年末におせちを作りにでかけました。
友人の自宅で教えてもらいながら皆で作る、というものでした。
私が担当した「田作り」は真っ黒に焦がしてしまいましたが
他の皆が作ったものはたいそう見栄えよく仕上がりました。
さて、そこでお邪魔したマンションは
私が過去高校生時代に住んでいたマンションでした。
おっと、偶然。
父が勤めていた会社が丸ごと家賃を出してくれた
5LDKの広いお部屋です。
閑静な住宅街の中の立派なマンションです。
ずいぶんと景気がよい時代です。
私は、マンションの表玄関をくぐり、エレベーターに乗り込み
一瞬で当時の思い出が蘇りました。
エレベーターのひんやとした臭いまで一瞬で思い出しました。
記憶ってすごいです。
私がこのマンションに住んでいた頃は
毎日は静かな戦争のような日々でしたので
私はこのマンションの部屋で過ごすことが嫌いでした。
たくさん部屋があったのでもちろん私の部屋も与えられたのですが
私も母も、落ち着かないこのマンションの部屋で
カーテンをつけることさえ、しませんでした。
愛着がない家。
そこにいたくない家。
落ち着かない家。
そんな場所には、花だって飾りません。
結局、そのマンションで最後の大喧嘩をした両親は
別れ分かれになりました。
兄は東京の大学に逃げるように脱出。
父は、5LDKのマンションに一人残り
母と私は、別の家を借りそこに住むようになりました。
こういう時、
娘の心情は複雑です。
父は嫌いだけど、大好き
なんだか、かわいそう。
腹は立つけど、ほっとけない。
母は自立している女性だったのと
いい時代ゆえ、仕事もわんさか。
毎日人に囲まれる忙しい人。
私は、高校の帰り、必ず父のマンションに寄って
ちらかった部屋を掃除したり
おかずを作って冷凍したおいたり
くしゃくしゃのシャツをクリーニングに出したりと
ほぼ家政婦のごとく、毎晩寄ってから
母と住む家に帰っていました。
家に帰ってももちろん一人だったことの方が多かったです。
でも、そのお陰か、
その頃から本をたくさん読むようになりました。
幸い母が読書家だったので家には本が山積み。
あの頃、一人で寂しくなければ
あんなに本の世界に熱中しなかったなあと思うと
寂しいのも悪いことではありませんでした。
学校の帰りに父のマンションに寄って掃除したり洗濯したりしてることを
同級生や学校の友達に知られるのがどうしても恥ずかしく
唯一私の事情を知っていたのは、
中学からの親友たった一人でした。
なかなか友達と心開いて遊べない性質だったお陰で
たった一人とは深く深く通じ合えることが
できました。
なんでも、負があれば、いいこともあるものです。
なんでそんなことが恥ずかしかったのか今ではわからないのですが
当時は、
誰かに知られると
私の家族も人生も将来も全部だめになる
と勝手に思い込んでいました。
学校にも行けなくなると、本当に思っていたのですから
幼いって怖いです。
15歳頃は、そんなものです。
父は一人暮らしになってから
どんどん機嫌が悪くなり
どんどん夜の街へ行く回数が増え
私と顔を合わせると
母に対する文句は絶えませんでした。
それを娘に言っちゃいけないでしょ
ということを
生々しく語る父のお陰で
妙にすれっからした女子高校生になってしまったかもしれません。
でも、何を言われても
かわいそうでしょうがない
という気持ちの方が勝ってしまうのです。
娘というのはそういうものなのでしょうか??
そういったどのピースをとっても
明るい想い出を取り出すことができなかったこのマンションでの
時代ですが、
大人になってから考えてみると
なんで、あんなに苦しかったのかなあ
と思うのです。
無知ゆえに、です。
成長の過程といえばそれまでなのですが
私は今頃になって
苦しい、があって、はじめて、そこから解放された時に
パッと幸せ感があるように思うのです。
楽しいことを求めている時には
それは得られず
苦しい、苦しい、なんでなんで?
って思ってる渦中にいると
そこから、ぱっと解放された時
とんでもなく、幸福感で満たされるんです。
私はそんなことを思ってます。
例えば私は、
父がすぐにカッとなって頭にくる激情型の人でしたので
家の中でモノが飛んでくることはしょっちゅう。
まともに話し合いができないのが、当たりまえ。
でした。
そのかわり、情にもろく熱く、優しい面もありましたが
私は激情型にはうんざりなわけです。
そんな男性像が当たりまえの私にとって
今の主人は(院長は)
モノは投げない(当たりまえ)
意味もなく怒ったりしない(当たりまえ)
どならない(当たりまえ)
冷静に話が最後までできる(当たりまえ)
なので、私は普通の女性が幸福感を感じるよりも100倍ほど
幸福を感じているわけです。
怒られないだけで、いい人
どならないだけで、いい人
モノを投げないだけで、いい人
冷静に話ができるだけで、いい人
さらに、
「誰のお陰で食べさせてもらってると思ってるんだ!」なんて
絶対言わず、黙々とよく働き生活費をちゃんとくれる
なんて、
神様みたいな人、とさえ思ってしまうわけです。
最初は
「なんでこの人、こんなに立派なんだろう・・・」と本気で
思っていました。
私が知ってる男性像の中にはいないケースだったので
余計にそう、思ったんです。
感情的にならずいつだって冷静に
話を聞いてもらったり
解決に導いてもらえる院長がいるおかげで
父譲りの激情型の性質の私は、だんだん様子が変わってきたと思うのです。
感情というものを
どうやって落ち着かせるか、とずっと考えていた若い頃には
辿りつかなかった境地に
今は、勝手にそうなっている気がします。
それは
いつも落ち着いてる人とずっと一緒にいること
です。
伝染しちゃうんです。
雰囲気も
思考も
なるほど、そう考えるんだ、
という新しい思考が勝手に感染しちゃうんです。
結婚していろいろなことは
起こりますが
そうはいっても
昔に比べたらどんなことも
幸せです。
我が家は、今、医院から歩いて1分のマンションです。
狭めの3LDKですが、
高校時代に住んでいた立派な5LDKの時よりも
はるかに心が平安です。
その狭めの3LDKの中でも
家族がいつもいる場所は狭めのリビングひとつです。
みんな映画を観てる時は
4人の手足がからまるほどの狭さ、です。
それでも私は
満足ですし、これ以上の広い家が欲しいとも思わないんです。
あればそれに越したことはありませんが
無理をしたり
負担をかけてまで
する理由は私の中には何ひとつ見つかりません。
そんなことよりも
今日も何事もなく、家の中にいる人が仲が良く
笑っていられることの方がよほど嬉しいんです。
他人にどう思われるよりも
実際に家の中が平安で
あったかいというほうがよほど価値があるんです、私には。
これから子供が大きくなったりする中で
きっといろんな衝突や葛藤が起こると予想されますが
その時に、
なるべく心は身軽にしておきたいんです。
身軽とは、
心配事をなるべく少なく
です。
そして
フットワークが軽い
ということです。
本当は動きたいのに
しがらみだらけで動きがとれない
なんてのは嫌なのです。
そこにすっかりお尻をおとして
安定なんてありえないんです。
家を建てて安定した生活をしたい
なんて、ありえない。
テレビの中ではありますが
実際に中に住んでいる人間には
そんなものは、ないんです。
成長していないと、心が動いていないと
あっという間に不安になってしまうのが
人間なんです。
だから、暇はダメです。
余計なことを考える時間をじぶんの頭に残さないことです。
心は成長するにしたがって変化するんです。
10年後どう思ってるかなんてわかりません。
10年後も自分の意志で喜んでここにいたい
と思っているのはいいんです。
でも、10年後
本当は動きたいのに、動けないのは
嫌なんです。
動きたいけど
やりたいことがあるけど
もう自信もないし
ローンだっていっぱいあるし
家も建てちゃったし
なんてのは嫌なんです。
例えば、わざわざ大きな家を建てて
払えるか払えないかわからない借金を抱え込むのはいやなんです。
家や財産を持ってしまって身動きとれなくなってしまうのは
嫌なんです。
今、何かあった時には、
この身ひとつでもなんとか立て直すことができる
というのが理想です。
だから、勉強には投資します。
お金をかけます。
その点は院長とまったく同じ価値観です。
家よりも、勉強しに行くお金のが大事。
車を買うよりも、勉強しに行くお金が大事。
贅沢するなら、新しいCTが欲しいのです。
院長が新しい知識や技術を勉強しにでかけたり
何かを買ったりすることに対しては
私は一円も惜しいとは思いません。
ここが一致していないと
きっともめますね、きっと。
なんで、家を建ててくれないの??
なんで、旅行に行けないの??
なんで、なんで??
と主人を責める奥さんになりそうです。
あいにく私も、仕事をしたい女です。幸い。
仕事をしながらどうやって子供もちゃんと育てるか
考えるうちにいろんな知恵がでてくるのです。
うちは、何にお金を投資するのか?
そんなことをたくさん話した今年のお正月でした。
私の両親はお金の話をまったく話し合うことはしませんでした。
お金の話をすることはいやらしいことだ、とそう思っているように感じました。
生活費は誰が払う
子供の教育費はどうする?
本当は話し合わなくてはいけない話を
あいまいにしておくと、夫婦はもめます。
人間の悩みは
きれいごとはいっても
お金のことと
人間関係のこと
男と女のこと
くらいに集約されます。
そこをあいまいにせず、言いにくいことを
当たりまえに話し合える家の雰囲気が、欲しかったんです。
子供時代の育った環境が恵まれていない
というのは一見負のように見えますが
長い目で見た時、
負が大きければ大きいほど、欠除した部分を埋めたい埋めたい
という想いが大きくなります。
だから、悪いことばかりでは、ありません。
寂しい想いをしたから、何かに深く没頭することができた
ということもあるし
さんざん緊張して生活してきたから、
ほどけた時の開放感は大きい、ということがあるのです。
だから、苦しいとか、寂しいとかの負の感情も
あり、です。
それを消そう消そうとしたら、いけないんです。
それも、あり
と思って飲み込んでしまうと
次に解放された時に、幸福感がやってくるんです。
25年前にタイムマシンに乗っていって
教えてあげたいです。
私に。
それにしても、
そのマンションのお隣にあるお寺に今、私が嫁いだ家の
お墓があるんです。
これも、偶然。
不思議なようで、そうなってたのかも、しれません。
本当本当、まか不思議です。
『時の経つのも早いもので、インプラント希望で吉本歯科医院に駆け込んで早や二年、まさに「光陰如矢」である。
私の場合、インプラントについて知人やインターネットより情報を得ようと色々と聞いたり検索している内に行き着いたのが吉本歯科医院であり、他医院よりも解り易い説明と、何よりも院長の診療哲学に惹かれて今日に至ったというのが実情である。
そんな中で先ず言える事は、患者としては例外なく、「悔いを残す治療だけは絶対受けたくない」という事である。
その為には何が必要かと考えた時、院長の診療哲学の三項目はもとより、真に納得するという意味において、心情、価値観、理解力にも充分に配慮したインフォームド・コンセプトが行われるべきだと考える。
また、その為には患者側としても出来るだけ予備知識を持って臨む必要があり、そうする事によって理解力が増すとともに、その際の時間短縮が図れ、医院側への負担(時間と労力)を軽減する事が可能となるだろう。
私自身、説明を受けたり、「何か解らない事はないですか。」と問われても、何が解らないのかが解らないといった笑い話にもならない様な事もあり、知識の不可欠性を思い知った苦い経験がある。(笑)
ただ、何だかんだ言いつつも最終的には「餅は餅屋」に任せるしかないのが現実であり、その餅屋を選択するのが患者である。
そしてその選択のいかんによって運命が大きく分かれる(治療の良し悪し)訳であるから、情報や洞察による選択力というものが大きく係ってくる。
友人、知人を含め、周りの人達は私のその選択力に関心を寄せており、それを証明できる日はまだ先のことであるが、その日が無事訪れることは確信をもっている。
通院して約二年になるが、時には疑心暗鬼を生じながらも苦労(高額な費用、長い期間、遠距離通院の際の労力)して手に入れたインプラントであり、決して手放す訳にはいかない。
その為にも今後の定期的メインテナンスは必要不可欠であり、吉本歯科医院とは一生涯の付き合いとなるだろう。
院長を始め、スタッフの方々の高い接客スキルと信頼の下、無作法で至らぬ私ではございますが今後とも宜しくお願い申し上げますとともに、取り留めのない件(くだり)ではありますが意のあるところを諒としていただき、このあたりで筆を擱くことと致します。』