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2014.07.187月母性型勉強会

boseigata7.jpg

 

勉強会が終ってロビーでついつい長話しちゃいます。

女性がこの長話が止まらない。

残ったみなさんでパチリ↑

「いいわねえ、独身だと、楽しそうで。

私なんて自分の時間が取れなくって」

(結婚してる私の方が上よ!)

 

「あなたは仕事バリバリできてうらやましいわ。

私なんて、専業主婦しかできないもの」

(働かないといけないあなたより専業主婦できる私の方が上よ)

 

「家計簿つけてるなんて几帳面でさすがよね

私なんておおざっぱだから、あったらあっただけ使っちゃうわ」

(私の方がおおらかそうでしょ?)

 

 

ニコニコ仲よさそうに会話しながらも

水面下では、チクチクと「あなたより私のが上よ」ということを

アピールしてくること

こういうことを今

マウンティング、というそうなのです。

 

私は「マウンティング」という言葉は知りませんでしたが

話を聴いていけば、女子にありがちな

「あるなるーー」ということばかり、でした。

 

先日の勉強会は

なんと女子の中に男性一人という男性にとっては

勇気ある会になりましたが、

共感型母性型男子の方だったので

女性の中に「なんの違和感もなくなじんでいる」雰囲気でした。

すごいですね。

 

 

さて、マウンティング

動物世界の言葉だそうです。

動物社会において順序きめの確認の行為。

一方は優位を誇示し、

もう一方は無抵抗を示し、

攻撃を抑止したり

社会的関係を調整したりする

 

そういや、馬乗りになってることは

マウンティングですね、

 

「私が実際に体験したマウンティングは?」

を出し合ってみたのですが、

出る、出る、出る。

 

そういう場に行くと疲れます。

みんなが鎧をきて会話をしているところは、疲れるのです。

 

「ここででは(母性型の場)」では、どうして心がほっとするんだろう?」

ということを考えてみた時、

皆が、自己開示をしていくからだ、と思うのです。

 

誰かが、一人

ポーンと鎧を脱いじゃう。

すると、私も実はね、と鎧を脱いじゃう

 

そうやっていくと

ずっと鎧を着ている人は

会話に乗っていくことができなくなります。

 

人は素がでてくればでてくるほど

心の距離が近くなります。

 

「こんなこと言うつもりじゃなかったのに、思わず話しちゃった」

という時、

自分はその場で心開いてるんです。

 

 

誰かと自分を比較して

自分の価値観でもって「どっちが上」を確認し

安心したり、落ち込んだりすることは

比較競争のものさしです

 

自分よりもあの人の方が好かれている

自分よりもあの人の方が優遇されている

と思うことと

あの人よりも自分は優れてる

あの人よりも自分はできる

と思うことの

心のメカニズムは同じです。

 

どちらも、不安。

狭い世界で比較して喜べているうちはいいけれど

大きな世界に行くと、

比較競争のものさしでは

自分は死ぬまで「ああ、幸せだなあ、なんだか、私っていいいなあ」という

境地にはたどり着けません。

 

そもそも、比較競争というものさしは

いらない。

特に女性にはいらない。

 

あればあるほど、

仲良くなれない

隣の人との心に触れることができなくなるのです。

 

私は、母性型ということを学びだして

自分を出していくことの快感を覚えました、

 

大事さ、

とか、

メリット

と言うレベルではなく

快感、です。

 

気持ちよくって、やめられない

自分を出していけばいくほど、周囲との関係が居心地のいいものに

なっていく、この快感。

 

向かい合っていくと

好きになっていく

相手はどうかわかりませんが

少なくとも、こちらは相手を好きになっていく

ということが起こります

 

これは

心の中で起こっていること、です。

 

だから、やめられない。

 

自己開示していく

ということは

自分から、鎧を先に脱いじゃう

ということです。

自分から、スッカーンと心を開きっぱなしにしちゃうということです。

 

心をは開けてっぱなしでいると

いらんものも入ってくるので

時にへこむこともありますが、

やはり開けてないと入ってこないのが

これ人間というもの。

 

 

こうやって毎日毎日人と対していると

いろんなことが起こる毎日でも

何か起こったら

まあ、どうにでもなれ!」という感じに

なってくるんです。

どうにでもなれ、と思えるのは

日々、人との関わりの中で

充電が十分にできているから、です。

 

だから、余裕がある。

「げっ」というようなことが、起こっても

「よしっ、どうにかするぞ、いや、してみせる」と

思えてしまうものです。

 

 

マウンティング女子なんて、しんどいですね。きっと。

情報ばかりが飛び交い

SNSによって、

身近な人の光の部分、華やかな部分だけが

クローズアップして自分の視界に入ってくるようになりました。

 

身近な人の光は、自分にとっては

影になってしまうことも、あります。

 

「あの人は、私よりも華やかな世界にいる」

「なのに私は、こんなにくすぶっている(ような気がする)」

と勝手に自爆してしまいがち、です。

 

 

だからこそ、

こうやって集まって、

顔を見て、素の言葉を出し合い

感じあうということが

私は嬉しい。そして、一番元気になる。

 

どんどん学んで

どんどん喜んで

どんどん仕事して

比較してる暇もないほど、

走り続けていきたいと

思います。

きっと、そう思っている人は多いです。

 

女性は、自分で心に栄養を注いでいないと

一人でいると、どんどん自爆します。

私なんて

私なんて

自分を攻撃しちゃいがちです。

 

本来、母性力を持っている女性は

どんな存在なのか?

私という人は、どんなものを持っているのか?

引き出してやらなきゃそのままもったいなく使わず終いです。

 

 

引き出しの中に「ある」ことを知れば

存分に使えますが

もともとそんなものは「ない」と思い込んでいれば

使おうとも、思わない、そんなものです。

 

 

感情を解放する

と言えば、

女性は、怒りや不満をぶちまける

ことを連想しがちです。

 

我慢しているから、です。

「こうであるべき私」「こうしなくてはいけない」

と自分の感情を我慢し続けていると

そのうち病気になります。

 

負の感情をぶちまけるのではなく

「ああ、嬉しいな」

「いま、いい感じーーー」

という思わず出てくる自分の声に耳を傾けていくんです。

 

そんなことは、

日常にはない

だって、職場はしんどいし

だって、家庭は大変だし

だって、友達だって面白くないし

と感じるのなら

自分自身のモノサシが誤作動起こしてる。

 

しんどいなあ

なんだか、誰とも心から仲良くなれないなあ

よく落ち込んじゃううなあ

そう感じる時は

比較競争のものさしの世界で

生きてるかも、しれません。

 

全然、違うところで

らくらく生きてる人もいるんです。

感情を素直に開示していけばいくほど

周囲は自分に優しくなります。

鎧をかぶっている時ほど

周囲は自分に攻撃的です。

 

 

これって、心のメカニズムだと

私思うのですが、どうでしょう?

 

次回8月の母性型勉強会は

2014年8月20日(水)18時半~20時半

高松国際ホテルにて

http://www.boseinomonosashi.com/  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2014.07.07女の気持ちはコロコロ変わるのです

「泣けば許されると思ってるの?」

「仕事なんだからきちんとやりなさい」

「ごちゃごちゃ言わずに結果を出しなさい」

「数字がすべてよ」

「やるべきことをやりなさい」

 

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上司に厳しく言われて心がペシャンコになってしまった人がいます。

ペシャンコになった人の上司は、女性です。

 

かつては、男性の台詞だったようなことを

今は、女性が「あたりまえのように」口にしています。

そしてそれを口にしている女性も

「そんなことはあたりまえでしょう」

「仕事なんだから」

と、そう思っています。

 

社会に出ると

甘えは許されない

きちんと「組織の枠」に当てはめて動かなくてはならない

成果を出さなくてはならない

 

男性性を軸とする今の社会では

売上がすべて

数字がすべて

理屈で論破できることがすべて

です。

 

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女性も社会の中にどんどん入っています。

私も日々仕事をしながら

自分が「サヌキ(男性性)」にほうっておくと

すごい勢いで傾いていくことを感じます。

だから必死で勉強し、戻そう戻そうとするのです。

 

男が弱く見えるようになった

男のアラが気になってしょうがなくなった

頑張らない人を見るとイライラして腹が立ってくるようになった

精神的に弱った人を見ると、「頑張らない自分が悪いんじゃないの?」と醒めた目で見ている自分がいる

 

もし、

もしも、

女性が、そうなってきているなあ

と感じたなら

自らの心と体が、サヌキ化(男性化)している、ということです。

 

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自分自身が、男性化しているなあ

という明らかな自覚は

身近な人に対して攻撃的になる

身近な人の弱い部分を見るとイライラしてしょうがない

「こうでなくてはならない」という口癖が多い

です。

 

 

私は、サヌキ性(男性性)とアワ性(女性性)という考え方を知る前

もう見事にサヌキ性に傾きすぎて

すべてのバランスを崩しかけていました。

 

すべての人の中には

男性性、女性性があります。

男性性をサヌキ性

と言います。

女性性をアワ性

と言います。

 

サヌキアワについての詳しくは

母性型勉強会にて池田先生に聞いて下さい。

長くなりますので飛ばします。

 

 

女性性の本質は、

調和

です。

 

目の前の人と「うんうん、わかるわ、そういう気持ち、うんうん」と

共感しあえている時、

あなたの痛みが自分のことのように感じて胸が苦しくなってしまう時

自分が何かいいことがあったり、手に入れたりすると

自分の周りの人にわけて一緒にその嬉しい気持を共有したい思う時

じっくり余裕を持って育てている時

何気ない会話や、優しい言葉や気遣いで、なんとか今いるこの場を

和やかに調和させようとする心の動き

それれすべては、女性性のなせるわざ、です。

 

だから、会話好き

女性は男性よりもはるかにしゃべります。

しゃべりたいんです。

気持をわかちあいたいから、です。

知らない人とでもしゃべりたい

 

組織の中に、女性性がふんだんにある人達がたくさんいると

組織はギスギスしません。

調和しよう調和しよう

という意識が無意識のうちの働くからです。

コミュニケーションをとろうとろうとするのです。

 

私達は人間ですので

人間同士がそこにいるのに、コミュニケーションをしないとなると

それは一人でいるより、よりしんどい状態になるのです。

一人でいるより、さみしいのです。

それほど、目を見て、「おはよう」「ありがとう」という何気ないやりとりが

人間という存在自体を元気にするのです。

 

 

 

女性は本来、その時その時感じたことを

ポーンとそのまま口に出して表現できてる時は

元気です。

うつうつとしない。

気の合う女友達との長話が止まらないのは

その場で感じたことをポンポン言いあえているから、です。

女性は、感じた気持をそのまま出し合える場

出した気持ちを

「ああ、そうよね、わかるわ、わかるわ」と聴いて受け止めてくれる場が

たくさんあればあるほど

元気です。

 

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男性にはこの

女の長話は理解できないのです。

 

女子会は

ありますが

男子会は

あまり聞きません。

 

男性は

女同士のように

悩みを打ち明けて、心解放される

ということはあまりありません。

 

 女性が本来持っているアワ性(女性性)に気がつくと

「ああ、なーんだ、私がやってたことは全部真逆じゃないか。

ブレーキ思い切り踏んでアクセルふかしてたようなものじゃない

と我に返ります。

 

 

仕事を頑張ってやろう

成功しよう

目標を持って前に前に

いつかは頂点に!!

という性質はサヌキ性(男性性)のものです。

 

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さあ、ビジョンを明確にしましょう!

あなたの夢はナンですか?

夢は具体的に現実化するように目標設定しないといけないのです

なんてことを

女性性が強い人がまじめにやろうとすると

違和感を起こすのです。

 

そして

頑張ってみたけどできない

やってみたけど続かない

明確なビジョンなんて描けない

ということが、起こるのです。

やる前より、自信をなくしてしまうのです。

 

 

私も、過去に

「あなたのの夢は何?」

「あなたの夢をかなえるためにはこうしたらいいですよ」

といろんな手法を教えてもらったことがありますが

どうも、違和感。

 

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幸せになりたくないですか?

というのも違和感。

 

頑張れば、いつかは幸せに、というのも違和感。

今が幸せじゃないのに、なぜいつか幸せになれるのか?わからない。

今の続きにしか、明日はないのに

今はしょうがないけど、いつかは!と思うのは

絵に描いたもちのようです。

 

幸せな瞬間とは、その瞬間その瞬間に感じるものです。

そして、水の泡のように一瞬で消えてしまうもの。

ああ、今日はこんなことに出会って本当に嬉しい、幸せだなあ」と思った一瞬があったとしても

もう次の瞬間には違うことが起こり、違うことを思っている。

 

幸せな気持は固定されたものではなく

どんどん変化している自分の心の動きに沿って起こるものです。

 

 

だからこそ

「あ、今のいい感じ」

「あ、この感覚っ!」

「あ、この人!」

「あ、これだ!」

「あ、いまだ!」

という感じをつかまえていくしか、ないんです。

 

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だから、つかまえることができるためには

いつも心の中を充電でいっぱいにしておく必要があるんです。

心の中を整え

静かにしておかなきゃ

つかまえることができない。

 

 

目の前の人と

今、いい感じだなあ

という感覚は

自分の心の中を確かに満たします。

その満たされたものがガソリンとなって

自分の心をあたため続けてくれるのです。

それだけでも、十分生きていけるほど

あたため続けてくれるんです。

だから、人とのかかわりが大事なんです。

 

ほっとするなあ

つながってるなあ

優しい気持ちになれるなあ

好きだなあ

こんな気持ちは目には見えないけど

数値化できないけど

大事なんです。

 

 

女性は、内から光を放つ存在

男性は、その光を受けて充電できる存在

 

充電元となる源は

女性です。

 

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だから、女性性(アワ性)が先にたつんです。

男性の中にもある、女性性(アワ)に気がついていくことが先なんです。

 

そう考えた時、

人生計画や、目標設定という手法は、男性もしくは男性性が強い人にとっては

最高のものだと、思います。

目に見える世界を、具体的に目標化し、数値に変え、リミットを定め、その立てた旗に向かって

「いけー!!」と進んでいくことには最高に長けているのです。

 

 

しかし、これを女性もしくは女性性が強い人が

実行しなくてはいけない!

なんてやってしまうと、しんどいのです。

 

気持は、感情は常に移ろっているからです。

今朝の気持と、午後の気持では、もう違うんです。

昨日の気持と今日の気持ではもう違うんです。

 

そして、それがいいとか悪いとかではなく

そういうもの、なのです。

女の心はお天気のようにコロコロと変わるのです。

 

そんな!

だから、女は困る!

と思われても、そういうもの、なのです。

 

女性が組織の中で働く時

男性上司が困ることが、あります。

気分でものを言う

昨日言ってることと、今日言ってることが違う

瞬間の思いつきでモノを言う

一度約束したことを簡単に「やっぱ無理」という

・・・というようなことです。

これは、

男性が女性は「そういうものだ」ということを知らないから腹が立つのです。

 

今世の中の9割は

男性性が優位な組織です。

世の中全体が男性性です。

 

「こうでなくてはいけない」

「こうあるべきだ」

という世界です。

 

感覚的なものは排除しようとし

「枠」の中できっちり職務を果たすことを求められます。

 

思ったことを言ってはいけない

我慢しなくてはならない

のびのびとしていてはならない

こういう空気です。

 

男性性の特徴としては

動くことに対して、「それは一体何のために?」という大きな理由が必要なのです。

 

私は、よくこれで院長と衝突していました。

「何のために?」

がないと、動けない。

「これをしたら、一体どうなるのか?」という明確な理由がないと

動けない

動く気にならない

 

だから今では、

院長用マニュアルを作成しています。

こんな場合には、こうされると困る、理由はこうこうで。

こんな場合には、こう言ってくれないと困る。理由はこうこうで。

 

逆に、して欲しいことは

こんな場合に、こんなことをされると、大変嬉しい。理由はこうこう。

と細かく記しています。

 

パソコンの中にエクセルで作成しているのですが

膨大な量になりました。

お互いに取り扱い説明書を作っておくと

いいのです。

 

理由がわかれば、

あっさり動けるのが男性です。

 

女性は、この逆で

理由なんていらない

「ただ、いいと思ったから」

「なんとなく、好きになったから」

「うーん、いい感じだったから」

「居心地がよかったから」

 

こんな感じです。

根拠もなく、理屈もなく、数値やデータでもなく

「ただ、自分がいいと思ったから」

それだけ。

 

男性性が強い人にとっては

まったく理解できない

理解したいとも思わない

女心でしょう。

 

女性は、本来持っている女性性(アワ性)が自分の中に潤沢にあるんだということに

はやく気がつかなくてはいけません。

もったいないんです。

時間が。

生きてるうちに、せっかく生きてるんだから、そのうちに、

この人生のうちに、ふんだんにある、女性性をドーンと開かせたほうが、生きるのは楽です。

対立して攻撃するより

はやくその性質を知り

徹底的に女性性を開花させちゃうのです。

 

強引に自我を押し通すのではなく

ニコニコ笑って、自分が自由に動ける状況を作りだすのは

女性性の強い人には得意中の得意技です。

 

「こうであるべき」という社会全体を覆っている男性性優位の「枠」に

自分を押し込めておくことなど、ありません。

そんな「枠」は本来、いらない。 

そして、もともと、ないんです。

 

自分が、その枠に入らないといけないんだ、と思い込んでいるだけ、です。

 

女性性(アワ性)が強い女性は、本来喜びで満ちているものなのですが

残念ながら社会そのものが男性化しているため、

女性性の性質が、マイナス的な出方をしてしまうのです。

 

自分を責めてしまう女性が増えています。

子育てを上手にできない私は、ダメな母親かもしれない

子供をしかりとばしてしまう私は、いけない母親かもしれない

主人にきつい私はダメな妻かもしれない

自分だけが、何もできない女なのかもしれない

と攻撃が自分へ自分へと向かうのです。

外に対していい妻、いいお母さん、いい人を演じている人は

身内に対して異常なまでに攻撃的になりやすいと言いますが

これは我慢の限界を超えたから、です。

 

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今、女性はきつい時代に生きてます。

男性ももちろんきついと思うのですが、

優しい顔でいられない

心に余裕を持っていられない

人に優しくする余裕が無い

厳しいこともやらなくちゃいけない、言わなきゃいけない

外側は女だけど、男の役目もやらなきゃいけなくなった

真面目で

きちんと「やらなくてはいけない」

そういった「こうであるべき自分像」が自分の潜在意識に深く入り込んでいる人は

しんどいのです。

 

真面目な人ほど

きちんとやろうとする人ほど

仕事と家庭を両立しようとすると

しんどくなるのです。

 

ゆるめない

リラックスできない

甘えられない

人に異常に気を遣ってしまう

 

こんなことになってしまうのです。

 

放置しておくと

どんどん攻撃的な自分になるか

どんどん自分を責めてしまうか

どちらか、です。

 

本来の性質と違うものを頑張ってしようとすると

こんなことになるのです。

自分は本来「ひまわり」なのに「あなた、サボテンでしょ?サボテンとして頑張りなさいよ」と

言われてるようなもの。

 

 

あなたが女性なら、

自分はどの傾向強しなのか?

それを知ることが大事です。

 

サヌキ性(男性性)が強い女性なのか?

アワ性(女性性)が強い女性なのか?

そして、

パートナーは、どうなのか?

 

人間関係は、出会う人との関係性によって変化します。

あの人といる時には自分の中の可愛い女性らしい優しい部分が引き出される

あの人といる時には自分の中の意地悪な攻撃的な理屈っぽい部分が引き出される。

だからといって、

相手が悪いわけでは、ないんです。

 

 

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すべては自分次第です。

自分が相手によって、どんな型にでもねんどのように曲がったりへこんだり突出したりできる

ということが大事です。

だから、受ける側の姿勢がすべてです。

攻める側よりも

受ける側が大事

自己主張する側より

聴き手の側のが大事

 

女性性が自然に培ってきた、「まるごとありのまま受け止める性質」です。

相手がどうこようと、

攻撃的にこようと

受け止めていく

という性質です。

 

この性質は

男性性には、ありません。

女性性の中にしか、ありません。

 

女性性のおおもとは

命を育む「母性」の力です。

 

男性の中にもある

女性の中にもある

「母性」

 

ご一緒に母性型勉強会で学びませんか?

今までとは全く違う考え方を

再インストールしましょう。

 

「あれ?なんでこんなしんどいことやってたんだろ私?」

というのが

私の実感です。

 

 

どうぞご一緒に。

 

 

次回のお知らせです。

2014年7月16日(水)18時半から20時半

高松国際ホテルにて

会費:3,000円(食事代込み)

http://boseinomonosashi.com/

 

 

2014.06.20プレイなんです

母性型勉強会である男性が、こんなことを言いました。

 

自分が部下である時、上司に対して腹が立っても、嫌なことを言われても

「今、自分は部下である自分を演じながら上司と部下プレイをしているんだ

 

uehara_3.jpg

と思う。

 

家に帰って奥さんに対しても

「ご主人プレイをしているんだ」と思う。

 

そう、思うことによって、

自分がプレイする役割を演じるようになる。

だから、腹が立ったりしなくなる。

 

というもの。

その場で騒然で大笑いだったのですが、

私はまったくその通りだ、と思ったのです。

みなさんは、いかがでしょうか?

 

プレイといういい方を言い換えてみると

役割をちゃんと果たす人」のことを

プレイする人です。

 

プレイに徹していないから、

腹が立つ

ややこしく、なる。

 

自分が今、演じないといけない「プレイ」は何?

といつも自分に問う、

というのは

私はすごく大事な意識だと思います。

それが、はっきりしてる時

私は、自分がすっきり動ける。

 

自分の気持ちがーーー

とか

そうはいっても^---

とか

ややこしい自分の甘えや感情が出てくる前に

さっさと

「さ、今から、プレイ!」と決めちゃえば

動くことは楽チンです。

 

例えばカップルでデートしていても

彼が「彼女がのぞむ役割」をちゃんと演じてくれていたら

彼女は惚れます。

彼女もまた「彼がのぞむ役割」を演じてくれていたら

惚れます。

 

今の恋愛が成立しない女性の不幸は

男の役割を自分がしなくちゃいけなくなったことです。

 

 

男が男役をきっちりプレイしてくれてば

女も女役をきっちりプレイできるのです。

あいまいな男役なので

女もどういうプレイでいけばいいのかわからないのです。

逆も同じ。

あまりにも女性が「男性化」しすぎたもので

自分の強くてたくましい男の役どころを演じきれなくなった。

演じづらくなった。

 

3つゆび立てて

三歩下がって

「ご主人様お帰りなさいませ」

という役どころを演じたくても演じられないかなしさ。

 

「俺に黙ってついてこい」

と思いきり演じることができなくなったかなしさ。

 

バリバリのキャリア女性で

経済力もあって

すっごい美人でも

「本当は男らしい男性に

守られてその人のためにいろいろしてあげたりする

幸せが欲しいのよね」

という女性は、います。

どんなに聡明で自立している女性でも

自分の中の「女らしい女の役」を演じたい

といつだって思ってます。

一見男かと思うような女性であっても

「かわいらしい自分を演じてみたい」

と思ってます。

 

 

相手が自分に何をのぞんでいるのか?

を知って動くことは

仕事も同じです。

 

 

「さ、今はこの役割だ」と

頭と行動が一致してると

ストレスないですよね。

頭では「でも・・・」とか思ってるのに

行動は「でも、こうしないといけないからしょうがなくする」

って時ほど人間しんどいものは、ないのですよ。

 

あらゆるストレスは

頭の中で思ってることと

自分がやってることが

くいちがってるから

しんどくなって起こるのです。

 

 

だから、「プレイ」!

演じる

のです。

演じきる。

主人公なので、面白がってやる、のです。

命令されてやってるのではなく

自分で勝手にするのです。

ここが、ミソ、です。

やらされたことは、奴隷

自分でやったら、快楽

そのお役を演じる、演じきる。

 

 

私達が生きてる世界は

すべて、どんな山の中に入っても

人から逃げられることはなく

人間関係です。

 

その人が、人とどうやって付き合っていくのか?

どううまく付き合えるのか?

でその人の人生すべてが決まってしまうとも言えます。

 

どんな勉強ができても

どんなにお金があっても

「あの人、嫌い」

「あの人といると、しんどい、めんどい」

「あの人といると、疲れる」

など思われてしまったなら

一人ぼっちです。

 

せっかく勉強した頭も使える機会もなく

せっかく持ってるお金も楽しく使えることはないのです。

 

役割はとても大事です。

例えば、今は、20代が3年どころか、1年も仕事が続かない人が

大量に社会に流れ込んでいるそうです。

現場の人材が不足しているのは

すぐやめるから、です。

人は、存在するんです、たくさん。

続かない人が、たくさん、いるだけなんです。

 

次々、合わないと思ったら

すぐに次の職場を探せばいいやと

思っているから、です。

 

ハローワークでは

現場で働く人材はとんでもなく不足して企業は

いつも人を探しています。

だから、若い人は仕事はいくらでもあるように

思ってしまいます。

 

しかし、残念ながら

つぎつぎと仕事を変えていく人を

雇う側は警戒します。

これは自分が雇われる側にいる立場の時には

見えなかったこと、です。

 

しかし、実際に自分が人を雇う立場に立ち、

人を雇う側の立場の人達とたくさん交流をすることにより

はっきり見えてくることが、あるのです。

 

それは、

欲しがられる人は、1点に集中する

ということです。

欲しくない人材は、うちでもあそこでも、あっちでも

欲しくない、ということなのです。

 

A社が欲しい人はB社も、C社も、D社も、欲しい。

さらに業界が変わっても「いい人はいい」ので

別業界のE社も欲しいわけです。

 

そして、

A社がいらないと思った人はB社も、C社も、D社も、いらない。

じゃあ、別の業界ならどうかと、E社にいくけど

ここでも、いらない、のです。

 

 

そして、

欲しがられる人

というのは、その人がやめると困るので

離さない様に、離れていかないように

大事に大事にするのです。

「やめたい」なんて言われたら必死で説得しようとするのです。

 

 

だから、やめない。

続くわけ、です。

 

 

欲しがられない人は

その人がやめても困らない

むしろ

やめてもらって新しい素直な人が欲しい

というのはどこの社長さんの本音でもありますので

これといった配慮もしてもらえなくなるのです。

 

だから社会には

どこにいっても続かない人」がごまんと溢れだしているわけです。

 

 

人間はシンプルです。

上司も部下も、お客さんも男と女も友達も

好きな人と一緒にいたい」「人として可愛げのある素直な人がいい」

のです。

「嫌な人は遠ざけたい」

これだけ、です。

 

会社の中に入った時

どこの誰でも欲しくなるような人

とはどういう人でしょうか?

 

 

あなたが上司だったとして

先輩だったとして

あなたが誰かに何かを教える側に立った時

想像して下さい。

 

「そんなの知ってます」

「それは、こうだと習ったんですが」

「え、、でも、できません」

たくさん屁理屈こねて言うことをきかない人よりも

一生懸命耳を傾け

あなたの言うことを

「はい」「はい、わかりました」「やってみます」

と素直にすぐ動く人の方が

話しやすいです。

 

そして、もっとこの人にいいことを教えてあげたい

と言う気持を引き出されます。

そして、もっと大事にしてあげたい

というプラスアルファの気持まで勝手に引き出してしまいます。

 

屁理屈こねて

自分の優秀さを主張する人は

「あ、では、よそで、どうぞ」

と思うのがこれ、人間。

 

 

そこで、プレイ

です。

 

上司なら上司というプレイ、役割を徹底的に演じきる

部下なら部下というプレイ、役割を演じきる

奥さんなら奥さんの役割

主人なら主人の役割

友達の役割

きっちり、果たすから、関係が維持されていくんです。

 

 

例えば、うちのカウンセラーという仕事があります。

森下が今、その役割をやってくれています。

カウンセラーの仕事は何か?

そしてそのカウンセラーは吉本歯科医院という中でやっている仕事なので

吉本歯科医院という中での自分の立ち位置はどうでないといけないのか?

それでは、言葉遣いは?

それでは、態度は?

それでは、表情は?

それでは、同僚や後輩への態度や言葉は?

それでは、上司への態度は?

それでは、患者さんに対する時はどんな風に?

 

これらがすべて腑に落ちて

「私はこの役割をやる」とちゃんと役割をこなし

その役割をどんどん深めていっているから、

周囲は

「ああ、彼女は役割を果たす人なんだ」と

認識するのです。

 

こうやって仕事能力を上げていくから

できる仕事はどんどん増え

「この人がいないと困る」

と思われるようになっていくのです。

 

そしてその積み重ねの結果

「自分にとって過ごしやすい場」が出来上がっていくのです。

自分で作るのです。

決して誰かが提供してくれたものではなく

彼女自身が勝ちとってきたもの、です。

 

 

ある職場では上司の批判で一日を過ごすことがほとんど

という場がありました。

職場の人達もみな、同じ。

それを外部の人間が見た時

口では言いませんが

「ここにいる人をうちに欲しいとは思わない」

ということです。

 

面白いもので

人の批判に忙しい人は

同じく人の批判が大好きな人が寄ってきます。

もうこれは、絶妙な嗅覚でよってきます。

 

批判するより、

自分の役割を果たすことに忙しい人とは

決して関係を築くことはできないのです、

嗅覚でにおうから、です。

 

 

女には「やっぱり可愛い女を演じて欲しい」

うそでもいいから、というのが男性の本音です。

優しくして欲しいのです。

きつく言われるのは刺さるのです。

 

家に帰ってきたら

嘘でもいいから

廊下を走ってきて

「おかえりなさい!おつかれさま」

と言って欲しいのが男性です。ご主人です。

 

 

面倒くさい

いまさらそんな

そこまでしてもらってないし

 

いろんな声が聴こえてきますが

先に「プレイ」をかけた方が、絶対得です。

私ならそうする。

 

 

女性なら

自分から「周囲に優しくするプレイ」は

どんどんやったほうがいいのです。

優しくすると、優しい言葉を先にかけると

それが潤滑油になるのです、

その潤いたっぷりのオイルは

自分が毎日顔を合わす人達と自分をひたす潤滑油となるのです。

 

だから、

かさかさしない。

きつきつしない。

攻撃されない。

のです、

 

しっとりしてくる。

あったかくポカポカしてくる。

なめらかになる

のです。

 

潤いのオイルですから。

 

つまり、

一番得をするのは自分自身です。

 

 

「プレイ」を演じきるのも

すべて、自分のため、です。

 

誰かのために、自分を我慢する

ではないんです。

 

 

演じることは

快感です。

演じきるから、快感なのです。

自分に与えられた「役割」をきっちり演じきってると

同じく役割を自分に対して果たしてくれる人と出会うのです。

 

まずは、

「あなたでなきゃダメ」という自分に

はやく、なるのです。

 

「あなたが、いないと本当困る」

という自分にはやく。

 

そのための、役割です。

そのための、プレイです。

 

いろんな役割を演じているうちに

自分以外の誰かが自分の中にあった魅力に

気がついてくれます。

これは、もう絶対です。

 

没頭、

演じる

プレイ

です。

 

 

どう考えても、面白そうだと思いませんか?

 

次回のお知らせです。

2014年7月16日(水)18時半から20時半

高松国際ホテルにて

会費:3,000円(食事代込み)

http://boseinomonosashi.com/

 

2014.06.20恋をしないのか、できなくなったのか

DSC05301.jpg

6月18日(水)母性型勉強会でした。

はじめてお越し下さった方もいらっしゃり、あいかわらず女性が多い勉強会になりました。

 

では、久しぶりにおさらい、です。

 

母性型原理とは?

男も女も母から生まれてきます。

 命の源、「母性」。

ここに全てのエッセンスがあると考えます。

「不安」な状態で生まれてきた赤ちゃんが最初に抱かれるのが「お母さん」です。
女性は自らのうちに優しさ、思いやりを併せ持っています。
そう、優しさや思いやりという「母性」の存在を、女性たちはしばらくの間忘れていたのです。

本来、女性の持つ「優しさ」「思いやり」という「母性」の力を育んでこなかったことに女たちがようやく気付き始めているのです。

競争、成功、成長、支配が「父性」の特徴とすれば「母性」の特徴は優しさ、協調、思いやりです。


世の中は疲れ果て、みんな「安心感」を求めています。

女も男も、仕事や家庭に「母性型原理」の考えかたを取り入れ、優しさのものさしを用いることをすれば、男性は女性の話をちゃんと聞き、思いやりを示す姿勢をとり、女性は母性の力で疲れた男性を支えれば、家庭も職場も内から支える力となり、場が明るくなり、活気づくのです。

 

母性型の考え方の原点

わかりやすく言えば(サヌキ)とはオトコの本性、(アワ)とは、オンナの本性のことです。

何かをしたいという意欲を持ち、目的にむかって突き進むのが(サヌキ)の性。

前後も見ずに飛び出そうとするサヌキに対して、それがうまくいくように、前にまわり後にまわり、右に左に(ココロ)を配ってその安全を守ろうとするのが(アワ)の性。

相手に対し、まず反発的に自己を主張し、相手を否定してまで、自分を通そうとするのは(サヌキ)の性。
相手が突き進んでくれば先ず身をよけてとおしてやり、それから相手が自分と 同じ心ならそのまま受け容れ、合わないときは合うようにしむけ、とにかく相手を立て、相手に順応しようとするのがアワの性。

「自分の生命の支配者は自分だ」という覚、これは最新の遺伝子学、バイオリズム、クローン的発想をも含む、サヌキ型思考。
それに対し、「自分は人間以外の大きな力によって生かされている」という感受性は、(アワ)の性の潜象感によるものではあるが、それを判断する力(サヌキ性)の低い者はそれを、自分の特殊な個人的「超能力」と錯覚する。

(サヌキ)の性は、
一方的であり、目的的であり、独善的であり、攻撃的であり動物的であり、主観的であり、現象系(外向的)であり、自己中心的であるのが特徴。

 

これに対して(アワ)の性は、
受容的であり、依存的であり、柔軟性であり、親和性であり植物的であり客観的であり潜象系(内向的)であり、環境適応性があるのが特徴。

 

 

・・・・と、難しい話は導入だけにして、

女性が男性をたてなくなった国、日本

ということが、母性型勉強会の大きなテーマになっています。

 

今、男性が元気がない

とか、

女性が強い、

とか、

男性が弱くなった、ひ弱になったとか

いわれています。

 

ご主人はいかがでしょう?

恋人はいかがでしょう?

職場の仲間はどうでしょう?

職場の上司や部下はどうでしょう?

 

モンスターペアレンツならぬ

モンスター妻も急増です。

 

モンスター妻

つまり、「夫を下げちゃう妻」のことです。

 

夫の方から別れたいと宣言されてしまう理由は

①夫に悪態をつく

②「ありがとう」「お陰様です」という感謝の言葉や賞賛の言葉をもらえない

なんだそうです。

 

②は、「え?そうなの?そんなことで?」と思う女性が大半ではないでしょうか。

実際に勉強会でも

「そうなの?そんなに感謝の言葉が欲しいの?賞賛されないとダメなの?」

と女性陣もビックリするほど、です。

 

男性は

女性からの賞賛がなければ

力がわいてこない存在です。

 

そして、「あなたのお陰で」「あなたってすごい人ね」と賞賛、感謝の言葉が

日々シャワーのように浴びれられれば浴びられるほど、

「よし、今日もやってやろう」

「なんとか、この女のために、この家族を守るために」と

力がわいてくるもの、なのです。

 

逆に

「あんたのお陰で私の人生めちゃくちゃよ」

「他の人と結婚してたら私の人生もっとよかったのに」

「よそのご主人はもっと稼ぐのに」

「もっとしっかりしなさいよ」

なんてくさされたり

比較されたりすることが続くと

元気を失うだけでなく

ひどい場合には病気になったりします。

さらに、

傷心で元気がないところに

よそで「まあ、大丈夫?」

「すごーい!!」

「◯◯さんのお陰で、ありがとうございます!」

なんて感謝ねぎらい賞賛の言葉をくれる女性がいたならば

心は迷わずそっちへ向かうのが

男性というもの、です。

 

そこで、責めるのはかわいそう、というものです。

傷ついて

血が吹き出ている部分を

まずは血を止め

優しく傷を癒してくれるのなら

そっちへ足が勝手に向かうのです。

 

 

草食男子やら

イクメンやら

共感タイプの優しい男性

など世間でいろいろなタイプの男性が取り上げられますが

男性が女性に求めるものの本質は

変わりません。

 

どんなに仕事ができて

頭もよくて

キャリアもあって

美人で

経済力があっても

彼女が本心では男らしい男を求めてしまうその「おおもと」は

変わらないのです。

 

そして、男性もまた

強い女性もいい

仕事もやってほしい

自立した女性がいい

と言いつつも

女らしい女を求めてしまうものなのです。

 

さて、昨日は

恋が成立しなくなったよね」

という話も出てきました。

 

恋をしている時の自分と言うものを

思い出して下さい。

誰かを恋している時、

それはもう「私って、俺って悟っちゃったかも??」ってくらいに

人間として完璧な理想に近い心模様になれてしまいます。

 

いつもだったら

「えー。やだ、面倒くさい。私、自分にしか興味ないもの」

と言ってる人が

恋をするといきなり

自分はさておき、相手の幸せだけを願ったりします。

恋をしている時の自分は

もはやどんな宗教家もかなわないほど

悟りきってます。

 

時代が時代なら、自分の命までも捨てても惜しくない

ということさえ、できてしまうのです。

 

あれほど、面倒臭がりだった人間が

恋焦がれる相手に会うたえなら

たとえどんな遠くであっても

どんな面倒なプロセスがあろうとも

平気で飛んでいけたりするもの、です。

 

普段、歩いている何でもない帰り道が

いきなりその道をその人が歩いたというだけで

いきなり美しく見えてきたり

いきなり小鳥の声が聴こえてきたり

普段はアスファルトの湿った匂いしか感じなかったのに

いきなり、季節の風を感じてみたり

 

誰かを好きになると

夢中になってしまうと

自分の価値観はカーンと変わるのです、でしたよね?たしか。

 

「あの人とは価値観が合わないから」

という言葉が出てきた時には

もはや「覚めちゃってる」時なのです。

 

 

私自身も初恋で中学の頃にそんな気持を体験してから

大人になっていくまでのプロセス

勝手に妄想して好きになったりしてたことも含め

人を好きになる

恋をすることは

心だけでなく、体調までも変えてしまうことを

実感しました。

10代後半から20代はほぼ頭の中いつも「好きな人」でいっぱいだったので

本気で泣いたり笑ったり怒り狂ったり嫉妬に苦しんだり

すったもんだばかり。

みんなそんなものだと、私はそう思ってました。 

みなさん、違いました??

 

誰かを好きになると

あれは、本当になにかしらの動物的フェロモンが体から

出ているのです。

脳から出ているのかどこから出ているのかはわかりませんが

今までは一切気が付かなかった周辺のことに

恐ろしく心が敏感になる。

 

誰かを好きになり

フェロモンがバンバンでている時、

人間はほぼ間違いなく

その時会う人会う人に優しくなれます。

同じことがおこっても、

「ま、いんじゃないの。あはは」とスルーできてしまうものです。

どうでもいいことじゃあないの

と、思えてしまう。

 

10代や20代は、もう何を置いても男と女も鼻血が出るほど

恋すればいいのです

恥ずかしいことや

三角関係やら

振った振られたやら

嫉妬でどろどろ

など、

やっぱりやっておいて損はない。

 

 

その身を切られるような体験がどう考えても大人になって

ボディブローのように効いてくるのです。

若いうちなら何やっても

「やっちゃった、えへ」で済まされちゃう。

 

大人になって

修羅場になった時

「ああ、昔あったなあ、この逆の立場」なんてことが

わかってると

ブチ切れなくてもすむのです。

まさに、相手の立場が理解できる

ことが実感としてわかるのです。

 

大人になって

いきなり異性に拒絶されたり裏切られたりすると

ショックで立ち直る時間がだいぶかかりますが

若い時期にさんざんのたうちまわっていると

耐久力がつくというものです。

 

親にも内緒で

恋をしている

なんて青い時期こそ、

人生の中でもうたまんない恍惚の体験です。

せいぜい、鼻血出すほど、好きになって

興奮しなきゃ

大人になっていつやるの?

という気がします。

 

 

だから、恋万歳です。

最近は高松でも丸亀町商店街あたりを

おそらく熟年再婚カップルが、仲良く手を繋いで歩いてます。

 

それをみてじろじろいろいろ言う人がいるでしょうが

他人の色恋に文句を言うな、なのです。

 

進みすぎな人をみると

そうでない人は、きっとびっくりしてドキドキするんです。

自分にはできないなあと思うと

自分には理解できないとなるのです。

理解できないものは、怖いので

あれこれ勝手な想像をするのです、

それが、うわさです。

 

うわさは、するより

される側の方がきっと内面は幸福です。

 

70歳くらいで背筋伸ばして手つないで

にこにこして歩いてるカップル素敵です。

 

そんなカップルが歩いていたら

「わあ、素敵ね」と笑顔が出るような街なら

商店街も活性化するというものです。

 

問題は歩いている人の顔、なんです。

嬉しそうな顔、です。

満ち足りた顔、です。

 

 

人生の優先順位は

相当高いのです。

誰かを本気で好きになる

ということは。

 

その体験は、仕事にも絶対繋がるのです。

 

誰かを好きだという気持が自分にある時

心は弾んでいるんです。

愛おしい存在でもいい。

子供でもいい。

 

「たまんない好き、愛おしい」そういう存在がいる時

人間は

ぼよんぼよんと本当に弾んでいるんです。

嬉しくて。

自分の内側から

こんなに誰かを好きになる

愛おしいと思えるエネルギーが溢れでてくることが

嬉しくて嬉しくて

本当に弾むのです。

 

そういう時の自分の心の状態

体の状態は「かんぺき

です。

 

 

その「かんぺき」な状態に

いつだって自分をもっていけることを知ろうよ

女性はそうなってるんだよ

ということをずっとやってるのが母性型勉強会。

あ、ざっくり言いすぎましたか??

 

 

心が弾んでいると

楽しそうに見えます。

 

人は、楽しんでいる人のところに

勝手に吸い寄せられるのです。

楽しもう、と思っている人のところではなく

本当に楽しんでいる人のところに

本当にその人自身が喜んでいるところに寄ってくるのです。

 

フェロモンという物質がどういうものかわかりませんが

同じく母親が子供を愛おしい、

「もう、たまらない、ムギューっ」としてしまう瞬間がありますが

ああいう時にも同じ種類の物質が出ているのだと、思います。

 

同じく胸が本当にキュンキュンするのです。

 

生理が上がっていた50代後半の女性が

ある日、1歳の赤ちゃんを預かった一日があり

一気にキュンキュンしちゃって

「たまらない愛おしい可愛いホルモン」がバンバンでちゃって

生理がまた始まってしまったということを

聴いたことがあります。

これ、女性ならなんとなく感覚で理解できる話ですよね。

 

 

いずれにしても

女性とは、本来、いつだってこういう状態で生きていたいのです。

いや、そうでないとダメなんです。

だって、本来そうなってる。

 

そして、

自分の中の女性性に気がついていくと

女らしく、なります。

攻撃的だったなあと思っていた女性の言葉が柔らかくなります。

誰に対しても男っぽいなあという印象の人が

柔らかい女性らしいい雰囲気に変わります。

私が、私が!という自己主張の女性が

少し控えたしっとした雰囲気に変わります。

 

それは、不思議なことではなく

「ああ、そういうものが自分の中にあったんだ」と

自分で気がつくから

勝手に変わるのです。

 

「でも、結婚してるし」

「でも、もうマンネリだし」

という現実問題ではなく

心模様の話です。

 

何かにときめいている

ということは、

動いているから、です。

心が躍動しているから、

その過程に「ときめく」ということが

頻繁に起こるのです。

 

 

しかし、しかし、しかしっ

今は、その恋が起こらない

 

「あの人に会うためなら!」

と夢中になる前に情報がどんどん入ってくる

知識が先に、入ってくる

理屈が先に、入ってくる

体が動くより先に

頭で先に考えすぎてしまう

先を先を

今、ではなく、先を。

 

今は、対象者に関する事前情報がありすぎです。

事前になにもかも予想がつく

あれこれと情報が入りすぎて

勝手に想像できてしまう

「あ、この程度の人ね」と勝手に推察しちゃう。

 

ときめこうにもときめけません。

情報がありすぎると

選べないのは

周知の事実。

 

お店選びと一緒です。

歯医者も一緒(><)

検索エンジンかけると

情報がありすぎて

どこがいいのかわからない」

となってしまうのです。

 

 

だから、もう選ぶのをやめるのです。

 

母性型の女性は

自らがまず発光するのです。

先に、自分から、相手にポカポッカと優しい言葉を

優しい表情を、先に向けるのです。

攻撃するのではなく、優しい言葉です。

 

自分が出したもので、

相手の出方も変わるのです。

だから、いいものを出すのです。

 

すべては反応です。

自分という物質に対して、相手という物質が

反応するのです。

 

 

だから、自分の内を整えるのです。

母性型思考で満たす、満たす

女性は特に満たすのです。

そうすると、連鎖反応が起こるのです。

 

同質の種類の人が勝手に吸い寄せられてくるのです。

類は本当に友を呼ぶのです。

 

 

女性ははやく

母性型思考をしって下さい。

原理を知って欲しい。

 

そして、どんどん楽になって

本来の自分の中にある優しさ、思いやりを

溢れさせる蛇口のもとをひねるのです。

 

一度ひねれば

後はもう止まりません。

 

「ああ、こんな感覚ってあったんだ」と一度気持ちいいのを知ると

もう前のしんどい状態に戻れないですよね。

 

それと同じです。

 

今、女性が仕事をして

子育てをして

妻もして、「ああ、もうなにもかもしんどい」と思う時があるのなら

もしかしたら、

真逆にことを一生懸命やっているかも、しれません。

 

本当は必要ないのに

「美容液も必要ですよーー」

「クリームも必要ですよーーー」

「さらに、もう歳ですから、特殊な成分まで必要ですよーー」

といらないものを必死で買うために

頑張っているようなものです。

 

 

本当は

せっけん一個で大丈夫だった

というような話です。

 

女性は、もうなにもかもその身の中にすべて入ってます。

フル装備です。

つけくわえることなど、ないんです。

 

鎧は、いらなかったんです。女性には。

 

次回のお知らせです。

2014年7月16日(水)18時半から20時半

高松国際ホテルにて

会費:3,000円(食事代込み)

http://boseinomonosashi.com/

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2014.06.20目線があたたかいと、理屈抜きに嬉しい

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昨日は、当院院長の「歯を失わないお話」のあと

私もお話させて頂く機会を頂きました。

 

男性がほとんどの会でのお話だったのですが

会場に入ってお会いする方お会いする方が皆

目が合った瞬間に

「あ、どうも、こんにちは」と笑顔を向けてくださる方ばかり。

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あったかいなあ

ここは、と感じちゃいました。

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入った瞬間に、ありますよねそういうの。

会社に入った瞬間に、パッとわかる、そこにいる人達の雰囲気。

そこにいる人達が仲が良さそうにしてる空気がとってもあり

「この業界はいいところだ」と思い込んでしまった私。

 

 

マイクを持って前に立つと

不思議と目を合わせて

うんうん、とうなづいて下さる人のところに

足が勝手に向かう私。

 

目が磁石になって

NとSを勝手に引き寄せているような、

そんな感覚になります。

 

そんなことを思いながら

今日はお昼、講演を聴く機会がありました。

演者の方が、前に立ち、私はずっと

その方を見て、お話されることの中に入り込んでいました。

やたら目が合うのも、

きっとそのせいです。

 

 

聴いてもらえるって

嬉しいことです。

 

いい機会をいただけたこと

ありがたく思ってます。

 

ちゃっかり勉強会への

ご案内もしてしまいました。

お一人でも「お、いってみちゃおうかな」なんて思ってくださったら

嬉しい!

母性型勉強会お知らせ

 

■日時:2014年6月18日(水)午後6時半~9時

■場所:高松国際ホテルにて

■会費:3,000円(食事代込み)

■お申込はhttp://boseinomonosashi.com/study/ 

 

 

 

 

 

 

 

 

2014.06.20それは弱点ではなかった

昨日、「悪霊島」のブログを書きました。

すると、愛媛に住む近所のおさななじみからメールをもらいました。

 

あの時に

話し相手になれなくてごめんね、と。

そして、彼女の家でも起こっていた「ややこしい話」

を打ち明けてくれました。

知らなかった。

一気に心が近くなります。

 

愛媛時代のおさななじみなので

もはや30年ちょっと前の話です。

 

嬉しかったです。

愛媛に行きたくなりました。

 

高校時代にうちの両親が離婚したそうだ

という話は風のうわさには聞いていたけど(近所なので)

デリケートな話なので

言いにくかったんだそうです。

 

 

今思えばなんてことないのですが、

中学、高校時代の私は

家の中のいざこざや

両親が離婚するかも、しそう、しちゃった

というう話は

自分の弱点だと、思い込んでいました。

 

 

自分が弱点だと思い込んでいるのは

きっと、

親戚や当時の周囲の人や同級生や学校の先生から

離婚=だめなこと

という何かしらのメッセージを受け取ったからだと

思います。

「ともこちゃんはかわいそうにね」

「ともこちゃんのところは、気の毒ね」

と、日々言われると

「え?私って、そんなにかわいそうなわけ???」

と思うじゃありませんか。

 

 

その時に周囲が

「あ、そう、良かったじゃない、いろいろあるよ」

くらい言ってくれる人ばかりだったら

私も、そこまで暗いイメージに思わなかったと思うのですが

なにせ、田舎って、そういう感じ。

 

同級生にも先生にも

親が離婚しちゃった

ということを

隠そうとしている私

実際、そういう話になると

話をそらす私

付き合ってる人にまで

その話をはっきり言えない私。

今、思えばそれほどの関係。

 

 

 

相手はそれをなんとも思ってないのに

私だけが、弱点だと、思いこんでいるってことです

 

隠し事があると仲良くなれないんです。

だって、私は心開いてないんです。

だって、弱点を見せたら

好いてもらえないって

思ってるんです。

 

 

実際はまったく隠せていないのですが

誰にも気がつかれていないかのように

必死で隠そうとしている私。

 

今、思えばなんでそんなこと思っていたのか

わからないのですが、

自分の最大の弱点を人に知られてしまったら

私の人生はおしまい、とまで思ってしまっていたのです。

 

 

若い

といえばそれまでなのですが

狭い狭い人間関係の中で生きる

ということは

そういうことかも、しれません。

 

今、自分が大人になって

いろんな場で、いろんな人が

自分で自分を縛っているのを見ると

当時の自分の狭い世界の中で「自分の弱点をひた隠しにしていた幼い自分」

を思い出すのです。

 

 

狭い世界

村社会独特かもしれませんが

あるグループ

ある人の群れの中で

自分だけが、違う方向を向いてしまうと

みんなからはじきとばされるんじゃないか

と思ってしまう。

 

そこがダメなら違う世界にいけばいいじゃないか

この人達の中で合わなくても違う人達の場へ行けばいいじゃないか

というある種の「別にどうでもいいじゃないの、そんなこと

と思えてしまう気軽さがない

それは、自分の生きてる世界が狭すぎる時、です。

 

 

自分だけが弱点だと思い込んでいることって、きっと、あります。

でも、その弱点は人から見たら「へえ、それで?」という程度のものだったりします。

 

 

弱点は弱点ではなく

自分だけが、弱点だと思い込んでいるだけ、

ということに気がつきました。

これも過去に書きました

ある同級生との関係から、です。

打ち明けることの快感。

自分の心を開いて、目の前の人に受け入れてもらっている

気持ちよさを味わってから、です。

 

きっかけは、

やはり、人、です。

理屈じゃなく、「この子の前では何を言っても嫌われない」という

安心感から、勝手にそうなってしまいました。

 

 

人は人に好かれたい

なんだかんだ言っても好かれたいのです。

嫌われるより、好いて欲しい。

そして

好かれようとして、自分の弱点、弱みを隠してしまうものです。

でも、実際は

弱点を隠せば隠すほど、嫌われる。

私が、中学、高校と自分のことをひた隠しにしていたので

さぞ、私に関わる人は、私のことを嫌っていただろうな

と思います。

 

当時の同級生と

うんと大人になってから再会しはじめているのですが、

みんな言うのが「あんたは、嫌な女だと思ってた」です(笑)

逆に、昔そうとう嫌いだった反動で

今、仲良しだったりするんです。

歳トルのも悪くありません。

こんな恩恵も、あるんです。

 

 

嫌な女だと思われる

のと

嫌な女だと思われない

境目は

自分を隠そうとしているか、しないかだと、思います。

隠すことに必死なので

目の前の人とちゃんと出会ってないのです。

 

 

さんざん

うまく隠そうと必死でやってうまくいかなかった体験は

大人になってから、役に立ってます。

うまくいかない理由が

明確にわかるから、です。

 

どうやったら

人に嫌われるか

どうやったら

人にかわいがってもらえなくなるか

どうやったら

人と心が近くなれないか

どうやったら

自分が孤独になってしまうのか

 

それが、

わかる。

自分が全部やってきたことなので

わかるんです。

 

 

さらに、私はありえないほどの記録魔、日記魔。

その時々の行動や、あった人、その時の心の中の様子、変化

その後の気持ち、すべて書いているのです。

誰にも見られないという日記は

私だけの世界。

死んだら、見ないで棺おけに入れるという約束です。

もし、見たら化けて出るよ、と。←これは、効いてます。

 

 

だから、私は

人間は科学だと、思うのです。

 

ハッピーになるのもそうなるべくしてそうなっている

氷がある温度になって溶けたら水になるように。

 

心を中からどんどん開いていくことで

自分のエネルギーはどんどん溢れてくる。

 

逆に隠そう隠そう

作りこもうとしている時

自己不信になり

どんどん、みじめで小さい自分になっていくのです。

 

これはもう

そうなってるんです。

 

中学あたりの教材に入れ込んでおいて欲しいほど、です。

 

来週は母性型勉強会

東京からもお越しくださいます。

大阪からもお越しくださいます。

もちろん香川の方がほとんど、です。

 

弱点をひとつ、持ってきて下さい。

弱点は、思いきって口に出して言ってみたら

弱点じゃなくなります。

 

弱点ではなく、強みに変わるかもしれません。

 

小さな小さな、些細な些細な、自分だけが思い込んでいる弱点。

それが、自分を止めている石かも、知れません。

 

 

 

母性型勉強会お知らせ

 

■日時:2014年6月18日(水)午後6時半~9時

■場所:高松国際ホテルにて

■会費:3,000円(食事代込み)

■お申込はhttp://boseinomonosashi.com/study/ 

 

 

 

 

 

 

2014.06.20鵺の鳴く夜は恐ろしい

鵺の鳴く夜は恐ろしい

・・・・あくりょうとう(悪霊島)。。。。ジャーン

 

というキャッチコピーの映画

覚えていますか?

 

というより知らないかも?

昭和50年頃でしょうか?

 

当時小学低学年(何年だったか覚えてません)の私は

その日の夜も

また定期的にやってくる両親の大喧嘩の最中に

目がギラギラ冴えて眠れない夜を過ごしていました。

蒸し熱かった夜だったのを覚えていますので

ちょうど今の時期。

 

何かで言い争いになった父と母。

お酒を飲んでいるので

暴言が止まらない父に耐えかねた母は

夜遅いのに靴はいて出て行こうとしました。

 

それを見た私は

慌てて「私も行かなきゃ」と思い

なぜか、空っぽのランドセルをしょって

靴を履いて母についていきました。

子供心に

「もうここには帰ってこないのかも」

と勝手に想像したのを覚えています。

さらに

「パパは、さみしがりやだから、大丈夫かなあ」

と勝手に心配したのも覚えてます。

 

 

子供とは

勝手に想像する生き物です。

 

 

兄は寝たふり。

 

時間は恐らく10時半を回ってます。

小学生にとっては夜中です。

 

何も言わずに

私の手を引いて

もくもくと歩く母。

 

どこからか、タクシーに乗って

ついた先は、映画館。

 

当時はまだ商店街の中に

古い映画館があって、ワンスクリーンだけの映画館でした。

さびたほこりのような臭いが

今でも鮮明に蘇ってきます。

 

キップを買って

劇場の中に。

 

はじまった映画は

「悪霊島」

 

古い劇場の中には

後ろの方に2、3人お客さんがいるだけ。

 

 

怖いんですけど。

何もこんなシチュエーションで、こんな映画観なくても。

 

 

小学生連れてこんな時間に

こんな映画観てる一人の「おんな」

怖いです。今、思えば。

 

横向いても無表情の母

前見ても恐ろしいスクリーン

 

あの時の映画

ものすごく覚えているんです。

と同時に

その時の母の表情を通して

ややこしいことが

いっぱいあるけど戦うわよ

という心情も伝染してきました。

 

 

映画が終わってどうしたかといえば

「はー、すっきりした」

と何事も無かったかのように

家に帰ってました。

ランドセルもいらんかったやん。

 

 

夜中に帰ると

帰ってきたことにほっとした父が

「ふんっ」と言いつつも

鍵を開けて待ってました。

 

うちの親はややこしい。

あんな低学年の頃のこと

私は今でも鮮明に覚えてます。

よその家は普通だけど、

うちの家はおかしい

ちょっと、変

そう思ってました。

 

だから、私の子供も私のこと見て

いろんなこと想像してるんだろうな

と思ってます。

 

 

家の中で起こっている

一人の男と女のややこしい心の中の問題

夫婦の問題は

それぞれの親子関係にも連鎖しています。

そのややこしさを

聞き取り調査をしながら

紐解いてみるような

小学生でしたので

人間の不可解への興味はそのあたりから、あったのだと、思います。

 

 

父と母の相性は悪く

生きてる間中はケンカ9割だったようなイメージなのですが、

父からは毎日嘗め回されるように育ち

母からは全肯定されて育ったように

思います。

 

歯科の中にいて

口の中の細菌を知ってしまった今では

恐ろしく汚い話なのですが

私は、物心ついた頃から

父親にほっぺやら何でもかんでも

嘗められてました。

毎晩午前様で飲んで帰ってくるのですが

ウイスキー臭い口で

わざわざ私を起こして抱っこしてきたり

ほっぺ嘗め回すのですよ。

 

 

子供の頃に家に来ていた父の友人たちにも

とにかくチューされたり

抱っこされたり

そんなのばかり、でした。

 

私は、それが普通だと思ってたので

その影響か

今でも、人にやたら近寄っていくところが

るんです。

 

「近っ」

と指摘されます。

 

 

私にとって、人は近かった。

くっついていると

安心したし、気持ちよかったので

やはり私は自分がしてもらったように

わが子に接しています。

 

くっついてるのが好き

「もうやめてーー」ってくらい

抱き締めて逃げていくのが好き

これは、癖ですね。

治らない。

 

 

それを見ると

うちの院長はすごく不自然だと言います。

チューしたらバイキンが移る

とか

ひっつきすぎ

とか。

 

私の育った家庭のスタンダードと

よその家庭のスタンダードは

どうやら違うらしい

というのは大人になってから

知りました。

 

みなさんは、いかがでしょうか・・・

 

 

父は怒り狂うと本当にテーブルひっくり返すような家でしたが

それはそれはよくケンカする両親で

結局離婚しちゃいましたが

それぞれからもらったものは

今頃になってボディブローのように、効いてきます。

 

それが最近になって

わかったんです私。

 

 

私が、41年生きてる中で

これ、いいものもらってるなあ

と思うものは

我を忘れて集中してしまう性質

です。

 

この瞬間、時間だけは

誰からものぞかれない自分だけの世界です。

こういう瞬間は、

たまらない。

何も余計なことを考えていないので

不安がない

言い換えれば深く安心している

ともいえます。

 

私は、自分の時間がダレてきたなあ

と思ったら

すぐスイッチを入れるんです。

スイッチ入れるのは

簡単。

すぐ、入りこんでしまえちゃうんです。

 

 

人は不安な時

何かに集中していくことができません。

安心しているから、

集中できる。

安心しているから、

「あれ?あっちにあるあれは何?」

と好奇心が発動するんです。

 

安心感

それは

基礎の基礎の人が生きる基盤です。

物心つかないうちに

できあがるもの

それが、心の安全地帯です。

 

 

自分が大人になってみていろんなこと

経験してきて

はじめて

ああ、自分の心の中に安心感の土台を

作り上げてくれてたんだ」

ということに気がつきます。

 

これだけは

お金にかえられない。

お金積んでも後からは得られない。

 

 

結局、親が子供に与えてやることができるのは

その基盤だけ、です。

安心感という基盤だけ。

 

何かあっても捨てない

見捨てない

愛情を無条件で注ぐ

愛おしい

見つめているだけで思わずにやついてしまう

理屈じゃない世界

しょうもないことを言って

「うんうん、そうやねえ」としょうもないあいづちを

返せる母との至福の時間。

 

これをどれだけ伝染しつくせるかしかありません。

 

 

その土台が築かれれば

その後、どんなことを乗せても

結構うまくやっていけるものだと

私は、思ってます。

 

人を好きになったり

人を愛したり

誰かを信じたり

信じきったりする

そういう力の根源になるものだと

思います。

 

それがあれば

少々お金がなくても

少々学がなくても

度胸と愛嬌があれば

生きていける

のたれ死ぬことはない

誰かに愛されて

自分も誰かを愛して

十分楽しく生きてける

そう、思います。

 

 

 

社会に出た時や

誰か他人と付き合ったり

一緒に住むことになった時

ひょっこり出てくるのが

隠していたはずの自分」

です。

 

親との関係の中で

甘えきれていない部分があったり

満たされないことがあったり

「こうでないといけない」と厳しく制されてきたなら

大人になっても

それはひょっこり、顔を出します。

 

出てくるのは

誰かとのコミュニケーションのシーンで出てくるのです。

ここぞという肝心の場で、出てくるのです。

 

同じことを言われても傷つく人がいたり

なんとも思わない人がいたり

同じ出来事を見ても何も動揺しない人と

果てしなく動揺してしまう人と

これはすべて

自分の側の問題です。

 

自分を探っていくと

面白いことが、起こるんです。

 

 

夫婦喧嘩で飛び出したあげく

夜中に行く場所に悪霊島の映画をチョイスするような母ですが

私は、なぜか今でも母と一緒に時間を過ごしてる時は

安心します。

 

「ああ、そうねそうねえ」

「まあ、それは、しんどかったわねえ」

「ふーん、それで、どうなったの?」

「あらあ、じゃあ、よかったわねえ」

とえんえん、私の言葉をさえぎることなく

聞いてくれるから、です。

 

最近は忙しくてあまりゆっくり会えないのですが

年齢を重ねるごと、より深く聞いてくれるようになりました。

 

話しやすい

というのは、安心するんです。

 

 

人間はおりこうになってしまいましたが

やはり、お猿と一緒

動物です。

抱き締めて欲しい

抱っこして欲しい

くっつきたい

肌をなでてもらってると

安心するんです。

 

 

逆に、

言葉でなんとかしようと

してる時

人と人との距離は遠い、です。

 

脳みそも結局

体の中に入ってます。

 

 

しかし、悪霊島は怖かった。

 

あなたの家の「変な話」もきかせてください。 

母性型勉強会お知らせ

 

■日時:2014年6月18日(水)午後6時半~9時

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2014.06.20あなたの誘いには2つ返事で「行く」

昨日、ぐっときたことがありました。

それはある会で私の友人がスピーチをする機会があったんです。

後ろで聞いていた私。

 

nouda_14.jpg 

彼女がスピーチの中で

私のことをこう話してくれました。

「私は、彼女が行こう、と言ってくれるところには

2つ返事で「了解!行く」と決めてるんです」

と。

 

ぐっときました。

そして、理屈抜きで

嬉しい。

そんなに言ってもらえるのなら

もう200%愛情上乗せしちゃいたい

という気持を引き出させます。

 

言われてぐっときた言葉

「あなたとは、ずっと付き合うと

もう決めてるから」

に匹敵。

 

言い切ってくれる

この嬉しさ

言い切ってくれる

この安心感

言い切ってくれる

 

愛の引き出し上手です。

思わずメモを取ってしまいそうなほど

ぐっときちゃいました。

 

私が昨日の彼女のスピーチから学んだこと。

自分が感じた愛情や感謝や

その人からもらった何かがあったならば

もう生きているそのうちの

できれば会ったその瞬間に

口に出して伝えておこう

です。

 

口に出して

その時の気持や嬉しかったこと

してもらって嬉しかったこと、よかったこと

その人によってもたらされた自分の幸福が少しでもあったなら

自分の気持の興奮醒めらやぬうちに

伝えておこう

口に出しておこう

何かに書いて渡しておこう

 

だって、明日になったらその

気持は

その興奮は醒めているかもしれない

だから、

いますぐこの瞬間に

伝えられることは

伝えきっておこう

 

愛情の出し惜しみは

やめて

もう底抜けに愛を伝え切っておくんです。

 

 

彼女のスピーチは

私以外の聴いていた人の心も動かしたようで

今朝、「彼女のスピーチを聴いて自分も勇気を持って

彼女のように「決めたんです」と言うようにしたんです」

ということを私に教えてくれた人がいました。

 

誰かの思い切り

というか、

決めたんです

という言葉が

たまたまそこにいた誰かの心を動かしてるんだから

すごいことです。

 

 

 

スピーチの中で彼女の言葉は

私は、こう決めたんです

「私は、こうしていくことに決めたんです」

「嬉しかったんです」

「みなさんも、きっとそうですよね」

と、

ガンガンガン

と人の心の中に

杭を打ち込むようなトークでした。

 

 

こうすることに

決めた

というフレーズ

私はこのフレーズが特に好き。

自分自身もよくこうやって

自分で自分にスイッチかける時

このフレーズを使います。

 

 

私が、決めた

というのが、気持いいんです。

誰かに決められるのは

嫌なんです。

自分で決めてたら、納得できるんです。

後で「ありゃ、間違っちゃってたわーー」とおもっても

あの時決めたのは自分

と覚悟があれば、

それはそれで、すがすがしいのです。

 

一番いやで一番しんどいのは

イヤイヤだったけど

誰かがそうだから

みんながそういう流れだから

だから、そうした

という時は

一番しんどいのです。

 

だから、どんな些細なことでも

自分で決めた

にしたいんです。

 

右に行くのも

左に行くのも

コーヒー飲むのも

紅茶飲むのも

いちいち自分で決めておくんです。

 

こういうことが

「私は、こう決めた」

の詳細です。

 

 

自分自身の体験を

心が一気に上向きになっていく過程を

素直に、

自分の言葉で

話す。

 

話し方、話術のテクニックではなく

心の中にあったことを

ただ、伝えたい

この嬉しさを

伝えたい

話すって

きっと、ここが一番大事なんですよね。

声のトーン

とか

内容

とか

そういうの超えて

「伝えたーい!!聴いてええーーー!!」

このエネルギーが

言葉に乗るだけなんです。

 

 

 

もやもやしたところがひとつもない

自分が感じたことを

そのままポーンと言葉に出しちゃう

そんなスピーチでした。

 

私は彼女とよく話をしますが

こんなに大勢の前で話をしている彼女の姿を見たのははじめてでした。

 

 

人の印象は

立つ場所でも違って見えます。

大勢の人の前に堂々と歩いていって

もじもじすることなく

マイクの前で話す彼女を見て

わおっ

と思いましたもの。

 

 

ぜひ、母性型勉強会でも

スピーチして頂くことに、しましょう。

 

母性型勉強会お知らせ

 

■日時:2014年6月18日(水)午後6時半~9時

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2014.06.20嫌なことを言っても、捨てられない

 

nouda_10.jpg

人と人はどうやって親しくなってるんだろう

親しくなる時とそうならない時の違い。

 

何度も会っているのに親しくなれない

何年も前から知っているのになんだか、遠い

逆に

今日あったばかりなのに、一気に近い気分

ほんの少ししか会っていないのに、親近感

 

それは

自己開示するから

 

そして

きついことを言ったり

嫌なことを言ったり

わがまま押し付けてみても

どんな無茶ぶりしても

「この人とは関係が切れないだろうな」

「捨てられることはないだろうな」と

一切不安がない関係は

親しい。

 

uehara_10.11.jpg 

捨てられる

って、被害者意識のような言葉だけど

捨てられる

ってのも

本人の捉え方の問題のようだけど

少なからず持っている不安だと思うのです。

 

誰かとの関係において

例えば恋愛関係にしても

友人関係にしても

仕事の関係でも

相手が心の中で

「もういいや、切ってしまってもいいや」と

思った瞬間に

相手のことはもう「捨てて」ます。

切り捨ててます。

 

 

今は、結構簡単にバッサリ、切り捨て、切り捨てられる。

心の中で。

心の中で「もういいや」と決めたら

現実世界でも

その関係から遠ざかっていくのです。

会わなくなる

とか

行かなくなる

とか。

 

そんなことが続くと

どんどん不安になるし

さみしくなるのです。

 

 

勉強会をしていると

そこに集ってきてくださる人がいろいろな

話をそれぞれにしてくれます。

会社の社長さんもいる

社員さんもいる

個人事業主の方も

奥さんも

学校の先生も

学生さんも

心の内を開示してくれる人がいると

その話を聞きながら

「ああ、自分も同じようなこと感じてるな」

ということに気がつく時があります。

 

そして自分もまた心の内を開示する

そしてそれにつられてまた隣の人が。

こうやって自由に心の内を何の制限もなく

出し合えている時

心は確かに触れ合ってるんです。

 

正論を言い合い

「こうであるべき」論を出し合い

目標に向かって

成果に向かって

解決策を出し合い

という順序だてた話し合いの中では

こういうことは、起こりません。

 

何を言っても見捨てられない」

という安心感

これが、ベースにある時

人は不安が消えてますので

どんどん外へ外へと力がわいてきます。

自分の中身がどんどん拡張して広がっていくわくわくした感じになります。

家族や近しい関係は

この「見捨てられない関係」

の最たるものです。

 

逆に不安な時

ひょっとしたら見捨てられるかも」

「状況によっては切り捨てられるかも」

という関係にたくさん縛られている時

または

「こんなこと言ったらバカにされるかも」

「なめられるかも」

と思ってしまうような場も同じです。

鎧を着ておかないと

こわいこわい。

 

自分をよく見せよう

自分を大きく見せなきゃ

こんな場では、それに見合ったようにしなきゃ

そう思ってカチンコの時は

 

自分の中身がどんどん縮こまっていくのを感じます。

実際の162センチの自分よりもずっとずっと小さな自分に

自分のことを感じてしまう。

 

見捨てられない

親しい関係が

たくさんあると

人はいろんな不安を感じることなく

「なんだか今日もいい感じ」と思えてしまうものです。

何も大きな仕事をやってのけなくても

何もすごい成果を出さなくても

誰に賞賛されなくとも

「私って、いい感じ」

と思えてしまうものなのです。

 

 

子供は

無茶苦茶言っても親に捨てられることはありません。

「いい子」でいようが

「悪い子」であろうが

無条件で愛おしいと大事にされるのが

子供。

「いい子にしてたら愛するけれど、

悪い子になったらもう愛さない」というような

種類ものでは、ありません。

無条件で、全部飲み込めるほど

愛おしい。

 

 

この関係は嫌だ、と感じていても

いやだと言えない

つらくても顔では笑ってる時

自分を思い切りだしていけない

こういう関係は

会っていても表面的には愛想がよくふるまっていても

疲れる

消耗します

 

 

いい子だから、愛する

大事にする

いい子だけが、わが子

ではなく

いい子じゃない時もある

悪い子の時もある

前向きじゃない時もある

へこんでいる時もある

ガッツを出せない時もある

いじけてしまう時もある

でも、無条件で愛される

大事にされる

 

これは

大きな違いだと、思います。

 

条件付きの付き合いは、切なくなるんです。

条件付きな時の関係は

さみしいんです。

これこれしてくれるなら、好き

は、切ない。

 

自己開示しても

いいんだ

自己開示してみると

「あれ?こんなに世界は私に優しかったっけ?」ということを

体験してしまうんです。

 

 

同じ波調の人と人の心は勝手に通じていくものです。

人にはいい時もあり

悪い時もある

調子が悪い時もあり

良い時もある

他人に対してきつい時もあり

優しい時もある

雨があれば

晴れもあるように。

 

ああ、今日はちょっとしんどい時だったのかもしれないね

と、好意的に捉えてくれる人の前にいくと

ちょっとイライラして元気がない自分も

「ふっ」と気持が優しい方向に切り替わったりする時があります。

 

 

「こうでなくてはならない」

と厳しく自分を律してきた人が

どうも生きにくくなってきたなら、

少し父性型に傾きすぎていたのかも、しれません。

目標を高く設定しすぎたあまり

その目標にいつまでたっても到達しない自分に、相手に

腹が立ち、今日のこの日が楽しめていないとしたら

それはしんどいです。

 

母性型勉強会は

「今のままでも幸せを感じることができるようになる」

ということを浸透させています。

今まで全然楽しくなかった

不安な思いに頭の中を居座られ

楽しくなかったことが、

不思議と、今のままでもなんだか満たされてるんだ

と感じだす。

こういうことが、起こるんです。

 

自分が変わる

というののは

つまり

そういうこと。

 

あれ?変わったんじゃないの?私って。

と、ふと気がつくんです。

 

そもそも、そんなに強い人間など

いません。

批判に強くなれ

とは言っても

やっぱり、自分を攻撃されたり

批判されたり、見捨てられると

心はへこむのです。

 

男だろうが女だろうが

へこむのです。

男だからへこんではいけない

ということはなく

男もへこむのです。

 

傷ついても

すぐに傷の修復ができるのは

他人とコミュニケーションがちゃんとできる

から、です。

 

「へこんじゃった」

「いま、ぺシャンコになってズダズダなんだよね」

と開示してしまえる相手がいたら

そしてそれを

大丈夫だよ、と

聞いてもらえる人がいれば

傷は翌日には回復します。

 

 

これができないと

今度はもっと不安になるから

いつどんな敵がまた外からせめてくるかわからないから

ますます自分を防衛します。

防衛=誰にも開示しない、心のうちを開示しない

ことです。

 

 

手を伸ばせば

助けてくれる人がすぐそこにたくさんいるのに

あまりにも自分で積み上げた壁が高すぎて

手が届かなくなっちゃうんです。

 

 

もっと親しくなりたい

もっと手をつなぎたい

もっと心触れ合わせたい

もっと生きているうちに必死で誰かを好きになりたい

隣の人のことを好きになりたい

そう思っているのに

実際はそうできないとしたら

もったいないんです。

 

 

 母性型勉強会お知らせ

 

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2014.06.20自分が弱いのをさらけ出せない時

「苦しいな、今、実は」

と、

 

ポーンと自分の弱さをさらけ出している人を

目の前で見た時、

私はものすごく

かっこいいなあ

すごいなあ

と感じることが、あります。

 

そして

うらやましいなあ

と思います。

 

みなさんは、いかがですか?

大人になってから、そうそう自分の弱さをさらけ出すって

難しいことなんですよね。

 

誰でかれでも

ふいーんって

泣きついて

甘えてもいけませんし

大人になればなるほど

立場がついてくる人であればえらくなればなるほど

甘えるより

弱音をはさらけだすより

甘えられる側

相談される側

どちらかといえば

強くないといけない側に

たってしまうことの方が多くなります。

 

自分が悩みを相談するより

悩みを相談される方が多くなってきます。大人になると

本当にそっちの方が多くなる。

 

 

そんな私も、

中学生あたりから

高校生あたりになどは

もうピークで

誰にも弱いのを見せるのが嫌な自分でした。

 

20歳を超えたあたりからは

同世代の仲間には

誰にも弱音なんて言わないぞ、という感じでした。

そして、そうでないといけないんだ

とかっちこちでした。

ひねていたんだと、思います。

当時の同級生に再会すると

「ひねくれてたよねーー」とみんなそう言うので

やはりそうだったのでしょう。

 

 

そんな時、

中学の時から友達とまた

頻繁に会うようになり

彼女の不思議なキャラに巻き込まれたのか

この子の前でだけは

少しづつ

自分から、自分の本当の気持ち

しんどいんだ

とか

かなしいんだ

とか

もっと具体的なことなら

好きな人に振られた

とか

ドン引きされた

とか

家のごちゃごちゃとか

いろんなことを

自分からさらけだすことがが

できるようになりました。

 

 

今でも覚えています。

ずっとつっぱていて

つらくても

「全然へいきーー」と笑って

心とは裏腹なことを口にしてる時は

目の前のこの子と一緒にいても

「どこか自分は一人」

という気がぬぐえない。

一緒に遊んでて盛り上がってても

帰り道一人になると

どこかさみしかったのを

覚えてます。

 

でも、

思いきって

自分の苦しいことを

打ち明けてみたことがあったんです。

実は相当勇気がいった

でも、

言ってみた

口に出してみた

 

自分から吐き出してみると

うんと自分の心が楽になる感覚を味わいました。

 

そして

言えなかった時よりもずっと

目の前のこの子のことが大好きになってる自分がいました。

あれ?この子こんなにいい子だったっけ?

 

その時に

彼女は私にいったのは

あんたは、ほんまに強がりやけんねえ」

と。

 

くやしくても

かなしくても

涙のひとつも流せない自分でしたので

そういわれた時は

「ああ、自分はそうだったんだ」と

自分のことを客観的に見られるようになりました。

 

私は、その時

身をもって学習しました。

そして、自分のこと何もわかってなかったんだなあ

と。

 

自分を知るには

コミュニケーションが必要です。

 

あれ?

頑張ってるようで

平気なようで

前向いてるようで

実は、さみしかったんだ

あれ、弱いのを隠していたんだ

と、自分のことを知ったんです。

 

 

だから、私はこの子とたまに会ってご飯食べてる時

どうやら相当

打ち解けているよう、です。

自分ではわからないのですが

近しい人がその様子を見ると

どうやら私が違うらしいのです。

 

 

どこまで弱音をさらけだせるか

というのは

距離感があると、思います。

私は、なかなかそれが難しい人間です。

 

誰でも彼でも

弱音をされだせない

というよりむしろ

出したくない

 

 

母親がそういうタイプなので

私もその気質を受け継いでるのだと思います。

 

 

だからこそ、

なんで私がこの子の前だと

緊張感ゼロで、

なんでもかんでも自分の素を吐き出してしまうのか

 

自分の中に溜まっている負の感情を

掃除機のように吸い取って浄化してくれる作用が

あるこの子は何者か?

 

特別な職業を持って勉強してる人でもなく

2児の母で

特別、素晴らしい子育てしてるような母でもなく

どっちかといえば、「大丈夫なん?それ?」と思うような感じ。

本を読んだり勉強したり・・・はい、ありません。

飲むの大好き。

もし、この子がうちの医院に面接に来たとしたら

「もう絶対やだね」というタイプです。

 

私がいつもここに書いてるような

「こうなりたい人」の像とはかけ離れているような子。

 

 

でも、私は確かににこの子の前では

弱音をさらけ出してしまい

28年も付き合っていて

たまに会うと

信じられないくらい

自分の心の中身を洗いざらいしゃべりつくしている

んです。

 

 

そして、

今、この子死ぬと私まずいなあ、と思うのです。

本当にたまにしか会わないんだけど、

時々、思い出したように電話したり電話してきたり

しょうもない話をして切るだけなんだけど

何の建設的な内容もなく

本当にしょうもない話なんだけど

いないと困る

生きてくれてないと困る

 

そう、確かに思ってしまうんです。

 

好きとか

嫌いとか

尊敬とか

いろいろ超えて

理屈では表現しつくせないこの感じ。

 

心の中で起こっている

反応ですので

言葉では言い表せないんです。

だって、好きだ嫌いだ

心開いてるとか閉じてるとか

感じるものです。

言葉でどんなに言いこと言っても

通じ合えない時はやっぱりお互いそれを感じとってるんです。

 

コミュニケーションは

理屈じゃない。

言葉でもない。

感じあうもの。お互いが。

 

 

6月18日(水)は

久しぶりの母性型勉強会です。

 

人には、安心して弱音を吐き出せる場

打ち解けることができる場が必要です。

それがあるから、

さあ、またやってやろうと

外に打って出れるのです。

エネルギーチャージできる場、人がいるんです。

 

 

頑張れない時もある

競争がしんどい時もある

負の気持ちに覆われてしまう時もある

先ずはその気持をバキュームのように掃除機のように吸い取って吐き出し

安心感という土壌を浮かび上がらせましょう。

 

 

nouda_12.jpg

その土台があれば

その上にチャレンジや勇気を持ってきても

やっていけるのです。

 

心が不安だと、

何をしても間違った方向に行くのです。

 

 

久しぶりにお目にかかれる方もあり本当に

楽しみです。

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