昨日は、ぐっときちゃいました。
第5回目の大坂塾。
大坂塾長のエピソード。
海外や東京大阪に行かれていることがほとんどの塾長は
歯の治療の予約もなかなか大変です。
ぎっしり年間スケジュールが組まれている中に
歯の治療の予約も。
先日治療にお越しになられ
お帰りの際に
「もし、いきなり痛くなったらどうしたらいい?」
「もちろんお電話下さいね。夜でも日曜でもいいですよ」
とやりとりしてると
「ダメだよ。
ちゃんと休みなさいよ。
しっかり休んでエネルギーたくわえて、しっかり勉強して、人生楽しみなさいよ」
とニッコリ、サラリ。
じゃね。
と、スタッフ達に挨拶して帰って行かれました。
スタッフ達にもいつも優しい声をかけて下さいます。
そんなに大きな方ではなく
どちらかといえば小柄な方なのですが
目の前で話をしている時は
巨人のように大きく見えてしまう。
不思議です。
昨日塾で
ある生徒さんがこんな質問をしました。
大きな大きな会社の社長さんで
大きな大きなお金を動かし
たくさんの人を雇っている会社の方が多いので
知りたいことは山ほどあるのです。
ぐいぐい質問です。
「これからの日本の経済はどうなりますか?」
うーん、私からは絶対出てこない質問だ。
今日のことしか関心もてない「猿気質」。
すると塾長はスパッと答えました。
「どんな事が起こるかは、わからない。
それは神の世界、
神の領域。
何が起こったってかまわない。
自分だけは、この頭を鍛え、肉体を鍛え続け
情報をキャッチし続ける。
ひたすら、
死ぬまで
自分を鍛えるしかないんだ」
とおっしゃいました。
1944年生まれにしてこのエネルギー。
40代でぼんやりしている暇は、ありません。
こういう瞬間
しびれます。
そうだよそうだよ、その通りだよ
しっかり生きろ私。
と、完全にネジを閉め直したのでした。
来ると勉強しにきてよかったなと毎回、強く思います。
どんなことが起こったって
私達は生きてる限り、死ぬわけにはいかない。
生きなきゃいけない。
ああ、もういやだ
この先不安だ
と、止まっていたら
と、何も学ばなければ
どんどん「得体のしれない不安おばけ」を
作り出してしまいます。
自分以外の何かのせいにしているうちは
舞台は回りはじめないんです。
「そうだ、自分がやってるんだ」
と意識して動き出した時
どんどんどんどん動き出す。
だから、ずっと
燃やしてたいし
その方が、面白い。
70歳です、塾長。
人は年を重ねれば重ねるほど
ぐんぐん研ぎ澄まされる。
そして、とても優しい。
醸し出してる雰囲気が
違います。
「筋肉質な組織を作りなさい。
余計な時間をそぎ落とし、筋肉質な組織をつくりあげることに
専念しなさい。
人を大事にしなさい。」
毎回毎回、こんな話を目の前で教えてくれます。
毎回、しびれます。
会の中で
「ゆでガエル現象」への警告
という本を紹介して頂きました。
ゆでガエル現象に陥ってないかを見極めるチェック項目
①上から降りてくる仕事をこなしている
②変化もなく平凡で心地良い状態である
③興奮することもなく、新に大きな挑戦もない
④熱中することが少ない
⑤人生に対する特に大きな目標もない
常に感度と好奇心を旺盛にしていなくては
組織という生き物は腐り、人間は生き物ではなく「死物」となる。
生き残るものは、種の中で最も強いものではない。
種の中で最も知力の優れたものでもない。
生き残るのは、最も「変化」に適応する者である。
奮い立たせてくれるような人と
会うと一気に着火します。
こないだ、ある人に教えてもらったハーブのスプレーが香りがとっても好きになり
早速、ボトルの後ろに書いてある会社をネットで検索しました。
軽井沢の会社です。
商品を買おうとポチッと押すと
サロンさま限定商品ということで
パスワードがないと購入できない仕組みになっていました。
人にプレゼントしたくてすぐに欲しかったので
この会社に直接電話をかけてみました。
まあ、その時の電話の女性の感じのいいことったら。
「私達の商品に興味を持ってくださって嬉しい!
ありがとうございます!」
という気持ちが、伝わってくるんです。
電話は顔が見えないぶん
余計に研ぎ澄まされます。
人柄が浮き出てくるんです。
商品を欲しいことを伝え
送っていただくことになりました。
商品にはぎっしりお手紙と
他の商品のサンプルと
サンプルには手書きで
どうやって使うか
こうやって使うとより気持ちいい
こんな効果もあり
他の人はこんな使い方をしてるようだ
ということがみっちり書かれてあります。
さらに、フルネームでお名前がきちんと添えられてあり
事務的ではなくあたたかいお手紙です。
ものすごく気に入って
プレゼント用と自分用にもまた再購入。
いきなりリピート客です。
今日届いたお手紙には
「こんなにすぐにリピートして下さるなんて・・・・
嬉しくて嬉しくてありがとうの言葉では足りないくらいです・・・」
と続きます。
ますます
好きになる。
私は、自分が何かを購入した時や
購入しようとした時にキュンときたお手紙や
電話応対の対応などは、
全部、ノートにはりつけておく癖があります。
キュンとした電話応対などは
どんな声で
どんなテンポで
どんなことをお話してくれたか?
どう答えてくれたか?
細かく書いているんです。
ワープロ打ちで事務的に発行された
納品書だけがついているのと
こういった心をこめた手書きのお手紙が
ついているのとでは、
好きすき度合いは、変わります。
電話応対も
事務的な
「ありがとうございます」と
心のこもった応対とでは
本当に伝わってくるものが違います。
第一段階の出会いでの
電話応対で
「うわあ、なんて感じのいい人!」
と感じたので
「きっといい会社なんだろうな」
と勝手に想像。
その後、注文した商品に添えられた
心のこもった手書きのお手紙。
この時点で
相当、好き、になってます。
実際に聞いた生の声と
メールや手紙の内容が一致した時
嬉しいです。
一番さみしいのは
ホームページで
すごく親切そうな優しそうなイメージだったのに
実際に電話してみると
ものすごく事務的だった
実際にお店に行って見ると
歓迎されてる感がなかった
という場合です。
さらに、売り込み感がガンガン伝わってくるのも
せつない。
どこもかしこも
どこの店も病院も
会社も
「うちはこんなところです」
と情報を公開することができるようになりました。
誰でもその会社や店の中を知ることができるようになったぶん
実際の生の声
実際に会った感じ
丁寧に書かれたお手紙が
きいてくる。
私は、そういうところにものすごくぐっときちゃうんです。
自分がされてうれしかったことは
全部ためておいて
すぐに、自分もやってみます。
同じように
ぐっときてくれて
きゅんときてくれると
私もまた、嬉しい。
されてうれしかったことを
自分でもやってみるのは
女性の得意技なのでしょうか?
わたしの周りには
同じような感覚の人がとても多く
「してもらって嬉しかったから」
「もらって嬉しかったから」
といろんなことを教えてくれたり
頂くことが、本当に多いのです。
だから、
どんどん
されると嬉しい
ことがたまっていくんです。
構築していくと
すごい「されたらうれしい」のマニュアル本になります。
ちなみに私は
スタッフたちからしてもらった
「こんなことをしてもらった時うれしい」集も
作ってます。
患者さんからもしていただいたことで
うれしかったこと集を作ってます。
自分がしてもらってないと
人にしてあげることはできません。
人に優しくされてないと
自分は人には優しくできないんです。
優しくされるためには
人に「よくしてもらえる」には
リアクションが必要です。
つまり
反応です。
嬉しいことをしてもらったら
親切にしてもらったら
素直に喜ぶ
素直に「嬉しい」と喜ぶ
喜んでいることを顔に出す
声に出す
そして
してもらった人に伝えて返すのです。
そうすると
あら不思議
喜びの連鎖で
倍返しのスパイラルに入るのです。
歯医者さんしか知らない歯を失わないお話、50号出来上がりました。
50号かあ、すごいすごい!
100号もあっという間に過ぎるのでしょう。
さて、今回のテーマは
「転ぶことがきっかけで寝たきり生活に突入することが
多いのです」
です。
そういえば、
転んだことが、きっかけでそのまま入院。
入院したことにより筋肉が急速に衰え
そのまま寝たきり介護生活に突入という方が多いのは
現実です。
では、なぜ転ぶのか?
噛み合わせ専門医が話す、「転ばないための噛み合せ」
です。
当院院長吉本彰夫は、
噛み合わせをきちんとすることで
寿命を伸ばすと本気で思ってますし、
「もはや、そんなことは、あたりまえ」というスタンスで
日々患者さんにお話していますので
初めて院長のお話を聴かれた方はまずはびっくりされます。
しかし、
じっくりと
話を聴いていくと
「ほう、なるほど、その通りかもしれない」
と思って下さるそうなのです。
どうぞお読み下さいね。
当院のニュースレターは、通って下さっている患者さんに向けて
お送りしております。
または、受付窓口でお渡ししております。
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ブログを書くパソコンに座る時間も、ありません。
というほどの、ここ10日です。
夜は恐ろしくお腹がすくので
ものすごく食べるのですが
翌朝体重計乗ったら、痩せてるんです。
産休に入った松本に代わって受付業務を引き受けてくれていた
井上さんが、
足の骨を折って入院しちゃいました。
接遇最前線の受付に立つ日が圧倒的に増え
日々患者さんとのやりとりをしているマネージャーです。
最初の1週間は
まったく操作のわからない患者さん情報の入力を
覚えるのに、脳ミソに汗をかいていたのですが
師匠カウンセラー 森下の的確な指導のもと
いい感じに新しい技をインストールすることができつつ、あります。
森下は
カウンセリングにも呼ばれ
私の指導もし、
受付の管理もし、
さらに診療室と患者さんとの細やかなつなぎ
院長との患者さん情報の共有、
森下はここのところ走りっぱなし、です。
頼りにされっぱなしという存在は、あっちにもこっちにも
呼ばれるのです。
「ここにいたら、絶対太りませんよ」
と2人で思わず顔を見合わせるのです。
しかし、こんなに忙しいとは
ここに立つまではわかりませんでした。
。。。。反省。。
患者さんとお話する言葉の数が一気に増えたことを感じるこの10日間。
やはり、現場が一番面白い、と実感しています。
私は、接遇おたく、です。
接客大好き。
最初に接客に快感を覚えたのは
中学の頃、です。
父がよく連れていってくれてた
料理屋さんの中に入り込み
お金を頂かず、お手伝いをしていた時がありました。
お客さんが入ってきた瞬間に
思いっきり笑顔を向けて
意識を向けて
声をかけると
振り向いてくれることが、嬉しかった。
こちらから声をかけると
お客さんの方から
優しい言葉が返ってくることが
嬉しくてしょうがなかった。
それから、
高校、大学、とずっと
接客のアルバイトをしましたが
やっぱり、やってる自分が嬉しくて
快感でした。
家でいるより
外で夢中で接客のバイトしてる方が
あっという間に時間が過ぎる感覚が
たまらなかったんです。
20代の頃、
本気でティッシュを1000個配ったら
怖いものなし。
人にえらく強くなるよ
と、当時教えてもらっていた先生に言われ
「よし、ティッシュ配りや」
とその足で
ティッシュ配りのアルバイトを申し込み、
瓦町(←ローカルです。)の駅前で
ひたすらティッシュを配りました。
思い立ったが即、してみちゃうのです。
最初は恥ずかしい。
誰も振り向いてもらえない。
知ってる人がきたらどうしよう。
友達がいたらどうしよう。
妙な自意識が自分を包みます。
ティッシュだけもぎとっていくおばちゃんも多し。
でも、ある程度いくと
ぱっぱっぱと、目を合わせていくタイミング
がつかめ
目があったなら間髪いれずに
満面の笑顔を向け
ティッシュを渡す
視線は赤外線のようなものだ、と体感。
視線で、つかまえろ
と自分に言い聞かせ
その通りにやっていくと
本当に視線でつかまえられるのです。
受け取ってくれる
受け取ってくれた瞬間に
「ありがとう」と言ってくれる人もいる。
一人が受け取ってくれると
どんどん次々くる人がもらってくれる。
もう夢中でやってるんです。
配り終わった後には
妙な、自信。
そして、またしても、快感。
ティッシュ配りに快感を覚えた後は
今度は、すぐにこの快感を体験したく
小豆島の佃煮屋の社長さんが
オリーブマラソンで佃煮をテントはって売るのに
売り子さんを探してるというので
「はいはい!私やりたい。」と挙手。
今度は、メガホン持って
佃煮を売りまくり。
その日はマラソンで、ランナーや観衆や家族が
島にたくさん来てました。
佃煮屋さんやら
Tシャツ屋さんやら
お土産ものやさんやら
いろんな店が出ています。
佃煮を買って欲しい
というより、
私の目の前に来てっ!
という執念のような接客。
モノを売るって、楽しい。
接遇って楽しい。
お客さんと話をする快感。
苦い顔したお客さんをにっこりさせる快感。
接遇は、お客さんのため
じゃなく
むしろ、私は自分のため。
自分が嬉しくてしょうがない。
だから、もっと言葉を多くかけたい
もっと、表情を大きくしたい
もっと、もっと工夫したい
もっと、いい言い回しはないものか
あなたの顔見れて嬉しいわ
と言われるとたまらない。
だから、
いろんな病院やお店に自分が行った時に
イヤイヤな顔して事務的な対応をする人をみると
そりゃあ、もったいない
と思うのです。
接遇能力だけは
死ぬまで使えます。
そして潰しがきく。
機械化がどんどん進んで
あらゆることを機械がやってのけてくれるようになったら
人はどんどんいらないと言われます。
でも、人は必要なんです。
気配りできる人
気遣いができる人
相手がイライラしててご機嫌悪くても
対応次第で、ご機嫌さんに変化させてしまえるような人は
絶対、必要なんです。
挨拶を先にする
自分から思い切り笑顔を向ける
そうすると
最初はむっすりした顔で入ってこられた方の
表情も一瞬で変わる時があります。
嫌味っぽいことを言われた時も
こちらの態度や表情や
その時の思わず返す言葉ひとつで
ガラリ、優しい表情に変わってしまうことも、あります。
一瞬で、
変化する
一瞬で、
変化させる
ということが
面白くてしょうがない。
接遇は
人と人とが起こす化学反応なのよっ!
と20代の頃に日記に書いてるんです。
今、吉本歯科医院で受付をしていると
産休に入った松本のことを
「トイレに行く暇もない」
「座っていることはほとんどない」
「一番忙しい場所」
とみんなが言っていた意味がわかりました。
患者さんから
「あの、桃子さんは、もう赤ちゃん生まれたのかしら?」と
松本のことを聴いて下さることがよくあるのですが
それだけ患者さんの心の中にしっとり自然に入り込んでいたのだな
と改めて彼女の淡々とした仕事ぶりに
感動しているわけです。
私は、接遇ということを
きちんと教育を受けたことは、ありません。
教育を受けたことはありませんが
接遇教育はしていました。
学びながら、教えろ
という言葉通り、
教える立場に立つと
勝手に学んでいくものなのです。
自分がお店や会社に行った時
自分がお客さんの立場だった時、
「わあ、なんて感じのいい人なんだろう!」と
驚いてしまうような人が、時々います。
昨日も、近所の大手の薬屋さんの
主任販売員というバッチをつけた
若い女性の、圧倒的に感じのいい応対を目の前にし、
「おお、ここまでの笑顔と優しさを向けてくれるのか???」
とびっくりしたわけ、です。
車に乗っていた院長にも
「ちょっと、来て。
あの人から絆創膏買ってきて」
とお願いしました。
帰ってきてから
「ね?すごい感じいいでしょ?」
と再度確認。
王道の感じの良さ、
というのは、あると思います。
人はみなその日その時のいろいろな気分を抱えて生きてます。
家で夫婦喧嘩してきたかもしれない
会社で上司に嫌味を言われてへこんでいるかもしれない
友達同士でもめてさみしい気持ちになっているかもしれない
感情を抱えて、どこかの
店に、入るのです。
いらいらしてても
腹立つから文句のひとつでも言いたい
と思っていても
一歩入った瞬間に
「ようこそ、こんにちは、よく来てくださいました」
という気持ちが溢れ出てくるような
満開の笑顔で迎えてくれたなら
一瞬で、心がほっとあったかいものに
切り替わったりするのが
これ、人間です。
それができるのは
人間だけ、です。
相手の心の状態は変えることはできませんが
自分の心を相手に合わせていくことで
超イライラが、「まあ、いいか」くらいにまで
穏やかになっていくことだって、あるのです。
どんなに機械が進んでも
気持ちを意識という糸にのせて
相手に届かせるという技は
できないのです。
電話応対ひとつとっても、同じ。
機械でいいなら機械でも、いいのです。
でも、自分が電話を受けるのなら
「はい、吉本歯科医院でございます」
の「はい」で、もう印象が決まります。
話やすそうかな
とっつきやすそうかな
事務的じゃないかな
上から目線じゃないかな
面倒なこと言ってもいいかな
こんなことを人は一瞬で感じとるのです。
それも
最初の
「はい」にすべて集約されちゃうんです。
だから、マニュアルにはできない。
心をこめて
とか
気持ちをこめて
とか
申し訳なさそうに
とか
どんなにマニュアルに書いても
書きつくせないんです。
気配りをマニュアル化すると
膨大な量です。
事務的な冷たい応対をする人ばかりの職場は
どんどんマニュアルが増えます。
私も10年前、膨大な接遇マニュアルを作成することに
かかわりましたが
最後の方になって
「やっぱ、いらないね、これ」
ということになりました。
パッと感じて
パッとわかって
パッと表面化できる人がいると
マニュアルはいらなくなります。
思わずマニュアル捨てちゃうような人に
出会えたというのも
運命です。
だから、
接遇は、やってて自分が嬉しくてしょうがない
という快感を一度でも体験した人がやったほうがいいのです。
向き不向きが、ある。
適材適所です。
快感はその快感をますます工夫して
もっと快感を得ようとします。
その努力は苦労では、ありません。
もっと快感を得るための好奇心です。
だから、努力根性じゃないんです。
勉強することも
新しい技を得ることも
快感。
自分が好きだと思うこと
やってて時間を忘れてしまうようなこと
その上にのっけていけば
しんどい、は、消えます。
しんどい
を重ねていくのはしんどすぎます。
続かない。
私は、本当に続かないんです。
だから、得意なことの上に
どんどん重ねちゃうんです。
短所を指摘される前に
得意なことを圧倒的に重ねちゃう。
一日、めいいっぱい患者さんとお話してると
改めて、自分は接遇好きだな、と思います。
大変ねーー
しんどいでしょーー
なんで、そこにいるのー?(笑)
と言われるのですが、
実は私の内面では、快感が起こってます。
おばあちゃんになっても
現場で自分の態度や言葉や表情フルに使って
何かしていたいです。
時間があっという間に過ぎる
という瞬間を重ね続けて、
気がついたらぽっくり。
というのが、いい。
使える自分でいたい、と
心の底からわきあがってくるんです。
明日は、産休中の松本が赤ちゃん連れて医院に
顔見せてくれるんです。
また、報告しますね。
■次回母性型勉強会は
2014年8月20日(水)午後6時半~8時半
高松国際ホテルにて
会費:3,000円(夕食込み)
申込は:http://www.boseinomonosashi.com/
私の周りにはもう本当に男性の扱いがうまいなあ
という女性たちがいます。
母ほどの年齢の女性たちなのですが、見ていると「さすが!」としか
いいようがなく、私はできるだけ一緒にいてその「雰囲気」を伝染させてもらおうと
いつも思います。
共通していることは
「誉め上手」である、ということです。
ご主人も一緒に一泊旅行をしたことがあります。
その時にその女性はご主人のことを本当によく口に出していました。
「さすが、うちのお父さんね」
「あなたが言うなら、間違いないわね」
「あなたって本当にすごいね」
「ああ、幸せだわ、お父さんがいてくれて」
恥ずかしいとか
そういう感じは微塵もなく
「そういうのがあたりまえ」のように
夕食は外でのバーベキューだったのですが、
「うわあ、お父さん上手に焼けるのねー、お父さんが作ってくれると美味しいー」
「お父さんのお陰でいい気分だわ」
こんな言葉がポンポン出てくるんです。
よーく見ていると
そんなにたいそうなことをやっているわけでは、ありません。
でも、その動作のひとつひとつをしてくれることに
いちいち「賞賛の言葉」をつけているのです。
間違っても
ご主人をくさすようなことは
口にはしません。一度も聴いたことが、ないんです。
この女性は、男性がどういう生き物か、ということをよく知っています。
男はプライドの生き物です。
賞賛されれば頑張る
自尊心を傷つけられば頑張れない
ということをよく、知っているのです。
男はプライドの生き物
ということを、心の底から理解している女性は今は少なくなりました。
女性が強くなりました。
家庭の中でも女性が強くなりました。
組織の中でも女性が強くなりました。
しかし、本当に強い、ということではなく
単に自己主張が強くなったということです。
相手が間違っていると思っても
一歩引いてぐっと飲み込み
「ああ、そうだったんですかあ」
とまあるくしてしまう
という女性はいなくなりました。
「なんでですか?
私は悪くないです!
あなたが間違ってるんでしょう!」と
攻撃し、
自分の正論を通そうとする女性が
増えてきました。
問題は夫婦、家庭から広がり組織や
社会全体にも広がっています。
権利主張の強い女性
攻撃的な女性
感情の起伏が激しい女性
言い負かさないと気がすまない女性
溢れています。
女性自身も、大変です。
なぜ、自分がこんなに攻撃的になってしまったのか自分でもわからない。
なぜ、自分が頑張ってるのに大事にされないのかが自分でもわからない。
私も同じように働いてるんだから、あなたも家事育児やりなさいよ
男女平等なんだから、人間としては平等なのよ
なぜ、女だからって、男を立てなきゃいけないわけ?
こういう意識の女性が増えてきました。
これでは、男性は家庭の中ではないがしろにされる一方です。
組織の中でも、男性は女性に軽く言葉をかけることも
できなくなってきました。
ひとたび何かを口にすれば、
女性から叩かれる可能性が増えてきたから、です。
そして、女性自身も本当はしんどいのです。
さみしいのです。
本当は、ガミガミなど言いたくはないのです。
強くはなった
仕事もできる
収入もある
でも、本来持っていた女性性よりも
男性性の比重があまりにも大きくなりすぎ
優しさ
気遣い
共感できる
あたたかい関係
という心の動きを
合理的な考え
というものに
とってかわれてしまったのです。
そういう女性は、永遠に頑張り続けなくてはいけない。
男性並みに、目標達成に向かって永遠に頑張り続けなくてはならない。
いったいいつまで続くのでしょうか。
また、
女性はしゃべりたい生き物です。
女性という生き物は、自分の話を「聴いてくれた」時間の長さほど
安心します。
心が落ち着くのです。
そして
自分の話を親身になって「聴いてくれた人」を
好きになるのです。
これは、家の中での奥さんでも
会社の女性部下でお同じです。
女性は時に男性に対して
「この人は自分のことをどれほど大切に考えてくれてるのなか?」ということを
試してみたくなる時があるんです。
自分のことを関心を持ってくれている
ということがわかるだけでも、嬉しくなるのです。
そして、自分に対して関心を持ってくれている人のことを
嫌いには、ならないのです。
好きの反対は
嫌いではなく
無関心です。
無関心ほど、人間さみしいことは、ないのです。
夫婦関係でも、「あなたのこと嫌い」と言われてるうちは、まだいいのです。
関心があるから、気持ちを自分に寄せて欲しいから「嫌い」となっているのです。
「どうでもいい」と思った時、関係はもはや終わるのです。
熟年離婚する夫婦は
「大嫌い」ではなく
「どうでもいい」から、なのです。
夫婦の関係はズレ続け、男と女の関係もズレ続けています。
経済の勉強をする前に
異性を学びあうということを本腰入れて取り組むことは
詰まるところは、経済をも活性化させてしまうことだと
私は本気で思います。
ズレは、最初のボタンを掛け違っていたことから始まっているかもしれません。
または最初はピッタリ合っていたと思ったけれど、いつの頃からかずれ始め
もう修復不可能なまでにズレてしまったのかも、しれない。
男にとって女は異性人です。
女にとっても男は異性人です。
違うのです。
男女平等とはいえ、役割が違うのです。
対立すべきものではなく、補い合うから、すごい力を発揮するのです。
お互いがお互いを知らないがゆえに
対立するんです。
人間関係が苦手という人は
本当に増えてきました。
SNSやメールなどでパッと仲良くなるのは簡単ですが
ひとたび関係がこじれると、修復するのは
「もう面倒臭いから、切っちゃえ」という時代です。
家族や夫婦も同じです。
「もううちの人に何いっても無理なんです」
「うちの妻とはもう話し合いにならないんです」
「しょうがないんです」と
と、さっさと結論を出しちゃう人もいます。
でも、どうぞ知って下さい。
うちの奥さんはこうだ、
うちの主人はこうだ、
と思い込んでいるだけで、その理解は間違っているかもしれません。
事実、母性型勉強会で勉強を深めていくうちに
「へえ、男の人って、そういうものなの?あちゃー、全部逆をやってたわ」
「ええ?女の人って、そんなことで怒るわけ?知らなかった」
こんな風になります。
人はみな、自分の感覚、自分が思い方正しいと
思ってしまいます。
だから、自分と同じように感じてくれない相手に遭遇すると
「は?ありえない!」と腹が立つのです。
異性を学びあうということを
本気で取り組まないと
いけない時代なんです。
なぜか?
寿命がのびたから、です。
ほんの100年前なら、夫婦は分かり合う前に
とっくに寿命でした。
しかし、今は、50歳を過ぎてからあともう50年近く生きる時代です。
男と女が対立し、腹が立って過ごすより
異性を理解しあい、補い合って過ごす方がよほど
ハッピーです。
男と女には噛み合わせ専門学校が
必要なのです。
そういう時代なんです。
次回のお知らせです。
2014年7月16日(水)18時半から20時半
高松国際ホテルにて
会費:3,000円(食事代込み)
「泣けば許されると思ってるの?」
「仕事なんだからきちんとやりなさい」
「ごちゃごちゃ言わずに結果を出しなさい」
「数字がすべてよ」
「やるべきことをやりなさい」
上司に厳しく言われて心がペシャンコになってしまった人がいます。
ペシャンコになった人の上司は、女性です。
かつては、男性の台詞だったようなことを
今は、女性が「あたりまえのように」口にしています。
そしてそれを口にしている女性も
「そんなことはあたりまえでしょう」
「仕事なんだから」
と、そう思っています。
社会に出ると
甘えは許されない
きちんと「組織の枠」に当てはめて動かなくてはならない
成果を出さなくてはならない
男性性を軸とする今の社会では
売上がすべて
数字がすべて
理屈で論破できることがすべて
です。
女性も社会の中にどんどん入っています。
私も日々仕事をしながら
自分が「サヌキ(男性性)」にほうっておくと
すごい勢いで傾いていくことを感じます。
だから必死で勉強し、戻そう戻そうとするのです。
男が弱く見えるようになった
男のアラが気になってしょうがなくなった
頑張らない人を見るとイライラして腹が立ってくるようになった
精神的に弱った人を見ると、「頑張らない自分が悪いんじゃないの?」と醒めた目で見ている自分がいる
もし、
もしも、
女性が、そうなってきているなあ
と感じたなら
自らの心と体が、サヌキ化(男性化)している、ということです。
自分自身が、男性化しているなあ
という明らかな自覚は
■身近な人に対して攻撃的になる
■身近な人の弱い部分を見るとイライラしてしょうがない
■「こうでなくてはならない」という口癖が多い
です。
私は、サヌキ性(男性性)とアワ性(女性性)という考え方を知る前
もう見事にサヌキ性に傾きすぎて
すべてのバランスを崩しかけていました。
すべての人の中には
男性性、女性性があります。
男性性をサヌキ性
と言います。
女性性をアワ性
と言います。
サヌキアワについての詳しくは
母性型勉強会にて池田先生に聞いて下さい。
長くなりますので飛ばします。
女性性の本質は、
調和
です。
目の前の人と「うんうん、わかるわ、そういう気持ち、うんうん」と
共感しあえている時、
あなたの痛みが自分のことのように感じて胸が苦しくなってしまう時
自分が何かいいことがあったり、手に入れたりすると
自分の周りの人にわけて一緒にその嬉しい気持を共有したい思う時
じっくり余裕を持って育てている時
何気ない会話や、優しい言葉や気遣いで、なんとか今いるこの場を
和やかに調和させようとする心の動き
それれすべては、女性性のなせるわざ、です。
だから、会話好き
女性は男性よりもはるかにしゃべります。
しゃべりたいんです。
気持をわかちあいたいから、です。
知らない人とでもしゃべりたい
組織の中に、女性性がふんだんにある人達がたくさんいると
組織はギスギスしません。
調和しよう調和しよう
という意識が無意識のうちの働くからです。
コミュニケーションをとろうとろうとするのです。
私達は人間ですので
人間同士がそこにいるのに、コミュニケーションをしないとなると
それは一人でいるより、よりしんどい状態になるのです。
一人でいるより、さみしいのです。
それほど、目を見て、「おはよう」「ありがとう」という何気ないやりとりが
人間という存在自体を元気にするのです。
女性は本来、その時その時感じたことを
ポーンとそのまま口に出して表現できてる時は
元気です。
うつうつとしない。
気の合う女友達との長話が止まらないのは
その場で感じたことをポンポン言いあえているから、です。
女性は、感じた気持をそのまま出し合える場
出した気持ちを
「ああ、そうよね、わかるわ、わかるわ」と聴いて受け止めてくれる場が
たくさんあればあるほど
元気です。
男性にはこの
女の長話は理解できないのです。
女子会は
ありますが
男子会は
あまり聞きません。
男性は
女同士のように
悩みを打ち明けて、心解放される
ということはあまりありません。
女性が本来持っているアワ性(女性性)に気がつくと
「ああ、なーんだ、私がやってたことは全部真逆じゃないか。
ブレーキ思い切り踏んでアクセルふかしてたようなものじゃない」
と我に返ります。
仕事を頑張ってやろう
成功しよう
目標を持って前に前に
いつかは頂点に!!
という性質はサヌキ性(男性性)のものです。
さあ、ビジョンを明確にしましょう!
あなたの夢はナンですか?
夢は具体的に現実化するように目標設定しないといけないのです
なんてことを
女性性が強い人がまじめにやろうとすると
違和感を起こすのです。
そして
頑張ってみたけどできない
やってみたけど続かない
明確なビジョンなんて描けない
ということが、起こるのです。
やる前より、自信をなくしてしまうのです。
私も、過去に
「あなたのの夢は何?」
「あなたの夢をかなえるためにはこうしたらいいですよ」
といろんな手法を教えてもらったことがありますが
どうも、違和感。
幸せになりたくないですか?
というのも違和感。
頑張れば、いつかは幸せに、というのも違和感。
今が幸せじゃないのに、なぜいつか幸せになれるのか?わからない。
今の続きにしか、明日はないのに
今はしょうがないけど、いつかは!と思うのは
絵に描いたもちのようです。
幸せな瞬間とは、その瞬間その瞬間に感じるものです。
そして、水の泡のように一瞬で消えてしまうもの。
「ああ、今日はこんなことに出会って本当に嬉しい、幸せだなあ」と思った一瞬があったとしても
もう次の瞬間には違うことが起こり、違うことを思っている。
幸せな気持は固定されたものではなく
どんどん変化している自分の心の動きに沿って起こるものです。
だからこそ
「あ、今のいい感じ」
「あ、この感覚っ!」
「あ、この人!」
「あ、これだ!」
「あ、いまだ!」
という感じをつかまえていくしか、ないんです。
だから、つかまえることができるためには
いつも心の中を充電でいっぱいにしておく必要があるんです。
心の中を整え
静かにしておかなきゃ
つかまえることができない。
目の前の人と
今、いい感じだなあ
という感覚は
自分の心の中を確かに満たします。
その満たされたものがガソリンとなって
自分の心をあたため続けてくれるのです。
それだけでも、十分生きていけるほど
あたため続けてくれるんです。
だから、人とのかかわりが大事なんです。
ほっとするなあ
つながってるなあ
優しい気持ちになれるなあ
好きだなあ
こんな気持ちは目には見えないけど
数値化できないけど
大事なんです。
女性は、内から光を放つ存在
男性は、その光を受けて充電できる存在
充電元となる源は
女性です。
だから、女性性(アワ性)が先にたつんです。
男性の中にもある、女性性(アワ)に気がついていくことが先なんです。
そう考えた時、
人生計画や、目標設定という手法は、男性もしくは男性性が強い人にとっては
最高のものだと、思います。
目に見える世界を、具体的に目標化し、数値に変え、リミットを定め、その立てた旗に向かって
「いけー!!」と進んでいくことには最高に長けているのです。
しかし、これを女性もしくは女性性が強い人が
実行しなくてはいけない!
なんてやってしまうと、しんどいのです。
気持は、感情は常に移ろっているからです。
今朝の気持と、午後の気持では、もう違うんです。
昨日の気持と今日の気持ではもう違うんです。
そして、それがいいとか悪いとかではなく
そういうもの、なのです。
女の心はお天気のようにコロコロと変わるのです。
そんな!
だから、女は困る!
と思われても、そういうもの、なのです。
女性が組織の中で働く時
男性上司が困ることが、あります。
気分でものを言う
昨日言ってることと、今日言ってることが違う
瞬間の思いつきでモノを言う
一度約束したことを簡単に「やっぱ無理」という
・・・というようなことです。
これは、
男性が女性は「そういうものだ」ということを知らないから腹が立つのです。
今世の中の9割は
男性性が優位な組織です。
世の中全体が男性性です。
「こうでなくてはいけない」
「こうあるべきだ」
という世界です。
感覚的なものは排除しようとし
「枠」の中できっちり職務を果たすことを求められます。
思ったことを言ってはいけない
我慢しなくてはならない
のびのびとしていてはならない
こういう空気です。
男性性の特徴としては
動くことに対して、「それは一体何のために?」という大きな理由が必要なのです。
私は、よくこれで院長と衝突していました。
「何のために?」
がないと、動けない。
「これをしたら、一体どうなるのか?」という明確な理由がないと
動けない
動く気にならない
だから今では、
院長用マニュアルを作成しています。
こんな場合には、こうされると困る、理由はこうこうで。
こんな場合には、こう言ってくれないと困る。理由はこうこうで。
逆に、して欲しいことは
こんな場合に、こんなことをされると、大変嬉しい。理由はこうこう。
と細かく記しています。
パソコンの中にエクセルで作成しているのですが
膨大な量になりました。
お互いに取り扱い説明書を作っておくと
いいのです。
理由がわかれば、
あっさり動けるのが男性です。
女性は、この逆で
理由なんていらない
「ただ、いいと思ったから」
「なんとなく、好きになったから」
「うーん、いい感じだったから」
「居心地がよかったから」
こんな感じです。
根拠もなく、理屈もなく、数値やデータでもなく
「ただ、自分がいいと思ったから」
それだけ。
男性性が強い人にとっては
まったく理解できない
理解したいとも思わない
女心でしょう。
女性は、本来持っている女性性(アワ性)が自分の中に潤沢にあるんだということに
はやく気がつかなくてはいけません。
もったいないんです。
時間が。
生きてるうちに、せっかく生きてるんだから、そのうちに、
この人生のうちに、ふんだんにある、女性性をドーンと開かせたほうが、生きるのは楽です。
対立して攻撃するより
はやくその性質を知り
徹底的に女性性を開花させちゃうのです。
強引に自我を押し通すのではなく
ニコニコ笑って、自分が自由に動ける状況を作りだすのは
女性性の強い人には得意中の得意技です。
「こうであるべき」という社会全体を覆っている男性性優位の「枠」に
自分を押し込めておくことなど、ありません。
そんな「枠」は本来、いらない。
そして、もともと、ないんです。
自分が、その枠に入らないといけないんだ、と思い込んでいるだけ、です。
女性性(アワ性)が強い女性は、本来喜びで満ちているものなのですが
残念ながら社会そのものが男性化しているため、
女性性の性質が、マイナス的な出方をしてしまうのです。
自分を責めてしまう女性が増えています。
子育てを上手にできない私は、ダメな母親かもしれない
子供をしかりとばしてしまう私は、いけない母親かもしれない
主人にきつい私はダメな妻かもしれない
自分だけが、何もできない女なのかもしれない
と攻撃が自分へ自分へと向かうのです。
外に対していい妻、いいお母さん、いい人を演じている人は
身内に対して異常なまでに攻撃的になりやすいと言いますが
これは我慢の限界を超えたから、です。
今、女性はきつい時代に生きてます。
男性ももちろんきついと思うのですが、
優しい顔でいられない
心に余裕を持っていられない
人に優しくする余裕が無い
厳しいこともやらなくちゃいけない、言わなきゃいけない
外側は女だけど、男の役目もやらなきゃいけなくなった
真面目で
きちんと「やらなくてはいけない」
そういった「こうであるべき自分像」が自分の潜在意識に深く入り込んでいる人は
しんどいのです。
真面目な人ほど
きちんとやろうとする人ほど
仕事と家庭を両立しようとすると
しんどくなるのです。
ゆるめない
リラックスできない
甘えられない
人に異常に気を遣ってしまう
こんなことになってしまうのです。
放置しておくと
どんどん攻撃的な自分になるか
どんどん自分を責めてしまうか
どちらか、です。
本来の性質と違うものを頑張ってしようとすると
こんなことになるのです。
自分は本来「ひまわり」なのに「あなた、サボテンでしょ?サボテンとして頑張りなさいよ」と
言われてるようなもの。
あなたが女性なら、
自分はどの傾向強しなのか?
それを知ることが大事です。
サヌキ性(男性性)が強い女性なのか?
アワ性(女性性)が強い女性なのか?
そして、
パートナーは、どうなのか?
人間関係は、出会う人との関係性によって変化します。
あの人といる時には自分の中の可愛い女性らしい優しい部分が引き出される
あの人といる時には自分の中の意地悪な攻撃的な理屈っぽい部分が引き出される。
だからといって、
相手が悪いわけでは、ないんです。
すべては自分次第です。
自分が相手によって、どんな型にでもねんどのように曲がったりへこんだり突出したりできる
ということが大事です。
だから、受ける側の姿勢がすべてです。
攻める側よりも
受ける側が大事
自己主張する側より
聴き手の側のが大事
女性性が自然に培ってきた、「まるごとありのまま受け止める性質」です。
相手がどうこようと、
攻撃的にこようと
受け止めていく
という性質です。
この性質は
男性性には、ありません。
女性性の中にしか、ありません。
女性性のおおもとは
命を育む「母性」の力です。
男性の中にもある
女性の中にもある
「母性」
ご一緒に母性型勉強会で学びませんか?
今までとは全く違う考え方を
再インストールしましょう。
「あれ?なんでこんなしんどいことやってたんだろ私?」
というのが
私の実感です。
どうぞご一緒に。
次回のお知らせです。
2014年7月16日(水)18時半から20時半
高松国際ホテルにて
会費:3,000円(食事代込み)
母性型勉強会である男性が、こんなことを言いました。
自分が部下である時、上司に対して腹が立っても、嫌なことを言われても
「今、自分は部下である自分を演じながら上司と部下プレイをしているんだ」
と思う。
家に帰って奥さんに対しても
「ご主人プレイをしているんだ」と思う。
そう、思うことによって、
自分がプレイする役割を演じるようになる。
だから、腹が立ったりしなくなる。
というもの。
その場で騒然で大笑いだったのですが、
私はまったくその通りだ、と思ったのです。
みなさんは、いかがでしょうか?
プレイといういい方を言い換えてみると
「役割をちゃんと果たす人」のことを
プレイする人です。
プレイに徹していないから、
腹が立つ
ややこしく、なる。
自分が今、演じないといけない「プレイ」は何?
といつも自分に問う、
というのは
私はすごく大事な意識だと思います。
それが、はっきりしてる時
私は、自分がすっきり動ける。
自分の気持ちがーーー
とか
そうはいっても^---
とか
ややこしい自分の甘えや感情が出てくる前に
さっさと
「さ、今から、プレイ!」と決めちゃえば
動くことは楽チンです。
例えばカップルでデートしていても
彼が「彼女がのぞむ役割」をちゃんと演じてくれていたら
彼女は惚れます。
彼女もまた「彼がのぞむ役割」を演じてくれていたら
惚れます。
今の恋愛が成立しない女性の不幸は
男の役割を自分がしなくちゃいけなくなったことです。
男が男役をきっちりプレイしてくれてば
女も女役をきっちりプレイできるのです。
あいまいな男役なので
女もどういうプレイでいけばいいのかわからないのです。
逆も同じ。
あまりにも女性が「男性化」しすぎたもので
自分の強くてたくましい男の役どころを演じきれなくなった。
演じづらくなった。
3つゆび立てて
三歩下がって
「ご主人様お帰りなさいませ」
という役どころを演じたくても演じられないかなしさ。
「俺に黙ってついてこい」
と思いきり演じることができなくなったかなしさ。
バリバリのキャリア女性で
経済力もあって
すっごい美人でも
「本当は男らしい男性に
守られてその人のためにいろいろしてあげたりする
幸せが欲しいのよね」
という女性は、います。
どんなに聡明で自立している女性でも
自分の中の「女らしい女の役」を演じたい
といつだって思ってます。
一見男かと思うような女性であっても
「かわいらしい自分を演じてみたい」
と思ってます。
相手が自分に何をのぞんでいるのか?
を知って動くことは
仕事も同じです。
「さ、今はこの役割だ」と
頭と行動が一致してると
ストレスないですよね。
頭では「でも・・・」とか思ってるのに
行動は「でも、こうしないといけないからしょうがなくする」
って時ほど人間しんどいものは、ないのですよ。
あらゆるストレスは
頭の中で思ってることと
自分がやってることが
くいちがってるから
しんどくなって起こるのです。
だから、「プレイ」!
演じる
のです。
演じきる。
主人公なので、面白がってやる、のです。
命令されてやってるのではなく
自分で勝手にするのです。
ここが、ミソ、です。
やらされたことは、奴隷
自分でやったら、快楽
そのお役を演じる、演じきる。
私達が生きてる世界は
すべて、どんな山の中に入っても
人から逃げられることはなく
人間関係です。
その人が、人とどうやって付き合っていくのか?
どううまく付き合えるのか?
でその人の人生すべてが決まってしまうとも言えます。
どんな勉強ができても
どんなにお金があっても
「あの人、嫌い」
「あの人といると、しんどい、めんどい」
「あの人といると、疲れる」
など思われてしまったなら
一人ぼっちです。
せっかく勉強した頭も使える機会もなく
せっかく持ってるお金も楽しく使えることはないのです。
役割はとても大事です。
例えば、今は、20代が3年どころか、1年も仕事が続かない人が
大量に社会に流れ込んでいるそうです。
現場の人材が不足しているのは
すぐやめるから、です。
人は、存在するんです、たくさん。
続かない人が、たくさん、いるだけなんです。
次々、合わないと思ったら
すぐに次の職場を探せばいいやと
思っているから、です。
ハローワークでは
現場で働く人材はとんでもなく不足して企業は
いつも人を探しています。
だから、若い人は仕事はいくらでもあるように
思ってしまいます。
しかし、残念ながら
つぎつぎと仕事を変えていく人を
雇う側は警戒します。
これは自分が雇われる側にいる立場の時には
見えなかったこと、です。
しかし、実際に自分が人を雇う立場に立ち、
人を雇う側の立場の人達とたくさん交流をすることにより
はっきり見えてくることが、あるのです。
それは、
欲しがられる人は、1点に集中する
ということです。
欲しくない人材は、うちでもあそこでも、あっちでも
欲しくない、ということなのです。
A社が欲しい人はB社も、C社も、D社も、欲しい。
さらに業界が変わっても「いい人はいい」ので
別業界のE社も欲しいわけです。
そして、
A社がいらないと思った人はB社も、C社も、D社も、いらない。
じゃあ、別の業界ならどうかと、E社にいくけど
ここでも、いらない、のです。
そして、
欲しがられる人
というのは、その人がやめると困るので
離さない様に、離れていかないように
大事に大事にするのです。
「やめたい」なんて言われたら必死で説得しようとするのです。
だから、やめない。
続くわけ、です。
欲しがられない人は
その人がやめても困らない
むしろ
やめてもらって新しい素直な人が欲しい
というのはどこの社長さんの本音でもありますので
これといった配慮もしてもらえなくなるのです。
だから社会には
「どこにいっても続かない人」がごまんと溢れだしているわけです。
人間はシンプルです。
上司も部下も、お客さんも男と女も友達も
「好きな人と一緒にいたい」「人として可愛げのある素直な人がいい」
のです。
「嫌な人は遠ざけたい」
これだけ、です。
会社の中に入った時
どこの誰でも欲しくなるような人
とはどういう人でしょうか?
あなたが上司だったとして
先輩だったとして
あなたが誰かに何かを教える側に立った時
想像して下さい。
「そんなの知ってます」
「それは、こうだと習ったんですが」
「え、、でも、できません」
たくさん屁理屈こねて言うことをきかない人よりも
一生懸命耳を傾け
あなたの言うことを
「はい」「はい、わかりました」「やってみます」
と素直にすぐ動く人の方が
話しやすいです。
そして、もっとこの人にいいことを教えてあげたい
と言う気持を引き出されます。
そして、もっと大事にしてあげたい
というプラスアルファの気持まで勝手に引き出してしまいます。
屁理屈こねて
自分の優秀さを主張する人は
「あ、では、よそで、どうぞ」
と思うのがこれ、人間。
そこで、プレイ
です。
上司なら上司というプレイ、役割を徹底的に演じきる
部下なら部下というプレイ、役割を演じきる
奥さんなら奥さんの役割
主人なら主人の役割
友達の役割
きっちり、果たすから、関係が維持されていくんです。
例えば、うちのカウンセラーという仕事があります。
森下が今、その役割をやってくれています。
カウンセラーの仕事は何か?
そしてそのカウンセラーは吉本歯科医院という中でやっている仕事なので
吉本歯科医院という中での自分の立ち位置はどうでないといけないのか?
それでは、言葉遣いは?
それでは、態度は?
それでは、表情は?
それでは、同僚や後輩への態度や言葉は?
それでは、上司への態度は?
それでは、患者さんに対する時はどんな風に?
これらがすべて腑に落ちて
「私はこの役割をやる」とちゃんと役割をこなし
その役割をどんどん深めていっているから、
周囲は
「ああ、彼女は役割を果たす人なんだ」と
認識するのです。
こうやって仕事能力を上げていくから
できる仕事はどんどん増え
「この人がいないと困る」
と思われるようになっていくのです。
そしてその積み重ねの結果
「自分にとって過ごしやすい場」が出来上がっていくのです。
自分で作るのです。
決して誰かが提供してくれたものではなく
彼女自身が勝ちとってきたもの、です。
ある職場では上司の批判で一日を過ごすことがほとんど
という場がありました。
職場の人達もみな、同じ。
それを外部の人間が見た時
口では言いませんが
「ここにいる人をうちに欲しいとは思わない」
ということです。
面白いもので
人の批判に忙しい人は
同じく人の批判が大好きな人が寄ってきます。
もうこれは、絶妙な嗅覚でよってきます。
批判するより、
自分の役割を果たすことに忙しい人とは
決して関係を築くことはできないのです、
嗅覚でにおうから、です。
女には「やっぱり可愛い女を演じて欲しい」
うそでもいいから、というのが男性の本音です。
優しくして欲しいのです。
きつく言われるのは刺さるのです。
家に帰ってきたら
嘘でもいいから
廊下を走ってきて
「おかえりなさい!おつかれさま」
と言って欲しいのが男性です。ご主人です。
面倒くさい
いまさらそんな
そこまでしてもらってないし
いろんな声が聴こえてきますが
先に「プレイ」をかけた方が、絶対得です。
私ならそうする。
女性なら
自分から「周囲に優しくするプレイ」は
どんどんやったほうがいいのです。
優しくすると、優しい言葉を先にかけると
それが潤滑油になるのです、
その潤いたっぷりのオイルは
自分が毎日顔を合わす人達と自分をひたす潤滑油となるのです。
だから、
かさかさしない。
きつきつしない。
攻撃されない。
のです、
しっとりしてくる。
あったかくポカポカしてくる。
なめらかになる
のです。
潤いのオイルですから。
つまり、
一番得をするのは自分自身です。
「プレイ」を演じきるのも
すべて、自分のため、です。
誰かのために、自分を我慢する
ではないんです。
演じることは
快感です。
演じきるから、快感なのです。
自分に与えられた「役割」をきっちり演じきってると
同じく役割を自分に対して果たしてくれる人と出会うのです。
まずは、
「あなたでなきゃダメ」という自分に
はやく、なるのです。
「あなたが、いないと本当困る」
という自分にはやく。
そのための、役割です。
そのための、プレイです。
いろんな役割を演じているうちに
自分以外の誰かが自分の中にあった魅力に
気がついてくれます。
これは、もう絶対です。
没頭、
演じる
プレイ
です。
どう考えても、面白そうだと思いませんか?
次回のお知らせです。
2014年7月16日(水)18時半から20時半
高松国際ホテルにて
会費:3,000円(食事代込み)
昨日は、当院院長の「歯を失わないお話」のあと
私もお話させて頂く機会を頂きました。
男性がほとんどの会でのお話だったのですが
会場に入ってお会いする方お会いする方が皆
目が合った瞬間に
「あ、どうも、こんにちは」と笑顔を向けてくださる方ばかり。
あったかいなあ
ここは、と感じちゃいました。
入った瞬間に、ありますよねそういうの。
会社に入った瞬間に、パッとわかる、そこにいる人達の雰囲気。
そこにいる人達が仲が良さそうにしてる空気がとってもあり
「この業界はいいところだ」と思い込んでしまった私。
マイクを持って前に立つと
不思議と目を合わせて
うんうん、とうなづいて下さる人のところに
足が勝手に向かう私。
目が磁石になって
NとSを勝手に引き寄せているような、
そんな感覚になります。
そんなことを思いながら
今日はお昼、講演を聴く機会がありました。
演者の方が、前に立ち、私はずっと
その方を見て、お話されることの中に入り込んでいました。
やたら目が合うのも、
きっとそのせいです。
聴いてもらえるって
嬉しいことです。
いい機会をいただけたこと
ありがたく思ってます。
ちゃっかり勉強会への
ご案内もしてしまいました。
お一人でも「お、いってみちゃおうかな」なんて思ってくださったら
嬉しい!
母性型勉強会お知らせ