吉本歯科医院

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母性型勉強会について

2016.02.22親が仲悪くて離婚なんてしちゃうから私は不幸なんだって思っていました

人は、頭の中をガラリ矯正しちゃうと
本当に変わると、思うんです。
歯も同じですね。
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私、高校卒業する頃まで
ずっと
私がこんなに生きるのがしんどくて
なんだかだるくって
友達とうまくやれなくて
お調子もので
自分なんてつまんない人間だって
そう思う原因は

親が仲が悪くて、家の中いつも緊張感&不安でいっぱいで
ついには離婚なんてしちゃうから

それこそが原因で
だから
私は今、不幸に違いない
nayamu.jpg

だから、私はかわいそう


ってずっと思っていました。
頭の中は
そのスパイラルで
その思考回路から抜けれない。


抜けれないのは
まさか
そんな思考回路を自分が持っているってことさえ自分が知らないし
誰もそんなこと教えてくれないし
違う思考回路があるんだよっ
違う考え方があるんだよっ
っていうことを知るよしもなく
教えてくれる人もなかったんです。

18、19歳いやいや
成人式くらいまでこんな感じだったので
私の当時の思い出は
グレーなものばかり。
写真の中で笑ってる自分の顔みても
思い出すのは
「ああ、笑ってるけど心で泣いて怒ってたんよねこの頃」ってことしか
思い出せないほど、ジメーッと心の中はしてたんです。


でも
お調子もので
人の顔色うかがうのはピカイチだったので(みじめで泣けてくるけど)
空気を読んで
「あ、空気悪い、盛り上げなきゃ」
「あ、いかん、あの人機嫌悪い、ご機嫌あげなきゃ」
ってことは
必死でした。
あーしんど。



これって、最近知ったんですけど
小さい頃
父親と祖父がすぐ怒鳴って怒って
手がつけられない環境に育つと
「あ、機嫌悪くなる」
「あ、怒り出す」って空気に異常なまでに
敏感になっちゃうんです。
そんなとこ
研ぎ澄ましたくないですよね、普通。



よく母親にもシテキされることは
「あなた、いらない神経遣いすぎよー」

とにかく
見事に不要な神経遣わない母からみると
私は、異常に見えるそうです。
そんな母の太さが私はうらやましいけど
まだその域までは
30年くらいかかりそうです。


ぶっすう
って顔してると
私はすぐ
怒鳴られたりしてたので
必要以上に笑ってた(面白くないのに)のは
「これ以上怒鳴られないための防衛本能」だったんですね。


幼少期にしっかり細胞にしみこんだ
「怒鳴られる&怒られる恐怖」
その後、大人になってからは
「大声で怒鳴らないだけで、かなりいい人」
「感情の起伏がなく穏やかな人」となるともう最高レベルに素敵な人
「お酒飲んで怒鳴らないだけ人」なだけで、かなり人格者。


結構低め設定の私のハードルらしいですが、
怒鳴らない
怒らない
感情でものを言わない
人は、
もうそれだけで
す、て、き☆

ね、ちょっと壊れてますよねー。


なにせ
結婚してから
一番嬉しかったのは
「わー、この人怒鳴らないわ、しかも怒らないし
感情的にならないし、
それにお酒飲んで手も上げないし、
包丁も飛んでこないーーー。すっごい、いい人やん。
私って、しあわせもの???」


何をしてくれなくても
怒鳴らないだけで
家の中で子供に感情的に怒ったりしないだけで
もう、なんて素敵なだんなさま☆


家庭サービスなんて、いいです。
プレゼントなんて、いいです。
優しい言葉も、いいです。
気配りも、いいです。


家の中が
おだやか。。。。。


これこそが、
私にとってはミラクル
私にとっては宝物
私にとっては最高の居場所



ピリピリして
父親の顔色うかがって
いつ怒鳴られるかわからない
いつ戦争がはじまるかもしれない
小さな3LDKで10年ちかく過ごしていると
子供心に
過剰な防衛反応が身につくんです。



過ぎてしまえば
すべて、
私の幼稚な受け止め方だったし
父もその時で大変だったろうし
母もその時必死だったろうし
家族みんなが余裕がなくて
世間の目と家族のイライラのはざまで
いっぱいいっぱいだったんだろうなってことは
今は、よーくわかるんです。

自分も家庭をもって
理想のお母さんをやろうと思っても
心が追いつかない
余裕がない
いっぱいいっぱいで
つい「出ちゃう嫌な言葉」の数々。


40過ぎてこのざまは何???
と時々自分にビックリするんですが
まあ、しょうがない。
子供はよく見てます。
私が親をよく見ていたように。



あの人のせいで
環境のせいで
で、今の私がかわいそう
で、今の私が不幸
って思っている限り

あの人や
環境が
変わってくれない限り
私は永遠に不幸、なんです。
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あの人や
環境や
両親は
私がどう頑張っても
どうしようもないこと。


私が頑張ったところで
変わらない要素ばかり。


親がもっといい環境を与えてくれてたら
◯◯ちゃん家みたいに仲のいい両親だったら
こんな閉塞感のある家じゃなかったら

もう全部
「◯◯さえ、なかったら、私はもっとよかった」
「◯◯さえ、あったら、私はもっともっと」

心底そう思ってたし
その不満を吐き出す術も言葉も
持ち合わせていなかったので
とにかく
もんもん
とグレーな青春時代をすごしていたのです。

だから
頭の中が変わる
ってすごいことだと、思うんです私。


あのままずっと
「親のせいで」「環境のせいで」って生きてたら
もうずっとあのまま被害者意識もって
自分に起こる不快な出来事ぜんぶ

私の外側に原因があって
何もしてない善良な「わたくし」のもとに
いきなり
相手から悪いことをぶつけれた
ひどいっ

という思考回路になっていたと思うから、です。


この回路は不幸です。
この回路はしんどいです。


実際すっごくしんどかったし
さびしかったし
頭も痛かったし
たしか「自律神経失調症気味です」なんて
言われてました。
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人が変わるのは
やっぱり、
その時、誰かに出会ってるんです。


誰かによって
自分の幼稚さを初めて恥ずかしいと思い
「げっ、単にいい訳してたんだ私」って気がつき
「今の段階までの自分なんて全捨てでいい。
とにかく何もかもを全部変えるんだ」って頭で思った時には
もう何もかも動きが変わってました。


親のせい
環境のせい
周りのせい
ついでに
時代のせい
って思ってる時には
見えなかった世界です。



でも、20年近く「私が面白くないのは誰かのせい」で生きてたので
いきなり矯正することがすごくキツイんです。


キツイけど
そのちょっと前の自分に戻るのは
もっとイや
もっとキツイ
そんなのは、もう二度とイヤ。


あっちもキツイ
こっちもキツイ


絶対人のせいにしない人の後にくっついて
絶対環境のせいにしない人とたくさん話をして
頭の中を大矯正。


しばらくすると
頭が切り替わっていました。


そうすると、
すっごく、今までの時間がもったいなくなったんです。


私、何してたんだろ
あんなとここもって
もじもじして
来るはずもない何かや誰かを待って
何してたんだろ
ちっとも動かないで
ああ、もったいない。

そっからこっちはもう
「親のせいで、私はずっと不幸」なんて
みじん、も思わなくなりましたし、
父はもう亡くなりましたが
生きてる間は
さんざん悪者扱いしてたので
お墓の前では
「ごめん」
といつもお墓に手合わせてるし
母には
「もう、残りの人生は好きなように生きてちょうだい」と
楽しいことだけやってほしいなあって思ってます。


今の感情の原因は
自分以外の誰かや環境だと思っていると
いつまでも、同じなんです。


今の感情の原因は
全部自分の内っかわにその種があるんだって
知ってると
自分の中をのぞいていけば、
すぐに解決できるんです。


外側のことで、私が不幸なら
もうどうしようも手がつけられないけど
内側のことなら
私はいますぐにでも
いくらでもどうにでもできる。


いますぐご機嫌にだってなれるんです。



自分でどうにでもできる
って方向にもっていけると
「なんか、私ってすばらしくない??」って
感が満ちてくるんです。


これがいわゆる
自己重要感ってものでしょうか?
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他人によってすぐに害される自分
他人の言葉によってすぐ傷つく自分
他人と比べて自分が「ない」ことを比較して落ち込む自分
そうやって
人はどんどん
「私って、ダメかも」が増していくんです。

心が病気になっていくんです。


自分がすぐにへこんだり
自分がすぐに落ち込んだり
自分が傷ついたりすることは
生まれつきでは、ないんです。


傷つきやすい遺伝子とか
へこみやすい染色体だとか
そういうんじゃなくて
小さい頃から
刷り込まれた
見たもの
聞いたものから
それをみて
「自分がどう思ったか」
自分のクセが作られてるんです。

私と同じものを見て聞いたはずの
兄はまた違う受け止め方をしてますので
その人がその事実をどう
受け止めたか?なんです。



私、「これは一生続くんだ」ってずっとそう思ってましたが
単なる「クセ」だったんだ、って今はあっけなく思います、

なんだ、
「クセ」か。


トイレのフタを毎回閉める「クセ」です。
フタを開けっ放しにしておくのも「クセ」です。
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「クセ」は意識してやろう、と決めて
パタリ閉めることを今日も明日も明後日も繰り返すだけ。


あの人のせいで私は・・・くっそおおーーー傷ついた^---

って思ったら
そう言いそうになったら


ぐっとその言葉を飲み込んでみるんです。


そして
言葉を変えてみる。


「あの人のせいで」
っていう意識って
どんどん大きくなるんです。
自分の中で。巨大化する。

そうなってくると
もう何見ても
腹が立つ
誰に会っても
なんだか自分だけが損してるような気がしてくる

本当は目の前に
平等にいいものがたくさん落ちてても
「あの人のせいでー」につかまってて
いいもの全然見つけることができなくなっちゃうんです。


自分が意識してるものしか
人は掴むことができないんです。
自分が何をずっと考えてて
何を掴みたいと思っているかによって
どこを目がけて指さしてるか
自分にやってくるもの
目に入ってくるもの
全然違っちゃうんです。
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「あの人のせいで私は不幸」ってことずっと頭の中に思ってると
近い将来も必ず
明日も必ず
同じセリフを吐かないといけないような出来事が自分の目の前に起こるんです。
そうなってるんです。



今日自分に起こってることは
過去に全部自分が種を蒔いてることばかり。

「そんなわきゃあない」
と思っても
人を見てると
「ああ、その通り」ということがわかるんです。


淡々と着実に地味だけど
仕事を重ねてる人は
確実にその芽が出てくる。
種まいてない人は、何も出ない。


100万円手元にあったとして
その100万円を、自分の中身を磨くもの、勉強代に投資した人と
一発当ててやろーーって使った人では
残るものは
自分の中身に入れ込んだ人の方が倍々になっていくんです。


さっき、たまたま
来られたある営業の方とお話してた時のこと。
その男性36歳。

以前お仕事お願いした時、
すっごく丁寧にして下さったので
またお願いしたんです。


小さい小さいお仕事ですが、
すごく丁寧に。


ちっさい仕事も大きい仕事も
関係ないんです。
一緒なんです。

そう、おっしゃってました。


って、「その通り、実際にやって下さってるな」と
私、感じたので
こうやって、また、お願いしてる。


丁寧に、淡々と
種を蒔いてるんです。


不幸な自分がいきなり環境や劇的な出会いで
人間関係が急変し、
ハッピーな場所へ
安心できる場所へ
連れて行ってくれる
・・・そう、そんなうまい話はない、と人間思いながらも
それを夢みてしまうんです。


でも、その邪まな考えが頭の中にたくさんある時って
人間面白いほど、「カス」掴んじゃうんです。


ある日突然誰かが・・・・
ある日突然いい話が・・・


ない、です。


その頭に浸っている限り、ないんです。

で、そんなこと思いもしないほど
夢中で仕事でもしてる時、
ひょこっと、「え?本当?いいの?」っていうような
嬉しい話がきたりする。


全部、自分の中に問いかけていけば
今日のこのご機嫌は維持できちゃうんです。


今日維持できてることは
明日も維持できる。


今日も不機嫌だと
明日も「不機嫌を維持するような」出来事が
ずーっと続くんです。
慣性の法則。



10年後も笑ってる方向の道を
あえて「私は、こっちの道で」って宣言しちゃって
あえて
そっちに足を向けちゃう。
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ほうっておくと
何も考えず歩いちゃうと
どうしても
10年後、私一体どうなるの?
10年後、ひとりぼっちじゃないの?
10年後、ボロボロじゃないの?
10年後、あああああ・・・
ってことしか考えられないように
なってるんです。


10年後、確実に「笑ってる私」の道に行くには
もう最初は
ちからわざ

で、わざわざ
足をよっこいしょと出すしか、ないんです。

無理矢理矯正するぞって、決めちゃうんです。
IMG_1385.jpg
今日のメインは「いも」
ごろごろたくさん入れてみちゃいました。
雑穀を入れて煮込むと
ほどよいとろみができて
腹持ちもいい。

鶏肉はほろほろに溶けてます。
うーん、上出来。


フランスパンがよく合いました。

2016.02.03気軽にやって、あきたらやめて、おもしろかったら続けりゃいい

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うちのカウンセラーの森下が、毎日歩いて通勤です。
そのうち↑
こんな風に走りだすんじゃないか?ってほどです。


悲壮感がないのが、いい
苦痛感がないのが、いいです。


森下いわく
「だって仕事は毎日行かなきゃいけない場所、
そして行ったら家まで帰らんなきゃいけない。
わざわざ運動しに出かけたり時間とったりするんじゃないから
結構いけちゃうんです」


すっごく血色いいし、
ご機嫌さんだし
森下の快適な雰囲気につられ
私まで
「エレベーターやめて階段」
「そこまでは車やめて歩こ」
と連鎖しちゃうものです。

人がそれをやってて
ご機嫌で嬉しそうなのを見ると
ついつい連鎖するんです。


なんでもとりあえず
やってみる
って、大事です。

何が自分に合うかわからないし
何が続くかわからない
そしてやってみた中で誰に何に出会うか
わからない


何かやってみて
3日坊主になったり
すぐ飽きて続かなかったりすると
人はそれを自分の失敗の体験として
残ってしまいがち、です。


そして
何をやっても続かなかったり
あきちゃったり
することが習慣になってしまうと
「私ってダメ人間?」と
無意識に自分に自己暗示をかけちゃうことって、あります。


そうなると
自分は何をやってもダメなんだ
何をやっても続かないんだ
モノにできないんだ
って自分が自分に対してもった思い込みに
本当に飲み込まれて
実際本当に何をやってもダメでうまくいかない自分が
見事に出来上がります。


だから、深刻に考えちゃダメです。


うちのスタッフは
過去にみんなで院長も含め
テレショップで
「お腹に巻くだけで寝てるだけで腹筋がついて痩せる」
というベルトをみなさまお買い上げ。
たしか3万ちょっとしましたよ。


で、全員
3日もしないうちに「あきた」
で、
すぐに
「誰かに売ろ」
になりました。


でも、いいんです。
それで。


面白いじゃないですか?
そういうのって。


何でも興味持ったら
「どうしよっかな」って考えるより前に
やっちゃう。
とりあえず申込書書いちゃう。(私はこれです)
飽きることを恐れちゃダメなんです。

飽きることを恐れてる時間がもはやもったいない。

これをしてどうなる?と考えてもしょうがないことに
時間を使うくらいなら、とっとと
買うもの買って咀嚼しちゃったほうがいいんです。


迷うなら、やる、買う、行く。

どうしよっかな
って時間がもう本当にもったいない。


そして
たくさん本を読んで
いろんな人のいい話聞いても
読んで聞いて溜め込むだけは、ダメなんです、


放電しないのが、病気になる。
その病気は
頭でっかち病。


頭、重すぎてう、うごけない。。。。病気です。


勉強会に行っても
何かを学ぶだけではダメで
学んだものを即、外に表現することで
人は心が満たされていくんです。


入れる、出す、入れる、出す
を繰り返しているから
新たな好奇心がどんどん発露してくる。


入れっぱなしになると
こうなるんです。
「うーん、もうそれ知ってる」
「面倒くさくなってきた」
「あきたーー」


出さない
表現しない
から、こうなるんです。


お金と同じで
溜め込むとおかしくなる。
循環させてないと、澱むんです。



今は情報化社会なので
どんどん情報がやってきて頭の中に知識は
たっぷり入ってくるけど、
入った情報を使えない、
使う場がない
使う機会がない
その恐ろしさがあるんです。



本を読んだり
話を聞いたり
勉強してきた知識を
今度は
人に話す
人に教える
早速やってみる
早速かいて表現してみる


そうやってつかみとる
習慣がついてると
絶対、おもしろいことがない、って状態には
ならないんです。


常に、外に出す
ってことをやってると
いい巡りが止まらなくなるんです。


何にしても
やってみないとわからないことばかり、なんです、
気軽にやって
あきたらやめて
おもしろかったら続けたらいいんです。


私は、3日坊主で何も続かないんです・・・・こんな私はどうしたらいいでしょうか?
って悩んでる時間こそ、もったいないんです。


人間、体動かしてる時って
頭の中に「いらんこと」考えないようにできてます。


止まって頭だけで考えてると
「私って、ダメなんじゃないんだろうか」
「どうしたら自信が身につくんだろう」
とか、考えてもどうしようもないこと
よぎるんです。



なんか、面白くないわって
なってる時は
もう間違いなく
深刻になってるんです頭が



深刻なって
いいことなんて
ひとつもないんです。


もっと深刻になれ
もっと真面目になれ
って自分で自分にむちうって
頭で考えて頑張ろうとしてる時って
私はもう何やってもうまくいかない
笑っちゃうくらい、うまくいかない



いいこと聞いた
早速話してみた
いいこと知った
早速自分のところでやってみた

この循環が習慣になっちゃうと
深刻になってる時間が
あほらしくなってくる。



溜め込むから、止まっちゃうんです。
溜め込むから、自信がどんどん奪われていくんです。


溜めちゃだめです。
便秘と一緒です。


どんどん出すために
どんどん動いて歩いて
口も使って
人もつかまえて話す話す。


そうやってやってると
なんでも続くようになっていくから、不思議です。
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今日のお昼のスープは自信作!
みんなの反応楽しみな私。

ただいま出来上がり。

れんこん
ごぼう
にんじん
雑穀
ベーコン
玉ねぎ
ねぎ
麦ミソ
豆乳
黒こしょう


今日もしっかり具だくさん。
根菜毎日食べるようになって
手がポカポカ、お腹すっきりです。


嬉しいことだけ、続くんです。

2016.02.01こんなに大変って聞いてなかったんですけど。。。。

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昨日NHKスペシャルで「ママたち非常事態~最新科学で迫るニッポンの子育て」ってのを
観ました。


産後ウツになりやすい原因や
産後、なぜか、一番話し合いたい主人に対してイライラの感情が抑制できないのか?
「ママ友」って、日本特有の社会現象
とか、

へえーー、10年前に放送して欲しかったわ、これ。
ってうんうんうなずく49分のドキュメントでした。


離婚が一番多いのが
産後1、2年以内なんですって。


なんでも、妊娠中から出産までぐんぐんうなぎのぼりに
増えているエストロゲンホルモンが
出産した瞬間に一気に減るんだそう。


その影響で、
孤独を感じやすい
不安を感じやすい
ストレスを感じやすい

そんな脳になっちゃうんですって。



だから、些細な主人の言葉にカチン。
何か手助けしようと思ってやったことが
すべて裏目にでて
余計に奥さんかチーン。


嫁:「よけいなことしないでよっ!!!きーっ」(怒)


夫:「こ、こわい・・・・」


出産するまであんなに
気があっていた二人が
育児に入った途端に
どんどんかみ合わなくなってくる。


奥さんイライラ制御不可能状態。
そんな奥さんが怖いので
さわらぬ神にたたりなし状態の主人。


だんだん距離が離れていき、ついには。。。


いやーわかるなあわかるなあ
と過ぎたことだから
ポッキー食べながら余裕でテレビ見てたけど
長男の出産&育児中の渦中にいる時は
私まさに、このテレビの中の奥さんと一緒でしたね、ほぼ。




妊娠中は
特に一人目は
赤ちゃん育てることなんて体験ないので
いいことしか、思い浮かべてないんです。
妊娠中は、なんだかふわふわと
結構しあわせホルモンばんばん出てることと
時間もあるので
友達としょちゅう会えたりコミュニケーションも順調。


子供がお腹の中にいる時は
泣きもしないし
おむつもかえないし
自由に動けるし
まあ、楽ちん。

そんな風に
ひとりで自由な快適な生活から
一転して
まったく自由がきかない状態に。

だから、
出産直後から
赤ちゃんがひとたび
おなかからでてきた瞬間から
「ね・・・眠い・・・寝たい・・・」
「おっぱい張って痛い・・・痛い・・」
「しんどい・・・」

になっちゃって
もう想定外!


おっぱい飲ませてる時期は
1時間外に出るってことも本当に大変。

外に出かけるのも
一苦労。


こんなの全然聞いてませーん。



最大の共同保育者である夫は
仕事が忙しくなかなかイクメンも難しい
日本の夫の家事育児時間は
スウェーデンが3時間21分に対し
日本は1時間7分
だそうです。

1時間7分もかなりすごいと思いましたが私は。。。


そしてベビーシッターの利用率はたったの2%。


なるほど、
出産後1、2年目のお母さんと接点もなかったは
その時期、みんな家の中に引っ込んで
外と交流しないから
「大変でっせ」という情報が耳に入ってこなかったんですね。



なにがつらいって、
眠いこと。


人間眠れないってことって
地獄です。
思考ストップ。

イライラしか、ないんです。
でも、外では「いい顔」するので
家族にはキツイんです。


テレビの中で若いお母さんがこうつぶやきます

「何の地獄かと、思いました。。。
こんなの聞いてなかった
子供のことでこんなに自分が落ち込んだり
自信がなくなったりするんだ」


「私って、母親失格???」

「毎日が予想の下を下をいく生活でした」



自分の母親からも
「母親なんだから、それくらいしっかりしなさいよ」
なんてこと言われて
かっチーン。
カッチーンとくる私が相当イライラしてたんでしょうね。きっと。



なんであんなにイラついてしんどかったのか
過ぎてしまえば不思議なんですけど、
渦中にいる時は必死なんです。



でも、あの時の私はとっても大きな収穫があったんです。


脳内地獄のような体験をしたことで
「もう二度と過ちはおかすまい」
と思考をチェンジすることができたから、です。


10年前の私の口癖は
「子供のためだから」
「奥さんなんだから」
「ちゃんとしなきゃ」

・・・で、
「こうでないといけない」ってことを
本当によく言ってたし
他人に対してもそう言ってた。


言ってることは
頭の中で考えていることそのものなので
当時の私は
「こうでないといけない自分」ってものに
がっちりがんじがらめ。


私がこうしたいなーー
じゃなくて
「なにがなんでもこうしなきゃ」
「こうできないのはダメ!」
そんなこんなが
つもりに積もって
心も体も撃沈。


結婚する前までや
結婚してから子供ができる前までは
あんなに自由な頭で
あんなに自由に動けて
「他人様がどう思うか」なんて気にもならないほど
かろやかだったはずなのに。


やはり
最初の子。

いきなり「私、お母さん」
っていうカードに変わると

どこからともなく
「ちゃんとしなきゃ」って頭に切り替わるんです。


その「ちゃんとしなきゃ」ってのは
奥深いところまで
浸透してて
その間違いに気がつくのに
私はしばらくかかりました。


子供や
家のために
「お母さんである私」
「妻である私」
はきっちんとしてないと
いけない。
たとえ、何が起こっても
きちっとしてないといけない


子供はちゃんと育てなきゃいけない
栄養は大丈夫?
環境は大丈夫?
もう、心配だらけ。


自分で作りこんだ「こうでないといけない完璧な世界」
押し付け

わかってくれなかったら
「私、こんなに頑張ってるのに、なんでわかってもらえないの?」
「私はこんなにちゃんとしてるんだから、みんなもちゃんとして」


周囲ははた迷惑です。
主人も怖いんですきっと妻が。
で、子供はそのイライラを察知して余計泣くのです。


日本女性の
骨の髄までしみ込んでいるのは
「女だからきちんとしなきゃいけない」
特に子供ができると
「お母さんだからきちんとしなきゃいけない」
「妻はこうであるべき」

という
自分で自分かけた
呪縛です。



子供のためにつらいこともぜんぶ我慢するのが美徳

そんな呪縛があります。


実際私も父方の祖母に
嫁に行く時に長々と手紙をもらいました。

「ご主人様をたて、
腹が立つことがあってもぐっとこらえ
決して口応えせず
子供ができたら、子のために尽くし
我慢することを喜びとし・・・」



子供のため
家庭のため
お金のため
家族のため
あなたのため
親のため


こんな言葉が自分の中から出てきた時は
危険信号です。


その言葉につかまって
自分の人生どこまでも狂うんです。


◯◯のため、
という言葉に続くのは
◯◯のために、私は苦労しているんだ
私は努力しているんだ


です。


そしてその言葉の水面下には

あなたのためを思って、私は・・・
親のために私は我慢して・・・・
子供のために、やりたいことを我慢して私は・・・


だから
こんな我慢している私をいたわりなさいよ
ねぎらって当然

というものが潜んでいるんです。


これら全部、
聞こえのいい
「逃げ」です。


子供にしてみたら
頼んでませんけど?

親にしてみたら
望んでませんけど?

夫にしてみたら
そこまで求めてませんけど?


ということなんです。


あなたのためを思ってお母さんはやりたいこと我慢した
とか言われても子供は重荷です。
で、そんなお母さんに育てられた娘は
同じように母になった時、
娘に同じことを言うのです。


だーれも、私に苦労と我慢をしょいこんで生きていけ
なんて頼んでないんです。


頼まれてもないのに
勝手に
「こうでないといけない私」を作りこんで
「できない、つらい、苦しい」
って周囲と比較して
自爆してるだけ。



思いっきり
体壊して
このままじゃ心もおかしくなちゃうって
危機を感じた瞬間に
「やーめた!」
と、すべて吹っ切れるんです。


私のこの体だけが
私の今日も明日もあさっても、人生を
歩くことができるのに
その体と中身のエンジン部分の心まで
破綻しちゃいそうになって
そこまでして守りたい
「こうあるべき自分」って、何??
「お母さんだから、こうあるべきって、何?」


ニコニコ笑って
幸福感じてるお母さんに
抱っこされてるほうが
子供はよほど安心します。


イライラして
かっかっして不安で孤独なお母さんが
抱いていると
子供も伝染するんです。

母子一体なので
気持ちがぜんぶ通じていってしまうんです。



長男の育児期に
ちょっとおかしくなってた私を
「もとの私」に引き戻してくれたのが
イキイキして心が自由だった頃を一緒に駆けていた人です。

「ちょっと、あんたおかしいよ、目覚まさなきゃ」
って。


はっ
ここはどこ?
私はだれ?
何してた私?

ってくらい
目が覚めたんです。


それくらい
パカッと光が見えた。


我に返るってこういう感じです。


それほど、
日本女性のだれもかれもに
しみ込んでいる
「女だから、こうしなくちゃいけない」
特に
「母だから、こうであるべき」
の目に見えないプレッシャーは強いんです。


誰がかけてるでもない
自分で自分にかけるプレッシャーです。



私達は、自分自身というものをしっかり持っているようで
実は違います。



「私」というものは
今まで親や学校、近い友人、から
繰り返し繰り返し聞いたり、言われた言葉の
暗示で出来上がっています。


自分の趣味、思考、異性の好みまで
すべて「自分」が選んでいるようで
実は積み重なった親や学校、近い関係の人間からの
言葉かけや見たもの、聞いたもので
できあがっているんです。


人は人に影響される生き物なんです。
感化される生き物なんです。


その「好き」は本当ですかっ?って話なんです。



信じることができるのは
なんとなく感じるからだの違和感だけ、です。


ありますよね?
特に女性はこういう言葉のやりとり、普通ですよね。


「条件はいいんだけどねーー。なんか、どうもうさんくさいんよねー」
「いい人なんだろうけど、どうも会うと疲れるのよねー」
「うーん、言葉にできないけど、なんか全体が漠然と嫌」
「どうも、乗り気じゃないんよねー」


男性からすると
「なんですかい?それは」
「はっきりしてくれん?」
「数値化してよ」
「漠然としすぎ」

と思うんでしょうけど、
この女性の「なんとなくねーー」ってのは
皮膚感覚で感じる違和感なんです。


逆に
「あ、いい!」
と思った瞬間には
間髪入れずに
もう動いてます。
もう距離がちかずいてます、勝手に。
それが全ての答えです。



「ちょっと考えてみよう」
って時、
それはもう違うんです。


60兆個か何個か知りませんが
全身のすべての細胞でもって
「いわかーん」を教えてくれてるんです。


その違和感を無視して
頭で考えて
「でも、◯◯だし・・・」
と理屈で納得させて
動かそうとすると
体は破綻します。


自分でも大病院でも病名のつけられない
病気にまで発展しちゃったりするんです。


違和感って大事です。


なんか、へん。

なんか、違う。



違和感をひとつひとつ丁寧に感じていくようにすると
自分がやってることの間違いや
一緒にいる人が間違ってますわ、ってことに
すぐ気がつきます。


人は人に影響されるんです。


よくも悪くも。


だから、その性質にのって
自分を感染させていったんです。


自分を変えようとする時、
誰かの影響を受けてしまうのが
一番てっとり早いんです。


人は憧れてる人と同じ方向に向かうようになります。
あんな風になれたいいな
あんな風にできたら楽しいだろうな
あんな風に生きれたら素敵だな
なにより、かっこいい!


たくさん話を聞いて
たくさん話をして
たくさん会って
たくさん読んで


自分で自分の頭を「洗脳」していくんです。


そして
会話によって、
自分の頭の中を塗り替えちゃうんです。


それは具体的な作業です。



誰と一緒にいるか
誰とたくさん会話するかで
あっけなく自分の頭の中って変わるんです。
良くも悪くも。



その性質を
知ってはやく習慣にしたことが
今、とっても良かったと思うことです。



類は友を本当に呼びます。
同質のものが引き合います。


さんざん
自分にうんざりしたら
チャンスです。
その時がチャンスなんです。


自分の考えに固執して
体まで壊してあげく
精神までおかしくなりそうになったら
もうチャンス。


大きく負に傾いたら
今度は
その反動で
一気に明るい方へ、飛びたくなるからです。
「私、今まで何やってたんだろ?」
自分を大笑いできるチャンスです。




さて、ドキュメントの中で
こんなことがお話されていました。

出産直後にエストロゲンが極端に減少し
不安や孤独を感じる脳になってしまう
この体の仕組みは
共同で子を育てることを
促すためのものだとも考えられているんだそう。


つまり、
出産後に母親が
不安や孤独を感じれば
一人でなく
仲間と一緒に子供を育てよう
つながりはじめるから、だとも。



人間という存在は
もともと共同で養育する生き物であって
今のように核家族化している中で
たった一人で子供を育てるような
体の仕組みにはなっていないんだ、と京都大学の
魅力的な先生がお話されてました。


つまり、
今のこの子育ての状況は
人類の危機である、と。


そもそも
人間は一人で育つものではなく
共同でみんなで育てていくもの。

今の子育てウツ&産後ウツ
そして、出産後、妻が夫を大事にしなくなる
いや、優しくする余裕がなくなるといいましょうか
大事にする余裕がないとでもいいましょうか。


女性の力
女性が社会で活躍
って、言われても
実際、女性が安心して子育てして
仕事していける環境が整っているとはいいがたいです。


でも、だからといって
社会がダメ
環境がダメ
こんな世の中だから
私は苦しいんだって、引っ込んでへこんでいちゃあいけないんです。


どんな時代も
自分が生きてる時が「最高に整備された社会」
であるはずは、ありません。


どんな時代であっても
どんな社会であっても
生き抜いていくことが、大事。


文句言ってる間に
わが子は育っていきます。


文句言ってる間に
時代はどんどん変わってく。



周囲がどんなに過保護にしてあげたって
理解をしめしたって
自分で自分を縛ってる自分に気がつかない限り
この子育てストレス
育児ストレス非常事態
改善はしません。



どんなに制度が良くなったって
妻が夫にイライラすることはなくなりません。
さらに加速するでしょう。


わけわかんない言葉に
がっちり捕まって
私達は生きることにがんじがらめです。

「こうであるべきだ」


そしてそれは
素晴らしく正論であり
どこをとっても正義であり
神棚に飾らなくちゃいけないくらいの
「美徳」ふうです。


でも、
そんな言葉につかまっちゃうと
頭の体も動けなくなるんです。



2番目の子を楽々出産した後は、
もうそっからこっち
ずっと、自分のやりたいことを思いっきりやってます。
やりたいことをするために
やるべきことは、恐ろしく段取りよくなります(笑)

やりたいことをしたいがために
自分のやるべき役割を果たすために
すっごく工夫するんです。
もっと、効率よく
もっと、段取りよく
そのための工夫は苦労じゃない。
むしろ、楽しくおもしろい。


段取りは
下心がある時の方がよほど
うまくできるのです。


そして
仕事は好きです。
なぜ好きか?
「私はこれをやろう」って自分で決めてやってるから、です。
やろうと決めた瞬間に、
やらされる感は消えるので
「ま、私がまいた種ですからーー」と納得なんです。


奥さんだから
仕事も手伝わないといけない
という言葉に捕まると
私はきっととっとと病気になってるでしょう。
モタナイ。



言葉を変えるんです。
そして頭の中を塗り替えていくんです。


私がやりたいから、やる。
私がそう決めて、やってる。


そうやって小さいことから大きなことまで
ぜんぶ、
口にして
動く癖つけてくと
おもしろいことが、起こってくるんです。


そうやってると
同じように考えてやってる人と
出会うようになるから
もう本当不思議です。


ある時期、
自分の頭を徹底的に矯正する時期は
大事です。

私は自分の脳ミソ全然信じてなかったので
徹底的に矯正しました。


矯正成功です。


あのままいってたら
きっとずっと
私、しんどい
私がおもしろくないのは周囲のせい
って、被害者意識せおって
つまんないつまんないって
言ってたと思うんです。


矯正する時は
徹底的に、です。

徐々に、じゃなく
一気にやる。


少しづつ
ぼちぼち
自分のペースで
じゃダメなんです。

無理しなきゃダメなんです。

無理しちゃだめ
という言葉に捕まると
また、ダメなんです。


無理をしちゃ体を壊す
と自分の頭が思い込んでいることの
プログラミングの間違いです。


人が何かを変えたい
現状をよくしたい
どうにかステップアップしたいって時に
「自分のペースで無理しない範囲」にやるなんて
日本語そのものが、おかしんです。


自分が無理をしたから体を壊す
と思い込んでいるから
本当にちょっと負荷がかかっただけで
本当にその通りに体を壊すんです。



自分の人生振り返ってみただけでも
無理せず
何かを獲得したことなんて
ただの一度もないはず、です。


新しい考え方を自分の中に獲得していく
自分で作った小さい小さい殻を中からガンガンぶっ壊していく時に
「自分のペースで無理なく」なんて
無理なんです。


そんなことやってる間に
どんどん退化です。
周囲は進化してるのに自分は退化、なんです。



自分の頭は放置しておくと
何も考えずにいると
不安と
恐怖
で9割以上になるんです。


そして、
身動きとれなくなる
誰と話してても保険をかけたような
つまんない話しかできなくなるから
あたりさわりのない時間になるんです。


グイグイ矯正して
がんがん頭の中を
「もう止まりませんぜ」って方向に
矯正していくんです。


子育て中は大ストレスだとしたら
きっとチャンスです。
実際私は大チャンスだった。


1人目の時と
2人目の時と
同じように
子供を育てて
同じように仕事をしている
生活そのものはなにもかわらないんだけど
やってる本人の頭の中は
なにもかも、違うんです。


まさに地獄から天国。



長男出産から次の子の出産まで3年間
とてつもなくしんどくって
頭の中ぐるぐる
同じことばっか巡って
小さいことが気になって不安で孤独で
もう、「誰?」ってくらい
心が弱い私になってたので
(そんな時期は人生初のアレルギーまで発症)


心がからっからに餓えてたんです。
だから、反動がすごかった。
飢え乾いていた。


私、そういう時、
すっごいチャンスなんです、いつも。
どう考えても、そうなんです。


今度は、
そのからっからに飢え乾いてるものを
満たしたい、という欲望がメラメラ湧いてきて
もう、とにかく勉強して
仕事のことよく知って
どんどんいろんなとこいいものみにいって

見るもの
聞くもの
教えてくれること
もう、なにもかもが
お宝のような言葉じゃないですかってくらい
貴重に聞こえて
一言ももらさないように吸収させて頂きますっ!!
という脳ミソの状態でした。
会う人会う人
神様みたいに思えた。

会う人会う人
「こんな素敵な人いるんだ」
「なんてすごい世界に生きてる人がいるんだ」
瞳孔の奥までぱっかり開いて
もう目の玉で全部吸い取っていくかのような
スポンジ力でした。


だから
とにかく元気。
長男の時の育児期とは明らかに、違う私。


まだ5ケ月くらいの娘預けて
どんどん勉強に出かけてました。


長男の時には
「こんな小さな子供を預けるなんてとんでもない」
って思い込んでいたのに。
嘘みたいに。
なんで、あんなに自分の行動を
自分の思考を縛っていたのか、もう本当不思議。


せいいっぱい
周囲に甘えて
お願いして

そのぶん
預けてる時間は
1秒でもおしくて
吸収できるだけ吸収させてくださいって
頭になってたんです。


2人目の子は
気がついたら
7歳になっていました・・感じです。



私達は、言葉に捕まって動けなくなるんです。

自分が言った言葉を一番最初に聞いてるのは自分です。
自分が自分で使ってる言葉が
わけわかんないと、
その言葉につかまってどんどん迷走するんです。



頭はもう見事に体を支配してるんです。

頭で「もうだめだ」と思ったら
本当に体はもうだめになっていくんです。


「もうだめになっていいですよー」って司令送るので
忠実にその通りになっていく。


「私は、もう年だから、どんどん悪くなっていってしょうがないのよ」って
いってると本当に
「歳だからどんどん悪くなってしょうがない」
私に体がなっていくんです。


だから、マイナスの言葉を言うな
ではなく
そんな言葉が頭をよぎる暇もないほど
やるべきことに向かうんです。


具体的な今日するべき仕事がある人は
幸せです。
「あートイレ行く暇もない」ほどあっという間の時間だった
という仕事を持ってる人は
しあわせです。


今日、朝から夜まで
やるべきことがちゃんとあり
役割があり、その役割を果たす
その繰り返しが、
「病気」になる暇を与えません。
頭の中に不安がよぎる暇を与えません。


あちこちが痛くなることを
忘れるほど
何かに夢中になるんです。


頭は体の中に入っているものですので
頭の迷走を止めるには
体を動かすんです。


お客さん相手の仕事なら
いくらでも工夫はできます。
工夫してる時は
「私の将来どうなるんだろ?」なんて
実は考えてもしょうがないこと
は頭をよぎりもしないんです。



人は
考えてもどうにもならないことを思考してる時間は
実は意外にも多いんです。
そして、その時間はとてもしんどい。



子育ては
一人でするんじゃなく
昔のように
よその子もうちの子もみんな一緒って育てるのが
うまくいくんだろうな、と思います。


テレビの中では
アフリカの映像で
わが子を他のお母さんに預けて
水を汲みにいく
お母さんがいない間は他のお母さんが
おっぱいをその子にあげる

こんなの今の日本で、ないです。


自分の子供を
「ちょっと、みよってー」とぽんと預けて
「はいはーい」と預かってもらえる
暗黙の空気が、ない。


他人様に預けるなんて、とんでもない。
悪いし、遠慮する
かえって気遣うから疲れる


他人に甘えることが
恐ろしく下手です。


隣に醤油かりにいくなんて
とんでもない。
感じです。


昔よりは
電気機器も溢れ
家事もらくになり
情報も溢れてて豊なはずなのに
実際はとっても
しんどい。


この心の中がかっらからなので
一番身近なパートナーや親に
イライラするんです。


疲弊しちゃってるぶん、
その反動で
みんながみんな
心を求めてるんです。


損得じゃない関係
心通じ合いたい
隣の人を信じたい
もっと近づきたい
もっと、大好きになりたい
もっと遠慮しあない関係が欲しい


とんでもなく
希薄になっちゃったぶん
その反動で
すんごく求めだすんです。



いいことです、それはきっと。
人間やってみて
カッラカラに渇いてみないとわからない。
ああ、水がないとこんなに苦しんだってことが
わからない。


逆に餓えて渇ききったからこそ、
強烈に求めだすし
大事なことが見えてくる。


生きていく心と体を壊しちゃ
なにしてるこっちゃわかりません。



みんながここあちこで
「非常事態宣言」を出すことは
いいことなんです。



リセットするチャンスなんです。
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今日も作ってみました。
大根
ごぼう
たまねぎ
はくさい
ベーコン
ウインナー
はと麦
大豆
ヒヨコマメ
豆乳
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大なべにかえてみた。

根菜たっぷり食べると
午後から体がポカポカ。

おなかの調子もよく。

毎日具だくさんスープ、すっかりはまっちゃいました。


明日はポトフです。

2016.01.29ひとりになるのが怖い

ひとりになるのが怖い
って、きっと子供の頃にうえつけられたようなものじゃないかなと
思います。
kodoku.jpg

思い起こせば
小学校の時、
転校生だった私を
「一緒にトイレ行く?」と誘ってくれたのがきっかけで
仲良く遊ぶようになった友達。

なんでトイレ?
と思うけど、男の人には意味わかんないかもしれないけど
女子は、小さい頃つるんでトイレ行ってたんですよ。

一緒にトイレ行く子がいないと
さみしい、とか。

中学になると
トイレに加えて
お弁当一緒に食べる子がいないと
さみしい、とか。

一緒にお弁当食べるグループから
はじきとばされたら
もう最後、学校行くのが怖くなる
とか。


大人になって考えてみると
なんて恐ろしく狭く小さな視野しかない世界で
勝手に怖くなって
勝手に縮こまって
生きてたんだろう
って思うんですけど
私は、そんな感じの小心モノでした。


一番大好きだった
中学の親友が
他の子と遊ぶのを見て
本気で怒って嫉妬してたり。

独占欲まるだし
そして一人が怖い感まるだし
です。

「なんで私のこの子(親友は自分の所有物だと思ってる)と勝手に遊ぶんよーー許せなーい、私以外の子と遊ぶあんたも許せなーい!」
(あんたは何様ですか?)と私は過去の自分に言いたい(--)


もう、ありえませんってくらい子供だったんですが
実は大人になっても
この「ひとりになるのが怖い」という
穴から抜け出すことができていない人は
いっぱい、いるのです。


大人になって
社会人になって会社に勤めるようになっても
子供ができてママ友と付き合うようになっても
どんな場でも
人は、つるみたくなる。


あるグループに所属していたら
そこからはじかれることを
極端に恐れるんです。
怖いんです。


平日の昼まっからママ友と何時間も
お茶&ランチしてる仲間同士でも
すっごく楽しくて大笑いして
でも、すっごく不安。
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不安で不安でしょうがないから
死ぬほど気遣って関係をつなごうと、するんです。


だから、疲れる。

本当は遣わなくていい神経ばかり遣ってると
外で「いい人」やってるぶん
反動で
家の中の「主人」&「子供達」&「言いやすい母親」に
当り散らすのです。

なんだか、わからないけど
イライラするわって
ことになるんです。


イライラの正体は
外で死ぬほどいらん気遣ってるから、です。


仲良くなって、頻繁に会い過ぎると
今度は一気に嫌なところが目につきはじめて
「あの人なんかねーー」と
一人が言い始める。
言い始めると
みんなが
「そうよねー」と後に続く。


いじめの構造ってきっとこうですよね。


仲良しグループは
お手手つないでにらめっこ、です。
不在者裁判のようで
その場にいない人がターゲットとなり
愚痴悪口噂話が展開されるんです。



小学生や中学生に
はじめるこの嫌な構造は
何も大人になったらストップするわけじゃなく
大人になっても
おばちゃんなっても
おばあちゃんなっても
同じこと繰り返す人は
同じこと繰り返す仲間とつるんで
同じことやってます。



人間関係は
固定されたものじゃなく
生モノです。


生モノなので
何かしらのことをしてないと
あっという間に関係は腐るんです。


最初は面白いと思ったけど、最近面倒くさい
最初はいいと思ったけど、なんか嫌になってきた
なんだかあの人、八方美人すぎて嫌


こんなことが、起こるんです。


相手がいきなり変わったわけじゃないんです。
自分の見方が変わったんです。


一度仲良くなったから
このままずっと固定されたものだ
と思ってるから、
ガッカリするんです。
腹が立ち出すんです。


人間関係は
生もの
これは原則なんです。


そこから「はい、いち抜けた!」って
気がついて
外に出ちゃった人は
すっごく楽になるんです。


一人でもいいじゃないか
って腹くくってると
同じように
「一人でもいいじゃないか」って人と
出会うのですよ。


みんなと一緒にいなくても
楽しいし
熱中できるもの持ってるから
逆に
みんなと一緒にいる時も
ただ、楽しいんです。
不安が消える。


濃い関係の友達や
親友と自分が本当に感じあえる関係なんて
1人いれば、いいほうです。


勉強会には、まだ小さい子供を育てているお母さん達も
来てくれます。

私もそうでしたが
最初の子供がまだおっぱい飲んでる頃なんて
もう、ちょっとそこのスーパーへお買い物ってことも
難しかったんです。


あんなに外に出てたのに
いきなり牢屋の中に閉じ込められて
誰とも会話しない日
が続いたりするんですよ。


勉強会に来るのも
子供を預ける段取りを何週間も前からしてきて
あたゆることを済ませてやっとこさ夜出られるんです。


女性にとって一番大事なのは
気持ちをさんざん吐き出せる場と聞いてくれる人
なんです。

正しいことじゃなく
立派なことじゃなく
絵に描いたような理想論じゃなく


今、このモヤモヤしたイライラや
自分で言語化できないような不安を
「そうそう、わかるよーー」って
共感してくれる存在と場。


愚痴の吹き溜まりのような場では
大笑いはしてるけど
実は死ぬほど気遣って他人に合わせたりしなきゃいけないから
疲れるんです。


私はもう長男の出産後はほぼ産後ウツ
でしたし
いわゆる産後の肥立ちが悪いって状態でしたので
髪は抜けるわ
はげはできるわ
肌はかさかさ
白髪はすごいわ
目は乾くわ
胃が痛いわ
痩せ細るわ
気力は失せるわで
もう大変でした。



あきらかに知識不足による、産後ウツ&肥立ちの悪さ

でした。


なので、その痛い経験を胸に
2人目の子の産後は
もうパラダイスでしたよ。


お産も最高。(ぼっこ助産院で、細胞全部リセットしちゃいましたって感じのお産でした)
産後も最高(こちらもぼっこで、滞在一ヶ月、どんなリゾートより快適)。


子供を愛しいと思えるのも
ああ、生きててよかったこの子に会えて
やっぱ愛よね
とか
すんごい言葉が出てくる時っていうのは
余裕というものがあってこそ。



1人目と2人目では
ゾンビと天女ほどの違いでしたので(私の状態が)
女にとって何が大事か
痛いほどわかるんです。



どんなに素晴らしい教えも
どんなに立派な知識も
自分がかっらからに渇いて心がさみしくてしょうがない時は
入らないんです。
「あーーそうですかーー、そりゃすばらしーーー」って実は右から左です。


小さい子供育ててる時の女性って
心に隙間風ふきやすいんです。
さみしくなりやすい。


家の中に閉じこもってる女性って
こうなりやすいんです。
雨風しのんであったかい部屋の中にいて
風邪ですかいっ
甘えんなっ
って世間様から叩かれそうですが

何も具体的な仕事とかすることがなく
物理的に一人でいる、
情報だけが入ってくる
って状態は
もっともあぶなくなりやすいんです。



家の中で
一人でしゃべらない乳児と
スマホ片手に
ひたすらミルク&おっぱい&おむつ
繰り返してたら
頭おかしくなっちゃうのも
しょうがないんです。


情報だけが
入ってくる。


他人の華やかな光だけが
クローズアップされて自分の視界に入ってくる。


知らなくてもいい周囲の知ってる人の情報が
どんどん入ってくるようになると
疑いが多くなるんです。

他人のいいところよりも
なぜか嫌なところが目につきだす。


他人と自分を比較することにより
どんどん
自分で自分を落とていくんです。
自爆です。

ドッカーン
誰が爆撃しかけたのでもない
自分で勝手に埋めた地雷を
自分で踏んだだけですが、
勝手にドッカーン



友達のマル子ちゃんは
あんなに楽しそうにイキイキ仕事して活躍して・・・・


私は、といえば
疲れ果てて
子供のうんち替えてる・・・・・


泣きたくなって当然。


友達のマル子ちゃんの苦労も知らず
マル子ちゃんの作られた華やかそうなイメージだけをみて
勝手に、自爆するんです。


こんな話本当にたくさん聞くたび、
自分もそうだったなと思うんです。


ですが、
過ぎてしまえば、
本当に「そんなことあったけ?」ってくらい
なんてことない生活に戻るんです。


子供に手がかかって
知識だけが頭に入ってきて
身動き取れない私って時期は
永遠には続かないんです。


私も子供が保育園行ってる頃は
このめまぐるしい毎日が永遠に続かと思いきや
もう今では
上の子は
私に寄ってくることもなく
抱き寄せると逃げる
3歳までおっぱいすっとたんやけんねーー!と
叫んでも
「あ、そー」とスルー。


かまってあげてたつもりが
「ああ、私を捨てていかないで」状態です。
少し、最近さみしい。



家族と一緒にいられる時間なんて
実はそう長くない。



人間本質は変わらないので
仕事好きな人は
子供少し大きくなったら
またバッリバリ仕事しはじめてますし
実際私もそうでしたし。


そのある時期だけ、
気楽に乗り越えらえるいい場
あったらいいのになあって思います。


だって、
現在の子育て事情や
女性の働きながら家庭やってる状況なんて
緊急事態宣言ですもの!

どんなに制度が整ってたって
足りませーン。


でも、子供はある一定の時期は
安心して育てたい。
ある程度育ったら、もう大丈夫。
だから、緊急事態宣言のある一定時期は
お母さんは、死ぬほど、周囲をフル活用したらいいんです。


甘え上手になる
お願い上手になる
話を聞いてくれる人をたくさん持っておく
「ここがダメなら、よそにいくらでも私の場所なんてあるわ」
とかまえておく。



女子が一番したたかに生き抜かないといけない時期
子育て期間中です。
人の手なんていくらあってもいいし
お金だって、遠慮なく頂戴
手助けしたい人いたなら、ええ、どうぞどうぞ
でいいんです。
優しくしてあげたい人はいくらでもいるんだから
優しく聴いてもらえる人や場は
いっくらあっても、いい。




愚痴悪口いない人のうわさ話じゃなく
死ぬほど共感して思いっきり聞いてもらえるけど、
その後は、発展的な方向へと指し示してもらえるような場や人。


そんな場は
少ないんです。


さみしい人がいくら集まってもさみしいの2乗3乗でもっと
さみしくなるだけ。
不安な人の3乗はさらなる不安をあおるのです。


不安な時
なんだかうまくいかないなって時こそ
同じような状態の人と一緒にいたがるんです。
なぜか、つるむ。
人間、磁石で引き寄せあってるので
もうどんなことしてでも
つるみたくなるんです。


あぶないあぶない


今いる場所で
一人になったって
グループからはじかれてると感じたって
大丈夫。


関係は次々変わって当然なんです。

独身時代は独身時代の仲間
同じ境遇の人と共通の話題で盛り上がる
これ、当然

でも、結婚して
子供できたりすると
やっぱり同じ境遇の人
同じ悩みを今現在抱えている人と
盛り上がりやすい
共感しやすい



そしてもし自分の親や義父母の親が
倒れたりして
面倒みるようになったら
やはりそこで
同じような境遇の人と
「わかるわーーー」と共感しあいやすいんです。


これ、当然です。


自営業の社長さんが
なぜ一緒に飲みたがるかっていうと
同じ孤独感をもってるから
同じ悩みをもってるから
同じところで、地雷ふんで
同じところで、痛い思いしてるから
共感できるんです。


サラリーマン同士も同じ。



特に女の人生は
結婚、妊娠、出産、育児、介護・・・・・
仕事同時平行しながら
いろんなことやってのけちゃってるんです。



その時その時、
「共感しあえる人」と出合って楽しんでいけばいいんです。


ひとつのグループに属してないと
私、恐ろしい
ってことはないんです。



それはいらん呪縛です。



固定された関係でないと
不安になる
って思っているなら
それは
私の中学1年の時の
「ちょっと、私の友達と勝手に遊ばんどいてよーーきーっ」ってのと
同じ痛い状態になってます。


かなり、危険です。



そんな人の口癖はきまってこうです。


誰それが来てというから、しょうがなく行く
誰それが誘ったから、しょうがく買う
誰それが・・・


私は、どっちでもいいんだけど
あの人がどうしてもっていうからね。


他人のせい、なんです。



私がこうしたい!
私がこれを好き!
私がここに行きたい!
私があなたに会いたい!


こう言いきれないさみしさが、あります。



何をしても
何をやっても拒絶されない安心感がある
そんな域までお互い心食い込んでいる
食い込まてる関係なら
遠慮はいらない。


会いたい、会おうよ
が、すーっと言えるんです。


拒絶されたら恥をかく
暇だと思われたら嫌
自分から誘ったら負けた気がする
自分だけが相手を好きな気がする

遠慮しあう
気を遣いすぎる

これ、すっごく疲れるんです、


その根底にあるのが
「ひとりになるのが怖い」
そして
「嫌われたくない」
です。



まずは、「はい、私、イチ抜けた!!」です。
そこから
いろんなことが
ぜーんぶ、拓かれていくんです。

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イチ抜けたのドアを開くのは
やっぱり、自分です。


さ、熱く語ったところで今日のお昼ご飯

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今日のみんなのお汁はこちら!
大根
ごぼう
たまねぎ
れんこん
人参
ベーコン
はと麦
ねぎ
の味噌汁

汁を吸ってしまうほど具だくさん
なのが好みなので
ついつい
入れ込んじゃいます。



お鍋すっからかんに、なりましたーー。
お昼ごはんに保温鍋のスープ、すっかりはまってしまいました。便利!!
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朝ご飯の残りをそのまま詰めた手抜き弁当
なんとレタスちぎって塩こんぶ乗っけただけ。
森下の田舎から持ってきてくれた豆腐がメイン。


明日は、白菜がゴロゴロ転がってるので
白菜スープです。

2016.01.27いろんな考え方がありますよね、って言ってる時の自分は迷ってるんです。

1gatsu.jpg

母性型勉強会でした。
昨日は14名の方にお集まり頂きました。

残ってくれた方と写真撮影♪


いろんな考え方があっていいんですよ。
と言われるほど、不安なことは、ないんです。


それはもう
自分が難病にかかってて
それを治すために遠くのえらい先生のところにまで
診察に行って
あたりさわりのないことを診断されて
「ま、あとは心のストレスを減らすことが一番大事です」
と言われた時の「なんじゃそれ感」と同じです。



指針が欲しい
確かなものが、欲しい
これだ、というものが、欲しい

私はいつもそう思ってたので
「まあ、いろんな考え方がありますから」
とか
「みんな違ってるから、このままでいいんですよ」
なんて言われちゃうと
ガクッときてしまうのです。


いろんな考え方があっていい
という言葉には
受け取る側によって、違います。


周囲と衝突ばかり起こしてる自分でも
自分が何かをしようとしても周囲が助けてくれなくても
具体的に応援してくれる人がでてこなくても
近い関係の人とトラブルばかりでも
何かをしようとしても、続かない自分でも
すぐに落ち込んでブラックホールに入り込んでしまう自分でも
疑心暗鬼になって、他人が信用できない不安な自分でも


そんなあなたでも
今のままでいいんですよ。
だって、いろんな考え方があっていいんですから。

だって、価値観は多様ですから。


耳に聴こえはいいけれど、
そのまま真に受けてたら、大変です。


うまくいってるなら、いいんです。
うまくいかないなら、やり方に問題があるので
修正が必要なんです。


自分の思考には
パターンがあるんです。

自分の好みにもパターンが、ある。

自分を大切にしたい
自分らしく生きたい
なんだか、私らしさを失ってるようでしんどい・・・・


女性はよく自分がへこんで落ち込んでいる時
こんな言葉を口にします。

友達にそう相談するかも、しれない。


その時、決まって返ってくるのは
「そうよ、もっと自分を大切にしなきゃ」
「そうだよ、あなたの良さがあるから、あなたらしく生きればいいのよ」


・・・・・・・。

そして、その結果、
ドツボに落ちるのです。


ゆるくてあいまいで漠然とした言葉を飲み込むと
ゆるくてあいまいで漠然とした不安が全身を蝕むのです。


人は何かに向っている時、
自分の存在を忘れてます。

あそこ!という旗に向って走ってる時だけ、
その躍動してる渦中の中にいる時だけ
自分の頭を忘れるんです。


私が、人生最初に我を忘れて「あそこへ!」と走った時には
明快な存在が、いました。

あこがれる存在です。


もう、圧倒的にすごい。
自分の今まで生きてきた中で頭の中に詰まったものなんて
捨てちゃっていい。
はい、さいなら。


自分の脳ミソなんてまったく信じてなくて
自分が、ただただ、ひきつけられてしまうことに向って
ただただ、意識を集中していくことができました。


その数年間、私は「迷い」なんて言葉を持ってなかったし
自分らしく
なんて言葉さえ、自分の中になかったんです。


圧倒的な「あそこ」に向っていってる時は
迷いは消えるんです。


圧倒的な「あそこ」は、常に進化して止まっていないので
私もすごい走ってないと、距離が縮まらない。
だから、いつも走ってる。
止まってない。


具体的な何かに向ってる
そこに向って今まさに私は走っている
その習慣を体に叩き込むんです。


昨日まで走っていたように、今日も明日も同じように走るんです。
止まると、しんどいくなるんです。


でも、世の中は
「止まりなさいよ」とメッセージを送ってきます。


「そんな頑張り過ぎないで」
「すこしは立ち止まって考えることが大事よ」
「癒しとゆとりが大事」


真に受けて
「そっか、すこし止まろうかな」
「そっか、癒しとゆとりが大事かな」
と、ブレーキかけたが最後。


そこから、頭だけが迷走をはじめるのです。


だれもかれもが「ウツ予備軍」になってしまうのです。


考えすぎる
気にしすぎる
神経質が止まらない


これは地獄です。
頭の中で起こっている地獄です。



その前提として
走り続けることはしんどい。
頑張り続けることは、しんどい。

という「考え方」が頭の中に入っているから、です。


走り続けることが、心地いい。
頑張ってることは、気持ちがいい。

逆に
止まっているほうが、しんどい

そんな自分の頭に矯正するんです。


心が躍動している時の体の状態を
心の状態を
いつもいつも
寝てもさめても
忘れないように叩き込んでおくんです。
力技で矯正していくんです。




心について考える時、
心は目には見えません。

目には見えないけれど
心は
自分の習慣のかたまり、です。

思考も自分の長年の癖、です。


育った環境
親から刷り込まれたもの
自分で思い込んでしまったもの
それが自分の思考のパターンとしてかたまってるだけ、です。


いきなり凡人がイチローにはなれませんが
自分で作った心の癖を直すことは、簡単にできるんです。


たとえば
いつも文句ばっかり言ってる人がいます。
「私だって、チャンスさえあったらできるのに」って言い訳ばかりしてる人がいます。
あの人ばかりずるいっていつも嫉妬してる人がいます。
いつも自分にはいい出会いがないって言ってる人がいます。
自分の周りの人の悪口ばっかり言ってる人がいます。

周囲から見たら
「ああ、この人は人生うまくいかないだろうなあ」ってことは
一目瞭然です。


でも、誰も、言いません。
それを言うと嫌われちゃうし
自分のお客さんかもしれないし。
だから、言わない。
妻でも夫でも言わない。言うと怒鳴られるから。
言うと怒るから。
言うと機嫌悪くなるから。

言ってくれないんです。



でも、ひとたび頭の中に
「自分を振り返る」という反省回路というパイプが通ったとしたら
その人は、一気に変わるんです。


何か、うまくいかないな
なんだか、みんなと調和できないな
なんだか、自分がはじかれてるな
ってことを感じた時に

「だって、あいつが悪い」
「この会社、最悪」って
言葉にする前に

「私は、どうだったんだろう?」と
外じゃなくて
自分に向かう反省回路を
通すんです。


その反省回路を自分の頭の中に作り上げている人と
そもそもその回路が開通してませんわ
という人では、
「なんだか、私、どんどんよくなっていくわ、状況が!!!」という
世界への出会い方が違うのです。



勉強会では、先生は「生きづらくありませんか?」と問いかけてきましたが
生きづらいのは自分が生きづらくしてるから、です。
環境のせいでは、ありません。
社会のせいでも、ない。


生きづらい人と
生きやすい人がいるだけ、です。



今、生きづらいと感じている人から世界を見ると
世の中の人みんなが「生きづらいだろうな」と言う風に
見えるだけ、です。



人が生きていると
傷つくことは、あります。
傷つけられたと感じることも、ある。


過去に同僚がなにげなく発した言葉がショックで
もうずっと傷ついてしまって立ち直るのに時間がかかったと
いう話を聞いたことがあります。
ま、よくある話です。


たぶん、言った方は言ったことさえ、忘れてます。


そこで、「いろんな感じ方があるからしょうがないよね」
では、すまないんです。



傷ついてばかりの自分でいんですか?
ってことなんです。
それを受け入れるんですか?
ってことなんです。
そんなに自分で自分を弱くしちゃって大丈夫ですか?
ってことなんです。


誰の言葉にでも傷ついていくと
生きていくのは、地獄です。


同じ言葉を聞いても
「あ、そー」でスルーする人と
「許せない、殺してやりたいほど、憎い」と感じてしまう人が
いるってことなんです。

ささいな言葉に傷ついていく人は
そのたびに
周囲を攻撃します。

「あんな言葉いうなんてひどい」
「あの人は思いやりがない」
「許せない」
「私ばかり、こんなつらい思いして」


同じ言葉を言われても
「あ、そー」でスルーしちゃう人は
なんか、かすった?くらいにしか受け止めないので
自分の人生を止まらなくてすむんです。


でも、スルーできず
とっても大きな「傷つけられてくやしい!」と受け取ってしまう人は
その出来事のたびに
自分の人生がストップするんです。
へこむんです。
その期間が長すぎて
出てくるのに時間がかかりすぎちゃうんです。
だから、効率が悪い。


ずっと、止まらず少しづつでもアクセルふかしてる人と
何かあったらすぐ感情的になって怒って
自分の生活環境を変えたくなったり
人間関係遮断したくなったり
もうアップダウンでしんどいんです。


もちろんそのアップダウンに巻き込まれる家族は
たまったもんじゃないんです。
他人なら逃げられますが
血が繋がった親子や
籍が入った夫婦は
逃げられない。



価値観が違うと難しい
育った環境が違うと合わない
あの人とは自分と感じ方が違いすぎて合わない

そんな考え方が自分の頭にばっちり食い込んでいるならば
それは、間違いです。


違いがあるから、面白いんです。
特に男と女がまったく違う。

私なんて、男の人は、「レプタリアン星人」でしょう、くらいに
今はもう思ってますので
日本語通じちゃうだけで、
「おー、ブラボー。よく勉強したねーーすごいすごい」って感じです。


期待してないし
過剰な妄想も抱かない

女性はよく相手に
「自分を高めあえる関係の人と付き合いたい」
なんていいますが、
自分が成長もしないでずっと止まってる女なら
相手もまた同じようなのが見事にやってくるので
こっちもつまらないけど
相手も自分につまらないんです。


すべてはお互い様,相互の関係。

周囲の人間関係は
自分のレベルをうつす合わせ鏡。


こんなしょうもない旦那と結婚して
私の人生最悪っ
って思ってる時は
相手も同じように思ってます。



自分は自分勝手な思い込み
相手はこうあってほしい
こんなことを提供してほしい
私にこんなことをしてほしい
こんな暮らしを保証してほしい
それらすべてひっくるめて
幼稚な思い込み、です。

そんな幼稚な思い込みを
相手に当てはめていって
「うーん、この人は当てはまらない」
「うーん、この人も当てはまらない」


そんなフィルターを自分の頭の中に持ってる限り
誰がきても
うまくいきません。


「私には合わない」
「私と相性が悪い」
を繰り返すのです。


噛み合わないことが、面白い
違いがありすぎて、面白い
そう自分の頭を矯正していくんです。


今の自分の完璧に共感してくれる人を求めて
さまよい続けてると
本当に苦しみだすんです。


共感を求めると
苦しいんです。

同じように感じて欲しい
そうあってほしい
と求めだすと本当に生きることが苦しくなっていく。


人間関係
とくに夫婦の関係で
ウツとかになっていっちゃうのは
女性がほぼ9割でしょう。


女性は、めちゃめちゃ相手に求めますので
それが得られないとあきらめはじめた時に
希望が見えなくなって
脳みそが迷走しだすんです。


「私は、もうこのまま一人ぼっちじゃないか」
「私は、死ぬまで誰とも心打ち解けられないんじゃないのか」
「私は、誰にも理解されないまま死んでいくんじゃないんだろうか」


長い間、ずっと
同じ思考回路で
ずっとずっと考えすぎて深刻なっていった人は
みな同じ言葉を言うのです。


だから、成長しなくちゃいけないんです。
誰もが、成長しなくちゃいけない。


だって、心が弱くって傷つきやすいと
生きていることがつらくなるから、です。


何が起こるかわからないのが私達が生きてる現実です。

「きっと、大丈夫」なんて思ってたって
いきなり災難が降りかかってくることが、あるんです。



頭だけでどうにもならないことに
遭遇するのが私達の現実です。


昨日の勉強会でも
「ああ、そうやな」と自分のことのように思ったことがありました。


自分でお店をして
子供を2人育てている肝っ玉お母さん。

子供が受験です。
もうあとちょっと。


それまでは、
「受験なんて人生の通過点。なるようになるわよ」
と、言ってたし、そう思ってた。


でも、いざわが子のその時となって受験勉強に必死になってる
わが子と受験生の母となると
もうそんな絵に描いたように理想論、右から左へスルー。


感情だだもれ。
「どうすんのよーー!!もう、なんでしっかりやらないのよーー」
「やらないと大変なんだからーー!!」
もう、日常生活支障きたすわ
感情はゆれるわで、もう大変。


冷静でなんていられない自分に
もうビックリ。


そう、そんなものです。


他人事は、なんとでも言えるんです。
他人事は、理想的なことが言えるんです。
他人事は、客観視できるんです。
他人事は、冷静なんです。



わが身にふりかかった時、
さあ、自分はどうするか?


結局は、自分との戦いです。


で、それを逃げるんじゃなく
「きたぞ、やってやろうじゃないの」と向っていくんです。
おたおたする自分
よそではいいこと言えるけど
わが事になると全然できないじゃん、ってことを確認して
「じゃあ、どうしよう」って成長する材料ができるんです。


今までの自分の体験になかったことは
今現在の自分の頭の中には「こうやったらうまくいく」という
ことが内臓できてません。


内臓できてないから、
向っていくんです。

緊張する
ドキドキする
恥ずかしい
あたふたする
胃が痛い
しんどーいい!!

そんな実際の体験を通して
新しい行動の体験を
新に内臓していくんです。


知識でどんなに勉強してても
実際には、使えないんです。


例えば、うちにも
年に1回くらいは
「ひょえーーーー、おっそろしーーこわーいい」
という方が窓口にお見えになります。

「おい、予約制って、痛いのに診てもらえんのかい?」(オラオラ系)


ひょえーーーーーっ


もちろん
マニュアルはたくさんありますよ。


こういう患者さんが来た時には
こう対処しましょうと、細かく。



でもね、でもね。
使えないんです。


最終は
腹くくって向き合っていく
しか、ないんです。


怖い、
逃げたい、
誰か変わって
背中に大汗
顔面蒼白


そんな状態になった時
「えいやっ」
と足を出せるかどうか、なんです。


足を出せた時
その体験は
私の血となり肉となり
そして、私の中の「対応術」として
実際に使えるようになるんです。



度胸
勇気
思い切り
どうにでもなれ!


こういった能力?は
残念ですが
本やセミナーでは
得ることができないんです。


どんなにウン百万円の教材を買ったとしても
身につかないシロモノなんです。




そうか、
クレーマーがきた時は
こうやって対応するんだな
とどんなにマニュアル本読んでも
対応できるようには、なりません。


それは
恋愛テクニック本を山ほど読んでも
目の前のあの人をゲットできないのと、同じ。


合う合わない
好き嫌いなど
横へ置いておき
自分らしさ
自分にやさしく
なんて言葉も破砕ゴミくらいに捨てちゃって


とにかく
やったことないことに
足がひるむようなことに
逃げたくなるようなことに
入っていく
緊張するなら
もっと緊張する場所へ
緊張しすぎて吐きそうになっちゃうような場所へ
足を向けるんです。


そしたら
その動いている過程で
必ず、自分の体中の血がぐわーーって渦巻くほどの
過度の緊張を体験したり
おしっこちびりそうになったりする体験したり
するんです。


本当はうんと若い頃に
一番訓練できるのが
恋愛です。
だから、10代20代にうんと恥ずかしい思いしたり
うんとぶつかって玉砕される痛いことしたり
することってすごく大事。

その時の痛い体験は
きっと30代40代からボディブローのように
効いてくる。



若い頃の恋愛って、こんな感じのオンパレードじゃないですか?

終わって冷静になってみたら
「俺って・・・」
「私って・・・」


なんで、あんな熱くて痛くて重くてやばい女だったんだろう。
と振り返ると思うのですが、
渦中にいる時は、まったく気がつかない。

きっと、みんなやってますよね、そんなこっぱずかしい体験のひとつやふたつやみっつ。


相手がどうであれ
もう欲しくて欲しくて欲しくてたまらなくて
もう感情だだもれで
突っ走ってしまう。

自分のご都合だけで
自分の感情だけで
思いっきりつっぱしる
北海道だろうが
九州だろうが
沖縄だろうが
後先考えず
気がついたら私来ちゃいましたーーーーなんてこと
平気でやってのけるのが若いってことの特権(だと思う)


親がひやひやするようなこと、さんざんやってると、
大人になってから
あんまり痛いことしなくなるんです。



仕事の中でも
そんなチャレンジするシーンはいくらでも、あるんです。


そこを通過する度に
確実に
「あれ?前の自分はすぐ緊張して胃が痛くなってたけど、今はならないわ」
「あれ?前の自分だったら、すぐ怖くて逃げてたけど、今は誰が来ても怖くないわ」

て自分に出会うんです。


いろんな考え方があるよね
って言葉につかまらないこと、です。


考えないこと、です。


止まらないこと、です。


私が20代必死で「あそこ」というところへ向って
走っていた時、
私はずっと手帳に書いていた言葉あるんです。


「今の私の頭で何を考えたところで、
できない言い訳しかでてこない」


動いていない時
勇気がない時
周囲の目が気になりすぎて動けない時


かならず、
人はいい訳をします。



いい訳してるうちに
人生は終わるんです。



あいまいな言葉にまどわされないために
動くんです。


先人の言葉や
倫理道徳
座右の銘
素晴らしい言葉はいっぱいあります。


でも、動けてなんぼ、です。
言葉をもってるけど
動けないなら
そんな言葉ゴミと一緒です。
捨てちゃう,私なら。



動いてみたから
あの言葉の意味がわかる


この順番でないと
言葉は意味なし、です。




あそこに、向って動いてる。
躍動してる過程にのみ、
人は「ああ、生きてるな」って実感するんです。


止まって考えてる時には
漫然とした不安
そして
誰も信じることができない
ということになるんです。



みんなが当りさわりのない言葉でやりとりをしています。
日常は、全然それでいんです。
むしろ、それが潤滑油なのでOK。


でも、自分を動かすガソリンは
明快な言葉がいい。


もうこうしちゃいられないっ私っ

そうやって自分を動かしてくれる存在を
持つんです。
そんな言葉がたくさんあったらもう最高!

そうしたら
止まらずにすみます。

そうしたら
ウツにならずに、すみます。


いろんな考え方がある
その言葉は深いんです。


なにもできてない時に
私の考え方に固執すると
なにもできない自分で止まっちゃうんです。



より深いところに、浅い自分を合わせていく
右だと思っても深いものが左だというのなら右へ行ってみる
赤がいいと思ってもより深いものが青だというなら
青を飲み込んでみる。


自分の合う合わない
自分が好き嫌い
を超えたところで
びっくりするような自分に出会うんです。


あらゆる違和感を飲み込んで
ギュイギュイ自分の器を中からひろげて矯正していくんです。

歯列矯正って、そうなんです。
歯がガタガタになってるところに
金属のワイヤー歯の表面や裏側にくっつけるんです。
痛いんです。
歯が動き出すから、痛いんです。


でも、何年かすると
「もう前の歯には戻れませんわ」ってほど
美しく並ぶ。



それと同じ。
「あそこ」という着地点が見えているから、希望が見えているから
そこにいくまでの過程は肥やしだと思えるんです。



こういうやりとりを
たくさん聞けるから
人が集まる会は面白い。







2016.01.072016年1月母性型勉強会の日程きまりました

2016年1月の母性型勉強会日程決まりました。


■日時:2016年1月26日(火)18時30分~20時30分
■場所:高松国際ホテルにて
■会費:3,000円(食事代込み)


今年最初の母性型勉強会ぜひお越し下さいね。

2015.12.28自分が発信していないと、共感はない

2015年の診療もまもなく終了です。
患者のみなさま、そして関って下さった皆様
本当にありがとうございました。

みなさんにたくさん助けて頂いて
無事にすべての診療を終了することができました。


さきほど、初診の患者さんが治療終了後に
声をかけて下さいました。
「母性型勉強会って一般の人でも行けるんですか?」

彼女は、2児のお母さん。
そしてなんと当院のスタッフと
たまたま出産の時、同じ部屋!(すごいご縁!)今日はそういう日なのかな???

私の文章もたくさん読んで下さっていて
共感して下さったことを私に伝えてくれました。


発信しててよかったな
と思ったし
発信してないと
今年もたくさん感じた
あの「嬉しい感じ」
「共感しあえている感じ」
は体験できなかったなと思うんです。



「こんなこと考えている人がいるんだ!と思うと嬉しくてー」
と言ってくれる彼女。


こういう話ができるたびに
私は確信を強めていくんです。


女性は本来
こうやって心開きあって
お腹の中見せ合って
抱きしめあう
わかちあう
手をつなぎあう
もともとがそういう存在なんだと。


鎧をきるより
心を開いて受け入れていくのが
女性の本質です。


重い刀も鎧もいらーん。



今は競争社会です。
それは男性社会の中で働く女性も
同じ。


女性の時代
とはいわれつつも
それは
女性たちに
お母さんまでも
「あなた、男並みに働きなさいよ」
という意味にしか、思えません。


女性が競争、かけひき、マウンティングがあたりまえの世界で
生きようとすると
あっというまに
消耗し、病気になるんです。
kaisetsu_8.jpg
もっと頑張れ
もっともっと
きちんとしなくちゃ
子育ても
家事も
仕事も
女も
なにもかも。


できない自分はダメな女
ダメなお母さん
自分で自分にレッテルはって
自分で自分を責め続けるんです。

私達日本人は
基本が
ねっこが
「まじめ」なので
どうしても
そう考えてしまうんです。


ましてや
結婚してからの女の生き方
こんな時、どう考えたらいいの?
どう対処したらいいの?
誰に相談したら答えをもらえるの?ってことを
教えてもらったことはないんです。


でも、
本当に聴きたいこと
教えてほしいことは
現実社会では
「タブー」な案件ばかり。。。
kaisetsu_9.jpg


心の中の「どうしようもない気持ち」
を処理するのは
倫理道徳では
無理です。

宗教でも無理。


女性はいくつになっても
いろんな感情が心の中に渦巻いているんです。

きっちりくっきり
これはこう
それは間違ってる
それは正しい
と言いきれない感情が渦巻いている


でも、
世間的に正しいかどうか
常識的に
母だから
妻だから
社会人だから
と自分の気持ちを「いい子」におさえようと
するんです。


しかし、残念!
押し込んだ感情は
いつかかならず爆発するのです。


自分の中に湧き上がってくる
感情を
いいものも
悪いものも
丁寧に向き合っていく
ことが大事なんだと、やっぱりそう思います。


子育てしながら
働くお母さんすごく増えました。
私もですが。


お母さんもう本当すっごく一生懸命です。
いっぱいいっぱい頑張ってます。
でも、仕事では神経すごく使います。
人間関係も大変です。
一昔前と違って、スキンシップも減りました。
距離は遠いです。
人と人とはびっくりするくらい
ばらばらです。

手をつなぐことより
肩寄せることより
スマホに向ってます。


人は人のぬくもりないと
生きていけないはずなのに
これが生きていけちゃってるから
心がひずむんです。

「全然大丈夫です」

という言葉ばかりです。

全然大丈夫じゃないけど
平気な顔しちゃうんです。
これは癖です。


「助けて♪」
「お願い~」

人にお願いできない自分
人に甘えることができない自分

女の人がこうなっていくと
しんどいんです。


恋愛が成立しにくくなったのは
おそらく
女性が単純に
「男性に頼れないから」
です。
「だって、頼りないもん!!」
と言う声もありますが
頼らないから、頼れない
という負のスパイラルです。


男性は、
女性をサポートしたがってる
自分の力を使ってほしいと思ってる
「どうだ、すごいでしょ?」
と力の発揮場所を探してる。

私が母性型勉強会で知ったのは
「え?男の人って、そうなの?」
というびっくりぽんな仕組みでした。


しかし、お互いがお互いを知らないがゆえに
どこまでもすれ違って
女性は「ああ、この人とはもう決してわかりあえることはないわ・・・価値観が違うのよ・・・」
男性は「ああ、うちの奥さんにはもう何を言っても無理。ここまで意固地になってると
かわいげもない」

と、
そんな期間が何年も続くと
悲劇です。


お互いがお互いを責め立て
狭い家の中で
イライラした空気を振りまいてると
どんな大気汚染よりも悪い
環境汚染なんです。



外の人にはいい人で感じがいいのに
自分の主人にだけは
恐ろしくキツイんです。
なぜか、腹が立ってしょうがない
という女性は多いんです。


旦那さんに当れない場合には
弱い子供にいくんです。
morishita_10.jpg


腹が立つのは
旦那さんのせいのようで
実は旦那さんのせいでは、ないんです。


一番優しくしないといけない存在には
一番きついんです。

だから、しんどくなる。


自分の生活に
自分の一日に何の関係もない人や
たまにしか会わない人には
なんでも言えるんです。


そりゃ、関係ないから。


外の占いの先生には
心打ち明けちゃうけど
主人にこんなディープな話や悩みは言えません
っていうやつです。


でも、どうでしょう?
一番そばにいる人に
いつも会うあの人に
あの子に、
お腹をぜんぶ見せて
心開いて本音で打ち明けられたとしたら。

すんごい
楽になると思いませんか?


私は、繋がりたい願望がすごくあって
近寄って行きたいんです。
だから好きな人には妙に距離が近くなっていくし
感極まると気がついたら抱きついちゃったり
腕にからみついてたりします。
無意識に。


でも、きっとみんなそうじゃないのかな
と勝手に想像します。


だって、子供はそうですから。
触りたがる。
人の肌が大好き。
あったかいものがすき。
やわらかいものがすき。
そして
人はみな
弱っている時には特に
優しいお母さんのような存在がほしい
抱っこしてほしい
なでてほしい
ねぎらってほしい
肯定してほしい
morishita_21.jpg




ばらばらな時や
疑心暗鬼になってる時は
心が本当に寒いんです。
妙にさみしい。
理屈だけで言葉だけで
やりとりしてると
むしょうにさみしくなるんです。


でも、自分が心開いて
相手も心開いて
一緒に何か感じてる瞬間って
本当に手足一気に熱くなるんです。
温度上昇するんです。


心が充電された
って実感があるんです。
そういう時に動くと
いいようにしかいかない。
なぜか、いい人にしか会わない。



頭は情報とりすぎておばかになってても
体は正直です。
心が嬉しい時は
目が開くんです。
近くに寄ってるんです。
人と人とは
目には見えない赤外線のようなビーム?でちゃんと繋がっていくことが
できるんです。
それは理屈じゃないんです。


心を開く
って、女性なら
すぐわかるんです。
本当はすぐに。


先に、心を開くと
出てくる言葉も変わるんです。
表情も何もかも
違うんです。


女性が
心開いて
目の前の人に接していったら
どう考えても商売繁盛です(笑)


居心地のいい人と
一緒にいたいのが人間だからです。
自分を受け入れてくれる人と一緒にいたいのが
人間です。


値踏みしている目はすぐに察知します。
損得で付き合っている言葉もすぐに察知します。

女性は
宇宙人ほどの
「察する」能力を
もともと内臓しているから、です。


情報が入りすぎると
その内臓している能力が
開かれないんです。



察する能力は
感情を日々押し殺していると
完全に消え去るんです。


ああ、嬉しいな
なんとなく、さみしいな
うーん、腹が立つ!
こんな小さな小さな感情を
気をつけていくんです。


自分の中に湧き上がる感情を
「ま、いいや」でスルーせず、
なんで、そう感じるんだろう?私は。
と問いかけていくんです。


なぜ、あの人が嫌いなのか?
なぜ、あの人にいらつくのか?
なぜ?なぜ?
そうやって自分の中を探っていくと
原因はぜーんぶ、自分の中にあることに
気がつくんです。




自分が腹が立ってる時
それは、
自分以外の誰かの働きかけによって自分は怒っていると思ってしまいがちです。

でも、違うんです。


自分が腹が立つのには
腹が立つ「素(もと)」が自分の中にあるんです。

だから、
相手にそれをシテキされると
腹が立つんです。


同じ言葉を投げかけても
1000傷つく人と
なんともなくスルーする人がいます。


コミュニケーションは
受信する側の問題9割です。


同じこと言っても
同じこと聞いても
同じものみても

「なんで、あんなこと言うわけ??」
と怒る人と
「あー。いいこと教えてくれた」
と自分の栄養にしちゃう人がいます。



あ!わたし?
わたしでしたかあ!!!!

ってことが
心底腹に落ちたら
すごく面白いことになっていくんです。


見える世界が変わってくる。
今まで見えてた世界が
違って見えてくる


嫌だなと思ってた人が
まったく気にならなくなってくる

こんなことが、次々起こるんです。
kaisetsu_10.jpg

私は、去年よりもずっとずっと今年は
掘り下げることができた一年でした。
時間がないので必死です。



2016年は、今年続けてきたことを
同じように続けていこうと思ってます。


今年一年本当にありがとうございました。
今年の投稿はこれでおしまいます。
来年はもっといっぱい書いちゃいたいです。


また、2016年みなさまにお目にかかれること楽しみに
吉本歯科医院の診療を終了させて頂きます。


どうぞよいお正月を!

2015.12.01誰かに会えば、どこかに行けば自分を魔法のように変えてくれる・・・なんてことは、ありえない

どんな本を読んでも
どんな講演会を聴いても
どんな勉強会に行っても
どんなにお金払ったとしても
どんなにパワースポットに行ったとしても
どんなに祈り倒しても

つまるところは
自分が腹をくくるしかない
自分が変わるしかない

というところに
行き着きます。



もし、そうではなく
自分が何一つ変わらずに
自分が何ひとつ反省せずに
自分が何ひとつ努力しようとせずに
自分が自己責任から逃げようとして
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どこかの誰かがいきなり神様のように
降りてきて
今の自分に素晴らしい影響を与えてくれると
思いたい
そう、願いたいのが
人間です。


最終的に腹をくくる
覚悟を決めることから
逃げるためには
人間、大金だろうとはたくものです。


うちの母は20年ほど前に
登校拒否の子供を持つ保護者の
カウンセリングをずっとやっていました。


私は学校から母のオフィスに帰ってくると
そのカウンセリングの現場をよくみかけたものです。


うちの子が学校に行ってくれるなら
いくらでもお支払いします。
うちの子が、私達の思う子供に変化してくれるなら
うちの子が、暴力をふるわないようになるなら
何百万でもお支払いします。
なんてことは、ざらでした。


夫婦の問題も同じです。
夫婦でもめごとが絶えない2人の相談で
片方は、片方が自分の思うように変わってくれるなら
逆も同じ、
そうなったら自分はこの苦しさから逃れられるから
どうか、相手を変えて下さい。
相手を変えてさえくれれば
私はハッピーです。
そのためなら費用は度外視です。


人は、その時、一番本気で向き合わないといけない人との関係から
逃げられるためなら
せっかく稼いだ大事なお金でも
出してしまおうとするものです。


人と真剣勝負で向き合うことは
それほど
嫌なんです。
逃げたい。
特に親なら子に対して。
夫は妻に
妻は夫に。


それを
自分でせずに
他人様に請け負って頂くためなら
いくらでもお支払いしまっせ
そのかわり
まるなげでっせ
成功報酬でっせ
という話です。


社員教育の会社で
仕事をしていた時にも
同じことは、日常茶飯事でした。


教育研修の依頼をしてくる社長さんは
自分は言わないから
自分はしないから
そのかわり
お金は出すから
僕の思うようにうちの社員が動くように教育してね
まるなげでお願いね。
あ、僕はしないからね。
おたくさんで全部やってね。
こんな会社の社長さんは
意外にも多かったです。



まるなげは
そりゃ、夢のような話です。
でも、まるなげのツケは大きいのです。



こまったことが起こったら
関係にトラブルが起こったら
うまくいかない泥沼の関係に陥ったら
その時には
自分以外の誰かに助けてもらわなくては
生きてはいけない
無理。

と、そう決めてかかっている時
それはもう何をやっても
受け身受け身です。


実際、相談に乗ってほしいんです、と
泣いてやってきている
女性は弱弱しく
自信がなく
自分では何一つ決められない
旦那さんに相談しないと・・・
私がいいとか悪いとか決められない
そんな判断基準ないし・・・・

風が吹いたら飛びそうでした。
可憐、というものではなく
ただ、「弱弱しい」


体中にしみこんでいる
「自分以外の誰かが自分をどこかいいところへ連れてってくれる」
「自分以外の誰かが自分の行く方向を決めてくれる」
という超依存体質から
抜け出さない限り
永遠にしんどいう苦しい世界は続くのです。


女性は特に、「私はそんな大事なこと決める自信がない」
という。

自信なんて、いらんのです。


理屈なんて、どっちでもいい。


私が、やるんだ。
私が、自分で選んで、自分で動いてるんだ。
って決めたらすぐ変わることです。


意識を自分発に
切り替えると
電車の線路がいきなり進路変更しちゃうほど
変わるのです。





人が変わってくれなくてもいい
状況が
環境が
変わらなくていい
それでも
この状況でも
私は、覚悟決めてしっかり、やる。



自分発で生きようとしている人は
何気なく出てくる言葉が違います。

「私、やりたい」
「私、やります」

他人の反応を気にして生きるのが日常なら
「あの人がこう言ったから、私も」
「お母さんが決めたから」
「みんながそうするから、私も」


自分発か
他人の目か
どちらかしか、ないんです。


自分はどっちで生きてるかな?
自分発かな?
それとも
人の基準かな?
と。


私自身のことです。
夫婦喧嘩のもとは
仕事のこと
職場のこと
子供のこと
教育のこと
親のこと
いろいろなことが、つもり積もって
よく衝突します。


溜め込むことができないので
口に出して言ってしまうので
そこでスタートです。
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その時、
自分で気がつくんです。
自分の言葉にびっくりするんです。

「子供のことなんだから、あなただって一緒に考えてくれないと!」
「仕事だって、私だけこんなに考えて!!」
「家のこと、親のこと、私だけが、大変でもう嫌!!」

「私ばっかり、私ばっかり!私ばっかり
こんなしんどくて!
私ばっかり、ずるーい!!」


こうやって
ほざいてる私。
そんな時は
自分のことが大嫌いです。
「じゃ、やめれば?」
「誰も頼んでませんが?」
自分でつっこみいれてます。


頭じゃわかってるのに
そんなこと言ってる自分が大嫌いな自分に。
他の人にはえらそうに言うくせに
自分は家の中で疲労が重なると
こんなことを口バシッテしまう自分に
もうへとへとの嫌気が。


そんな時、
私はかならず
救世主の一声がくるんです。


「それをやってるのは誰?」


その瞬間に
ああ、私は、受け身だったなあ
こんなお母ちゃんじゃいかーん!
こんな奥さんじゃいかーん!
そもそも
素敵じゃない
そもそも
私が、写った鏡を見て「嫌い」
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女が
不安になったり
不信感をもったり
すると、どんどんわけわかんない
世界に入っていくんです。


そっか、
私だ。
私だよ。
私が、やるんだよ。

私がやらなくて誰がやる。

私が、やりまっせ。そうだった。
主人のせいにしてるのは筋違いでしたわ
忙しさのせいにしてるのは筋違いでしたわ

余裕がないのは
私のキャパが小さすぎるせいでしたわ


と腹をくくったその瞬間です。


嘘みたいに家族が変化するんです。
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主人の声が、いきなり優しく聴こえてくる
泣き散らかしてた子供が落ち着く(いて見える)
なにもかもちらかってたように(見えた)部屋が
妙に整理整頓して見える。


腹をくくってない時=不安
腹をくくった瞬間に=安心


なんでしょう?
この構図は。
もう、はっきりくっきり
心模様が変わるのです。



家族は
きっと何も変わってません。
変わったのは
私が見る目が変わったんです。
私の耳が変わったんです。


いいようにしか見えない。
いいようにしか聞こえない。


自分が見えてる世界や
聞こえているものは
自分の
心の中がそのままそとに反映されたものです。



自分の心の状態によって
苦手だった人でも、
「なんか、いい人」に見え
いつも嫌味なあの人の言葉も
「なぜか、優しく聴こえる」
ようになるんです。


だから、人間は面白い。
自分次第。
自分が腹くくって
「よしっ、私がこの人生、この家族
この関わる人の舵とりしちゃうぞ!」
決めると
いきなり静かになるんです。
心が。

「誰かお願いだから
私を幸せにしてーううううう」と不安げな顔するんじゃなく
「私についてこんかーい」
くらいの心意気でいると
なんだか、小さなことがどっちでもよくなってくるんです。
オンナ度もどっちでもよくなってくるので
そこは気をつけねば。。。。。




「えー、面倒くさい、私だけ嫌だ」
「私だって仕事もして子育てして、家事もしてるんだから、あんたもやってよーぶんたんぶんたん!」
「責任とるのはいやーー」
「自分で決めて間違ったらつらいからいやー」
って気持ちが心の中にある時は
もう見てても見苦しく
そして、
心で思ったとおりの
現実になるんです。


つまり
うまくいかない


なんでもそうですが
「よしっ」と
腹くくった瞬間にすべては変わるんです。

女の人は、最終的にはみんな腹をくくります。
覚悟決めます。


「わたしですか?
ああ、私だったんですね!
変わるのは、わたし。」
と心底腹に落ちると
女は本当にあっけなく変わるんです。


執着してたものが、急にどっちでもよくなったり
興味なかった世界にいきなり目覚めたり
そういうことが
いきなり起こる。


女性は本来
鎧をかぶって、着ぐるみきて長年生きていける存在ではありません。

鎧を脱いで
「あーー重かった」って
心を自分の中から
えいやっと開いていく存在。


心を開くのは
自分をさらけちゃうことです。
いい感情も悪い感情も
見栄っ張りも全部おいといて
「私こんなのー、きいてきいて
知って知ってー、
ねえねえ、仲良くなろう、ね。」
ってことが
誰とでもできちゃう存在です。


男性とはまったく違う世界を見ている存在なんです。



私は、こう感じる
私は、ここに行きたい
私、そうしたい。

誰が何を言ったからじゃなく
親がこう思うだろうからじゃなく
周囲の目が気になるからじゃなく


自分が求める理想の毎日を
実現するために
周囲を変えて欲しいリストは100でも200でも書けます。

きりがない。


「あ、はーい、私が、
まず変わります」
って中から動かしだすと
外側の欲しいものリストは
あとから「気がついたあった」ということに
なるのです。


やっぱり、
自分を幸せにしてくれるのは
自分しかいません。


どっかの王子様でも白い馬に乗ってやってきて
いきなり幸せ列車に乗せてくれたらいいのにな
と少女マンガの世界では願ってしまいますが、
そうはいかない。


女性の人生はどんどん変化します。
結婚し、
妊娠し、
子育てし、
子供が大きくなってきたら
両方の親が年老いてきて
そして子供が巣立って
また夫婦2人になって。


その変化の渦中にいつもいるのが
女性です。


男性は、そうはいっても
仕事してますので
家の中で
家庭の中で
家庭の周辺で
何が起こっているのか?
その重要さに気がつくことはありません。


重要だと思うポイントが
男性と女性では違うのです。


女性が重要だと思うことでも
男性にとっては
そんそも「仕事の方が大変ですがなにか?」
という感じになるのです。


つもりつもって
お互いに理解しあえない同士になるのか、
わからないけど、
頑張って理解しあいましょう
という関係を作るのか
その鍵を握るのも
女性です。


女性はコミュニケーション大好きですが
男性は「深い話になりそうなら逃げたい」
というのが本音です。

関わりあいたい
と願うのが女性で
できるなら
関わりあいたくない
と願いのが男性です。


補って
理解する
という関係があれば
上等だと私は思ってます。


相手がないものを
自分が補う
自分がないものを
相手が補う


みんなが欠けてる部分が違うので
一律じゃなくて
いいんです。


欠けてるわーー
つらいわー
と凹むんじゃなく

「この部分多大に欠落しておりますため
補って下さいますと大変助かります。うふ♪」
とインフォメーション
しておくんです。



人との関係は
そうやって作っていくんです。
いちから。
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そうすると
ちょっと嫌なことが見つかった
ちょっと気になる不快なことを言われた


だから

さようなら
あなたは嫌い


ということにはならなくなるんです。


すぐに縁を切らないこと、です。
もしかしたら、その山の向こうに
素敵な世界があったかもしれない。


私は、「ああ、あの山ふんばってこえといて
よかったわ」と思う瞬間が
今ま3回ありました。
ふんばって、よかった。

ぎゃくに
踏ん張れなかった山は
後悔です。


後悔は嫌いですが。
後悔とは思いたくありませんが。



一度でもその山を越す体験を通過している人なら
「ああ、これもあの時と同じね」
と繰り返すことができるんです。


山を越えるのも
自分次第です。


自分次第で
どうにでも、なる。


女性というもの
母性というもの
勉強していくと、
どんどん腹をくくる人が増えてくるんです。


弱弱しくない。
おどおどしてない。


つまるところは
私よね
ってことを知った人は
どんどん成長するんです。





今年最後の母性型勉強会
12月9日(水)18時30分~です。
高松国際ホテルにて
会費は3,000円(食事代込み)
お申込は
http://boseinomonosashi.com/study/

2015.10.29男性は具体的に言わないとわからないんです。

ほんの数年前の話です。

今日は私、夜でかけるから子供みててねー

と、でかけました。
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すっかり遅くなって10時30分頃帰宅すると・・・・


■夕食は食い散らかしたまま
■お風呂も入らず
■テレビがついたまま
■はみがきもせず
■ソファでがあがあ寝ている旦那さん
■ソファの下で遊びつかれて寝ている子供2人


あれちらかった部屋で
ぐううと寝てる旦那さん叩きおこし

「子供みとってって言ったやろ!!!」

怒り狂う私。
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「へ?見てたけど?」
(なんで怒ってるのかさっぱりわからない顔で)



こんなことが、昔よくありました。

で、うちだけかと思いきや
どうやらよその家でも同じようなことが起こってたことが判明。
勉強会でも同じような話を聞きました。


男性は具体的に言ってもらわないと
わからない生き物です。
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具体的
でないと、ダメ。


それくらい察してよ
では、ダメ。


男性にとっては
「察してよ、それくらい、普通でしょ、あたりまえでしょ、社会人なら」
という女性ほど、苦手な存在は、ありません。



女性が
「子供見ててよねーー私いないから」
って、いう内容を具体的にすると
①子供にちゃんとご飯食べさせてね
②野菜も肉もお汁もまんべんなく食べさせてね
③できたら食器は台所に持ってておいてね
④子供はお風呂に入れてね。
⑤歯磨きもさせてね
⑥(学校行ってるなら)宿題ちゃんとさせてね
⑦明日の準備もちゃんとしたかチェックしてね
⑧子供が寝る時間にはちゃんとお布団に入れて寝させといてね


というのが
女性が言う
「子供みててねー」
なんです。


でも男性は
「見ててねー」
って言われたら
「見てればいんでしょ?」
としか、思いません。
悪気なく。


だから、楽しく3人で好きなようにテレビ見て
好きなもの食べて
お風呂も入らず
テレビの前で遊びつかれて重なるように寝てるのです。



男性と女性がうまくいかなくなる理由は
女性の方の過剰な「それくらい普通察するでしょ、あんた」という
ほとほと無理な要求です。


女性の察する能力の1000分の1しか持ち合わせてない男性に
自分と同じくらい察することができるものとして
日々一緒にいるので
女性は毎日毎日男性に
■はあ、なんでうちの旦那はこんなの?
■この人には何を言ってもわからない
■この人とわかりあえることは、ないわ、永遠に・・・

と、思い込んで自爆しちゃうんです。

これは
職場でも、まったく同じです。
どこの職場でもこういうことが
同じように起こっているんです。
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ただの
説明不足です。


男性に何かを言う時は
具体的に、言わないとダメなんです。
「察してよ」
ではダメ
「普通見たらわかるでしょ」
でもダメ


具体的に言わずして
自分の求めることを、得ることは、できないんです。


逆に言えば
具体的に言えば
あっけなく
もう、びっくりしちゃうくらい
素直に「そのまま」いうことを聞いてくれるのが
男性という存在です。


あんなに、上から目線にもの言ってたように見えたこの人が
あんなに、つっけんどんにものを言ってたたように見えたあの人が
あんなに、きっつい言い方で私に文句ばっかり言ってあの人が


「へ?この人、なんでこんなに私のいうこと聞いてくれちゃうわけ?」

ってくらい
動いてくれるんです。


それは
具体的に、
言ったからです。


私という人間が、
今日こういう風にあなたに動いてもらえると非常に嬉しい
そして、めちゃめちゃハッピー
そして、こんな風に言われたり
こんな風な態度を取られると
すっごく幸せ。

という
「私はこのように扱って下さると大変ご機嫌に性能よく動きまっせ」
という自分の取り扱い説明書を作り
相手に細かく説明し
わからないところはさらに具体的に解説していくんです。


私なんて、
箇条書きにする習慣がすっかりついているので
なにかをお願いしたい時は

①◯◯◯
②◯◯◯

その理由は、こう。
こうなると、このように嬉しい。
嬉しいでしいては、あなたのためにもなる
なんて解説つけてお渡しするようにしています。



せっかく一緒にいるのに
あなた外で働く人
わたし家のことする人
で、対立しちゃって
コミュニケーションとれなくなると
お互いが不幸です。


職場でも、同じです。


これからの会社には
男性には
女性社員の取り扱い説明書が必要です。
また
女性にも
男性の取り扱い説明書が必要です。


報告連絡相談
仕事をする上でとっても大事なことですが、
男性の求める
報告連絡相談
女性の思う
報告連絡相談は
まったく頭の中に思い浮かぶことが違うのです。


これくらい言わなくても察してくれるはず
と思うのが女性


言わなきゃ何ひとつさっぱりわかりまへんがな
と思うのが男性


そりゃ、トラブルも起こります。
そりゃ、うちの上司は私の気持ち何もわかってくれない
となります。

なって、当たり前。
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だって、男性には女性の頭の中なんて
なにひとつわからないんです。



きっとこうだろうな
って男性が想像してることのほぼ99%は間違いです。

そんんこと求めてませんがっ
そんなことより私が欲しいのはこれっ


と思ってるのが女性です。


それくらい違うのが
男性と女性。


女性が職場で当たり前に働くようになり
男性も女性と一緒に働くのが当たり前になりました。


あの人何もわかってくれない
あの人なんで察してくれないかな
あの人とはわかりあえないわ
あの人は難しいわ

と思ってあきらめるんじゃなく


具体的に言おう

とメモ紙に貼っておくんです。
冷蔵庫に貼っておくんです。
手帳に貼っておくんです。


「察してよ」はNGです。
具体的に言う
具体的に伝える

さらには、詳しい説明書までつけてあげる
さらには、マニュアルまで作って渡してあげる


ここまですると
女性が日々抱えている漫然としたストレスは
相当軽くなるんです。



私を幸せにしてよ
私がストレス感じないようにしてよ
そうなるように
あなたが全部先に察してよ

というのは女性がやってしまいがちな思考パターンなんです。


「いい男がいないわあ」
と世の女性が嘆くのは
「いい男」=「さきさき、自分のことを気にしてくれて察して行動してくれる人」
を探しているから、です。

そんな人
宇宙のはてまで探しても
いません。


でも、女性はそんな男性を永遠に求める
ということは、
男性は

俺が俺が、ではなく
先に先に、女性のことを
「寒くない?」
「大丈夫?」
「ありがとね」
「助かってるよ」
と、気にかけてくれる男性はもてちゃうということ、ですね。


そんな話を勉強会ですると
必ず男同士で
「ふんっ、そんな男は気持ち悪いわっ」
と盛り上がるのですが。


影では
「そうか、女の人は、気を遣ってくれると嬉しいんだ」
「そうか、女の人は自分の話ばっかりする男は嫌なんだ」

とか、こっそり心の中に入れて持ち帰っているのです。



うちの旦那は面倒臭い男だから
もういまさら変えるのなんて無理っ
って女性もいます。


でも、面倒臭くしてるのは
「察してくれるはず」と思い込んでいる女性に原因がある場合が多いんです。


女性の欲しいものを
察するなんてこと、できませんからっ


女性が努力しなくてもできる
さきさき気を遣っていく能力なんて
ほとんどの男性に求めるのは無理ですからっ



そのかわり、
困った時に解決策を示してくれるのは男性です。

感情でごちゃごちゃになってしまう女性と違って
論理的にクールに
具体的行動を示してくてるのも男性です。



男と女はもうなにもかもが違うんです。


まずは、
女性は
「察してよ」をやめ
「具体的に言う」
ことにシフトしてみると
あら、びっくり
こんなに自分の思う通りにいくわけ?ということを
体験するはずです。



具体的に言わないと、わからない
でも、
具体的に言ってくれると、その通りにしてくれるのが
男性です。



女性の方が、ややこしいんです。

自分で勝手に思い込んで
自分で勝手に被害者妄想になって
自分で勝手に自爆する

これが
感情的になってしまいがちが
女性のパターンです。



男性は、もっとシンプルです。

私が、勉強会を重ねて
そこからいろんな話が耳に入ってくるようになって知った
驚きの事実です。




異性と仲良くできる
ってすごいことです。
夫と妻と
彼女と彼氏と
職場の上司と同僚と先輩と
いたるところには男と女しかいません。


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8割方わたしの思うようにきいてもらえてるなあっ
って女性が感じていると
家庭も
職場も
円満なんです。


なにせ、
女性は
どこまでも
私を大事にして欲しい
私を大切に扱って欲しい
私の話を聴いて欲しい

生き物です。


知れば、
なんてこと、ないんです。

難しい存在でも
恐ろしい存在でもない。


だから、
知る勉強が必要なんです。

2015.10.27僕はいったいどうしたらいいのか?感情的になる女性にはお手上げなのです。

母性型勉強会でした。
勉強会以外でも、経営者の集まりや、さまざまな会で
男性の話をじーっと聞いていると

いま
男性がいかに
家庭でも
職場でも
「おんなはわからん」
と、心底困っているということを
感じます。
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口に出して
「実は・・・」と困っていることを言える人はまだいいですが
「しょうがない、あきらめるしかない、このままいくしかない」と
思い込んでいる人は、家の中でも職場でも
いちいち女性の反応に対して
ストレスを感じているのだと、思います。


家の中でも
職場でも
すぐ感情的になってしまうのは圧倒的に女性が多いです。
男性は、「なんでやねん!」と思ったとしても
ぐっとこらえ、基本的には我慢します。
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私も20代の頃、
なんであんなにすぐカッカして
感情的になって
一時の不安や怒りの感情で
「もう、いいっ!」と全部ぶち壊しちゃいたくなる衝動に駆られることが
よくありました。

だから上司をよくヒヤヒヤさせてたろうし
「あー、またですか」
と思われていたそうです。
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誰しも若い頃には
一度や二度は経験する、恥ずかしい体験です。
自分のことしか見えてないので
見えてる視点が低いんです。

若いってことは
そういうことなんです、きっと。


上司はどう私を見てるか?
同僚は?
先輩は?
はたまたお客様は?
なんて視点は、一切なかったです。


そんなことよりも
私の今日の気分が不安定で
感情が上がったり下がったり
苦しくてしょうがないんです。
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その点、同じ職場の男性は
冷静
淡々と仕事をこなし、
怒られても
ぐっと飲み込んで処理してました。


そしてずっとずっと先になって知るのですが
男と女は
もう脳ミソの作りそのものが違うんですね。


女性は、話をするのが大好きで
聞いてもらうと安心して
喜怒哀楽も豊かです。


気配り気使いといった細やかな配慮ができ
他人の感情を自分の感情のように
感じ取ることができちゃったりする能力に長けています。

逆に
ちょっとの不安や
些細な怒りを
増幅しやすい構造にできてるんだそうです。


ちょっとしたことから
芋づる式に嫌いが発展していったり
些細な言葉ひとつから
芋づる式に不安を増幅していったり


女性が多い職場なら
女性同士で共感しあうので
少数の男性の些細な言葉や気になる態度を
「あの人、さいあくーーー!!
「うちの上司許せナーい!!」と
みんなで攻撃しちゃうのです。
私、実際そうやってました。


男性からすると
些細な言葉ひとつ
何気ない態度ひとつでも
女性は100倍にも受け取ってしまい
いきなり
大嵐のようにぶつけてくることが、あります。


「うちの奥さんは
すぐ怒る」
「うちの奥さんは
すぐかっとする」

て、よく言いますが
て、私もきっと言われてますが


おんなとは感情的になりやすい生き物
なのです。


そのことを
男も女も知っておく必要があると、思うんです。


学校でも、教えておくべきです。
結婚する前に教えておくべきです。
会社で女性社員を雇う前に、男性社長や管理職や男性社員には
教えておくべきです。


そもそも
男と女は
もう何もかもが違うのに


男は女を見て
「自分が見ているように見て、自分が聞こえているように聞いて
自分が感じているように感じて、自分が思ったとおりに思うはず」
だから
「自分が動くように女も行動するもの」
と思い込んでいるところが大変危険です。


そしてそのまま
逆も同じです。
大変,危険。


だから、男は女を知る場所が必要だし
女は男を知る場所が必要です。
相手の頭の中を知ることが、必要なんです。

同じ人間だから
一緒でしょ、
と思ったところから
不幸ははじまるんです。


女性は基本、不安になりやすくできてます。
今のようにたえずスマホで情報が入ってきたり
他人の私生活が自分の視野に入ってくる状況になると
自分の心の処理能力を超えちゃうんです。
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ネットから入ってくる情報で
いきなりハッピーになることは少ないです。

入ってくる情報の9割は
自分より他人が輝いているように見えちゃう「隣の芝生は青い現象」です。
そして、自分だけが止まってて
他人はみな先に先に進んでしまっているかのように感じる妄想です。
自分だけが損してる気がする。

だから、暗くなるんです。
だから、不安になるんです。
だから、さみしくなるんです。


でも、スマホを手離すことをできなくなってるので
見ちゃうんです。
不安になるのわかってて、見ちゃうんです。


不安な感情
怒りの感情が
自分の頭いっぱいに溢れてきちゃうと
もう回線がブチッと切れちゃいます。


そうなると
もはや、ダメです。
不安な要素で頭がいっぱいになっちゃって
身動きとれなくなってしまうんです。
いったんこもってしまうと
外にもでられなくなっちゃう
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男性が最も苦手な
「あふれる感情を押さえきれない人」
になってしまうのです。


女性なら誰しも経験があると思うんです。


これがある程度
年齢重ねてくると
落ち着いてくるようになるから、
不思議です。


感情的になったら
なにもかもがうまくいかなくなる
ということを
嫌と言うほど身にしみて知るから、でしょうか?

それとも
食べ物を気をつけだして
栄養状態がよくなると
脳が落ち着くのでしょうか?


ホルモンが安定するせいでしょうか?

いろいろな要素があるとは思いますが
女性は感情が落ち着いている時が
一番いいのです。


私はうんと一時の感情で
積み上げてきたことすべてオジャンにしてしまったことが
あります。
関係もパー。

頭じゃわかってるんです。
でも、感情がコントロールできない。


感情が飛行機みたいにアップしたりダウンしたり
する自分がもうとんでもなくしんどくて
嫌で
そこからあれやこれや
自分で勉強をはじめたんです。


そこから20年。
どれだけかかってるんですか・・・・。
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勉強したことによって
感情が上がったり下がったりすることが
急降下じゃなくて
高めなところで
下がってみたり、
急降下しそうになったら
「あ、あの時の二の舞にならないように」
と深呼吸したり、と。



気がつくと
あんまりカッカしない自分が
できてました。

まだまだですが。


だから、家の中で
「昔は瞬間湯沸かし器だったねー」と言われても過去の笑い話になり
夫を胃潰瘍で殺してしまいそうなほど妻のイライラストレスも
なくなりました。
なんで、あの時、うちの主人は
胃薬ばかり飲んでたんだろう?と不思議だったのですが
原因は
「わ、た、し」
でした。



家族の中で
誰か元気ない時は
家の中の誰かがイライラ不安定で
感情が落ち着いてないんです。
その影響は
一番近い存在の心を暗くするんです。



女性の脳は
何もせず放置しておくと
感情的になります。


そして不安なことや
自分を怖がらせて焦らせるような情報ばかりを
わざわざ選び取って収集してきます。
そうなってるんです。


だから
意識することが必要なんです。


力技で
不安で不機嫌なほうに脳ミソが心が
向っていかないように
自分で意識するしか、ないんです。



今が
もう最悪で
落ち込んで
イライラしてて
何もかもうまくいかない
という時なら、

自分で意識して
無理矢理にでもご機嫌になろう、とすることで
泣きそうでもあえて笑っていくこと
だるくてしょうがなくても
力技で起き上がり、あえてテキパキ動いてみる
ことで


あっけなく
いい状態にまで上がれるんだ
ってことを
知っておく
それが、大事です。
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心の中
脳ミソの中を
いじれるのは
自分だけです。


他人は誰もしてくれません。
上司も
彼氏も
夫も
誰も、してくれません。
他人の心の中、脳みその中までは
入り込んではくれないんです。


だから、意識するんです。
放置しておくと
あっという間に心の病気です。


心の問題が増えました。
心療内科も増えました。
精神の薬が手離せない人も増えました。


私は、関係ない
という時代ではないんです。


意識しないと、無理なんです。
自分の心をご機嫌に安心させる方法を
社員研修ではやってはもらえない。
国も、やってはくれないんです。



人間だけが、
自分のテンションを「よしっ」って意識して上げられるんです。
朝、もうだるーーって思ってても
よし、ちょっと階段一気に下りてみよう
とか
早足で歩いてみよう
とか
すれ違ったおばあちゃんに「おはようございます」って
こえかけてみよう
とか
だらだらしてる動きを
やけにテキパキやってみよう
とか
そんなことで
あっけなくテンションあがるんです。


テンション低い時って
もう世界中の不幸が私にきちゃってる?
ってくらい
次々嫌なことが自分めがけてやってくるんです。
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テンション低い人って
顔色暗いし
声小さいし
出してる空気までどんよりしてるから
そういう人めがけて
不運って一気にやってくる。



想像して下さい。

もう、ルンルンご機嫌の時って
嬉しそうで
幸せそうな顔してるから
みんなが
声かけやすいんです。


人は「声かけやすい」楽しそうな人と一緒にいたいから、
勝手に人が集まるんです。



だから、落ち込んじゃダメなんです。


それは
ゴールデンルールなんです。


そりゃ、
腹立つこといっぱい、あります。
「はあ?なんで私が」と言いたくなることあります。
私のせいじゃないのに、と思いたくなることあります。
なんで、こんなに面倒くさいこと続くかなっ
って時ももちろんあります。

一日のうち8割がカチンとくる日だってあって
それがあたりまえです。


でも、そこで不機嫌になっちゃ、駄目なんです。
不機嫌はさらに不機嫌を呼んで来るんです。

おいでおいで
不機嫌さん
仲間がここにいるよ
って「不機嫌さんA」が友達の「不機嫌さんB」と「不機嫌さんC」とさらに近所の
不機嫌さんまで連れて自分のもとにやってくるんです。
これ、本当です。


私なんて、先週末
車停めたところで
かっチーン、とくる出来事があったのですが
あ、いかん、いかん
ここでカチンときてイラついてたら
もっと嫌なことが起こるわって
ことを知ってるので、

あわてて深呼吸して
「ま、そういうこともあるわ」
と一声つぶやいて

その後の楽しい食事会に参加しました。


このように知っている
と、意識することができるんです。
瞬時に切り替えることが
できるんです。


これは、知ってるから
知ってることを
できないなりにも何度も訓練し続けている
たまもの
だと思ってます。


知ってても
やれないといけませんので
何度も訓練が必要なんです。


自動操縦してくれるようになるまで
叩き込むのですよ、魂に。


知らないと
永遠に
イライラ
不機嫌
怒りを増幅させたまま
ということで自分の心がいっぱいになって
自分が苦しくなるんです。


そして、もっと問題なのは
落ち込んだり
イライラしてると
さらに、「落ち込んでイライラする」出来事を
呼び込んでくる、ということなのです。


これは恐ろしい事実だと、思いませんか?


私は、これを教えてもらった時
「おお、それは恐ろしい」
と心底思い
意識してやめてます。


だって、嫌ですもの。


いま、凹んでる上に、このまま凹んでいると
さらに凹むような出来事が次々やってくるなんて。


でも、過去振り返るとやはり
そうだったので
これは事実として受け止めてます。



嫌なことがあったら不機嫌になるのは
これ、ほうっておいてたら
みんなそうなります。


それが、「私ってどんな時に不機嫌になってるんだろう?」
「私が、今不安でつらいのはなんでだろう?」
自分の中に答えを見つけていくように
習慣化していくと
変化してくるものなのです。


生きてると
嫌な人にはしょっちゅう遭遇します。

でもそのたんびに
「あの人きらい、いなくなれ」って思うか
「ま、あの人はあの人、私は私」って思えるかの違いって大きいです。


相手を変えることは無理です。
だから、自分を上げることに意識を集中して
きらいな人のことは
深刻にならないこと、です。


むやみやたらに他人を嫌う人というのは
嫌う側にも問題があるんです。


人は自分の心を通して人を見ています。
AさんとBさんとCさんが同じ人をみた時
Aさんは「あの人きらい」
Bさんは「あの人なんともおもわない」
Cさんは「あの人いい人ね」

これくらい違うんです。


見えている世界は
自分の心の中がそのまま外に写ってるだけですので
自分の中を整理するのが
一番はやいんです。


誰とでもまあまあ
そこそこうまくやっていけたら
私達の毎日は意外にもハッピーなものです。


潤滑油としての
やさしい言葉をたくさん使い
表情筋しっかり使って「びっくりすような笑顔」を人に向け
できるだけ大きな声で話す。


それだけで、
もう特別な存在の出来上がりです。
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だって、誰もやってないから。
その一言を言ったほうがいいのは
みんな頭ではわかってる。

なにかをしてくれて
書類をとってくれて
器具をとってくれて
ありがたいなとは、みんな心の中では思ってるんです。


でも、口の出して「ありがとう!助かった」と言える人は
1000人に1人です。
笑顔も一緒に
誰にでも、その余分な「相手を少し喜ばせる一言」を
口に出せる人は
1000人に1人。


心で思ってるだけの人と
心で思ったことを口にだして言える人では
人生が思い切り変わっちゃうんです。
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1000人に1人になったら
どこ行っても大事にされちゃうんです。


他の人が言わないから自分も言えない
恥ずかしい
じゃなくて
他の人が誰も言わないなら
「ラッきー」とばかりに
最初の一人になればいいんです。



そうやって、
自分を作りこんでいくんです。


自分をもっと魅力的にするにはどうしたらいいかな?
アイラインとか
マスカラどうするべ?
ということではなく


どうやったら
自分が周囲にとって魅力的な存在になるかな?
どうやったら

あなたがいてくれないと困る
と言われる自分になるかな?


どうやったら
あなたと話すと元気がでるから
あなたに会いにきたよ

という自分になるかな?

と、脳ミソ全開で考えて
動いて
言葉に出して
いくと、
感情は勝手に落ち着いていくんです。


感情が暴走してる時
頭の中は余計なことを考えているんです。
すっかり、悪魔に脳みそをのっとられた状態です。


何かにむかって必死で動いている時
気がついたら時間がたってたわ、って瞬間を
たくさん過ごしている人は

感情的になる暇が、ないんです。



そういう意味で
男も女も
やるべき仕事が今日もある、
ということは
とてつもなくありがたいこと、です。


失った時、はじめてわかるんです。
歯と同じ。

今日も自分が向うべき仕事がある
忙しいけれど、
それはそれは
ありがたいことなんです。


私などは、
動いてないとすぐ不安になります。

ダラダラしてると
すぐ不安になってイライラしちゃいます。


忙しいぐらいでちょうどいいんです。
ああ、もう少しゆっくり時間がとれたら
と思ってるぐらいでちょうどいいんです。

忙しくてしょうがないと動いているから
ほっとした隙間にものすごーくリラックスできるんです。


頑張ろうと動いているから
ゆるんだ時、気持ちいいんです。

ずっとゆるんでたら
気持ちよさも味わうことができない。



感情が落ち着いてくると
そばにいる人も安心するんです。


不安な人が多くなってくると
感情の浮き沈みが少ない安定した人が
ますます好まれます。


そして、自分も楽にいくんです。


勉強会を重ねていくと
男と女の頭の中が
こんなに違うんだなってことが
明らかになっていきます。


知れば、なんてことない。
知らないから、もめる。
知らないから、勝手に怒って自爆するんです。

知ることは
とっても大事です。


次回勉強会のお知らせ

母性型勉強会
2015年11月13日(金)18時30分~20時30分
■高松国際ホテルにて
■会費 3,000円(食事会)
■申込はhttp://boseinomonosashi.com/study/
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