吉本歯科医院

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歯を抜きたくない削りたくない方、薬で治す虫歯治療、歯周病治療、インプラントや入れ歯治療なら咬み合わせ専門歯科の吉本歯科医院。香川県高松市。

香川 高松 吉本歯科医院
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2013.10.22治療が終了された浅野有香様



【患者さんの声は「実際に治療を受けた人の感想を知りたい」という患者さんの
声から生まれました。

ご登場頂いた患者さんはどの方も快く私どものインタビューを引き受けて下さ
った方ばかりです。

治療中はご苦労をされた方、食事ができずにお困りになった方、いろいろな方
がいらっしゃいます。

いいことばかりではありません。

いいことも、悪いことも、両方知って頂くことが大事なんだと私達は考えて掲
載していました.

ホールページでの医療広告ガイドラインが変更となり,患者さんの声の掲載を
削除しました.

個々の患者の状態等により当然にその感想は異なるものであることから,
「患者等の主観に基づく、治療等の内容又は効果に関する体験談」が広告とし
て取り扱われることになりました.

院内掲示、院内で配布するパンフレット等は今まで通り,広告ではなく情報提
供や広報と解されることから医院にて「患者さんの声」はご覧くださいね】

2013.10.22めざしが食べる事が、できます。

今日朝一番のご予約で、数年前にインプラントをされた男性がいらっしゃいました。

定期的にきちんとメインテナンスにお越し下さっています。

 

お帰りになる際に、待合室で

「調子はいかがですか?きちんと噛めていますか?」と

私、お声かけしました。

 

すると

「はい、めざしが食べる事ができています」

と、おっしゃられました。

sakan.jpg

「あ、めざし・・・食べられるんですね」

きょとんとしていると

患者さんはニッコリ笑っておっしゃいました。

 

「めざしってね、結構噛めないものなんですよ。

入れ歯だと、噛めない。

インプラントだとちゃんと噛める。

あのまま歯をなくして、めざしだって、食べられなくなっていました。

あ。。。わかりませんよね。」

と、ニッコリ。

 

確かに

歯を失って

噛めない

という感覚

入れ歯にした途端に

噛めないんだ、という感覚は

私には実感として、わかりません。

 

ここにいる吉本歯科医院のスタッフ、そして院長だって、わかりません。

誰も、歯を失ったことはなく

誰も、入れ歯にしたことはなく

インプラントを体験したスタッフはいますが、

誰も、「今、噛めなくて困っている」

という人は、いないんです。

 

今までにお悩みをお話下さった患者さんの口から

お聴きするだけ、です。

 

歯がある

ちゃんと自分の歯で噛んでいることに

意識さえしたことがない状態の人間には

歯を1本でも失って

噛めない

というつらい気持ちは

わかることは、ありません。

 

わからないので

ただ、しっかりお聴きするしか、ないのです。

 

噛めないとどうなるのか?

具体的にどういうものが、噛むことができないのか?

 

中には、

豆腐だって、噛めませんよ

という患者さんもいらっしゃいました。

豆腐だって、ソフトなやわらか~いタイプのものでないと、ダメなんだそうです。

 

ご飯も噛めません。

呑み込むそうです。

味なんて、わからないんだ、とおっしゃった患者さんもいらっしゃいます。

 

 

びっくりしたのが

お刺身もダメだということ。

柔らかそうですが

お刺身は歯でこねるようにしないと噛めないので

お刺身も無理なのです。

 

歯を抜くことになり

どうしても抜かないといけない状態にまでなり

その後、入れ歯をされることを選択され

実際に入れ歯が出来上がってきて

お口の中に入った時

「???!!!」

と驚かれることは少なくなりません。

 

 

「こんなに噛めないものなんですか?」

「こんな違和感のあるもの無理!!」

 

こうおっしゃる方は少なくありません。

 

そして、一度入れ歯を作った時から

「もっと自分に合う入れ歯を作ってくれるところを」と

探し続けてその瞬間から

数年、いや数十年も

歯医者さんを放浪して歩いてきた

という患者さんは、

驚くほど、多いのです。

 

 

実際に、吉本歯科医院にお越しになられる時には

「数十件の歯医者さんを巡って、家が一軒建つほどの入れ歯を何度も作り直しどうにもこうにもならずに、やってきた」

という患者さんは少なくありません。

 

私達は

この

「どうにもこうにもならなくなった」という患者さんを前に

一生懸命、まずはお話をうかがいです。

そして、どうしてここまでになってしまったのか?

どの時点から、歯を失う道に入っていってしまったのかを

お話の中から探ります。

 

今まで数千、いやカルテの数を見るともっとかもしれませんが

それほどの患者さんのお悩みをお聴きし

そして、今、こういう事に実際に悩んでいる、という

お話をうかがうわけです。

 

身をもってそのつらさを体験した人だからこそ

話して下さるその悩みの重たさを

毎回、感じます。

 

めざしが、食べる事ができます

とおっしゃった今朝の患者さんの言葉に

ふと、

歯のことを気にしないでいい生活を

送っていることがどれほどのことか、を考えました。

 

お越しになられる患者さんが

辿って来られた過程をお聴きするたびに

「もっとはやくに、私達が発信することを知っておいて頂きたかった」

といつも、思います。

そして患者さんも

「もっと早くにこんなことを知っていたかった。

知っていたらこんなにまで

歯を失うことはなかった。

こんなにまで歯で苦労することはなかった」

とおっしゃいます。

 

もっともっと知って頂くために、発信が足りないなあ

と思います。

知ることで、歯を失うリスクは驚くほど減ります。

知らなかったがゆえに、多くの歯を失っている方が

こんなにもたくさんいるんだ、という事実を知って欲しいと思います。

 

今月号のニュースレターもまもなく

出来上がります。

とにかくこれだけは知って欲しいんだ!」ということを各テーマに盛り込み

当院院長、時に新枝先生が毎回お話しています。

 

どうぞ、読んでくださいね。

2013.10.18私の夫はマサイ戦士 永松真紀さん

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今日、楽しみにしていた

「私の夫はマサイ戦士」永松真紀さんのお話を聴いてきました。

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目からウロコのお話で、あっという間の2時間でした。

ぜひ、この本読んでくださいね。

 

永松さんは、世界中を飛び回る添乗員、旅行のお仕事をされています。

今の夫であるマサイ戦士のジャクソンさんと出会い、第2夫人として迎えられました。

・・・って、お嫁に行くところが、もうすごい!!

 

そのあたりのドラマティックな恋多き人生のいろいろは

この本に書かれていますので、どうぞお読み下さい。

面白くて一気に読めてしまいます。

そして、ドキドキ。

 

マサイの特徴は

牛を飼って、牛とともに生活している

ということです。

牛がいてこそのマサイであり

牛がないマサイはマサイではないんだそうです。

 

マサイに100万円の札束持っていっても

燃やすくらいしか価値がなく

それよりも牛を一頭でも多く持っている方がより、良いのです。

 

マサイの人は

伝統の文化をとても重んじ大事にします。

 

マサイの人は

人生を4つの時期にわけて考えます。

今、自分はどの時期にいるのか?

今、自分はこの時期なので、するべき役割は何なのか?

を考え生活するのです。

 

4つの時期

①子供の時期

②青年の時期

③大人の時期

④長老の時期

です。

 

まず子供の時期は

3、4歳の頃から牛や羊の放牧の技術を学びます。

今では義務教育なので学校にも行って学びますが

土日や長い休みには必ず放牧の技術を学びます。

 

そして青年の時期

15歳くらいから26、7歳くらいまです。

(※マサイの人は、数字にこだわりません。ざっくり、だそうです)

 

この時期は10年ほど

森にこもり

大人や長老と呼ばれる人から

野性の中で生き抜く知恵、技術、戦いの方法、病気になった時の薬草の使い方など

徹底的に学びます。

この期間に食べるものは伝統的な食事のみ、です。

なので青年期のマサイの男性は

筋肉と皮しかないほど、ガリガリだそうです。

この期間には、恋も楽しみます。

しかし、この時期に結婚はしません。

 

割礼(かつれい)という儀式があります。

マサイの人にとって次の世代に移ることは大きな意味があり、

世代最後には必ず儀式があるそうです。

 

大人の男になるためには

痛みを乗り越えてこそ、という捉え方があるそうです。

 

ちなみに割礼って、ご存知ですか?

はやい話がおチンチンの皮を切り取るんです。

おっと、痛そうです(><)

 

マサイには女性も同じく割礼を受ける儀式が残っているそうなのですが

反対したり、疑問を感じる若者はいないです。

 

外部の人から

「それは人権侵害だから、やめなさい」

と言われても

中にいるマサイの人たちは

「なぜ?

こんなに幸せで、家族みんなでハッピーなのに

なぜ儀式をやめなければいけないの?わからない??」

という感じなのだそうです。

 

そして大人時代に入ると

男は牛の管理が主な仕事になり

女性は、主に家事です。

家事といっても日本のような文化生活は一切ありません

水を汲みにいったり

日を起こしたり

アクセサリーを作ったり

そして、家を作るのも女の仕事です。

 

ところで、マサイの人の主食は

牛乳です。

牛から絞ったおちちを一人一日5~6リットル飲むそうです。

そんなに飲んだら日本人ならおなか壊しそうですが、

これだって民族の違いです。

 

 

長老期は、50歳前後から、です。

長老期になると、役目があります。

それは

若い人を指導し、正しい方向に導いていくのです。

マサイでは

若いうちは知恵もなく、何の技術もないので

いろんな生きる知恵を持っている長老が最も尊敬されます。

 

マサイの青年は、

何か悩みがあれば、長老に相談すれば

解決するので何の悩みもない、と皆言うそうです。

 

そして

もちろん

いじめも、ない。

 

コミュニティの中で大人たちが子供達のすべてを

よく見ているから、です。

どの子供も、皆が本気で叱るし

本気で関わるそうです。

 

青年は長老を最も尊敬し

長老は若い人を導くのです。

日本とは、違ってます。

 

永松さんが、ご主人であるジャクソンを日本に連れて行った時のことです。

私の文化も見て理解して欲しい

というのが理由です。

 

まず、

六本木ヒルズに連れて行きました。

ジャクソンは、目がくらくらするので

とても最上階の窓から外を見ることができません。

 

新幹線に乗せたら

これはもうダメ、でした。

なにせ動体視力が発達しすぎているので

めまぐるしく変わる風景を全部捉えてしまうので

しんどいそうです。

 

ジャクソンが知りたいことは何?

と聴くと

「日本の長老と日本の青年がどうやって関わっているのかを知りたい」

でした。

そして

日本から何かひとつ持って帰っていいとしたら

なんでもいいから教えて

東京タワーでも新幹線でもいいよ、秋葉原でもいいよ

と言うと

ジャクソンは

「川が絶えることなく流れていることが素晴らしい。

できるならこの川を持って帰りたい」

と言ったそうです。

 

ケニアでは

最近異常な気象が続いているんだそうです。

干ばつで雨が降らない時は

まったく降らない

でも、振った時にはゲリラ豪雨のように一気に降ってしまう。

 

この影響で野性動物に影響がでているそうです。

 

そしてみんなが関心が大きかった一夫多妻制についてです。

これは本からも抜粋です。

 

永松さんがお話してくれた中に

「結婚する相手と恋愛する相手はまったく別なんです。マサイでは」

「男と女は、役割がまったく違うので、同じ土俵で考えることはしないんです」

 

全員が

「ほおおお~~~~」

でした。

 

マサイの人にとって

「愛する」とは「信頼する」ということ。

そこには西洋的なべたべたしたスキンシップはなく

男と女が並んで歩くこともない

ジャクソンと出会う前に永松さんが知っていた愛の形とはまったく違うものが

マサイにはありました。

 

彼らはお互いを信頼し

尊重しあう

一夫多妻制の中で生きています。

 

簡単に言いますが

これは難しいことです。西洋化した頭になってしまったものにとっては。

 

マサイの一夫多妻制は、

男性は一人の女では満足できないから複数の・・・といった欲望から出ているものではありません。

あまりにも広い土地と家畜の管理をするためには

家族が多いほうがいい、というところから出てきた文化です。

 

マサイの男女の距離と

西洋人や日本人のその男女の距離は、まったく違います。

男女のあり方、関係も違う

だから、嫉妬の形も違っています。

 

 

第一夫人と第二夫人とでは、立場も役割も違うので

お互いの嫉妬の対象にはならないのdす。

 

 

そこには想像するようなドロドロした関係はありません。

 

ところが、西洋人、特にキリスト教徒にはとてもこのことが

理解できないそうです。

「よく第二夫人なんてうけいれたのね。私にはできないわ」と。

 

永松さんは、第二夫人になることを受け入れたという意識はありません。

ジャクソンの妻になること、マサイの社会に入ることを受け入れたという感覚です。

 

しかし、なぜ西洋人が、一夫多妻制は受け入れれないとこだわるかといえば

それは、嫉妬から、です。

彼らにはマサイの愛の形を頭で理解できたとしても

複数の人とセックスすること自体、受け入れられない。

西洋人の性文化は非常に濃厚です。

日本人だって、西洋化されています。

だからこそ、よけいに独占欲が働くのもしれません。

その愛の形はマサイとは対極にあると言っても過言ではないでしょう。。。と、あります。

 

面白い話でしょ?

 

さらにこんなことも本にはあります。

ジャクソンが私と結婚することによって、変わっていく可能性もあります。

現時点では、ありえないと思っていますが

ジャクソンとのセックスが楽しめるようになれば

私が第一夫人にジェラシーを感じるようになるかもしれません。

 

またはジャクソンが私を束縛したいと思うようになるかもしれません。

時代の流れとともにマサイが変わっていけば、愛情表現が変わっていっても

不思議ではないのです。

 

私達の関係が西洋化することによって

変わっていくかもしれない彼に対する不安もあります。

 

「男女関係の西洋化はジェラシーの西洋化に繋がる」=最近私がたどり着いた結論です。

・・・・・と、あります。

 

今、日本人の私が、

普通に思っている感覚や考え方だって、

実はとっても西洋化されたものの考え方、見方に傾いているんだ

ということに気がつきます、

 

 

ある日、永松さんが

ジャクソンにどういう人生が幸せかと聞いた時

ジャクソンは即答してくれたそうです。

 

どういう人生が幸せかと

すると

「争いのない、愛のある人生」

です。

 

妻同士が争わず、尊敬しあい

夫を愛して支えている家族は確かに愛に溢れています。

 

できることをやればいいのだし

できないことは協力しあえばいい

私達は家族なんだから

 

ということをジャクソンが言ったそうです。

 

今日聞いたお話は

今の日本の現実の毎日の中では

「そんなのありえな~い」

と思うような世界の話でした。

 

でも、確かに、あるのはなぜだろう?

知りたいと思いました。

 

来年春、永松さんはジャクソンさんとともに日本に来られます。

この香川にも来て下さるような勢いです。

 

生のジャクソンに会いたい!!

とにかく、ドキドキするようなお話でした。

ぜひ、ご本読んでみてくださいね。

 

アフリカに行こうよ

という声が高まっています。

2013.10.18秋の祭り

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先週末は地元屋島のお祭りでした。

子供達は今年はじめて太鼓を叩かせてくれることになり

お祭り前にはせっせと夜、集会所に集まり太鼓や歌の練習をしました。

 

私は、親として祭りに参加するのは初めてでした。

地元の子供会に入れてもらっていないと

こういう機会はないようです。

 

毎年この秋祭りの時期になると、吉本歯科医院にも

いろいろな地区の子供達が、歌いに来てきてくれます。

歌ってもらった後、ご祝儀をお渡しします。

 

私は最初、この仕組み?がわからず

ご祝儀の用意もわかっておらず、

いったいいくら包むものなのか?

お菓子や、お茶も用意するのか?

などなど

義母に1から10まで教えてもらい

地元にはこういう行事があるから、

こういう時には、こうしてお祝儀袋をたくさんつつんで

用意しておくんだ、ということを知りました。

 

私は育った環境が

転勤族&マンション族なので

こういった地元の一切がっさいの行事は

何も知りませんでした。

 

今までは、何年も

歌いに来てもらう側、迎える側でしたので

深く考えることもありませんでした。

 

しかし、今年は違っていました。

祭りの前日と祭り当時の朝は

地元屋島地域のお店や会社、病院などを子供達とともに回ります。

歩いて回るので

親も子供もくたくたです。

 

「すみませ~ん。

◯◯自治会子供会で~す。

祭りの歌を歌わせていただいてもいいですかあ?」

とそれぞれの会社やお店や病院のドアを叩くのは大人の仕事です。

ここで、「いいですよ」とか「お待ちしていました」とOKが出れば

一斉に中に入り、大きな声で歌います。

地域によっては、獅子が舞うところも、あります。

 

この時、

「すみません~ん」と扉を開き、

歌わせていただくお願いをする気持ちはまるでセールスマンのようです

 

営業中なので、困ります

というところもあり

うちは、いいです

というところもあり

はいはい、いいですよ

というところもあり

あらあ、よく来られた~どうぞどうぞ

と歓迎して下さるところも、あり。

 

まさか、こんなに神経を使うとは

思っていませんでした。

 

すべて受け入れてくれるものだ・・と。

そうは、甘くはないのですね。

 

たくさんのお店や会社や病院を回ったのですが、

嬉しかったのは

ある学習塾にうかがった時です。

 

いきなり行ったにもかかわらず

先生方全員が、整列してちゃんと子供達の拍子に合わせて

あいづちを打って下さいました。

歌が終わると

「ありがとうございました。ぼく~~ありがとね~頑張って下さいね~」と

とっても感じよく、迎えて、そして送ってくれました。

 

NGが5件くらい続いた後だったせいか

妙に嬉しいわけ、です。

あんまり感じがいいもんだから、

一緒にいたお母さん達とやっぱり、話をしちゃうわけです。

「あの塾、いいよね。感じいいよね。うちの子いかせようかな・・」

なんて、話になっちゃうわけです。

まあ、当たりまえと言えば、当たりまえです。

私達が生きている社会は恐ろしく狭く

あらゆるシーンで人と人とは繋がっているからです。

そういう意味では、

日々のお付き合いを気遣いと心遣いをもってきちんとやっていたら

あまり困ることはない、ともいえます。

なにせ、狭いのです。

 

不意にお邪魔した時の対応

というものを敏感に感じ取るのが人間だから、です。

 

どんなにいい広告を打っていたって

パッと入ってきた時に

露骨にひどい対応されちゃったら

興ざめしちゃうというものです。

どんなにインターネットでいいように公開していたとしても

パッと入った瞬間の印象が悪ければ

期待が大きいぶん、よけいに悪くなるのです。

 

もし、吉本歯科医院の待合室に患者さんが3人くらい座って待っているとします。

その時に、何らかのセールスの方が突然訪問してきたと、します。

その時にもし私が、露骨に「はあ?何のようですか?今忙しい!!」なんて嫌な顔をして

対応したと、します。

そして、患者さんに向かっては「こんにちはあ」なんて最高の笑顔でお声かけしたとしても

患者さんは、私がセールスマンの方に取ったぞんざいな態度の方を実はよく見ているんです。

 

私も、よそに行った時に

そういうシーンをよく見ます。

使い分けをするんだ、ということを

見てしまうんです。

 

それが、違和感として残ってしまうんです。

違和感は、その後不信感になっていきます。

これって、ありますよね?

 

 

セールスマンの気持ちがわかります。

扉を開き、「何の用??」といや~な顔をされた時って

つらいんですよね。

学生時代に100件の自宅を訪問するアルバイトしたのを思い出します。

たくさん拒絶されると

つらくなるんです。

そのうち慣れますが。。。

 

 

私はそんなことしていないかな・・

うちの医院ではそんなことないかな・・

と逆の目線で考えることが、できました。

 

なんでも、逆の立場を体験してみるって大事ですね。

社長なら、社員になってみる

社員なら、社長になってみる

商売しているなら、お客さんになってみる

お客さんなら、お商売する側になってみる

先生なら、生徒になってみる

生徒なら、先生になってみる

 

立場が変われば見えるものは、変わります。

言い分だって、まったく逆のことを言ってます。

それくらい、自分の都合のいいように考えてしまいがちなんだ、ということを

知るいい機会です。

 

初めての祭り体験でした。

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祭りの主役はやはり、男性です。

重い太鼓台を汗を流しながら、掛け声あげて持ち上げている姿は凛々しい。

「おつかれさまです」と

女性達も思わずお茶を持っていきたくなります。

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この日は、特別暑い日だったんです。

祭りが終わった途端に、一気に冬のように冷えてきました。

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こんな可愛い子供達が何軒も歌いにきてくれました。

これは、吉本歯科医院に来て下さった時。

患者さんも快く歓迎して下さっていました。

 

忙しかった秋の行事もそろそろ終わります。

2013.10.1710月母性型勉強会

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10月16日(水)は母性型勉強会でした。

昨日のテーマは、

一体どういう人ならもう一度会いたいと思うのか?

からはじまって

そもそも、夫婦なら相手にどうあって欲しいのか?

吹きだす

吹きだす

毒を吐くもあり

そもそもうちの場合は、こんな感じ

などなど

白熱しちゃいました。

 

男と女の関係性の話になると

その人の人生観がそのままでてしまうような気が、します。

 

妻は夫に何をもとめ

夫は妻に何をもとめ

男は女に何をもとめ

女は男に何をもとめ

ということを「私は、こんな風にして欲しい」「こんな人はいやだ」

なんて話を繰り返していくうちに、

最終的には

男と女は、というより、

今は男性でも女性でも

個々によって、価値観はバラバラ、です。

 

「へえ、この人はこんな風に感じるんだ」

ということが

やりとりを繰り返すうちに、わかってきます。

 

そこで、

私の感じ方と違う

私の考え方と違う

 

だから、

嫌なやつ・・・

 

となっては、いけません。

いけませんのは、わかっていても

自分よりの考え、感じ方と違うとなると

どことなく距離を置いてしまいがちなのが人間というものです。

 

私が昨日、勉強会で感じたこと。

それは、

「自分のことをわかってもらいたい」

「自分のことを受け入れてもらいたい」

「自分のことを認めてもらいたい」

と自分が他人に求めているうちは

それは永遠にストレス状態のまま、なんだということです。

 

そういう言葉を持っている

そういう想いを持っている

ということが、そもそも、不幸の始まりです。

 

他人に

完璧に自分をわかってもらう

完璧に自分を受け入れてもらう

完璧に自分を認めてもらう

というのは、無理です。

それは、幻想だからです。

 

いやいや、そんなことはない

あの人は

うちの人は

私のことを理解して受け入れてくれている

と思っているのは

自分がそう思いたいから、そう、思っているだけ、です。

でも、それはそれで、いいんです。

私だって、思ってます。

 

主人は自分のことをわかってくれている

あの人は自分を受け入れてくれている

かも?

と思っています。

 

でも、その程度です。

 

問題は、

自分自身に

他人に

受け入れてもらえるような何かがあるのか?

理解してもらいたいような何かがあるのか?

認めてもらえるような何かがあるのか?

です。

 

と、問うた時に

きっと

「いや~~。そんなものは、ないけどお

なんとなく感じている自分の気持ちとかあ、わかって欲しいしいい。

私だって、俺だって日々いろんなストレスあるし

それをわかって癒して欲しいしいい」

その程度だった時に

その人を見て

自分は、「理解できる」と思えるかどうか、です。

 

人は、思っていることしか、できませんし

実際してません。

いやいや、違うんです。

本当の自分はもっとできるんです。

と言っても

人はやってることを見て、その人を完璧に

理解してます。

そうですよね?

 

そして、そんな自分が

他人や、近しい人に大事にされていないんだとしたら

それは

相手にとって、

認めたくない何か

理解できない何か

受け入れたくない何か

が、あるんです。

 

 

生きていると

問題ばかり、です。

仕事の問題、

勤めていたら人間関係の問題、辞めたい辞めたくないだの

過剰なストレス

子供がいたら教育の問題、子供同士の人間関係

それぞれの親の問題

老後の問題、

病気になった時の問題

お金の問題

 

これは避けて通れません。

目を伏せて

やり過ごしたいけれど

そうはいきません。

気取って繕ってやり過ごせるほど

現実は甘くない

 

いろんな問題に直面した時に

逃げずに一緒に問題解決していくための

相手が、結婚相手であり

または結婚しなくても一緒にいるパートナーです。

 

自分は相手にとって、助けになる存在か

一緒に乗り越えていく覚悟がある存在か

そこがあって、

相手もまた、

同じように助けになる存在になり

一緒に乗り越えてくれる覚悟ができてくるんです。

「この人がこけたら私もコケル」

一緒の船に乗れる覚悟がない2人が一緒にいて

楽しいのはひとときで

そのうちにドロドロの争いが始まります。

 

欲しいのは

覚悟です。

 

そこを抜きに

一番大事なことを話し合わずに

自分の勝手な都合や

自分の気持ちや気分を

ただ

「うんうん、そうやね~」と聞いてくれるばかりの人が

自分にとって最適なんだ、と思っていたなら

誰と結婚しても同じです。

 

やはり、隣の芝生はいつまでも青く見えるし

他人の人生の方がよさそうに見えてしまうのです。

 

そういう意味では

自分に最適な人を選ぶ

自分に最適な人を探す

よりも

自分が相手とどんな関係を築きたいのかを

はっきりし

その上で、

そんな相手にはどんな自分でないといけないのか?

と逆に自分を作っていく、ということの方がよほど

近道です。

 

コミュニケーションの基盤にあるものは

尊敬です。

特に女性は、男性に尊敬を求めます。

勉強会の中でも

出てきました。

どんな男性がいいか?

「尊敬できる人」ダントツです。

 

何かひとつでいい

何か一点、「すごい!この人の持っている世界はすごい」

と思えるものがあれば、

女性はついていけるんです。

そこさえあれば

少々浮気しようが、

少々口が悪かろうが

少々酒癖悪かろうが

少々口が臭かろうが

呑み込めていけるものなんです。

 

相手の世界は

理解できなくてもいいんです。

また、理解できるような程度のものであれば

たいしたものでは、ないんです。

 

人と人は理解しあえないからこそ

「理解した」

「知りたい」

「わかりたい」

という欲求が湧いてきます。

 

そんな欲求がないのに

わざわざコミュニケーションする必要など、ないんです。

 

相手にとって、自分が必要な役割がある時は

わざわざ話そうなんて仕組まなくても

勝手にコミュニケーションとってます。

視線を合わそうなんて思わなくても勝手に目がそこにいってます。

 

聞き上手はたしかに素敵です。

上手いあいづちをうつことも大事です。

人とちゃんと目を合わせることも大事です。

笑顔だって大事。

 

でも、それは

「あなたに何かを伝えたい」という想いありきです。

それがないのに、何をしたって

気持ちが悪いんです。

 

コミュニケーションの技法、手法を学ぼうと

そういった系統の本やセミナーははなざかりです。

 

でも、どんなにタッチの方法をならったって

どんなに視線のあわせ方をならったって

勉強すればするほど

気持ち悪い人になっていくんです。

 

それは

人に触れる前に、

人に言葉をかける前に、

作為が働くから、です。

 

「こうやって笑顔にならなくては」

「目を合わせなくては」

 

これらすべての作為は

一瞬で相手に伝わります。

 

何が伝わるのか?

それは

違和感

です。

 

言語化できない気持ちの悪さ

です。

 

私達は本来は、こういったものを感じとっています。

しかし、頭がそれを否定します。

 

「そんなこと想っちゃいけない、ましては言ってはいけない」

「だって、いい人だもの」

「だって、仕事だもの」

 

こんなことを繰り返していれば

自分の感覚なんてどんどん麻痺していって

あたり前です。

 

自分は本当に笑っているのか

心から笑っているのか

さえ

自分でわからなくなってしまうんです。

 

こうしたら好かれる

こうしたら嫌われる

だから、こうしよう

こんな笑顔だったら好印象

だから、笑おう

 

こういった一切の作為が

一瞬でも頭によぎった時

自分はおかしな顔をして人に向かっています。

 

その顔は自分では見ることはできません。

でも、他人は感じとっています。

 

でも、誰も言いません。

 

面と向かって会った時に

お互いはどうなのか?

ちゃんと突っ込んだ話し合いができる関係なのか?

それとも、核心に触れる話はできない関係なのか?

 

そこを押えた上で

関係というものを考えていかないと

夫婦以外、友達同士の関係だって

表面は仲がよさそうで

実は内面はドロドロということになってしまいます。

 

毎回ここでも書きますが

男と女は宇宙人と地球人ほども違うと私は思っています。

 

共通言語だって同じ日本語を話しているとはいえ

内容は違うのです。

 

育った環境

育った両親からの影響

これだって

お互いに違います。

 

夫婦はもちろん

職場の関係や

友人関係すべてにいたるまで

違うんです。

 

こんなにも実はふろしきをひろげると何もかもちがう

人同士が、うまくやっていくために必要なものは何かといえば

「知性」以外にありません。

 

 

見た目のきれいさ

お金を持っているいない

優しい優しくない

といったものではありません。

 

幼稚な人間同士は

自分勝手な「自分の主張」を相手にただひたすら押し付けるだけ、です。

なんでもっとこうしてくれないの?

なんでもっと稼いでくれないの?

なんでもっとなんでもっと・・・

キリはありません。

当然ストレスです。

ストレスで病気にだって本当になるんです。

細菌感染で病気になるより確率は大きいと私は思います。

 

まった違う人間同士が

自分を押し付けあうことなく

対立することなく

共調していくには

考え方となる「ものさし」が絶対に必要なんです。

 

それが、母性のものさし、だと私は思ってます。

 

ものさしを持っているかいないか

で、目の前の相手と歩く人生は天国にもなり、地獄にもなるんです。

 

自分のことを認めてほしい

自分のことをもっとほめてほしい

自分のことを癒してほしい

という言葉を持たないようにすると

楽になります。

 

そして、そう切替えた途端に

周囲はいきなり

認めてくれるようになり

ほめてくれるようになり

コミュニケーションが増えるようになってくるんです。

 

誉めて誉めて

認めて認めて

癒して癒して

と欲しているのは幼稚な心です。

 

幼稚な心の時は

ストレスだらけです。

 

人に認めて欲しいと

無駄な努力をするよりも

今、やってることをもっと深める

目の前の人ともっと濃く関わる

そうやってトンネルを深く深く掘っていく方向に

シフトする人から

どんどんストレスフリーになっていくんです。

 

 

これは、真理だと、実感しています。

 

 

たくさんの人の中で

ひとつのテーマで話し合うと

私は禅問答のように自分の中で「そりゃあ、違うでしょ」と突っ込みがはいります。

その自分内コミュニケーションがまた、自分を刺激してくれるんです。

 

 

来月の勉強会は

11月13日(水)午後6時半です

お楽しみに 

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2013.10.16すぐにやる人

昨日、勉強会にも来てくれている一人の女性から

メールがきました。

彼女は、ある会社の社長さんです。

最近、本気になって仕事を会社をやってやろうと、しています。

 

今までは、自分が主体になって

自分の責任で

外に発信していく、なんて考えたこともなかったという彼女が

思い切って

発信してみた、

書いてみた

表現してみた

のです。

 

読んだ文章は、もうびっくり。

これを読んだお客さんが、「ああ、いい感じの人だなあ、会ってみたいなあ」

と思ってしまうような素の自分をそのまま出し

いいことも

悪いことも

すべてオープンに出していこうという姿勢が

グングン出ています。

 

 

「私はそういうの苦手だから」

「私はできない」

そう言ってたのに、

本当は全然違ってました。

 

本人の

「私はできないから

ほど、当てにならないものは、ありません。

自己評価と他人が見る私はほとんど違ってます。

他人が見る自分よりも

自分の評価が高すぎるも考え物ですが

他人が見る自分よりも

自分の評価が恐ろしく低い方がよほど事態は重症です。

 

血圧と同じで

高いよりも、低い方が問題あり、なんです。

高め設定で

少しずつ、周囲に批判されながら

フラットなところまで落ち着いてくる

ぐらいで今はちょうどいいのでは?

と思います。

特に女性に限っては本当にそう、思います。

 

彼女はきっと、これから

どんどん面白くなってあの手この手で

発信をしていくことと思います。

彼女の仕事と彼女の感じることはすべてつながっているので

彼女が感じて発信することがそのまま

会社の発展に即繋がると私は思います。

 

超男社会の業界の中で

柔らかい、お母さんのような視点で

一人の生活者として

子供を育てているお母さんとして

働くお母さんとして

そして一人の女性として

そんな目線で

発信していけることは

これはもう武器です。

 

みんな彼女の会社にやってくるんじゃないか

とさえ、私は思います。

 

わくわくしてきちゃいました。

 

 

素直に、

なんでも

すぐに

やってみる

やってみたら

面白かった

結構やれることに気が付いた

そういうスーッとした心に妙なひっかかりのない人は

本当になんでもうまくいくんです。

 

素直って、何が何でも得なんですね。

「ええ~~~でもおお」

よりも

「うん、わかった、やってみる」

の方が

よほど人生はお得。

だって、そんな人には誰だって可愛くて

なんでもしてあげたくなってしまいますもの。

 

だいたい、

大人になって

他人の意見を聞き入れて自分でやってみる

なんて至難の技なんです。

自我ががありますし

自分の子供だって言うことなんて聞きはしません。

 

そんな中で

素直に「やってみる」とすぐやれちゃうというのは

もう才能も才能です。

 

彼女を見てて

私も素直になろ・・・と、反省反省。

 

人のいいところは、すぐいただきです。

 

さて、

初めてすることは

誰だってできません。

 

できなくて当たりまえ

緊張して当たりまえ

 

でも、やってみたら

できた

 

でもなぜできないと、先に思い込んでしまうのか?

それは、やらないから

に尽きます。

 

彼女はすぐ、やった

だから、すぐに「できない」という思い込みの殻は破れた

成長というのは、「できない」と思い込んでいる殻を中からぶちやぶり

新しい体験を体の中に実感として叩き込んでしみこませていくものです。

だから、一度できたら

次も「すぐに、やっちゃえばいいんだ」と思えてしまう

あんがいあっさりしたものなのです。

彼女のように。

 

 

行動を起こそうよ

よ言われても

何度も勉強に行っても

なぜできないのか?

それは

「失敗したら、ダメ

というハチャメチャなプログラミングのせいです。

 

失敗したら、恥ずかしい

と自分が思い込んでいるだけ、です。

自分が、というところが、ミソです

誰も、批判はしません。

 

「あんなことやっちゃって、恥ずかしいよね~」

という人はいるかもしれない、。

でも、外野には感じることができない

「やってみた」人の快感は本人にしか味わえません。

だから、いいんです。

 

恥ずかしがってるうちに、いのちなんてあっという間に終わるんです。

明日交通事故で死ぬかもしれないし

うっかりかびんが落ちてきて死ぬかも、しれないんです。

自分だけが、そんなことはありえないと思っていたって

そんなことがありえないわけは、ないんです。

 

私も2度ほど本気で死にかけましたが

息ができなくて意識が遠のく瞬間に

「え?こんなにあっけなく死んじゃう?もしかして私死んじゃう?」

意識したのだけは記憶にあります。

 

死にかけた水難事故の時の周囲は

「あの時は、本当に葬式の段取りまで一気に考えたわよ~」

と大騒ぎでしたが

当の本人は

もし死んでしまっていたら

そんなことさえ、わかりません。

 

あっけないもの

なのかもしれません。

ひょっとしたら。

 

自分だけが

自分の生とか死とかを誇大妄想しているだけで

ただ生まれて死んでいくのは

誰でも共通事項です。

 

 

死にそうな瞬間に

「ああああ・・・あの時やっておいたらあああ・・・:」と思っても

遅いんです。

 

だから

恥ずかしいから、できない

というのは

とっととやめたほうがいい。

 

いつやるの?

今でしょう

って、いいですよね。

私大好き。

 

告白したい子がいて

もじもじしてたら即座に言います。

「いつ、言うの?」

今でしょ、今。

 

自分が恥ずかしがってるほど

他人は自分に注目していないし

人はみな、自分しか、みていないし、関心はないのです。

だから、誰か名前もわからない誰か、一般世間の目を気にすることなど

ないんです。

 

みんなが自分を見ているような気がするのは

ただの気のせいで

誰も、見てないのです。

だから、大丈夫。

 

初めてやることは、誰だってできない

できないから、やることは面白い

初めてのことなんだから、最初からうまくいかなくって当たりまえ

というプログラムを自分で持っていれば

 

何か新しいことをするときに

「あ、まずはやってみたらいいんだ」

とすっと思えます。

 

初めてのことを

やってる最中や

やった後は

渦中にいるので

心は静かです。

必死なので、静かです。

頭が集中しているんです。

夢中なのです。

 

それらの体験は自分だけの細胞にしみこんで自分だけが

体験していることなので

周囲にはわかりっこありません。

だから、面白いし

また、その瞬間に

自分をわかって欲しい

なんていう幻想から解放されるので

やっぱり、面白いのです。

 

やってみよう

と思った時に

間髪入れずにやってみれるかどうか

やってみよう

の後に

「でも、できないかもしれない」

「面倒くさいし」

という思いが頭の中をよぎったら

動くことは、できません。

 

そもそも、

何をするにも

「面倒くさいし」

と思ってしまうようであれば

一生懸命努力してする必要も、ないのです。

 

自分が自分の時間を使ってやろうとすることに

「面倒臭い」と思うようであれば

それはもう生きてることそもそもが面倒臭いのと同じなので

何をしたって

面白いことは起こりません。

 

 

面白くない面白くない

とグルグル渦巻いているうちに

あっけなく自分の持ち時間は終わるんです。

 

 

「面倒くさい」と思ってしまうようなことならば

やる必要はないし

他に「よっしゃ、じゃあ私がやる」という人は山ほどいます。

だから、しなくても、いいのです。

 

何が何でも、頑張る必要はないし

誰もが誰も、成長しなくちゃいけないなんてことも

幻想です。

そんな必要はどこにもなく

 

無理して

何かをしようとする必要なんてどこにも、ありません。

誰も怒りませんし、

誰もお尻を叩きもしません。

 

ちゃんと生きよう

本気で生きよう

と誰もが思う必要はなく

誰かが冷えて醒めていたって、無理に熱くさせる必要も、ないんです。

 

そんなにみんな暇じゃないし

心配してくれるのは

おやきょうだいくらいですが、

20歳過ぎたら

自分の人生は自分でどうにかしないと

いけないんです。

 

 

 「よっし、やろう!」って気持ちが湧きあがってきた瞬間に

なんでもとにかくやっておくようにすると

後が楽です。

続くか続かないかは別の才能として

まずはやってみる

ってすごく大事だと私は思ってます。

 

組織の中にいても

やる人と

やらない人は

すぐにわかれます。

やる人とやらない人は

噛み合わないから、です

 

やる人は黙々と自分のやるべきことを

淡々とやってます。

 

やらない人はやらない

 

真ん中はありません。

 

時々やるけど、時々やらない

のは、ないんです。

 

何かを発信することも

人前で話すことも

何か新しいことをするにも

初めてすることは

できないんです。

やったことがないんだから、今の時点で

できないのは、当たりまえなんです。

 

だから、不安がどんどんわいてくるし

緊張もするし

ドキまぎして逃げたくなるし

 

湧き上がる不安を消すためには

止まったらダメ、なんです。

えいやあっとやってしまえば、いいんです。

そして一度やったら

それを黙々と続ける

続けていると、できるようになるんです。

 

この繰り返しです。

 

最初の「えいやあっ」は

これだけはもう、度胸と愛嬌です(^^:)

 

パンジージャンプで飛び降りちゃう感覚です。

岩の崖から、水の中に飛び降りちゃう感覚です。

 

もし、できなかったら

私なら、背中から突き飛ばしてもらってもいいと思います。

 

でも、他人に突き飛ばしてもらうよりも

自分で「えいやあ」と飛び込んだほうが

次からの「えいやあ」のハードルは恐ろしく低くなってます。

 

素敵な彼女の第一歩にしみじみ、感動。

今日は母性型勉強会です。

ぜひ、話を聞いてみよう。

http://www.boseinomonosashi.com

 

先に飛び降りた人から、

どんどん殻を破ってってるように、見えます。

2013.10.16ugoku

2013.10.10止まっているように、見える

今、岡山に住むある女性が個人カウンセリングを受けています。

週に一回程度、先生について、自分自身を深く掘り下げていく作業を行なっています。

 

その中身は私は知らないのですが

たまに高松にきて会った時には

変化はものすごく、見えるのです。

 

結婚する前に知り合って15年以上は付き合っている人なので

変化するとすぐにわかります。

そしておとといお茶を飲みました。

 

彼女を見ていて

考え方というものが、

いかにその人のストレス耐性度合いと影響するのか、とびっくりします。

 

なんだか、どっしり落ち着いて見えます。

 

 

私の記憶する限りでは

彼女は、

すぐに他人の言葉に傷ついたり

自分の何かを他人に指摘されたりした

自分の考えが衝突した時

には

ものすごく悩んだり

しかも、長い間

しかも、深刻に

へこみ度合いも大変なものだったように思います。

「それ・・・いつの話・・???」

ということもよくありました。

 

しかし、他人が自分をどう思うか、感じるか、考えるか

など個人によって違うのは、当たりまえ。

よって、そんなことを気に病む必要など、ないんです。

 

価値観が違うなあ、と思うことなど

当たりまえです。

 

あの人とは合う

と思っているのは一瞬だけで、

その瞬間も流動的なもので変化します。

 

どちらかが成長すれば

もう噛み合わないものになってしまいます。

 

人と人とはわかりあえるはず

という幻想があるだけで

そんなものはありません。

あるとすれば

一瞬だけ、心が共鳴した、通じ合う瞬間があった

ようなものです。

しかし、それもずっとは続きません。

 

彼女は

今まで、あんなに気になっていた周囲のことが

今は、「止まっているように、見える」

と言いました。

 

あれ?

こんな顔してたっけ?

こんな風に私は思います。

 

誰かが、何か大真面目でやっていても

どこか「なんか、熱くなってるよね、あの人」とはすに構えた感じでした。

 

一緒にいてもどこか傍観している感じで

悪い意味で空気を読みすぎ

相手の心の中を想像しすぎ

気を遣い過ぎて素の自分が見えてこない

こんな感じでした。

 

・・・と、こんな感じだったよ

と私が言うと

せきを切ったように話し出しました。

 

いろんなグループの中にはいって

友達同士でも、一緒によく会う人はいるけれど

一緒にいるとらくだと思ってはいるけど

実はお互い恐ろしく気を遣っていて

表面はとても仲良しなんだけど

その水面下ではお互いがお互いにものすごい気を遣いあっているのが

わかって、ある日苦しくなって

先生に相談した、

とのことでした。

 

今は、といえば

「なんでそんなことばかり頭の中で考えてたのかわからない。

きっと自分のこと真剣に取り組むのがこわくて、見るのが嫌で

先送りにしてたから、人のことばかり気になっていたんだと、思う」

と自己分析していました。

 

人は

その時は死にそうに悩んでいたことでも

今が充実していると

過去の苦しかった体験も

「必要だった過程なんだ」といいように

上書き保存されていくものです。

 

彼女はもちろん、れっきとした

大人、です。

 

子供同士のクラスの中での

微妙な人間関係をひきずって、実は大人になっても

その構図は同じです。

 

気を遣いあっているけど

誰にも心のすべてはオープンになど

できない

 

これは

日本全国どこででも、同じです。

 

誰とでも仲良くしなくちゃいけない

誰とでも和をもって調和しなくてはいけない

 

こんな考えが根底にあると

生きていくのはとてもしんどいです。

 

自分の思いや考え方を否定されたり拒否されたとしても

死にはしません。

 

「あの人のあの言葉に傷ついた

なんて言葉はよく女性が使いますが

傷なんてどこにも実際はついていないし

血が出ているわけでもない

 

問題は

「自分の考えを否定された時には

自分は傷ついてダメになってしまうんだ」

と、自分自身が思っている、思い込んでいるところです。

 

自分が本気でそう思い込んでいるので

実際にそういうことが起こると

本当に傷ついて、身心ともに崩壊してしまうんです。

 

社会に出れば

小さな話で言えば、就職した途端に

自分などというものは即、否定されます。

「自分は知ってる、できる」と思い込んでいたことが

上司や同僚先輩あるいはお客さんに

「お前はダメだ」と言われる。

そんなことはしょっちゅうです。

 

恋愛でも同じです。

距離が近づくほどにお互いの嫌な部分が見え

それこそ、

「そこで、そういうこと言う???」くらいのキツイ刃モノのような

言葉を浴びせかけられることなどは

日常茶飯事なはずです。

 

相手と自分は違う

そして、自分は自分だけが正しいと思う生き物

なので衝突は当たりまえです。

 

 

今は、衝突する前に

さっと空気を読み、相手の心のうちを先読みし

なんとなく距離を置いたりして

衝突が起こりません。

 

喧嘩にも、ならない。

 

たくさん主張して、たくさん叩かれて否定されたり

自分を受け入れてもらえなかったりしていると

そのうちに鍛えられてきます。

 

自分と考え方と違う人にあったとしても

価値観がまったく違う人にあったとしても

うまくやっていくことができます。

 

 

「あの人は違う」といちいち腹をたてて

自分の方に向かそうとしなくてすむのです。

 

他人を変えよう

とは思わなくなるのです。

 

また、考えが深い人の言ってることや、考え方は

その人より浅い考えの自分には

決してわかることはありません。

 

なので、そういう時には

より深い考えの人に自分の考えを合わせていく

ということをするんです。

 

違和感があることでも

呑み込んでいく

理不尽なことでも

呑み込んでいく

そういう作業です。

 

私はそうやって教えてもらいました。

そしてその通りにやってきたら

人との関係で、

「誰かの言葉で傷ついた」

「人との関係でクヨクヨする

ということは

消えました。

 

 

本当に、消えるんです。

 

何人かで話をしていても

みんなが好き勝手なことをくっちゃべっている場は

盛り上がっているようで実は水面下で

みな、むなしいのです。

 

時間だけが過ぎて

なんだか、疲れた

ということになってしまいます。

 

私達の母性型勉強会でも

「話し合う」「対話」ということをいつも講師は繰り返し言います。

しかし、それはみんなが好き勝手なことをしゃべっているようで

実は違うんです。

 

話し合う目的は

じぶんより、より深い考え方を持っている人の言葉に耳を傾け

そこに自分を合わせていく、ということです。

 

話し合いの場で

思い切って自分の考えを出してみた時

思いがけぬ人から指摘がはいったり、否定されたり

することが、あります。

そして、衝突するのですが

その衝突はOKなんです。

 

なんでも、問題が起こった時

誰かが、誰かに何かを言って衝突が起こっている時は

「よし、きた」と受けるのがいいのです。

 

衝突するから

自分の今までの考えや思いが幼稚だったな

浅いものだったな、とはじめてわかるんです。

 

仲のいい友達だから

よく会うグループの人だから

ということでどんどん衝突を恐れ、自分のことを引っ込めていると

いつか、自分自身が何を考えているのか

自分は本当はどうしたいのか

自分がしたいことは一体何なのか

といった一番大切なことが

わからなくなってくるんです。

 

そうではなく

人との衝突

人との違いを見つけた時

人から否定をされた時

には、

「これはラッキー」と切り替え

徹底的に自分を鍛える場に変えてしまうのです。

 

逆に

いつも誰かとつるんでいないと心配な仲間だとしたら

それはもういらない関係です。

何よりそんな時間はもったいないのです。

 

自分の内面が未熟な時は

生きている時間はいつも衝突だらけです。

私は実際そうでした。

 

でも、ずっと

強くなりたい

って思ってました。

 

ちょっと人と衝突したり

否定されたりしたくらいで

クヨクヨ落ち込んでる自分が嫌で嫌でしょうがなかったです。

そんな時期ってありませんでしたか?

 

自分が成長しようと努力をしないで

他人にだけは、

こうしてよ

もっとこうしてよ

こう思ってよ

もっと私をよく思ってよ

なんてことを当たりまえに思っているのは

子供です。

子供ですが、若い時期はそういうものなんです。

 

自分が状況を変えよう

と本気になっていない時は

人生は毎日が衝突だらけで、ストレスです。

 

 

自分が正しい

自分を好いてよ

こうやって他人に押し付けているだけなので

ストレスです。

 

世の中はどんどん野性へ野性へ、戻ろうとしていますし

そうしなくてはいけない環境になってきています。

 

しかし、個人というところでいえば

もうどんどん過保護状態になっていってます。

 

あらゆる外からの刺激に対してあまりにも

デリケートになってきています。

 

ストレスという言葉で

あらゆる病気が出てきます。

 

本来、誰かの言葉で傷つく

なんて、ありえないんです。

言葉の暴力とも言いますが

言う人は抑えられないので、言う人は言うのです。

 

実際にナイフで刺されたわけでないのに

傷ついた、と心がふさぎこんでしまう時は

心がどこか誤作動を起こしています。

 

その誤作動は

考え方、です。

 

「自分の考えを否定された時には

自分は傷ついてダメになってしまうんだ」

と、自分自身が思っている、思い込んでいるところです。

 

これは、

考え方、です。

 

「自分の考えを否定されても自分は何も傷つかない」と

自分自身が思い込んでいたなら、

何もないのです。

 

自分は何をやってもダメだ

と思い込んでいるのも、考え方、です。

 

自分は何でもできる

と思い込んでいるのも、考え方、です。

 

自分は人に愛されていない

と思い込んでいるのも、考え方、です。

 

自分は、あらゆることに愛されている

と思い込んでいるのも、考え方、です。

 

考え方を教えてもらう

ということは、

ストレス耐性に強くなる

ということです。

 

 

何も滝を浴びて修行することでは、ありません。

考え方が間違っていたら

どんなに修行しても、ストレスは増幅するだけです。

 

確実に、

変化している彼女を見て、そう思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2013.10.08アクはでるもの

さっき、昼休みに受付の松本と話をしながら

過去の話を笑い話にできちゃってる自分に気が付きました。

 

「いや~、昔は大変だったわ~。

今でこそ、ここに出勤してくるのは楽しいけど

昔はここに来るのもいや。

誰一人、苦手だったし、昔のスタッフは途中からきた私の存在は

うっとおしいきわまりない存在だったろうし

それが伝わってる毎日だったものね~~」

 

日々戦場だったと思い込んでいた時期からは

想像もできませんでした。

 

目の前で

うんうんとマリア様のような顔していつも話を聞いてくれる松本を前に

こういう人に会えちゃうんだからなあ、

すごいなあ私って、とまた自我自賛。

 

意識を変えた途端に、松本が入ってきてくれたんだもの。

神様は全てお見通しです。

 

何の話からか

私がこの吉本歯科医院に入って、息子を産んだ頃の

毎日が戦場だった時の頃を思い出しました。

 

周囲は敵だらけだわ

と思っていたし

体はしんどいわ

仕事はしないといけないと思っているわ

主人には腹が立つわ・・・

もうずっと内心怒ってたのですが

なにぶん、天性の八方美人のこの気質は

人に会うとニコニコしていたので

ストレスはたまる一方だったのです。

 

それらのストレスの原因のもと

それは

「ちゃんとしてなきゃいけない」

と思い込んでいた

に尽きます。

 

結婚して4年目に脳の中のどこかがぷちっと切れて

「いい人やめた」

「思ったようにやろう」

「ダメならリセットしよ」

とスイッチを切替えてかえてからは

水を得た魚のように

私は生き返りました。

 

人間、我慢はいけません。

「こうでなくてはいけない自分」でがんじがらめにしていくと

必ず身心に破綻をきたすのです。

 

今は、自分が一目見て気に入って

大好きになって採用!!と覚悟を決めた人ばかりなので

愛情を注ぐことに、「惜しい」とは思いません。

 

自分が決めている、覚悟をしている

というところがミソだと、思うんです。

誰にも文句を言えない。

そして、この人と決めたからには

この人の中に何かを注ぎこむことは惜しくないのです。

 

すきでもなく

覚悟もなく

そんな人に、エネルギーを注ぐことはとても惜しく

けちな私は、1円だって、惜しい。

そして時間も惜しい。

 

何かをあげたくなる

何かをしてあげたくなる

引き上げたくなる

引き出したくなる

 

そうであれば

自分が注ぐ時間も、エネルギーもすべて構築されていくような気がして

損した気分にならなくていいからです。

 

動物占いの

「どっしりとした猿」の私は

こんなことを考えてしまうんです。

猿っぽいちっちゃさが、いいでしょ??

 

今、私はとても生きてて居心地がいいのは

誰一人として私が「いい人」だとは思ってないから、です。

「いい人」を強要してくる人も、いない。

 

院長だって、思ってません。たぶん。

話し尽くしていると、お互いに負の部分も呑み込めてくるのです。

 

スタッフもたぶん、知ってます。

今、頻繁によく会っている友人はみんな知ってます。

知ってもらえるように情報公開しました、先に。

 

八方美人なマネージャー。

人の話を聴くのが大事と言いながら

実はあんまり真剣に聴けていないマネージャー。

思いつきでモノをよくモノをいう人

 

院長をたててるようで

バックヤードで恐ろしい顔して文句いってるのもみんな知ってます。

隠しても聴こえますから。

 

外に行く時はばっちりお化粧していくけど

中にいる時は、背中からパンツが見えていますと指摘されることも。

患者さんにはニコニコしながら

30秒後には電話口で、怒ってる声。

 

みんな口に出してこそ言いませんが

私のアラなどというものは

恐ろしく見抜いており、

「こういう人」と知ってます。

知ってて、ちゃんと付き合い方を心得ているので

大人です。

 

 

よく

「あの人は性格がいい」

という言葉を使いますが

性格がいい=好き

には、なりません。

 

 

何かをやろうとした時には、いい人ばかりではいられないんです。

裏も表もあり

舞台があり楽屋がある。

どんなに表面で素晴らしく飾っていても

365度あらゆる方向に向けて

24時間いい人であり続ける

ということは、あり得ません。

 

たまに会う

遠くの素敵な人

は、ずっと自分の中で「素敵ないい人」であり続けることは

できますが

しかし、その像は自分が勝手に

「そうあって欲しい像」を作りあげ、あてはめているだけ。

365日一緒にて、24時間知ってて

「素敵すぎる!!」と思わせることは不可能です。

遠い素敵な人であれば、短時間なので

そう見せることはできます。

 

遠くの人はよく見える

のです。

 

万人にとっていい人である

ということは

もっといえば

「どうでもいい人」ということです。

 

あの人どう思う?

「え。ふつう」

といわれたら、これは

まったくもって無関心ということです。

 

どうせなら

「大嫌い」

のが、まだましです。

 

大嫌いは、

嫌いな何かがあるということなので

何かをきっかけに大好きに転換する可能性は大です。

実際に私は

大嫌い!!と言ってる心のうちには

「恐ろしく好き」の可能性があります。

 

「これはいいことだから、やらなくては

なんて頭で考えてやってることなんて

本心からしたいことじゃないので

そのうち病気になります。

 

無理にやることは

なんでも無理がくるんです。

 

接遇でもなんでも

本人が嬉しくってやってることは

人を振り向かせることが、できるんです。

「こうすることがいいことだから、こうしなくてはいけない」

なんて無理をしてやってると

あの人、笑顔だけど目が笑ってないよね

ということになっちゃうんです。

 

この身体から湧き上がってくるものに

のっかっていけば

自然と言葉は出るし

表情は溢れるのです。

 

あの人は

いい人とか

悪い人とか

一人の人間に対して

いろんな人がいろんな評価をします。

 

これはある意味あたってます。

評価はその都度、違うんです。

 

 

私たちは、関わる人によって

悪魔の顔にもなるし

天使の顔にもなる。

 

関係性の中で常に変化しています。

その中での評価です。

 

誰に対してもずっと死ぬまでいい人なんことはありえないし

ずっと悪い人ということも、ありえない。

 

 

どんどんどんどん変化していくものです

 

自分の中にも

悪い人の部分はあるし、意地悪な部分はあるし、

いい人の部分はあるし、天使ちゃんみたいな部分もある

そして、それは関わる人によって

自分の中のどこかが引き出されるんです。

 

そう考えているので

誰のことも、全部いい人とは思っていないし

全部悪い人とも思っていません。

引き出されるものによって、出てくる顔が違う

と思っています。

相手が悪魔を出してくるなら

その時の私の中に悪魔なるものが、あるのです。

これ、事実です。

近しい関係なら、本当に露骨に表れます。

 

 

できれば

悪魔で意地悪な私よりも

天使で優しい私を引き出してくれる関係がたくさんある方が

幸せです。

 

ご主人は奥さんの影響を受け

奥さんはご主人の影響を受け

さらにそこに主人に愛人がいれば愛人の影響を受け

愛人は主人の影響を受け

その愛人にまた愛人がいれば・・・と影響は連鎖します。

絶妙なバランスで、成立していたりもするので

面白いのです。

いいとか、悪いとかの論は別にして

水面下で起こっていることは

パーフェクトに矛盾がないのです。

 

 

そうかんがえると

私達は、常に関わっている人によって

いいようにも、悪いようにも転ぶわけです。

 

いいものを持っているのに

ずっと引き出されないままの関係性

 

鬼のような部分だけを引き出され続ける関係性

 

誰とどんな関係を結ぶか

ということは

結婚相手を決めるより

就職先を決めるより

大事な問題です。

 

自分をどこに置くか

自分の居場所をどこにするか

誰と関わるか

どんな人と絡んでいくか

こういうことがちゃんと皮膚感覚でつかめているって

女性には特に大事なことだと、私は思います。

 

また、女性なら、掴みやすいんです。

本当に。

頭で考えるより

本当に拒否している時は

毛穴がキュッと閉じちゃう感覚がするからです。

いい関係の中にいると、毛穴だってリラックスするのです。

 

「こうあるべき論」を押し付けられると

窮屈になります。

しかし、昔の私はスタッフにそうやって押し付けていました。

なぜって、私自身が本当に「そうでなくてはいけないんだ」と思い込んでいたから、です。

私もしんどい、みんなもしんどい。

そして空気も最悪。

過ちは、体験してみて初めて、わかります。

 

倫理や道徳は

押し付けるべきものでは、ありません。

感謝も、同じ。

 

強要された途端に純粋な気持ちが一気に消えちゃうんです。

 

「湧き上がってくるまで待ってよ」

「もう少しだったのに・・」

ということはよくあるんです。

 

 

そうではなく

優しいものやあったかいものに触れた時に

その気持ちを10倍にも20倍にもオーバーリアクションでもって

増幅させて伝染させるんです。

だから、感動するし、

自分も嬉しいんです。

 

接遇の原点はそこにあると、思います。

 

そういうことをちゃんとわかってくれる松本が

吉本歯科医院の受付にいてくれて

これはすごいことだと、私は毎日思ってます。

 

競争競争が当たりまえになってくると

人が人を信じることは難しくなってきます。

隣にいる人のことも、100%信じることができない

メールでは心を開くけど

生身で会ってずっと一緒にいるとしんどくなる

というのは普通になってきました。

 

しかし、私は思うのですが

人はやはり人を信じたくてしょうがないし

愛したくてしょうがない

愛し愛され信じ信じられる関係性が欲しくて欲しくてしょうがない

 

でも、簡単には得られない

だから、孤独になるし

不安になるし

人を簡単に信じることができなくなってしまう

という連鎖に入りがちです。

 

自分を思い切ってボーンと出していく

さらけていくと

周囲は意外にも自分を受け入れてくれるものです。

もちろん、自然淘汰の法則により

去っていく人もいますが

それはそれで、いいのです。

 

歪んだ顔して、無理して何かを頑張るより

少々アクが強くても、そのアクをドーンと出しちゃったほうが

いいんです。

 

アクが強いと嫌われますが

好きになってくれる人も出てきます。

そのアクがすき、という人にもひょっこり出会えたりします。

 

だから、アクもOKです。

 

表があって裏もある

楽屋裏だってある、

誰しもそうなので、

人の裏をわざわざ引っ張り出して暴くようなことは

素敵ではありません。

 

わかってるけど、

あえて言わない

なんて人は最高に素敵です。

 

そういう人が周囲にいてくれると

どんどん居心地がよくなってくるんです。

 

母性型、奥が深く

私は勉強するたびに、深みにはまってます。

もっと底なしに惹き込まれたい

2013.10.04育った家はたぶん変でした

亡くなった父の家の遺品をかたずけていると

手書きの電話帳が出てきました。

 

よしこ

みき

ゆきこ

さちこ

さより

あんな

・・・・・・・・・・・

マジックでなぜか名前だけ、書いてます。

店の名前も忘れずに

なんて素敵な遺品。笑うしか、ありません。

 

後ろの方には

ゴルフ仲間や

飲み仲間

会社の元同僚の電話

 

圧倒的に多いには「ゆきこ」やら「よしこ」やら「さちこ」やら

夜の蝶達の名前ばかりです。

 

私の両親は放送局に勤めていました。

古きよき時代だったらしく

デジタルなんてものはなく、まだまだテープがくるくる回ってる時代です。

 

女の人のお尻を追いかけるのが大好きな父

仕事が面白くてしょうがない母

 

テレビを見るのが大好きで騒がしいのが大好きな父

本を読むのが大好きで深く考え静かな時間が大好きな母

 

なんだってこんな2人が結婚したのか??

 

なぜ??

 

私はこの質問をよく母に投げました。

「ねえねえ、なんでなん??」

 

うっかり、だったのよ~

 

だそうです。。。

 

他の人にプロポーズされていたんだけど

ある日、風邪引いて下宿で一人寝込んでいた時

父がいきなり自転車でやってきて

母を後ろに乗せて病院に連れていってくれたんだそう。

 

それで、落ちたんだそうです。

 

漫画みたいです。

 

うっかり、結婚して、私ができたのかあ。。。と子供心にショックだったのですが

必ずこの話をすると母はかならず

「でも、あのパパと結婚したから、あなたとお兄ちゃんができたんだから

やっぱりこれでよかったのよ~あはは」

といつもフォローが入っていましたが、真意はわかりません。

 

人は10歳までに育った記憶で

人生のベースが決まると、言います。

 

この頃に無意識に刷り込まれた意識や環境が

大人になっても、自分を無意識にコントロールしてしまったり

人間関係を構築する上で

大きく影響を及ぼしてしまうんだそうです。

 

そりゃあそうだろうなあ

と思います。

 

ちなみに

私の育った環境はどこか変だったと思います。

しかし、その変さが、大人になって今40歳くらいで

面白いことになってます。

 

人が普通にこだわるようなことに、私はこだわらなかったり

人が大事だろうと思っていることが、私にはどうでもよく感じられたり

人が大事に守っているようなことが、私にはどっちでもよかったり

 

するのは、

きっとこの時期に刷り込まれた感覚だろうかと、今になって思うのです。

 

20歳の頃、付き合っていた彼氏の浮気が発覚しました。

当時学生だった私は夏休みで帰省していました。

帰省先から一日はやく戻って驚かせてやろうと、彼の部屋をたずねると

別の女の子が私のエプロン来て料理を作っていました。

 

「誰?」

と聞くと

あわててドアの外に私を押し出し

「あ、妹(汗)」

と即座に答える彼。

 

「そうなんや~」(そんなわけないでしょっ)

 

煮えくりかえりながら電車に乗って地元の母に電話すると

「あら~、ともちゃん、20年も生きててそんなことで怒っちゃう?ママ情けない・・」

と真顔で答えられ

帰って父に言うと

「男は浮気するものやしな

ま、健康な男なら浮気するものや

そんな男を見抜けんのも20歳にもなって情けない・・・ええ女にならんと、男は浮気するぞ~~」

 

と、双方に情けない

連発されました。

 

今でもですが、中学の頃からの友人も

「あんたの負け、やね」「はい、魅力負け」

「はやい話が、あんたよりあの子の方がよかったいうことや」

と一喝。

 

そういう環境が当たりまえでした。

私の周りに

「それは、ひどい!!」

「なんて許せない男!!」

なんて共感してくれる人は一人もいなかったことが

面白いでしょう?

 

両親はよく喧嘩もしていたのですが

なにせ当時のテレビ局。

派手なことが大好きで、毎週のように、多いときは週末には必ず

夜の蝶やら会社のおじさんたちが、家にきて、

狭い部屋でワイワイしていました。

 

夜の蝶と仲良くなってしまう母の姿も

何の違和感もなく、

こんなものだ、と思っていました。

 

夜の蝶は

面白いほど、父やおじさんたちを言葉で虜にし

「よしよし、なんでもしてあげようわい」(伊予弁)

と、お財布の紐をどれほど緩めさせていたか。

 

小学生でしたが

私は一緒にマージャンしていましたし

寝るのが12時回っても

何も言わない父と母。

 

普通は勉強しなさい

とか

夜は9時に寝なさい

とか

いろいろあるんでしょうが

私は一切なく。

 

毎週末になると

狐と狸のばかし合い大作戦(男と女のばかしあい)を

見ているようでした。

 

父は母に執着がすごく

母は当時とても仕事が充実していて

フリーで活動しだした頃で

母の活躍をみんなで応援する会

という意味不明なパーティーを開いてもらったりしていました。

華やかなシャンデリアの下で大きな花束をたくさんもらって

100人近い人に拍手してもらって

今思えばバブルな時代です。

 

見栄っ張りな父はそんな母のパーティーでは嬉しそうに

自慢気なそぶりでしたが

家に帰ると嫉妬まるだしでした。

 

あの◯◯はどういう関係なんだ!!

と露骨に嫉妬まるだし。

 

母は「いい加減にしてよ~。何もないわよ~」

と本当にうるさがっていました。

 

私が中学生の頃

部活で帰るのが8時頃になった私が自転車で帰ってくると

マンションの植木で隠れている風だけど隠れられていない父の頭を発見。

 

「なんしよん?」

 

父は

「しっ」と黙れの合図

 

私も自転車を置いて慌てて植木の後ろに隠れ

 

「もうすぐママが帰ってくる」

 

「・・・え?張ってるわけ?」

 

その時たまたま仕事で一緒になったある男性に車で送ってもらった母が到着。

 

「お疲れ様でした。ありがとうございました」

とご機嫌に降りてきた母。

 

ネタを掴んだ、とばかりの父。

 

結局その日は妄想は誤解ということに自分で気づき

落ち着いたのですが、こんなことは

しょっちゅうありました。

 

嫉妬は女性の専売特許ではありません。

男も嫉妬に狂うのです。

 

父は母よりも精神が子供だったのと

厳しく育てられ愛情に飢えた人だったので

母が仕事だろうが、他の人だろうが、自分以外の何かに

夢中になることがたまらなくさみしかったんだと、思います。

成長したい母

成長したくない父

噛み合うはずは、ありません。

 

 

私が子供時代の我が家には

父の友人が、自分の愛人を連れてよく遊びにきていました。

人がたくさん来た日には

きまって

しゃぶしゃぶか

すき焼き。

 

銀色の着物を着たり、金色の着物を着たりして

恐ろしく香水のいい香りを放つ女性でした。

ちいちゃんという名前は覚えています。

(ちいちゃんは今、出家しちゃいました)

 

おじさんの仕事は順風満帆、家庭も円満だったようです。

しかし、ある時から

ちいちゃんは来なくなりました。

おじさんだけが一人で暗い顔してくるようになり

中学生にもなった私は

「あ、別れたんかなあ」

と察しました。

 

 

その当たりから、

そのおじさんの会社は、トラブル続き、

父からも仕事がうまくいかないらしいと聞くようになりました。

奥さんともうまくいっていたのがうまくいかなくなり

結局離婚。

 

ちいちゃんの存在があったことで

おじさんは上手にガス抜きして

社長としてのパワーを得て、

仕事も家庭もバランスよくやっていたんだと、思います。

 

夫婦喧嘩ばかりしていたのに

ご主人に彼女ができた途端に急に家庭内が円満になった

ということだって、実際あるんです。

 

愛人がいることで

成立していた夫婦

を何組も見ました。

 

そこから学んだこと

男の人というものは

健康であれば誰しも

奥さんがいてもそれ以外に複数の(多ければ多いほど良いのか?)

女性と仲良くなりたい

好きだといわれたい

賞賛を受けたい

という本能があるんだと、思っています。

 

女性と男性では

好きになり方がきっと、違うんです。

 

きれいごとだけを教えてもらったって

将来役には、立ちません。

 

浮気をされたらどうするのか?

結婚しても好きな人ができたらどうするのか?

感謝しろと言われても感謝できないのはどうしたらいいのか?

結婚した相手がどうしようもないバイオレンスだったらどうするのか?

冷め切った相手との生活を続けないといけないのか?

いきなり旦那さんが気持ち悪くなったらどうするのか???

 

などなど、

家の中で起こっていることを

表に出すことはないがゆえに

自分の心の中でもやもやしている

グレーな部分を吐き出す場が、今はあまりありません。

 

 

どんなに仲の良い友達であっても

家の仲の恥はなかなか表には出せないものです。

だって、恥だと、思っているんですから。

本当は恥でも何でもないんですが

やはり、日本では、まだ「恥」なのです。

 

本来私達は

人間なので

「あ~。嫌だ~~!!」

「好きだ~~」

「気持ちいい~~」

みたいな感情を持って生きています。

 

この体から出てきたナマの感情の上に

後から理論を乗っけているだけ、です。

 

ゆえに

感情を押し殺すと

女性は特にいけません。

 

本当に病気になってしまうのです。

 

感情を押し殺して

本当に病気になっちゃった人や

パートナーに「こうであるべき」を押し付けて病気にしちゃった人を

たくさん見てきました。

 

女性は左脳(論理脳)と右脳(感性脳)をつなぐパイプが

とっても太いんですって。

あまりにも自分の気持ちをないがしろに押し殺し

「こうでなければならない」という倫理道徳を働かせてしまうと

精神に異常をきたします。

 

女性特有の

ずぶとさ

開き直り度は

このへんが上手にバランスよく働いてくれているから

いいのです。

 

 

2013年あたり、

私は、ますます女性も

「こうでなくてはならない自分」

「女だから、こうでなくてはならない自分」

「母だから、こうでなくてはならない自分」

という縄で

自分自身をキュウキュウに縛り付けていると、思うんです。

 

自分を縛るものは

誰でもありません。

勝手に、自分で自分がややこしく縛り上げているんです。

 

自分が「こうでなくてはいけない」と当たりまえのように

思い込んでいることって

意外に手離してもいいようなことなんです。

 

自分の人生を死ぬまで生き尽くしてやるぞ~~

くらいの執念があれば

少々アクがつよくたって

才能が偏っていたって

異常な癖があったって

私はOKだと、思いますし、その方が魅力的です。

 

香川県は性犯罪もトップクラスだそうです。

さらに、家庭内暴力

夫婦の暴力もとっても多いんだそうです。

 

抑圧されたものは

爆発するのです。

 

えらい先生が

お酒を飲んで女の人のお尻を触ってつかまってしまうなんて

悲しすぎます。

 

普段から、お尻を触っても

「いやあね、◯◯ちゃんたら(ハート)」くらいの関係性を

いたるところに作っておく方向にエネルギーを注ぐほうが

よほど人生はハッピーです。

 

セクハラ、という言葉は

嫌いな相手から触られた時に使います。

好きな相手にはいくらでも触れて欲しいのが女性の本質です。

 

あまりにも窮屈になってしまったので

きっとこのあたりで、時代は大きく変わると思います。

メイイッパイ窮屈になったら、次は反対側に大きくベクトルが方向転換するのです。

 

タテマエを乗り越え

心の奥のグレーをぜんぶピンク色に変化させていくのが

私達の母性型勉強会です。

 

なんだか、しんどいなあ、どっか~んと変身したいなあ

なんて思ったらぜひ母性型勉強会へお越し下さいね。

 

女性はもっと笑っていないといけないんです。

女の人が笑っている国は元気です。

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