現在、大変ご予約が混みあっており、新しく(初診にて)ご予約頂けますのが
9月2日午後以降のご案内とさせて頂いております。
土曜日をご希望の場合には8月,9月はすでにご予約でいっぱいとなっており
10月以降でのご予約とさせて頂きます.
(8月18日月曜日現在のご予約状況です)
せっかくお電話を頂きましたのに、すぐにお取りすることができず
大変申し訳なく思っております。
ご予約をお取りいただいた日までにキャンセル等の枠があった場合には
ご連絡をさせていただくこともお受けしております.
ご希望の方は,お電話にてお申し出下さい.
吉本歯科医院に初めてお越しくださる方へ
https://www.8181118.com/reserve/
吉本歯科医院では、虫歯治療、神経の治療など、あらゆる治療に
特殊接着技術を使っております。
また、一般的な虫歯治療ではなく、お薬を使って治す治療を行っておりますため
一度治療をスタートさせた場合には、最終治療までかならず
治療計画通りに治療を進めてまいります。
治療計画通りに行なわないといけない理由は
バイ菌の再侵入を防ぐため、です。
再発を起こさないための治療を行っておりますため
治療行程は細かくきめ、その通りに行なわせて頂いております。
吉本歯科医院での歯科治療は、従来行なわれています
歯科治療とはかなり違っておりますため、
お越し下さる患者の皆様には、ご理解いただけるよう
きちんとご説明をさせて頂くお時間をお取りする必要がございます。
吉本歯科医院にて
歯科治療をご検討の方はどうぞご来院前にこちらのページをお読み下さい.
大変長い文章でございますが,当院で行っております治療内容の一部を
ご理解いただけるかと思います.
https://www.8181118.com/menu/02info.php
吉本歯科医院の歯科治療について
せっかくお越し下さった患者さんには
吉本歯科医院の歯科治療をきちんとご理解頂き
「ああ、ここを選んでよかった」と思って頂きたいと考えております。
そのために
じっくりと診させて頂くお時間の確保が必要です。
その場限りの治療を繰り返さないために
ご自身の歯のこと、歯の現状を知って頂きたいのです。
どうぞ、ご予約状況について
ご理解いただけますと、幸いです。
また、お子様の治療ご希望のご連絡を多く頂きます。
関心をお寄せ下さり本当にありがとうございます。
吉本歯科医院では、現在、お子様の治療は行なっておりません。
18歳以上の方から、お受けさせて頂いております。
どうぞよろしくお願い致します。
昨日は鳴門で子供達が宿泊合宿をしていました。
私は、日曜の朝にお迎えに。
そこで
エネルギーが高い人には
引力が生じる、
ってことを
目の前で感じさせてくれた人に会いました。
発する言葉は明快で痛快。
なんて気持ちいいい会話!
発する言葉にブレがなく言い切る
目はしっかりと、こちらを向き
磁石のようにひきつける
エネルギーが高い人
エネルギーが低い人
というのは、会った瞬間に感じるもの。
自分のエネルギーが落ちてるなあ
自分のエネルギーがいま、なかから満ち満ちてるなあってことも
自分ではちゃんと感じるもの。
私の場合は、
こうやってエネルギーの高い人にぱっと会った時に
自分がギュインってひきつけられ
「うわあ!!近づこう!あっちへ近づこう」と感じた瞬間に
頭で考えず
動き出した時、ほぼ満タンになります。
だから、何かに夢中になっている人の場に行くと
勝手に着火しちゃいます。
どんなに理屈をこねても
エネルギーが低いと人はそこに引きつけられることは
ありません。
「私、満たされてますから」
と頭では思っても
エネルギーの低さは外からは見てわかってしまうのです。
引力です。
自分の求めるものを
自分の求める人を
引き寄せているのは自分の作為的なことではありません。
理屈や知識でもない
引力です。
いいものを引き寄せられない時は
エネルギーが枯渇してるんです。
適当に、ぼんやり生きてると
私は完全にガス欠を起こします。
自分を形作っているすべてのことは
自分全部選んで決めています。
今の、自分は、
目の前の些細な些細な選択を重ねた結果、
今の自分になってます。
だから、今の自分が嫌だ、不満だ、自信がない
気に入らない、
顔が気に入らない、スタイルが気に入らない
ということすべては
全部自分が選んできた結果、そうなっているということです。
今日、朝、6時におきようか、それともあと5分寝ていようか
コーヒー飲もうか、ミルクをいれようか
今日何を着ようか
さっき、あの人に話した言葉は?
からはじまり
なんで、今この会社で働いてるのか?
なんで、この人と付き合ってるのか?
全部、自分で決めてます。
その結果、
今、自分が気分がいい
とか気分が悪いとか
エネルギーに満ち満ちているとか
やる気がないとか、
になっているわけです。
今の気分が悪いのなら
今の自分がずっとうまくいかないのなら
小さな選択をちゃんと自分で自覚して決めていないのかも
しれません。
「あの人がこういうから」
「親が」
「世間が」
「会社が」
「夫が」
「家庭が」
と
主語が、
「私は」になっていないのかも、
しれません。
誰かが自分を動かして
いるのではなく
自分の舵取りをしているのは
自分です。
そこをはっきり自覚し
意識し、
言葉を発し、
人に接している人は
何気なく出てくる言葉が
やはり、違うのです。
全然、違っているのです。
その「意識」を自力で変え、
どんどんうまくいき続けている人の話は
素直に聴いたほうが、得です。
「あっち」の意識から、「こっち」の意識へと
変化した瞬間やプロセスには
きっと参考にできることがあるから、です。
人の話を聴く
とくに、「ええ?なんでそうなれたの?」という
人の話は素直にじっくり聴いたほうが得なのです。
それは
どんなジャンルでもいい
どんな場でもいい
どんな職業でもいい
人が「ガラリと意識が変わってしまった」という瞬間には
やっぱり自分にもヒントがあるのです。
そして、共通することがあるのです。
いろんな勉強材料があり
今は、ネットで何でも検索でき
すぐに「わかって」しまいそうな世の中ですが
私はやはり、人は人に会って魂が共鳴できる瞬間からしか
学ぶことはできないと、思います。
外野の声は、どっちでもいいんです。
自分で会って
近くで見て
声を聴いて
心が震えあうかどうか。
実際に会う
実際に行ってみる
ことしか、自分をドッカーンと飛ばしてくれることは
ないと、思う。
心がスパークしちゃった後、
帰りの車の中は
あの人の話した言葉や表情や声が
頭の中をグルグル回って
高速に乗り損ねてしまいました。
結局、1時間で帰るところを倍以上かけて帰ることに。
しかし、同じ時間を共有した人と
長い時間話をしたかったので
ちょうどよかったのです。
「本当は、こうやって生きたかったのになあ」
「もっとこうしたかったのになあ」
って思って棺おけに入るのは
切ないです。
もっと、わがままに
貪欲に
自分の内なるエネルギーをたっぷり満たすんです。
生きてるうちだけですから。
そんなことできるのは。
引力ですので
勝手に、引き寄せられてきます。
これ、物理です。
結局は
自分が成長するしか
自分を面白くする方法は、ないんです。
成長しよう。
ぐっと意識を引き上げよう
と毎日毎日いろんなことを選びきっていくことで
何を見ても面白がれる自分になれるんです。
自分の見えている世界に面白いものが
ないのではなく
面白く見える目を養わないことには
何を見ても
飽きるのです。
熱くなれないんです。
あさって8月20日(水)は母性型勉強会です。
時間は同じく18時半より、
高松国際ホテルにて
会費:3,000円(お食事代込み)
時間を忘れて話し込み、また子連れで日をまたいでしまうところでした。
私の良き指南役、金高夫婦の家にフィリピンからチャーミングな日本語教師がやってきていました。
彼女は、なんとシャイな「彼」でした。
後ろがシャイなメルビンちゃん
昨年、金高家が子供達と一ケ月滞在したフィリピンセブ島の英会話学校から
今度は、教師を連れてきちゃうという、グローバルぶり。
これは、彼(彼女?)メルビンが作ってくれたアドボ、という料理。
ローリエたっぷりの鳥と豚の角煮のような白ご飯がすすむ味
みんなでワイワイ食事を始めた頃、スカイプ英会話の時間に。
画面の中で「ハーイ!」と話しかけてくれる凛々しい彼は
彼女でした。
日常の中に英会話がある金高家の夜ご飯は
にぎやかなことこの上ありません。
そして、興味深い話をひとつ。
金高夫妻は今年の春、スリランカへ旅行しました。
薬剤師免許を持つ夫妻は、
本場のアーユルベーダを体験すべく
8日間滞在してきました。
奥さんの「スリランカへ行く!」の一声で
本当に行っちゃう素敵なカップル。
3人の子供はおばあちゃんへ。。。
ちなみに奥さんのみゆきさんは
思わず「ねえ、その肌、どうなっちゃってるわけ?」という陶器のような白肌の持ち主。
アーユルベーダのお陰かな?
と思ったのですが、
ご主人いわく
「彼女は食事がいい、きちんとしたもの食べてる」
のだすです。
やはり、肌は中から、でしょう。
さらに、いろんなものを漬け込んだ謎の瓶がいっぱい。
化粧水やら、
ビワの葉やら
ドクダミの葉やら
漬け込んでいるというではありませんか。
暮らしぶりのすべてがとっても
細やかで、華美ではなく、丁寧に暮らしてる感じが
居心地がいいのです。
さて、話はもどりスリランカ旅行です。
どっさり4冊のアルバムを見ていると
「ああ、行きたい。行ってみたい」強い衝動にかられる私。
スリランカの病院で診察を受けると
白髪はどうやら、病気なんだそうです。
ストレスという病気。
スリランカには殺人がほとんどなく
医療機関制度が整っているわけでもないのに
寿命が長いんだそう、です。
そして、みんなニコニコしてるのです。
何か不愉快なことを言われただけで
ムカッときている殺気だった民族とは
大違いです。
ちょっとのことで腹が立つ
些細なことが許せない
察してくれないあの人が嫌い
これ、みんな、病気です。
きっと。
イライラ病。
生まれてから死ぬまでの間に
仏教という信仰がしっかりしみこんでおり
朝夕と祈り、心静かにする時間を。
そして、グレーな感情を溜め込まない生活習慣。
病気は心が作るといいますが
食事からもアプローチ
精神面からもアプローチ
そりゃあ、病気にもなりません。
溜め込んだ感情を水のように流せる思考の習慣が
あるのでしょうか?
さらに、ご主人は、風水士でもあります。
おじいちゃまが有名な風水士だったそうで
その血と知恵を受け継ぎ、
今、特に、子供を育てる親達を
助けています。
そう、私、勝手に助けられてます。
風水って、面白いんですね。
統計学なんですって。
私は、いいことしか頭に入ってこないたちで
教えてもらった私の風水全般を
勝手にいいようにいいように、都合のいいように解釈して
すっかりワインのように美味しく飲み込んでしまいました。
そうやって、
アドバイスをもらう前よりも
もらった後の方が、
テンションが上がって、幸福感につつまれてる
っていうのがいいです。
私は今年収穫期に入ってるのだそう。
活気が出る=仕事が忙しくてしょうがなくなる
ということだそうで、納得。
食欲の秋のイメージで、なんだか嬉しい。
気をつけないといけない年はあと何年か後らしいのですが
「しんどくてしょうがなかったら、スリランカいったらいいよ」
という言葉に安心し、
もうすっかりスリランカに行く気になってワクワクしてます。
時間が過ぎちゃうのを
忘れる時は
巡りのいい人達と会ってる時です。
私の場合は。
いつ会っても
ドキドキするような話を聞かせてくれる
この不思議な夫婦が
好きなんです。
ついつい
家に行ってしまう
足が向いてしまう
のいう自分がこれまた好き。
たくさんメモを取ったので
親しい人に教えてあげようと、思うほど
「さ、すぐやろ」という話ばかりでした。
それでは、次回は3ケ月後、半年後にお越し下さいね
と、患者さんとお話していると
3ケ月後、半年後といえば、もはや今年も終わり、
半年後は2015年です。
あっという間に、時は過ぎます。
一年のはじまりには、
「さあ、今年こそはっ」と、何かを変えてやろう
新しく取り組もうと、思っていても
忙しい毎日を過ごしていくうちに
年頭の熱い想いや決心は忘れ去っていくことがあります。
そしてふと、
一年も終わりかけた頃になって
「ああ、やっぱり何もできなかった」
「ああ、何も変わってない」
「ああ、決心したけど、実行できなかった」
何も行動できなかった自分にへこみ
自分はやっぱりダメなんだ、とさらに
自分で自分の
自信を奪っていってることを
感じることが、あります。
心は、放置しておくと
行動しないようにできてます。
感情は放置しておくと
へこむようにへこむように
なってます。
「あっ!面白そう!すごいっ!」
とピンときたら
間髪入れずに行動しちゃう習慣が身についていることで
得られる恩恵というものは
すごいものだと、私は思います。
多くは、「あ、これっ!」とピンときても
「でもね」
「本当かな」
と頭で余計な考えが一瞬よぎります。
その一瞬がくせもの、です。
その余計な考えが介した瞬間に
次に行動しようという気が失せるから、です。
だから、間をおかずに
動いてみるというのが
大事です。
私が自分でルールにしていることが、あります。
自分ルールは、
うまくいくことがわかっているので
ルールにしているのです。
①もうそれをやってのけて、向こう側に行ってる人を見つける
②その人が教えてくれる通りにする
自分で考えたり
自分で解釈するのではなく
その人が教えてくれる1から10までその通りに、やってみる
のです。
途中経過で
「あれ?」と思っても
「そんなのあり?」
と思っても
まずは1から10まで素直にやってみる。
そうすると
何かしらの結果が出るんです。
これ、本当に、出ちゃうんです。
目に見えて、自分が「違ってる」という変化がでるんです。
そうなると
「うーん、やっぱり、そうかあ!」
と今度は確信に変わります。
やってみると
面白さを実感したり
すごさを発見したり
その過程そのものが、面白かったり
するので
やり始めた人は、
面白いので
続けるのです。
やらない人は
面白さを体感できないので
「やらないまま」
なのです。
やってみて
うまくいって
確信に変わると
そうなると
ますますもっと言う事を聴いてみようと
いう気になり
ますますその人やそのことへの関心が深まっていくのです。
どんなに知識を重ねても
やはり私のルールはこれ、です。
同じように
同じことに取り組みだしても
「でもお」
「うーん、あの人だからできるんだわ」
「本当かなあ」
「もっと、簡単なのがいい・・」
「面倒くさいなあ」
と言って動いてない人は
やっぱり、損をします。
人は、自分が「こうやってうまくいったよ」
ということは、
人に教えたくなるもの、です。
ライバルには教えない
とか
あの人には教えない
とか
意地悪な気持ちが無い限り
やはり、うれしいことは、いいたくなるもの、です。
そして、一緒にその喜びを
わかちあいたいと
思うもの。
特に女性はその傾向強し。
でもその時に
「こうやったらうまくいくよ」ってことを
アドバイスしたとしても
「うーん、でもねえ」
とばかりで
やってみようとしない人は
そのうち、アドバイスしてくれる人は
いなくなります。
自分のまわりには
いくらでも人はいるように思いますが
誰のいうことも聴かないことが
たくさん続くと、
そのうち
自分のまわりから人は消えるのです。
なぜなら、
人は、自分のいうことを素直に聴いてくれる人の方へ
時間と愛情を注ぎたいから、です。
これは、自分がアドバイスする側になったら
そう思いますよね?
その方が一緒にいて楽しいし
その方がこちらも元気になる
もっと何かを教えようと
愛情を注ごうとしたくなる
自分に幸運をもたらしてくれるのは
人を通じて、です。
その人が、次第に自分の前から
消えていくのです。
片方は、素直に実行し、
やってみるから、行動した体験が
実感となり、ますます
自分を突き動かします。
片方は、「できっこない」「面倒くさい」
と言い訳をし、
ますます動かなくなり
ますます良いことから
自分を遠ざけてしまう。
もったいないのです。
私は20代の頃は
永遠にこの命が続くと思っていました。
30代もまだまだ。
しかし
40代になり
身内がどんどんなくなり
身近な人がどんどん本当にあの世に逝ってしまうと
自分の残り時間をものすごく意識するようになりました。
砂時計状態です。
だから、時間がないのです。
あー、できないなあ
でも、無理だなあ
なんて思考する時間がもったいない
どうすれば
できるかな?
どうやったら、あの人みたいな雰囲気をまとえるのかしら?
どうやったら?
どうしたら?
と、ずっと考えているだけでも
時間はあっという間です。
「本当かなあ?」
と、人の話に一歩引いてる場合じゃないんです。
「ちょっと、それ、教えて!!」
と思わず身を乗り出しちゃうくらいで
ちょうどいい。
そうしてるほうが
自分の中身が縮こまらなくてすむのです。
なんでもかんでも
できないと勝手に決めてるのは自分です。
自分で決めるので
できちゃうわ
と決めるのも、自分です。
今すぐ、手を打てることは
あるんです。
どうしたらできるかな?
とすぐに考え
行動する方法を教えてくれる人が
すぐ近くにいると
一日はすごいスピードで過ぎていきます。
そういう存在は本当に、ありがたい。
体が動いている時は
心も一緒に動いてるんです。
そして、ひとつのことを思考しているので
他ごとが頭をよぎらない。
本当に、人間はシンプルにできてます。
そのまま、やってみる
ルールは
本当に使えるのです。
■次回母性型勉強会は
2014年8月20日(水)午後6時半~8時半
高松国際ホテルにて
会費:3,000円(夕食込み)
もう、成人の、大人になっても
親がかわいそう、で自分がそばにいてやらないといけない
という思いに縛られ苦しい思いをしている人は
少なくありません。
昨日も、もう何年も母親のことが「かわいそう」で
結婚してからもずっと気になって、しょっちゅうそばにいないと
自分が苦しくなる、という女性がいました。
親が、かわいそう
という気持ち、私は自分が父親にそう感じていた時が
あったので、よくわかります。
母と別れてからの父がなぜかとっても
かわいそう、で、と思っていました。
しかしある人に
すごいタイミングで
「かわいそう」というのは、自分の方が立場が上で
相手を下に見ている時に使う言葉です、
とても傲慢な
言葉です。
と言われ
ハッと我に返りました。
誰かを「かわいそう」と言ってる自分は
自己満足です。
「かわいそう」と誰かのことを言っている自分が
本当は、かわいそうなのです。
これは、
自分で、自分が発する言葉のトリックに
はまっているんです。
本当は「かわいそうな」自分のことを
考えなくてすむから、です。
「かわいそう」と思うのは
本当は相手ではなく、自分です。
「かわいそう」と思われている相手は
実は本人そんなにかわいそうでは、ないのです。
小さい頃、親に十分に愛情を注がれなかった
だから、
今の自分は、こんなにつらいんだ、
という思考があります。
もし、小さな子供が親から
欲しい時に愛情を注がれなかったり
怒鳴られたり
不安な気持ちにさせられたり
といったことは、
子供こころにはとても、恐怖です。
たしかに。
私も、家を飛び出した母に連れられ
夜中に古い映画館で悪霊島を観た時には
たしかに怖かったです。
これから、どうなっちゃうわけ??
と思ったもの、です。
しかし、
成人すれば、大人です。
20歳過ぎた時点で、立派な大人の女性です。
ここを押さえておけば、
自分はぶれることはありません。
だって、私はもう大人だもの。
です。
とっとと、大人になることを
決めた方が、いいのです。
その方が楽なのです。
希望は過去の中には、ありません。
過去をほじくりかえしたって
自分の都合のいいように解釈するだけ、です。
自分の今の頭で
自分が「かわいそうだった」と解釈するだけ、です。
なぜ、私の親は
その時、あんな態度だったのか?
なぜ、私の母は?なぜなんだ?
その両親の影響を受けて
今の自分のこの思考パターンがあるんだな、と
そこはもう冷静に、冷静に、
客観的に、他人の心を観察するように
分析すれば、いいのです。
自分がうまくいかないパターンは
自分の心の傾向です。
本当は、あっちに行けばいいのに
なぜか、こっちにとどまってしまう。
というのは、自分を突き動かす潜在意識の部分が
何かを怖がっているから、です。
では、怖がっているものは何か?
を冷静に、冷静に、分析です。
そして、「ああ、そういうことか」と知れば
パッと離す事ができるんです。
大人になってからの異性の関係や
友人関係
親子関係
あらゆる関係は、
自分が育った親と子の関係に
根っこがあります。
なぜ、いいたいことが言えない相手でも
迎合してしまうのか?
自分が幸せになろうとすると、自分で自分を阻止しちゃうのか?
自分の気持ちを優先することが、どうしても苦手なのか?
心理学を知り、
そんな自分を「ああ、自分ってこの通りだわ。だから私ってこうなんだー」
と安心して納得しても
知識を知ったところで、
現実はなにも変わりません。
私は、知識を知りたいのか?
それとも
誰とでも付き合え
のびびびと生きられる自分になりたいのか?
どっちを選ぶのかは
自分次第です。
育った環境は
自分でも気が付かないうちに
しみこんでいるものなのです。
小さい頃に植えつけられたもは
しみこんでいるのです。
よくも、悪くも。
しかし、そこを愚痴ってもしょうがない。
悲惨な過去だと思うのなら、
まだ、過去を克服できていないのです。
今が、満たされてる、と過去は
勝手に「だから、それも肥やしだったんだ」と必ず思えるものです。
転化できちゃうもの、です。
肥しだったんだあーー
と心底思うために
今、「自分はどうありたいのか?」と考えるのです。
そして、今の自分が嫌いなら
直ちに行動です。
一番効果的なのは
スカッと、行動している人に
ぴったり張り付く
プチストーカーになる
ということで、
3ケ月もすれば、彼の、彼女の行動や思考が
自分にもインストールされてきます。
結婚して外に出て、
母親を「かわいそう」と思う気持ちに支配されてしんどいのは
なぜなのか?
と、分析してみる。
大事なんだけど、
腹が立つのは
なぜなのか?
と、分析してみる。
ごちゃごちゃにからまった紐は
ゆっくり、じっくり解いていけば、
ちゃんと解けるもの、です。
紐とを解いていくと
結局、「で、自分はどうしたいわけ?」
というところに立ち返ります。
親からもらった今の自分が
いやなら、満足していないなら
「こんなのじゃ、嫌だ!」と思い切り叫んじゃえばいいのです。
自分を取り巻くあらゆるダレタ関係が嫌なら
いっそ全部ダンシャリしちゃっても、いいんです。
自分を動かすのは
誰かから聴いたような知識ではなく
本から得た知識でもなく
「もう、何が何でもどうにかしたいんだ!こんなの嫌なんだ!」
という湧き上がってくるマグマのような感情でしか、ありません。
目の前で
すごい勢いで真剣に生きてる人を見ると
衝撃を受けます。
その衝撃を受け取って
自分の中にすかさずインストールするんです。
間髪いれずに、です。
頭に知識を詰めこむことでは
ないんです。
その醸し出している雰囲気や目つき、声の勢いを
インストールしていただくのです。
親子あっても
友達同士であっても
異性との関係であっても
職場での関係であっても
近所付き合いであっても
あらゆることはすべて
「私と、相手」という人間との関係によって起こります。
なので、「私は、こう生きたいんだ!!」というものがないと
永遠に、流されます。
流されっぱなし
踊らされっぱなし
いつも一緒にいる友達がこういうから
親がよろこぶから
みんながそっちにいくから
永遠に他人の言葉や気分に踊らされてしんどいのです。
昨夜、時々思い出したように
メールのやりとりをするある人からメールをもらいました。
私にリアルなネタを実況生中継してくれる人です。
「嫁が包丁を持って暴れております」
という出だしです。
うーん、今夜も激しくやってますな。。。。
当事者には申し訳ないのですが
私はこの方の実況生中継が
面白い。
夫婦間の問題も
根っこは、やはり親との関係です。
私も幼少期は包丁はよく壁に刺さってくるような家庭でしたので
驚くことは、ありません。
包丁をもって暴れてしまう奥さんの気持ちが手に取るように
わかるがゆえに、
それがうっとしくて逃げ出したい、できるなら
妻をリセットしたいというご主人の気持ちがわかるがゆえに
「むしろ、徹底的にやるべし」
と思ったりも、します。
どちらが悪いとか
ではなく
夫婦とはお互いにリスクを抱えあった存在です。
関係がおおありなのです。
だから激しくぶつかるのです。
他人どうしなら
「あ、雲行きが怪しくなったなあ」
と雰囲気を察知したら
すぐに話をうやむやにし、ごまかせるのです。
リスクのない関係
状況が変わったならすぐに退散できる関係は
ぶつかる必然がないので
ぶつからないのです。
なので、一見仲良しのようですが
ひとたび突っ込んだ話になると
どちらか必ず逃げます。
そんなもの、です。
だから、仲良くやれるのです。
世間話をしている時は仲良くやれるのです。
しかし、夫婦はそうはいきません。
話し合わなければならない案件が山ほど、ある。
どちらかが幼稚だと、依存してくる。
依存された相手は逃げたくなる。
逃げさせはしまいと、追ってくる
そう、包丁を持って。
まさに、泥ぬま。
泥、泥だらけ。
でも、いいのです。
泥ぬまOK。
いつだって逃げたくなるような問題を抱えているから
自分の中にプレッシャーや危機感や
どうにかしなければ、という思いが溢れてくるんです。
泥ぬまになるから
はじめて「やばいっ!!」という危機感が発動です。
発動するから、本気で考える。
自分のことも
相手を通してみて自分の幼稚さを知ったりするんです。
泥ぬまは底なしなので
はやく抜け出したい!と切実度も真剣です。
だから、いいのです。
泥ぬま体験の量=人生の面白い時間
と捉えてはいかがでしょう。
私は、そう思います。
50歳、60歳になった時
泥ぬま体験をたくさんしてる人の話は
魅力的です。
惹き込まれる。
あ、変態でしょうか?私は。
でも、その方が、面白い
身近な関係でさんざん泥ぬま体験をすると
どこかでお互いが消耗します。
消耗しつかれきると
今度は笑えてくるんです。
さんざんやりあったら、
なんだか、笑えてきた、ってこと
ないですか?
夫婦の関係や恋人関係で
泥ぬまにもめにもめる時というのは
同じ土俵にいる時です。
対等なので腹が立つ。
考えが違うことでもめたなら
より考えが深い方に合わせていくんです。
私はそうやって教えてもらいました。
自分よりも、相手の方が深い考えをしてるなあ
ってことに気がついたら
合わせていくことができるんです。
「わあ、もうこの先生のやってることいってることを
生きてるうちに全部自分にしみこませられるかなあ?」と思うレベルの
人に会うと
10000%合わせます。
勝手に、あわせたくなる。
自分の考えなんて、どっかにぶっとび
その深さに自分を合わせたくてしょうがなくなる。
自分を評論してる場合じゃあ、なくなる。
そう思わせるまで
逆に自分が相手のことそう思うまで
戦い続けるか、
とっとと見切りをつけるかも
やはり
選択です。
どっちを選んでもいいんです。
自分で選べば納得です。
いっこを選ぶと
いっこは、捨てなきゃいけなくなるんです。
あっちもこっちも欲しいとなると
選べない
先日は、恒例のごった煮会がありました。
もう20年以上付き合っている人もいます。
年に2回、夏と冬とやってます。
年齢も、職業も家庭環境もみなごちゃまぜです。
いろんな人生があります。
「そこでそんなの選んじゃったわけ?」
って人もいれば
「ありえませんなああ」
という人もいて、面白い。
聞いてみると
みな、それぞれの人生の中で
何かを選んで
何かを捨てて生きてきている
みんながこちゃまぜになると
こんな面白い発見があるのです。
「妻が包丁持って暴れてます」の人の
今後の報告に期待します。(←私は何を期待しているのだろうか!!)
遅くなりました
先日のごった煮会の様子です。
12月冬の会の日程も決まりました。みなさま、また冬に!↓
今、吉本歯科医院ではずっと言葉遣いの勉強をしています。
言葉遣いの徹底です。
患者さんに対して感じのいい応対をしよう
という単なる接遇研修の一環ではなく、
言葉を意識し、使うことができるようになると
そのことが、自分自身を守る武器になると、思うからです。
仕事だけではなく、人生全般の自分自身の人間関係を
守るのです。
上司に対しても、
先輩に対しても、
そして同僚に対しても、
さらには、夫婦や
恋人同士であっても
友人関係においても
距離は、大事です。
「仲良しになったから」
「よそよそしいのはいやだから」
「フランクな感じがいいから」
と馴れ合いの言葉を使うようになったり
年齢が上の方に対して
友達感覚の言葉を使うようになった時
自分の身の破滅は近いのです。
みんなが言ってても
自分は、言わない。
みんなが崩れてても
自分は、絶対崩さない。
近しい関係ほど、
距離がいります。
仲良くなればなるほど、「じゃあ、しょっちゅう会いましょう」
と会いすぎると
嫌なところが見えてくるのです。
つかず離れずの距離感
とても、大事。
つかず離れずの距離感を保っていれば
誰も自分の心の中までズケズケと土足で入ってはこないのです。
「あの人何考えているのかわからない」
くらいでちょうどいいのです。
夫婦であっても、同じ。
ラブラブの恋人同士であっても、同じ。
なにもかもをあけっぴろげに見せちゃって
ガンガン心の中まで土足で入り込む
入り込ませるようになると
関係破綻は近いのです。
仲良くなってくっつきたい
でも
くっつきすぎると
嫌なところが見えてくる
これが、人間です。
そもそも、
他人の頭の中など完璧に理解できるものでもなく
理解されたくもないのがこれ、人間。
ダラダラとなれなれしく
密着している関係は
いつかの瞬間には感情が吹きだし
ぶつかるもと、になるのです。
密着する人とは
ほうっておいても勝手に密着するのです。
悩みをダダ漏れし
感情の垂れ流しあいの関係で
そんな馴れ合いでダラダラくっつくものでは、ないのです。
特に仕事してると
「はあ?」
「かっちーん」
「腹が立つっ」
「なんて理不尽っ」
ということの連続です。
それが、異常なのではなく
それが、普通なのです。
あたりまえ。
そんな中で
いちいちムカついて怒って表情に出していたら
損なんです。
「ありえませんっ、なんて理不尽っ」
ってことを
たらふく飲み込んで
ゴックンしちゃったら
それは肥しになるんです。
理不尽なことを飲み込んできた体験の量=その後の幸福感の量
です。
「許せないっ!!」
と周囲にダダ漏れしてると
嫌なことをぐっと飲み込めるチャンスを
どんどん失っていくんです。
毒はしっかり飲み込んでおくと
免疫になります。
同じような毒飲んでも
凹まなくなってくるんです。
だから、20代くらいで
かなりの毒を飲み込んでおいた方が絶対いいんです。
30代、40代になって
いきなり大きな毒がきたら
即、精神破綻、です。
社会的な仕事を失うくらい凹むかも、しれない。
免疫があると
「あーー、これかあ、あったなあ、昔もやったなあこのパターン」
と思えて回復の仕方と時期が見えるのです。
だから、
付かず離れずの距離感を保つ
言葉遣い、大事です。
うちの受付の松本はこのあたりの距離感が絶妙でした。
「つかず離れずの距離感」を保ち
患者さんにも決して馴れ合いにならず、丁寧な敬語を崩さない。
でも、冷たくない
事務的じゃない
私は、のめりこんじゃうたちなので、
松本の淡々とした立ち居振る舞いを
時々こっそり盗み見しては
自分もそうしよう、としていました。
今日は無礼講だっ
と言われても
態度を崩さないほうが自分のため、です。
散々盛り上がった後
余韻が残る人は、
きれいな言葉を崩さなかった人です。
自分の感情をあらいざらいぶちまけ
年齢の上下も関係なく
敬語も関係なく
まるで友達に話すようにダラダラ話していると
自分がその場を去った後、
必ず何か言われてます。
人は、本当に見ています。
何気ない表情を
何気ない一言を
言葉は、聴かれてるんじゃなく
見られてます。
だから、損です。
特に、若い時期は
自分がお客さんや患者さんの立場になった時でも
言葉をきちんとし、敬語を崩さない姿勢を持っている人は
光ります。
大勢の公的な人が集まる場で
動じないためには
言葉が大事です。
偉そうにする必要もなく
下からこびる必要もなく
感じのいい言葉使い、敬語が身についていたら
どこに行っても
気後れすることはありません。
言葉をきちんと使えないと
そんな場に行くと緊張する
気後れする
ということになってしまい
自信喪失して暗い気分になってしまうのです。
正しい言葉遣いというものを
きちんと習っておくと安心できます。
習ったついでに
血肉してしておくと
後が楽です。
どんなに心の中でいいことを思っていても
表面化する言葉が崩れていたなら
相手には「崩れた人」という印象しか届きません。
もったいないのです。
言葉を意識していくと
過剰に相手にのめりこんだり
期待したり
しなくなります。
逆に
「なんであなたにそんなこと言われなきゃいけないわけ?」
という事態に巻き込まれることが
100分の1くらいにまで減ります。
ズケズケ心の中まで入ってこられる
というのは
入ってこられるようにしているから、です。
距離は大事です。
人との距離は
密着する時は勝手にそうなります。
磁石ですから、人と人とは。
仕事の場では
つかず離れずが一番身を守ってくれるのです。
小さな職場ほど、
言葉が大事。
毎日一緒にいる人ほど、言葉が大事です。
■次回母性型勉強会は
2014年8月20日(水)午後6時半~8時半
高松国際ホテルにて
会費:3,000円(夕食込み)
申込は:http://www.boseinomonosashi.com/