母性型勉強会でした。
大阪から来て下さったニノミヤさんが、ピースボートクルーズから帰って来られたので
ドッキドキの珍道中体験を聴かせてくれました。
ピースボートと言えば、地球一周の旅、18カ国を船で100日かけて
巡る船旅です。
ニノミヤさんはたった一人で
「乗ってくるーーー」と旅立っていきました。
船の中には
若い10代から最高は90歳まで乗っていたそうです。
その数800人!
まさに老若男女。
100日の船旅では結婚するカップルも生まれ
40歳と70歳の恋も生まれ
さらには
船の上での家族も生まれ
ありとあらゆる人間模様が見られるのです。
船に乗れば最後、
もはや降りられません。
非日常の世界。
たった一人で乗り込んでいる人が
多いそのピースボートでは
誰も自分のことを知らない人達の中で
いつもの自分とは違う自分に変身するチャンス。
ニノミヤさんは言いました。
「あーー、やっぱりね、人間最後は
男は女を求め
女は男を求めるのねーー」
船の上で、一体どんなドラマが
繰り広げられたというのでしょう。
特に70歳を超えた男女がたった一人で乗り込んきている
人が多かったという今回の舟旅。
新しい場所ではじめて出会った人と仲良くなり
そこからどんどん友達が増えていく
地上では難しいことが
船の上の非日常な世界では
トントンと進むのです。
仲良くなり方が地上の10倍速なんだそうです。
誰も自分を知らない
近所の人もいない
友達もいない
知り合いもいない
仕事のしがらみもない
そして、船の上
ドキドキしながら
体験談に聞き入りました。
4人部屋には
まったく知らない人同士。
一人時間の快適さになれている現代人としては
かなりのストレスです。
他人は、生活習慣も違う
思考も違い、遠慮もする
でも、そんな4人が一人部屋。
もめる部屋もあったそうです。
4人のうちの一人がとてつもなく不快な行動、言動。
残りの3人が
あまりのストレスに
一人部屋に急きょ移る人も。
しかし、自己都合で一人部屋に変わる場合は
追加オプション料金20数万円(--:)
赤の他人と
いきなり同室。
ただでさえ、一人が快適な現代人。
相当、ストレス。
しかし、そこを
あえて4人部屋。
むしろ、知らない人と仲良くなる
チャンスと捉えるか
自我を消し、他の3人と協調する鍛錬と
捉えることができるか
人間近くにいると
そりゃあ腹が立つことも出てきます。
「はあ?」と思うようなことも出てきます。
それは地上でも船の上でも同じこと。
そこで
「少しでも相手に嫌な感じ、って思われるようなことを
言うのはやめておこう」
「こんなこと言ったら嫌な人、意地悪な人、って思われちゃう」
って、本当は
思ってるけど
口に出して言えない関係は
どんどん疲れていっちゃいます。
そして今、地上に多いのは
この関係。
こんな関係がいくつもいくつも重なって
疲れに疲れ
男も女も
職場も友達も
しんどくなっていくのです。
自分が「私、こうしたいんだけど」って欲求を
思わず口に出しちゃうと
相手の「いやいや私はこうよ」って欲求と
ドッカンぶつかります。
ぶつかると
いい人ではいられない。
ぶつかった瞬間
お互い
カチンとくるかもしれない
場の空気が一瞬氷りつくかもしれない
遠慮しあっている関係だと
本当は「こうなんだーー!!」って泣きたいほど
叫びたいことでも
「うん、大丈夫」って平気な顔して言ってしまうんです。
全然大丈夫じゃない顔して
「うん、大丈夫」って言ってると
人間、ほんとにおかしくなっちゃうんです。
いい人ほど、気を病んでしまうのは
きっと、大丈夫じゃないのに、大丈夫って言ってしまう
その癖です。
なんだかんだ言っても長年うまくやってる夫婦や
恋人は、ガス抜きが上手です。
あったまくるわーーー
許せないわーー
と夜中まで大喧嘩しても
その後は、妙にすっきり。
言うだけ言ったら
「・・・なんか、言い過ぎたかも」って思ってしまいます。
自分の欲求を口にだし
相手の欲求も口に出し
どっかんぶつかると
その次は、自分も相手もお互いにとって
いい方向を2人で探せる余裕ができます。
みんなにとって「いい人」は
そのうち「どうでもいい人」になります。
もんもんと
遠慮しているのが
一番しんどいんです。
今は、遠慮の時代です。
遠慮の先に恋が生まれることはなく、
遠慮の先に長く付き合える友情も
ないんです。
みなさんも周りにもいませんか?
自分のいいたいこと口にして
びっくりするほど上から目線のもの言いで(--:)
でも、コミュニケーションがとっても上手。
誰にでもなつっこくガンガンひっついていける人。
これは生まれもったものではなく、
訓練のたまもの、です。
押したり引いたりぶつかってみたり
してみた体験から
ちょうどいいころあいを自分で体得しちゃったんです。
押してもないのに
ぶつかってもないのに
引いちゃってばかりでは
誰とも出会えない。
物理的に出会っていたとしても
関わっていないので
誰とも出会ってないのと同じなんです。
ニノミヤさんの話を聴いてると
「出会いたい。もっと出会いたい。
出会っている人とも、もっともっと出会いたい」
という欲求にかられ、
なんだか体が熱くなっちゃいました。
どうやら、同じように感じた人がたくさんいました。
人の悩みはほぼ、人間関係です。
普段会ってる人との衝突や
「許せないあの人」
「自分とは合わない」
「会うとイライラする」
「こんなひどいこと言われた」
職場や
学校や
子の親なら親同士の関係
いつも一緒にいる友達
コミュニティの仲間
どっぷりその中につかると
その世界が、自分の人間関係のすべてだと
思い込んでしまいがち、です。
いろんな人が生きてるんです。
すべての人に自分が好かれるわけなどないんです。
話をしたこともないのに、私のことを嫌いだと思う人だって
いるんです。
印象だけで
憶測だけで
人を嫌いになったり
あの人はきっとこんな人
と決め付けていることだってあるんです。
ひとつの集合体で
自分がはじかれたとしたって
お先真っ暗になる必要などどこにも
ないんです。
そこがダメだっても
あそこならOKなことはいくらでもあるんです。
はじかれたがチャンス
くやしいことが起こったら
腹が立つことが起こったら
それをバネに
今までその集合体にいた時間を使って
本を読むなり
勉強会に行くなり
自分の中身を磨きに磨きあげちゃおう
考えをシフトすればいいんです。
人がひきつけられるのは
たった一人で
自分を磨いてる人、です。
「みんな一緒じゃないといけない」
「あの人が行くなら私もする」
では、ダメなんです。
主語はいつも「私が」です。
あの人がするから、私も
ではダメなんです。
お手つないでにらめっこの関係は
一見仲よさそうで
心ののなかは皆、不安でいっぱいです。
不安で
不安定だから
遠慮しあいます。
絶妙な遠慮の空気を読みあって
言葉を交わしあいます。
不安な人は不安な人とくっつきあうんです。
しかし、不安はしんどいんです。
苦しいんです。
自分自身の不安を消し去るには
自分の世界に没頭するのが一番
大人の世界でも
子供の世界でも
人の輪からはずれそうになると
不安になって
心細くなるのは
みな、同じです。
でも、そこをぐっとふんばって
「一人でもいいや」
むしろ
「一人がいいや」
って腹をくくって黙々と動きだすと
自分の周りは
変化するんです。
一人で何かやってる人のところに
人は引き寄せられてくるんです。
小学校の頃と
なにひとつ変わってません。
一緒にお弁当食べる友達がいないと不安になり
一緒に帰る友達がいないとさみしくなり
共通の話題で盛り上がれないと
阻害された気持ちになる
子供も大人も同じです。
自分が快適な考え方に
どんどん変えていってもいんです。
人は成長したい生き物です。
私も、成長したい。
成長してるなって感じてる過程の時
快感。
心が躍動してるなって今まさに感じてる時には
力がどんどんわいてくるんです。
力が湧いてきてる時は
仕事してても疲れないし
人にたくさん会っても消耗しないんです。
「他人が自分をどう思ってるか」
という意識は
多かれ少なかれ
誰にでも、あります。
問題はその割合です。
そこに捉われすぎると
もう身動き取れません。
口に出すことも思ったことの100分の1も言えない
行動も縮こまっちゃう
誰かにほめられても
素直に「ありがとう」って喜べず
「いやいや、私なんて」って言っちゃう
自分を苦しくするのは
いつだって自分です。
もっといえば、自分の考え方です。
考え方の癖です。
靴を揃える癖がない人が
靴を揃える癖を無意識レベルでできるまでにするには
少しの時間がいりますし、
「靴、そろえなさいよ」
と指摘してくれる人が必要かもしれない。
靴を揃える場所にシールを張っておくことも効果的。
でも、一番新しい癖が身につくのは
「もはやあたりまえのこととして靴をそろえている人」
をよく見ておくこと、です。
すごいな
素敵だな
と思う人がいたら、
そのままくっついておくと
私はいとも簡単にすぐにコピーされます。
すごいな、
素敵だな
って思ってるので
余計に、そうなります。
今の自分を変えたいなって
思った時は
言葉を変えるのが一番です。
言葉は、その人が一番最初に発する
無意識のものです。
何気なく話した言葉をずっと聴いていると
その人のことは、わかります。
ということは、自分もまた
何気なく話している言葉を
聴かれている
そして
見られてる。
人との関係で苦しくなっていく人は
何気なく発する言葉を
変えていけばいいんです。
言葉を変えるのは
「そんなの簡単よ」
と思うかもしれませんが
やってみると
なかなか修正が難しいのです。
なにせ、何十年もその言葉を話す習慣が
身についてしまっているので
なくすのは大変。
人はその人が思い込んだとおりの人間になりますので
周囲がどんなに
「あなた素敵よ」
「すごいわね」って
言ったとしても
本人がそう思いこんでいなければ
「まだまだ、私なんて」
「えーー、私はダメなんです」
って思わず口にしちゃうんです。
自分が発した言葉を
一番聴いているのは
自分自身です。
自分がそうだと思い込んでいると
まもなく周囲もそう思うようになるのです。
まずは自分です。
自分を「私なんてたいしたことない」って心底思ってると
一番近くにいる人から
それを信じるようになります。
近い存在(夫や彼氏や友達)から
軽く扱われる
尊重してもらえない
一番の理由は、
自分がまず自分のことをそう信じてしまったから、です。
のびのびできてない自分
縮こまっている自分
そんな自分の時間が長く続けば続くほど
自分で自分の自信を奪うのです。
そんな時間はとっとと取り戻したほうが
いいのです。
女性は、そうなりがちですが
その方向を続けていいことなんて
ひとつもありません。
ひがみっぽい人生になるのはまっぴらごめんです。
他人は夫でも妻でも子供でもオヤでも
変わりません。
他人を変えようとすると
ドツボにはまるのです。
苦しくなるのです。
どんなに近い関係の人でも
変えようとしないこと、です。
人が変わるのは、自分で変えようと
思った時だけ、です。
だから、そんなことに自分のエネルギーを1%でも注ぐのは
もったいない。
そんなエネルギーあるならパックのひとつでもしてきれいになった方が
よほど建設的。
その代わり、自分だけは
どんどん変化させることができるのです。
投資するなら自分自身に。
奪われることがないものは
自分の中身に構築できることと
健康だけ、です。
もちろん、お口の健康は最重要事項です。
自分の外側に附属しているものは
時代や政治や環境や価値観の変化により
どんどん奪われます。
吉本歯科医院では患者さんのお口の状態を
3ケ月、半年、一年、一年半、2年、・・・10年と
経過を追うために口腔内写真を撮影します。
大掛かりな治療をされる患者さんは
お顔の写真、全身のお写真も撮影します。
そうやってリアルに経過をみていくと
1年後、2年後も、3年後も、10年後も
同じ状態ということはないんです。
今の状態を維持し続けることだけでも
ものすごい努力が必要なのです。
必死で努力するから
一年後でも、変わらないように見えている
のであって
何もせずに放置しておいたら
現状維持どころか、
状態は悪化する一途を辿ります。
私たちは
どなたさまも
死ぬ
という最終ゴール(とりあえず)に向って
歩いています。
このゴールは
伸ばすことはできますが
避けては通れません。
どなたさまも、必ず到達するのです。
その時までは
放置しておくと
何もせずに止まっていると
ただひたすら退化していくのです。
ゴールがいつかは分りませんが
その瞬間まで
「ようし、止まらないぞ、走りきるぞ」って
決めておくんです。
おじいちゃん
おばあちゃんになったら
体も動かなくなるだろうし
みじめな老後だろうしって
自分でそう思ってたら
まもなく本当にそんな現実が待ってます。
思った通りに、なるんです。
いいことだけじゃなく、
悪いことは特に!
そのためには
肉体のメインテナンスも必要ですし
もちろん歯も大事です。
「ま、どうでもいいや、めんどくさい」
と思った時点で
自分の時間はピタリと止まるのです。
めんどくさがりは
人間みな同じです。
でも、「めんどくさ」って言ってしまった時点で
もう、なにもかもが本当にめんどくさく感じてしまうんです。
ひとつのことにめんどくさいと思い出すと
人と会うのもめんどくさくなるし
勉強することだって
めんどくさい
仕事だってめんどくさくなるのです。
めんどくさいは
頭の癖、です。
みんながめんどくさいって
思って大変だろうなって思うようなことを
楽々やってる人っています。
そういう人は
頭の中に「めんどくさい」って思考が
ないんです。
そんな頭を作っていくのも
自分のコツコツした作業です。
今回の勉強会。
勉強会終了後なんと2時間ちかく
ロビーでおしゃべりしちゃってました。
みんな
話をしたいのです。
感じたことを話したい。
自分のことを話したい。
それは欲求です。
誰しも、自分のことを話したいのです。
話すには
聴き手が必要です。
今回は、ニノミヤさんのお話を「聴く」という
ひとつの訓練でもありました。
話をするよりも
人の話を上手に聴ける、聞きだせることの方が
より、「めんどくさい」行為です。
人に好かれよう
と思ったら
上手な聴き手になること、です。
人は、誰しも
自分のことを話したくて話したくてしょうがない存在です。
質問してくれる人のことを
どんどん好きになります。
逆に、一方的に自分の話ばかりをする人からは
いつしか足が遠のきます。
へえ、
そう、
わあ、
まあ、
それで、どうなった?
それからそれから?
あらーーーっ
これだけでも3時間は
話を聴けます。
むしろ、話したい人は
短いあいづちだけで、
思う存分しゃべらせてくれた人を
好きになるのです。
自分が相手を好きかどうかは
別として
話を徹底的に聴ききることは
訓練してないと
できません。
参加された皆様は
どんなことをお感じになられたでしょうか?
人の話を聴く
人の話に聞き入る
上手に話を引き出していく
難しいことです。
だから、勉強会はやめられない。
■次回母性型勉強会は
2015年4月15日(水)18時半~21時
高松国際ホテルにて
会費:3,000円(食事代込み)
※5月勉強会も決定
2015年5月20日(水)18時半~21時
お申込は
http://boseinomonosashi.com/study/
人の悩みは突き詰めていけば
人との関係に尽きます。
お金の問題
仕事の問題
いろいろあっても
お金を運んでくるのも人だし
仕事にはお客さんや同僚や上司や部下がいます。
だから、人との関係がモヤモヤだと
うまく流れてくれません。
みんなで仲良く
和を乱さないように
という暗黙のルールがあるせいか
遠慮のかたまりのようになって
言いたいことの100分の1も言えず
本音の出し合いもできず
ニコニコとその場をしのぐ関係が
溢れています。
ほとんどの場では、
それでも十分、OKです。
場を乱さないように
共調できる能力は大人として
大事なことです。
どんな場でも、
つるみだすと、苦しくなります。
「つるまない」と決めておく
これは、自分の心をいつもすがすがしいものに
保っておく、ひとつのコツだと、思います。
私は、20代に出会った強烈すぎる先生のおかげで
「つるまない」ことを決めました。
そのかわり、さみしい時に相談したり
悩んだりした時には一人でした。
一人だから、さみしくて本を読むようになりました。
一人で立ってる大人のところへ
話を聞きにいくようになりました。
つるまなくなると
ますます「浮く」ので
ますます同世代とつるむ時間が減るのです。
つるまないようになると
つるんでいた時に感じていたモヤモヤは消えました。
「あの人は自分をどう思ってるんだろう」
「みんなは自分をどう思ってるんだろう」
という意識が自分の中から消え
その代わり、そこを支配していたスペースに
「わお!!あんな人になりたい!!」
「こんなこともっと知りたい」
という好奇心が湧き上がってきました。
きっと、好奇心は子供の頃にたくさんあったのに
思春期に「仲間はずれにされちゃいけない」と強烈に思った体験から
脳ミソが重たく重たくなっていたんだと、思います。
今思えば
しょーもないこと思ってなー私
と思うのですが
中学、高校、の時期は
「みんなと仲良く」でないと怖かったので
小さく小さく
自分の身長よりも
より小さい自分に縮こまっていました。
つるまないようになると
あら、不思議、
今度は人が寄ってくるんだ、ってことを
体験しました。
同じように
感じている人とまた
自然と出会いはじめるんです。
それも、つるんでいた時とは違う立ち位置で
関わってきてくれる。
そのポジションの方が楽です。
ズケズケと踏み込まれない
なめられない
最高です。
それ以来、そのスタンスが一番快適なんだってことを
細胞レベルに沁み込ませました。
人との関係は
なめられたら、おしまい、です。
軽んじられたら
おしまい、です。
友達でも
夫婦でも
家族でも、
「なめてかかれないな」
というものがなくなったら
もうおしまい、です。
奥様、
ご主人をなめきってたら
バカにするでしょ?
ご主人が
奥さんをなめきってたら
もうやりたい放題でしょ?
ひとたびバカにすると
もう関係は崩壊するのです。
もし、私が主人をなめていたとしたら
もはや一緒に仕事などできませんし
子供達にもその「なめてる」ことが伝わるでしょう。
だから、なめられたら、おしまい、なのです。
なめられるのは
なめられるような態度やふるまいや言葉を
してるから、
なめられるのです。
何もいつも牙を剥いておこうというのはでなく
「ひとりで、ちゃんと、やる」
というスタンスを持ってるかどうか、です。
つるんでないと、こわい
誰かが誰かの批判をした時、
同調したくないのに、
同調してしまうのも、
つるみの特徴です。
同調した時点で
同じ土俵です。
同じ階にいるんです。
2階フロアの人は
同じ場所にいても8階フロアの人とは
関われないようになってるんです。
関わりたい、と思ったなら
勇気を持って「上がろう」と
決めなくちゃ上がれないんです。
「あの人、あんな愚痴っぽいこと言って
なんか嫌だな」
と思ったとしても
同調してしまった時点で
自分も同じ土俵なのです。
そこをあえて
つるまない
同調しない
ということを
決めていくことは
勇気がいること、です。
何かをやろうと、決めて行動に移す時だって
あの人に告白しよう、と決めて行動に移す時だって
すべては
最終は
勇気です。
赤っ恥をかく覚悟で
受け入れてもらえないかもしれない
つるんでいる人達から排除されるかもしれない
という覚悟で
バンジージャンプを「えいっ」と飛び降りる勇気です。
鷲羽山ハイランドのバンジージャンプレベルで
おしっこちびりそうになった私ですが
飛んでしまえば、
なんてことはない、
でも、飛ぶ前は
ちびりそうなんです。
「やめちゃおうかな、怖いし」
と頭の中にいろんな言葉が飛び交うのです。
勇気がある人は、
表情がさわやか、です。
心の中がクリアです。
だから、ひとりでも快適なんです。
勇気がない人は
やっぱりどんよりしてるんです。
そして、モヤモヤしたところで
グルグル同じことを
考えているんです。
つるむ心理は
ただひとつ、
「ひとりじゃさみしいから」
です。
つるんでるなあ
って自分に嫌気がさしてきたら
「あ、自分は今、さみしんだ」
と認めること、です。
さみしいことの何が悪い
と開き直ればいいんです。
ひとりでさみしい人は
誰とつるんでてもさみしいんです。
根源的には人はみな
繋がってると言いますが
生きてるうちは、
やっぱり物理的に一人の時は
さみしさを感じるのが人間です。
さみしいを
感じなくするために
目の前のことを必死でやるんです。
必死でやってる時間は
頭の中は「さみしい」を感じる暇はないのです。
脳みその中に
暇な時間を作らないこと、です。
死ぬまで、動く
死ぬまで動ける体と脳ミソを作るために
そこには投資をするのです。
もちろん、歯も大事。
自分は死ぬまでこの肉体を使いきって
この脳ミソに責任をもって
「他人にかまって欲しい病」を発症せず
できるなら
自分が誰かを助けることができる気構えで
生きるんだという
その心意気が、
自分の人生に勢いという拍車をかけるのです。
拍車がかかるから、
本当にエネルギーが水車がぐるぐる回るがごとく
沸いてくるし
止まらなくなるのです。
止まってると
ろくなことが起こらないのです。
そのうちに
お一人様一回限りのこの人生の幕が下り
さみしいなんてことさえ思えないような
世界へ行くのです。
いまのうち、
味わいつくしておけばいいのです。
今は、誰もが心の病気、精神の病気になっても
おかしくない時代に突入しました。
一昔前は、ほんの特殊な境遇の人だけが
かかっていた心の病気に
普通の生活をしている人が
普通にかかってしまう時代なのです。
つるんでいる仲間は
誰も救ってはくれないんです。
その場しのぎで
優しいなぐさめを言ってくれても
その人は助けてはくれない
「大丈夫よ、大丈夫よ、そんな頑張らなくていいわよ」
と言いつつ
その人が本当に困って窮地に立った時には
「自分でなんとかしてね、私なにもできないしーー」
なのです。
それがひどいとか
冷たいとか、
そういう次元の話ではなく
自分でなんとかしようとする力を付けようとしなかった自分のツケなんです。
自分のことは
自分でどうにかするしか、ありません。
自分の心の鬱々とした気持ちを
どんなに愛してくれている恋人がいても
消し去ってはくれないのです。
自分の不安や孤独を
誰かが埋めてはくれないんです。
たとえ
おやでも子供でも主人でも妻でも
です。
誰かの何かによって
自分に幸せがもたらされるわけでは
ないんです。
誰かが自分を幸せにしてくれる
という思考しかもってないと
腹が立つしかない人生です。
逆なんです。
私と一緒にいると
幸せだよ、と思わせられる自分のスタンスの方が
よほど清々しいんです。
人との関係性を決めるカードは
自分が持ってるんです。
相手が持ってるんじゃないんです。
自分の精神をまともに保つのは
自分しかいないんです。
では、どうやって?
勉強しか、ないんです。
私、そう思います。
人との関係でイライラしても
カッときても
あの人許せない
と思っても
その時に
「なぜ?自分はそう感じるんだろう?」
「なぜ?あの人はあんな風に自分にするんだろう?」
「あの人をここまで嫌いな自分はなぜ?」
とすべて観察です。
人との関係を
自分の心に湧きあがってくる感情を照らし合わせながら
観察していくことで
見抜いていけるんです。
見抜いていくには
つるんでいちゃダメなんです。
その渦中に入ってしまっては
ダメなんです。
見えなくなる。
どっぷりつかると
見えなくなるんです。
どんなにさみしくたって
ひとりでいられるか
と決めておけば
禅問答のようですが
人は
一人にはならない
んです。
そんな関係なら
自分はいらない
と腹をくくれば
違うステージで
また誰かと出来事と出会うことができるんです。
つるみだして
関係がだれてきたなあ、と感じたなら
その関係からすっと離れる、距離を取ることって
大事です。
つるんでいる中から
一人外れるのは恐怖かもしれない。
「なんで、あの人、感じわるい」
と最初は思われるかもしれない。
自分だけがその輪の中に入っておらず
何を言われているか気になってしょうがないかもしれない。
ひとたびつるんでしまうと
その輪から抜けるのは
一苦労。
だから、最初から
つるまない。
極端に近づきすぎない。
友達でも
夫婦でも
家族でも
ひっつき過ぎると、しんどくなるのです。
近しい関係ほど、
距離がいるのです。
我が家は
院長だけの部屋があります。
その部屋には勝手に入らないし
掃除機はかけても置いてあるものを
勝手に動かしたり
しません。
一人の時間を確実に確保してあげることが
一番の充電時間であることを
知っているので、その時間と場所をおかさないのが
私のルールです。
そのルールを守るから
相手も私のテリトリーを侵さないのです。
先に尊重するから
相手もまたこちらを尊重するのです。
先出し、です。
その時間と場所にズケズケと入り込んでいくと
お互いがしんどくなるのです。
夫婦でさえ、距離がいるんです。
女友達
男友達
ママ友、
趣味友、
つるむと、苦しくなるのです。
つるんでいる人同士は
一見仲良さそうに見えて
実は遠慮のかたまり、です。
苦しいったらありゃしない。
人は成長したい生き物です。
「あの人みたいになりたいな」って必死で本読んだり
仕事したり
勉強したる人は
つるむことは、できないんです。
みんな一緒に、成長、はないから、です。
一人が何かに目覚め、
急に勉強しはじめ
やりたいことをやりはじめたら
つるんでいる関係があると
違和感を感じ始めます。
人間関係は
同じレベル同士でないと、一緒にいられません。
だるー
めんどくさい
愚痴を言って今日もダラダラしてるほうがいい
いつかそのうちチャンスがきたら頑張ろう
って思ってる人と
今まさに、成長し続けている人は
一緒にはいられないんです。
出している波が違いすぎるから
違和感なのです。
自分を引き上げてくれる人と一緒にいたいと
私はいつも思います。
「あんな人になりたいな」って憧れてる人に
人間は近づいていきます。
一番たくさん一緒にいる人、会話してる人が
3年後の自分の姿です。
つるんでいる時間は
自分の中身はからっぽになります。
つるんでいる時に
話をすることは
いつも
「同じ土俵にいる誰か一人」です。
子供のいじめも、大人のつるみも問題はそう変わりはありません。
人は常に変化する生き物です。
つるんでいる仲間がみな同じところで
とどまっているとは、限らないのです。
「はっ、こうしちゃいられない」
と気がつき、
いきなり変化しはじめる人もいます。
そうなると、もう一緒にはいられなくなる。
その程度のもの、です。
私はガラケイなので
スマホでのLINE生活はよくわからないのですが、
便利な機能を使いながら
その便利な機能に翻弄されている人の話を今まさに、本当によく聞きます。
安易につながりすぎると
自分の大事な時間と心をそこに奪われてます。
安易につるむ関係が
いくつもいくつも重なって
自分の一日を「なんだかモヤモヤ」したものに
しているんです。
心はひとたび気になりはじめると
そこがずっと気になるのです、
執着しはじめるのです。
執着は苦しいんです。
より執着から離れたところに
余裕が、あるんです。
余裕のある人は
人との関係に「なにがなんでも」という執着は
ないんです。
うわっつらの言葉だけのやりとりを
繰り返していると
人は不安になっていくんです。
そして疑心暗鬼になっていく。
不安になると、相手を疑いはじめるんです。
不安になると、信じられなくなる。
そして、みんな嫌いになるのです。
簡単なこと、です。
信じる
信じきっていく
ことができる人は
幸福感が強いです。
信じられない
昨日は信じてたけど、今日みんなとつるんでたら
もう信じられなくなってる自分がいる、
こんな状態が一番しんどいのです。
つるむから、信じられなくなるんです。
情報を検索するから、信じられなくなるんです。
頭の中に不安な情報がたくさん入ると
どうなるか?
「この世で信じられるのは自分だけ」
ということに、なるのです。
100人の人とメールやラインでやりとりして
その100人が自分が本当に困った時に
助けにきてくれるか
そして自分もまたその100人を助けに
走るか
そう、考えてみた時、ぞっとします。
いいことばかりを
耳に優しい言葉ばかりを
いたわってくれるような言葉ばかりを
傷をなめてくれるような言葉ばかりを
たくさんくれても
よけいにさみしくなるだけ、です。
そして、ますます
自分は弱くなる。
社会に出ると
自分のことを大事にしてくれないことなど
当たりまえです。
大事にしてもらえるような自分を先に作った方が
はやいんです。
大事にしてくれない人は嫌い
優しい言葉で共感してくれない人は嫌い
ってやってると
どんどん自分は弱くなる。
どこに行っても大事にしてもらえる人は
どんなふるまいなのか?
どんな態度なのか?
どんな言葉遣いなのか?
盗むことは、いくらでもあるんです。
「あの人だから、できるのよ」
とひがんでいる時間など
ないのです。
素敵な人は
ゴロゴロ、います。
「わあ、すごい!」って盗める機会は
どこにでも転がってるんです。
生身の人と会って
その人から発してくる本気度や
語っている話は
態度、表情、声を感じとっていく
それしか、
ないんです。
スマホの中に
本当に自分を引き上げてくれる関係は
ないんです。
成長しあってる人同士が
たまに会うと
だから、快感なのです。
関係がだれてきたら、
距離を取る
これが一番です。
来週は母性型勉強会
お楽しみに。
■母性型勉強会
2015年3月25日(水)18時半~20時半
高松国際ホテルにて
会費:3,000円(夕食費用込み)