方向に向かってると思います。


誰も自分を鍛えてはくれない。


どんどんひ弱になる人と
「もっともっと強くなろう」と力をつけようとする人に
わかれていく。



状況は
どんどんどんどん変化します。


「さあ、今から状況がゆるやかに変化していきますからね~
みなさん、そろそろ準備しましょうね~」
なんてことは
言ってくれない。


いつから変化が始まっているのか
変化が始まったのか?ってことも、
わからないのが
現実です。


そして気がついたら
あれ?自分だけが乗り遅れてる?
なんでもっと教えてくれなかったの?


変化するのは
人との関係も同じです。


状況によって
立場によって
相手も自分もどんどん関係は変わります。


好意的に思える日もあれば
悪意的に思える日もある


ずっと変わらない関係なんて、ありません。
親子の関係だって
夫婦の関係だって
友達同士だって
好きな時もあれば
嫌いな時もある。


それが、普通です。


親だから
嫌いだと思っちゃいけない
夫婦だから
ずっと円満じゃないといけない
そう思ってると
思い込んでると
心が死にます。
「そうでないといけない」
ことなんて、ないんです。


絵に描いたような
理想的な心模様でないといけない
という意識が心にあると
苦しくなるんです。


いろんな感情がわきあがって当たり前。
いいものも
悪いものの。


善か悪かを
自分の心の判断基準に持ち出してくると
生きていくのが苦しくなってくるんです。


ただ、私達は
生まれてからこれまで
育った環境でいろいろな価値観をもらって生きてます。


特に娘は母親から影響を受けます。
もちろん息子も。


お母さんとの関係が
その人が人生が関わるあらゆる人間関係に
影響してきます。


は?お母さん?
もう大人なんですけど?


3つ子の魂100まで
と言いますが、
今じゃ、これを言ったら女性蔑視だと
叩かれるそうです。


母性型勉強会でも
この話はよく出てきます。


ただ、私は実感として
たくさん抱きしめられて育つ赤ちゃんと
言葉でいい聞かされて育った赤ちゃんでは
人生で関わる人との関係の
幸福度は
大きく違う、と思ってます。



私は赤ちゃんではありませんが、
みなさんも。


でも、言葉よりも
100000の理屈や情報を与えてもらえるよりも
たった一回あったかい人によしよしと触れてもらったり
手を握ってもらったり
抱きしめてもらったり
深いまなざしでわらいかけてもらうことの方が
より多くのことが伝わってきます。


何か、
目には見えない熱いものが
流れ込んでくるのを確かに感じます。


言葉じゃ、ダメなんです。
理屈じゃ、ダメなんです。

思わず抱きしめてしまう
思わず手を握ってしまう
思わず思わず
あふれるいとおしさがあまりあまって
そうしてしまうことは
それを受けとるものには
人生100年を生きる力にさえなってしまうんです。


そのたった一回の体験でも
体の中にしみこんでいくと
それが生きるエネルギーになっていくです。




大ストレス社会と言われてます。
いわゆる精神の病気
心の病気の率の方が増えてきていると言います。


でも、
そのおおもとは
抱きしめあえる関係の少なさです。
人に触れる機会の少なさです。

何も愛だの,恋だのでなくてもいいんです。

親子でも
夫婦でも
恋人同士でも
友達でも


安心できる関係を作り出すのは
相手と繋がっていくしか
ありません。


自分から。
自分発、で、です。



自分の明日やあさってや1年後や2年後、そしてもっと将来は
自分が信じたとおりのことが
現実にやってきます。


よくなるしか、ないね、自分は。
と思い込んでたら
本当によくなるしか、ない現実がやってくるんです。


はー、なんだか生きていくのがしんどい世の中だわ
って思い込んでいたら
本当にその人にとって
生きていくのがどんどん苦しい現実がやってくるんです。


その通りになっていませんか?
なってますよね?


自分発、で生きよう
自分は強い方向へ向う電車に乗ろう
そっち行きのプラチナキップを手にしよう。
と決めちゃうんです。


ひ弱な方向に向かうと
傷ついて傷ついて生きていかなくちゃいけないくなるんです。


誰の言葉にも傷ついていく。
誰の言葉も悪意にしか取れなくなっていく。
耳が本当に自分を傷つけるようにしか
聞けなくなってくるんです。


そうではなく
傷つくような言葉を言われたら
「いやーー、照れるわ、そんなほめんといて」
って間髪いれず切り返すくらい
波に乗って軽々生きれるよう
「強い方向に向かう脳の回路」を太くする
トレーニングをするんです。


これは、
もうトレーニングです。


うちで言えば
新米の歯科衛生士さんが
最初は上手に機械を使って歯のお掃除ができなかったのに
2年3年すると
もう、「あれ?もう下手に機械を使うことができない」ってくらいに
なるくらいの感じです。

乗れない自転車に
いつしか乗れるようになった
ってくらいのトレーニングです。

脳トレ。


自分以外の
誰かの言葉に
誰かの視線に
誰かの反応に
傷ついて生きていくか
そこから避けるように生きていくか



デブと言われたら
「いやーー、でしょ??どうしたらそんなスリムになりますかね~~~??
おちえて♪」
と切り返す


トロイと言われたら
「いやーー、トロイですよねーー。やっぱ、トロイ????まじ??
どうやったら先輩みたいにかっこよく動けますかね???
おちえて♪」


切り返す
切り返す
切り返す


ひどいよね
あんなこと言って
思ってるから言うのよあんなひどいこと
つらい
苦しい
もういやだ
ねえ、どう思う?ひどくない?


って方向に向かわない!

絶対に向わない。
そして、同調しないこと、です。


ひどいよね
つらいよね
って、やたらめったら
傾聴しない!


よけい増長してややこしい世界に入っていくからです。
これ、本当にそうなっていくんです。
そして、「ひ弱な人」だけが引き寄せあって
つるんじゃうん。
その結果、
余計弱くなり
傷つきやすくなる。


いじめの問題も
同じです。
強いからいじめるんじゃない。
弱いから
傷つきやすいから
悪意に取るから
いじめるんです。
いじめられるんです。
どっちもどっちです。



あらゆることは
自分が強くなったら
強くなってしまったら
なんてことないことばかりです。


ひ弱だと
苦しくなるんです。
生きる場所が少なくなっていくんです。
活躍する場所がなくなっていくんです。
受け入れてもらえるところが減っていくんです。



自分が自分が
という自己主張は
自分を苦しめるもと、です。


若い時、
私はこれがありすぎて
苦しかった。


自分を認めて欲しい
自分をわかって欲しい
もっと自分を大事にして欲しい


私になかったものは
相手のいうことをきいていく、ということ。
それを実際に体現できること。

頭だけじゃなく
体全体で相手のいうことを
きいていく、ということです。


これは
逆の立場から考えてみたら
すぐにわかること、です。


自分の話を
自分の自己主張を全部聴いてくれる人
うんうん
と全部まるごときいてくれる人は
やりやすい
仕事しやすい
話をしやすい
だから
相手は勝手に好きになるんです。


いつも好かれているので
勝手に人間関係はうまくいくんです。



人間は最終
「あいつ好き、嫌い」
に尽きるんです。


それを言っちゃあおしまいでしょ
それを言っちゃあ社会は成り立たないでしょ
と頭では思ってるけど
実はみんな
理屈はあとからくっつけてきてるだけ、です。


好きか
嫌いか


好きならうまくいく
嫌いならうまくいかない


それだけ、です。


とてもシンプル。


そこで大事なことは
自分が相手を好きか嫌いか
という問題です。

実は
自分が相手を好きか嫌いかは
どっちでもいい話なんです。


相手が自分を嫌っていたら
うまくいかないんですから。


若い頃
私はどうしてもこれができなかった。
自我が強すぎて。


相手のいいたいことを
相手のやりたいこと
相手の通したい思いを
徹底的にきいていける自分
うんうん、そうそう、はいはい
相手が動きたいように自分の動きを
合わせられる自分


そんな自分だったら
どこででも
だれにでも
重宝されます。


自分が相手を好きかどうかは
別の話です。


好みや相性もどっちでもいい話です。


自分が相手をああだこうだ
ではなく
相手にとって自分はどうだろう?


と考えていく。


その視点
その動き方
その考え方
を神様と思っていた先生に教えてもらった時


私がなぜ20代半ば
あんなに心が傷つきやすく
ひ弱で苦しかったのか
大笑いするほど、理由がわかり
腹に落ちたんです。


自分がいいたいこと言っててもしょうがない
自分のいいたいことなんてどっちでもいい

相手にとって
心地いい自分を
すぐに作れる自分が
きっと面白い
と思いました。


自分を殺して相手に合わす

というとは全く違う


自分発の
自分主体の
自分が相手との関係の鍵を握っているんだ
ということに気がついた瞬間でした。


そっからは
嘘みたいに
生きることが面白くなった


魔法みたいでした。
あっけなくてびっくりしたくらい。


自分がどう思ってる
自分がこういいたい
なんてことが
本当にどっちでもよくて
いくとこいくとこ
会う人会う人
うまくやっていける自分
居場所を作れる自分が
嬉しくて嬉しくて

生きてるっていいな
楽しいな
人の中に入っていくのが楽しいな
って思うようになったんです。


魔法のようでした。


心理学や
テクニックでは到達できない世界だったと思います。

日本的な考え方を
体を使って教えてくれた神様と思い込んでいた先生のおかげ。
ボディブローのように20年過ぎようとしても
じわじわきいてきます。



時代はますます
「大丈夫ですか?心はお風邪を引いていませんか?」
「心のケアが必要ですよね」
「大丈夫ですか?大丈夫ですか?」
「あなたに優しい◯◯」
が花盛りです。


優しそうな男の人
優しそうな◯◯
が大人気です。


でも、誰も自分の心の中を
傷つかないようには
してくれません。



彼氏も
夫も
上司も
彼女でも
妻でも
誰も心の筋トレはかわりにしてくれない。




世界中の自分に対して
嫌なことを言う人をすべて抹殺しようとしても
いくらでも人生に登場してきてしまいます。


大丈夫?と優しくしてほしがるより
自分をわかってほしいと心の中で願うより

わかってもらえんでもいんじゃない?
優しくされなくても平気
という自分の方が生きるのは楽です。


強い方向へ向う電車に乗りたいと思いますし
そっちへ向う電車に乗る人が多い方が
きっと幸福感は強いんです。


かまってかまって列車はもういっぱいです。
「あの人があんなことをいったから私は不幸になった」という駅は
もう満杯なんです。



助けてもらおう
という意識で生きるか
自分が誰かを助けるんだ
自分が人を元気な方向へひっぱっていくんだ
という意識で生きるか


こればっかりは
自分だけで
決めなきゃいけないんです。



決めたら
はやいんです。


あっけなく
世界が変わっていくんです。


人は自分の心の中で思ってることが
そのまま現実になるんです。

そういう世界で生きてるんです。


何を言われても
何を聞いても

好意的に聞くぞ

と思えば
明日はその瞬間に変わっちゃうんです。
相手との関係もその瞬間に変わるんです。


以心伝心
は本当なんです。


心で思ったことは
そのまま言葉なくても伝わるんです。



シュンとならないこと、です。
考え込まないこと、です。


間違ったな、と思ったら
「あっはっは、私ってば、間違ってましたあ、ごめんちて♪」

って
頭下げてすぐ仲直りすればいいんです。


私なんて、
何度もすごい間違いを犯しても
ありえないわがままとおしても
「あ、こりゃ、いかん、まちごうとるわたし」
と反省したら
手のひら返したように
「ごめんちてーーー」と擦り寄っていきます。


「げ!!信じられない!!あんなにひどいこと言ってたくせに、しかも
自信まんまんで!!」

と言われますが

それよりも
間違いに気がついたら
すぐに謝った方が
私が気持ちいいので
すぐそうするのです。


ごめんちて♪
って。


ごめんちて♪
は素敵な言葉です。


許してくれます。だいたい。
愛があるなら、許せます。
ない時は、もうしょうがありません。
そこで関係は終わり。



だって、明日生きてる保証なんてないあやうい世界で生きてる私達。
いきなり台風来て水没しちゃったことありましたが
神様はあの日も
「今から、大雨降らしてあんたのいるとこ水没するから
準備しててね」
なんて教えてくれませんでした。


私は、取り返しのつかないことなど
ないと思ってます。
感情の行き違いの中で
生きているのが私達です。


夫婦も
家族も
親子も
友達も
職場も


「なーんだ、そういうことだったん?じゃ、しょうがないね」
ってことの繰り返しです。


そんなに完璧なコミュニケーション
とれますかいな

無理です。

いつも
毎日
素晴らしい顔
素晴らしい言葉
いえません。
そして誤解を与えないことなど
できません。

不可能です。


だから、
誤解をかけあって
不快をかけあって
生きているんです。
迷惑お互いかけあって
生きてるんです。


欠けているのがたくさんあるのが
自分であり、
みんなです。


うちの院長などは
完全なコミュニケーション障害の毛がある人なので
うちのスタッフには
相当理解をお願いしています。


この部分はありえないほど
欠落してますので
どーぞ皆様で補って下さいませ
ともう、平伏してお願いです。


そして私も
ありないほど欠落している部分が存分にありますので
その部分はその才能を持っている人に
補って頂くようお願いしています。


ないものは
どうしようもないんです。
ないものを
「なんで、できないの!努力しなさいよ!」
と言われても
ないそではふれません。


そのかわり
突出したものもきっと自分にはあるので
その得意分野では
やりまっせー
力発揮しまっせー
頑張りまっせー
お助けしまっせー
ということなのです。


人間
欠けたものを
補いあって
まあるく円滑にいくのです。



いちいち、他人の欠落に
悪い妄想を渦巻いて
一人で考えてたら
あっという間に病気です。


考え込む前に
誰かつかまえて
「いやーん、今、くるしい^---だすけでーーー」
って言うんです。


言えば
助けてくれます。


声に出せば助けてくれる。

なんてことないじゃん
ってことがすぐにわかるんです。


言えないと
一人苦しんでいくんです。


叫ぶんです。
大声で。
泣き出してもいい。


そしたら、
次に
「あれ?私なんであんなに怒ってたんだっけ?」
ってことになるんです。


私もこないだ、
夫婦で親子でひさしぶりに
ああだこうだのやって
大泣き
おお叫びしたので
あとですっきり。


すっきりしたら
「はー、あとは、どうにでもなるわ」
となるんです。

どうにでもなるわ
なるようになるわ
いいようにいくわ
と心底思えたら
本当にそうなっていくんです。


人間
悪い状態の時に
頭で考えて行動することは
100%悪い現実を引き起こします。


溜まった感情は
澱ですので
吐き出すのが一番。
泣いて叫んで
動物になるのが一番。

そうすると
いきなり
頭が静かに冷静になるんです。



強くなるのは
泣かなくなることじゃないんです。

弱みを見せられなくなることじゃないんです。




12月、大忙しの時期に突入する
嵐の前に頭が冷えてよかったです。


久しぶりに話した友人の言葉をきっかけに
20年前の稲妻を思い出したのでした。


思い出させてくれて
ありがたかった。



今年最後の母性型勉強会
12月9日(水)18時30分~です。
高松国際ホテルにて
会費は3,000円(食事代込み)
お申込は
http://boseinomonosashi.com/study/



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